奇跡のコースを学び初めて、最初の頃は、
「どうやって赦すの??」というのが一番の疑問だった。
コースの理論が少しずつわかっても、
目の前の出来事に心が反応している時に
どうしたらいいのかわからない、ということが多々あった。
テキストを読んでも、赦せ赦せ書いてる割に
どうやって赦すのかわからんわ!(`×´)と思っていた。
(今思うと、かなり偉そうな、オレ様なワタシ)
「神の使者」の赦しの法則で紹介されていた、
真の赦し・思考プロセスの実例、に倣ってやってみたり、
「不死というあなたの現実」の、ゲイリーの人生の章にあるのを
少し自分なりにアレンジして、
「私は不死の霊。この体はイメージ。本当の私とは関係がない。」とか、
他の人に向かって心のなかで、
「あなたは不死の霊だ。すべてであり罪はない。すべては癒され、解放された。」
というフレーズを使っていた。
JACIMさんのQ&A 質問88 赦し方の三つの例を参考にしたり、
一番わかりやすかったのは、「奇跡講座入門」ケネス・ワプニック著の
赦しの3つのステップで、それを参考にして赦しをやっていた。
3つのステップを簡単にまとめると、
1.問題は相手の中ではなく、自分の中にあると認める。
自分の中の罪悪感を、相手に映したものだと認める。
2.自分の中の罪悪感も、もともと自分自身の決断だと認める。
自分の中の問題は、自分で作り出したもので、もう自分では望んでいないものだと認めるのが第2ステップ。
そして、聖霊に問題を預ける。
3.聖霊が問題をわたしたちから取り去ってくれる。
この3つのステップも、よくわかったようなわからないような感じで
赦しをやっていた。
第一ステップは結構すんなりできて、
誰かに対する怒りを、これは自分の心が映している、と思って
投影を自分に戻すというのを意識していた。
ここまでは抵抗なくやれた。
それ以降の第2ステップが、これは私の中の罪悪感。もうそれを望みません。それを聖霊捧げます。
というようにやっていたが、今一つよくわからなかった。
でも面白いのは、わからないなりにやっていると、
ある時ふと気づくときがある。
私は投影したものを自分に戻す、とずっとやってきたけれど、
戻す先の自分ってなんだろう?
この世界のAさん、Bさんと「私」も投影の中の登場人物の一人なのに、
Aさんに映したのを「私」に戻しても、幻想の中であっちからこっちへ移しただけじゃないか?
という疑問がでてきた。
そもそも「私」って何?
そういえば、どこかに「決断の主体」って書いてあったな・・。
その頃は、まだ「原因についてのコース」のDVDも出ておらず、
決断の主体についても、あまり意識していなかった。
疑問が湧いてからの数日は、頭が締め付けられるように痛いし、
目がしょぼしょぼで本を読むのもツラかった。
本当にそこに気づきたくなかったんだろうと思う。
聖霊に助けてほしいと祈っていたら、
ふとひらめいて開いた本に、ヒントになることが載っていた。
(前のブログ→疑問発生のその後 決断の主体って?)
あの頃は、聖霊とつながっているのか、聖霊の声を聞けているのか
全然わからない~~!と思っていたが、
今から振り返ると、ちゃんと聖霊が助けてくれていた。
自分のアタマの認識が追い付いていなかっただけだ。
そうやってごまかしたがるのも、エゴの働き。
どうやって赦したらいいのか?
それは、決してなにかのメソッドみたいに、この手順でやればいいです。
というものでははないように思う。
今までの自分の経験では、コースが教える理論を理解しないと
赦しとは何かがわからなかった。
この世界とは何か?
わたしとは何か?
これについて、コースが教えることを理解して初めて、
赦しとは何か?を理解できるようになってきた。
JACIMさんのHPのQ&Aに、赦しの3つのステップがレシピではないですよ
という解説があった。
この解説を読んでも、なかなか最初は理解できなかったけれど、
実践していくうちにだんだんと腑に落ちてきた。
奇跡のコースは本当に、実践ありき!なのだ。
この世界に生きている「あなた」とは、誰だろうか。(T.4.II.11:8)
これを理解するために役に立ったのは、
「神の使者」の4.存在の秘密、
DVD「原因についてのコース」
DVD「思考の逆転」
DVDなんて、本当に睡魔がすごくて、
何度も同じようなところで眠ってしまうので、
最後まで見るのが本当に大変だった(><;)
私の場合、毎日の赦しの実践と共に、「思考の逆転」で、
この世界、そして私を、全体から見渡すことができたのが大きい。
それは、自我の思考体系を見る為に、
必要な視点だった。
赦すためには、自我をしっかり見ないとならない。
そこを避けては通れない。
では自我とはどうやってできてきたのか?
(本当はいないけど・・)
それを、理解しないことには自我を見ることは難しいと思う。
少なくとも私はそうだった。
そして、赦しをしてコースや聖霊の信ができないと、
これらの説明も入ってこなかったと思う。
こんなエゴを取り消していくというすごい作業を、
最短最速で!!なんてせっかちに思っていた私。
そんな焦りこそ、エゴの思考だったなあと今ならわかる。
その過去の私を、バッカじゃないのー!ではなく、
優しい咎めのないまなざしで見られるのも、
赦し続けてきたおかげ。