ablindspotのブログ -382ページ目

ドロップキック




昨日 携帯電話を紛失した。



idaにしてから実に5台目となる。






一代目 逃亡


二代目 水死


三代目 失踪


四代目 水死


五代目 蒸発








もう組の世界


生産中止のため 六代目購入を諦めた。






きっと大安亭で拾われ 拉致られたのだろう




葺合警察に捜索願を出しにいったけど


三代目も見つからんかったしね









携帯のない生活。





たかだか半日だけだったが




これはこれで心地よい。






首輪が取れた時間








営業のころ着音をマシュケナタにして



テンションを上げていたが




おかげで大好きだった曲が大して好きではなくなった。









客、業者、会社 「これでもか」と曜日や時間関係なしに




「どかどかどかどか」と僕の時間に踏み込んでくる。





「ごめんやっしゃー」なんてもちろん言わない






マーキングごとく着歴を残していき





一時間以内にコールバックしないものなら 




その後ゲームセンター嵐のように




五分ごとに掛けまくってくるイラチなお客さんや上司ばかりだった。









「なんで出ないの?」



出られないから


出ないのです




そりゃ嫌いになるわな、大好きな曲も。











そして会社を辞めてから





ロンドンに行く前までの3カ月間 携帯が全く鳴かなくなった。










縦にふっても横に振っても




うんともすんとも言わない。







自分からパブロフの犬のように画面をのぞきこんだりして。











「おーい」




「やっほー」




「僕はここにいるよ~」







祇園精舎の鐘の音










これを経験すると人間少しは参る。



精神的に参る。







僕は20代後半だったから良かったものの





猛烈サラリーマンが定年を迎えたときというのは




こういうものなんだな、







あなたが必要とされているわけではない



必要とされているのは立場なんだよ





世の中にバックドロップを決められた僕










とその時 感じたせいか




携帯には執着しない習慣が身に付いた。




そのせいなんだろうね



よく紛失してしまうのは。





ということで 前使っていたインフォバー2に逆流した僕





スマートではない ナンバーセブンのボタンがない




バッテリー部位の背面カバーがはがれてくるので



セロテープでとめている





そんなおんぼろでも気にしない





電話があっても気にしない。



留守電も聞かない












秩序のある世の中にドロップキック











つづく







たのしんでるね



今日電車に乗ると



正面の席の人たち全員が



ケータイを見ていたので





一車両ではどれくらいのものかと思い



数えてみたら





24人中18人で75%の割合だな





世界一どうでもいい計算をして






モバゲーに

アメブロに

ミクシーに

フェイスブックに

ツイッターに




みんな寸暇を惜しんで



情報を得ることに



必死のぱっちのご様子










どれどれ


隣のおじさんは





横目で覗くと








「今から帰るね ハート」





って




デコメ!










なんか




楽しんでて




ちょっと






負けてる気がするぅー










つづく



















義 欺 戯 偽 議 疑  



お客さんのこととか




知り合いのこととか







書きたいことが本当にたくさんあるけども


書けないジレンマ。






すぐそこにネタが転がっているのに書けない辛さ。









昨日は刑事とご飯をご一緒させて戴いたが




お話を一切書くことができない。









書けることがあるとするならば






男女間のもつれ



虐待



麻薬



青少年の非行




脱税等








以外の犯罪の動機というのは往々にして




自分のためではない ということ。









つまり他人さまや家族や何がしかを守るために



自分が犠牲になるケースが大半らしい







その「なにか」を守る為に 




自分の理性を、


法律を、



そして未来を





飛び越えさせてしまう衝動








それを勇気と呼ぶのはおかしいが




犯罪者たちは それ相当の決断力をもっているという話






一般人には その一線を飛び越える決断力がないという話。









組織のため



家族のため



先生のため














何かを選ぶということは 何かを失うと



以前 書いたように





僕等だって いつか どこかで何かを選び




自分を犠牲にする状況があるかもしれない。











義というものが死語になりつつある今、



僕等は犯罪者から学ぶべき事も実はあるのかも












でも犠牲を払わずにすんだ人が


そんな気持ちを踏みにじるケースも多々あるんだろうな







ゴッドファザー1を久しぶりに見たくなった












つづく