奇跡講座に復活
私はしばらくの間、奇跡講座に手を触れずにいました。そうガイドされたからでした。その間、いろんなことがありました。キレイごとでは済まない内容やスピリチュアリティについての両側面にも、たくさん触れました。今もそれらの動きを観察しています。今は、これまでとはまったく違う仲間たちと一緒にいます。みんなさまざまな能力を持ち、SFや映画のような話が通常になっています。そのみんなが、テクニック教えてくれたり、セッションをして私を変えてくれたり、「できるからやれ」と強く励ましてくれるおかげで私もいろんなことができるようになりました。ビジョン、直感、アウェアネス•••••ジーザスだけではなく多次元に渡るあらゆるbeingたちとのコミュニケーションとサポートを受けること•••••仲間たちも多次元的存在であるかのように日々進化していて、目には見える仲間たちであろうと、肉眼で見えない存在たちであろうと、そのサポートと大きさは同じく大きいです。そして目には見える仲間たちとであろうと、肉眼で見えない存在たちとであろうと、助け合い、協力しあっています。昔なら、私がそれら存在たちを助けるなど、まったく発想もありませんでした。私たちの持つ能力、コースの言う分離のない自分というのは、まさにSFのようで、魔法のようで、現実的で、それが本物の現実なのを目てきました。そしてここ数ヶ月で面白いことが起こりました。その仲間の1人が、さまざまな経験や能力を持っているだけではなく、コースを大事にしている人でした。彼女も、私がコースをやっていることに驚いていました。オーストラリアと日本というのは1時間ほどしか時差がないので、私たちは簡単にズームて会うこともでき、それもまた良くできた話でした。彼女は、その能力がゆえに大変なことがあり、コースをやるよう勧められたのがコースの始まりだと言っています。そして彼女にコースを勧めたのも、肉眼で見える地上の存在ではありませんでした。彼女には「コース学習者」という感じもまったくありません。彼女の体験がゆえに、彼女の話はすべて奇跡講座の「生(ナマ)」版のようで、私は話すたびに驚かされています。私は自分が受けたガイドと、彼女により、再びコースに戻りました。今では彼女とズームで会い、一緒にコースを読んだり、私の疑問に答えてくれたりしながら、いろんな話を聞かせてくれています。その話はまるで映画のようでありながら生々しく、ジーザス、神、その他の存在たちとの出来事の話は、本と自分の体験だけからでは分からなかった、深さとリアルさを増してくれています。改めて、奇跡講座がどれだけリアルなものかを知って、まったく新しいものとして、1からコースをやり始めています。彼女のおかげで、brotherを妹と呼んでいいこと、HeだけではなくSheもあることなど、コースを読み変えることの自分への許可や、生の体験を重視する重要さを知りました。神聖なる女性性と男性性のエネルギーの違いが分かるようになると、言葉というのはどれほど表現の限界があるかにも気づきます。だから、それを読み変えないことは、かえってTruthではなくなってしまうのを実感します。「言葉」「文字」「数字」についても色々知らされてきて、「言葉がどれほど小さなものに固定してしまうコードか」も踏まえるようになりました。みんなが「言葉では表現できないものを、無理矢理言葉にして話すけど」と何度も念をおしながら話してくれることで、言葉ではなくテレパシーで聞く必要があることも学びました。言葉の限界。だからこそ、たとえ素晴らしいコースであっても、限界ある文字と言葉だということに違いはないということに気づきながら読めるようになってきました。実際に、彼女の話からも、言葉の小ささを感じます。反対に、言葉の大きさも感じます。それほどまでに巨大ですごいエネルギーのことを言ってたとは、と何度思わされたか分かりません。ナマに勝るものはありませんでした。まったく違う奇跡講座になりました。どれだけすごいことが書いてあるかも前よりわかるようになったように思います。