ホ・オポノポノでお金のクリーニング中
本州では、桜が見ごろのようですが、札幌ではふきのとうが出てきたところ。毎年恒例、母が摘んで作るふきのとう味噌で、春の訪れを味わっておりますところで、先日からホ・オポノポノでお金のクリーニングをやっています。神聖で完璧な存在である私たちの本質の光を遮るのが膨大な記憶。記憶が再生されていると気づいたら、すぐにクリーニング。方法は、ありがとう愛してますと言うこと。私たちは過去だけを見ているとコースにもありますが、見ているもの、感じるもの、思考が、記憶の再生なので、結局お金だけではなく一日中クリーニングをやっているような状態になっています今回特に受け取っているのが、コレ。外に見える問題、誰かの問題と見えるものも、すべて自分の内にある。コースで何度も聞いた言葉ですが、「アロハ!」という本を再読して、ヒューレン博士の動画を観て、博士の在り方そのものが伝わり、すごく腑に落ちた感じなのです。だから、ただただ内側をクリーニングしていけばいいんだとすごくシンプルになりました。お金に関しては、ひとつ気づきがありました。以前から父のお金の使い方で、家族みんなで、「それはどうよ??」と思うような盲目的なクセがあり、赦しつつも、全く理解できない、と思っていたことがありました。私は私で、すごくお金に困った経験はないのに、お金がなくなると考えるだけで、ものすごく恐れがでてくることが不自然だと感じていました。なんか、蛇に睨まれたカエルみたいに、強迫的なんですよね。それが、クリーニングをしていたら、父も私も全く同じだというインスピレーションがきたんです。違う形で現れているけれど、強迫するかのような衝動にどうしようもなく突き動かされてしまうその元は同じで共通のものだ、という感じがしたんです。それまでは、父の問題を、自分には理解できないと切り離して、あなたの問題と、どこかで見ていたんです。父に見えた問題は、私と共通のものそう感じたとき、分離感が消えて、父の見え方がそれまでと変わっていました。障壁がひとつなくなったのかこれまでになく、ひとつながりの光として感じられたのです。問題と見えたものは、単に記憶の再生。だから、相手を変える必要もなく、私がクリーニングすればいいなんともシンプル父という兄弟が、見せてくれていたのかと思うと、本当にありがたい問題の原因は自分の内側にあるという言葉は、時には厳しく感じられましたが、今はむしろ、力を与えてくれます。ヒューレン博士の動画からの素敵な言葉の一部・・・あれはあの人の問題だ、と考えてしまったりします。そうじゃないのです。私たちの問題なのです。我々は家族なのです。1人の人に起きていることは、すべての人に起きていることなのです。「誰かの中にあるデータは、自分の中にもあるという事実ほど美しいことはない」問題に直面したとき、それがわたし自身の内にあるものだと知るとき、問題解決の有無を他者に委ねる必要がなくなることは朗報先日も、同僚が目の前で「この仕事はストレスが多くて…」と言い始めました。すぐに「ああ、これは私の中の記憶の再生だ」と感じてクリーニングしました。どうもクリーニングし続けているうちに、誰かの問題、と捉えられなくなっていて、自分ごとになっちゃった感じなのです。それに、単に記憶の再生なんだ(ここで言う記憶とは宇宙が始まってからの全ての記憶のことです)と考えると、罪悪感が入らずに、あ、お掃除ね~と思えるのが楽なのです。クリーニングをすることで、神聖なる存在が、記憶を消去してくれて、私たちを本来の姿に戻してくれるんですね。(本当は変わったことは一度もないのですが)クリーニングの結果を期待しないようにと言われますが、期待したなら、それも記憶でクリーニング。ただただ、聖なる存在を信頼して、クリーニングしてけばいい、あとはお任せ、そんな気持ちでいます。まだ4月中は、お金のことポノってます