素敵すぎる声
電話でしかしゃべったことない人とか
写真でしか見たことない人とかに会った時
自分の勝手に想像している感じと違うなと感じるのは
声の質感と、しゃべり方に起因すると思う
人は見た目が9割が流行ったけど
耳からの情報だけでも
相当妄想が膨らむ。
そういえば
最近音楽のイヤホンしたまま
友達といる人とか
レジで会計する人をよく見かけるけど
一人の世界に入りたいなら
一人でいればいいのに、と思う
そこまでして、いったい何聞いてんのか聞いてみたい
声が届かなくてもいいのなら
私が店員さんなら
値段も、ありがとうございました
も口パクで言うね
音楽番組でのアイドルの口パクは
心が全然こもっていないように見えて
しらけるのに
同じ口パクでも
演歌歌手の人が
歌い終わった後にマイク外して
「・・・ありがとうございました」
と言うのは
とってもとっても心がこもっているように見えていいのは
なんでだろう
低くて響く声が好きな人は多いけど
あんまり低いと聞き取れない
昔習っていたピアノの先生と
家庭教師の先生は両方ともとっても声が好きだったけど
声が良すぎて
α波的なものが出すぎていて
すぐに、眠たくなってしまう。
一対一なのに寝てしまうから
先生はどうしたらいいか困るし
こっちも恥ずかしいし
でも声が良すぎるので寝てしまいます・・
という理由を言うのも何だし
言っても変えようがないからどうしようもない。
あの時2人がもっと
変な声の先生だったら
今頃
ピアニストか東大に行っていたかもしれないね。
ちゃんちゃん。
つづく
松本の人志さん
今日はランチの仕込みが異常に忙しく
全くパソコンを開くことができず
閉店してから向かうこと午後7時半
何にも考えずにパソコンに向かっているから
こりゃ長くなりそうだ。
んー
そういえば 寝際にMHKを見た。
そういえば 前回も見たなぁと思いながら見ていた。
前回は非常に分かりやすかったけども
今回はまるでフランス映画界の巨匠
ジャン・リュック・ゴダールの映画を見ているようだった。
回を重ねることに難解になっていけば
視聴率が下がるのは目に見えているし
視聴者から他のメディアも
「金払ってんだからさぁ」
クレームが飛んでくるに違いない。
そこで打ち切りにするか
それとも継続させるか
NHKと松本と吉本との駆け引き次第だと思うんだけど
僕としては見続けていきたい
自他共に認める天才松本
その天才が
われわれ日本国民に
「俺の本質が理解できるかい??」
と訴えかけているように感じてしまうのは僕だけだろうか?
「四時ですよーだ」から始まり
「笑ってはいけない」まで
僕たちは彼の笑いに魅了され続けてきたのに
実は
生業のために
スポンサーのために
視聴率のために
池上さんみたいに
実はクソバカ丁寧に僕たちに笑いを
「噛み砕いて」表現していたんだなと
思ってしまのは僕だけだろうか?
なんでもかんでも丁寧な世の中
分かりよいものに慣れ過ぎてしまった僕たちは
「どこが面白いの?」
とか
「意味が分からない」
とか
その言葉の行間や
行動の意図いうのを熟考しないようになっている
そしてマジョリティーが理解できるものに
つまり 一般的な、そこそこなものに評価を与えて
自分が中間層であることを否定しつつも
自分が中間層であることに安堵している
で何が面白いの?
という問いには
「はやっているから」
というパターン
それって 周りの皆が笑っていて
本人には分からないけど笑っていて
何がおもしろいの?
という問いには
「皆が笑っているから」ってやつと
とさほど変わらない
分かる人に分かる
分からん人は分からんでよろしい
このスタンスこそが
一流の表現者であり
一流をしるためには
なんども考えて 考え抜いて
本来 何を言わんとするかを
考えることが必要なんですな
結果として
その答えが間違っていても
重要なのは思考のプロセスであり
そのプロセスの場数が多い人に
直観力がついてくるらしい
そうして
何を言わんとしているか。
つまり本質を見抜くことができるという
好循環になるわけだね
感性を磨けるものが
世の言う、歴史の言う一流なんでしょう
僕は好きな映画は最低10回は見る
監督の意図
見えてこなかったものが
見えだしたときの感動
「ああこの言葉はそういう意味か」
とか
「そういうことね!!」
最近は時間がないから
映画のパンフレットを見て
意図を復習するにとどまっているから
感性は全く磨けてない
数学は美しい
とどこかの数学者が言っていたけど
その言葉を
無機質なものが美しい
と解釈するならば
松本の理想とする笑いは
それに近いものがあるに違いない
(ロジックがわかっているを大前提という意味でもね)
まだまだ 勉強不足
一人でも国民にそう思わせる彼は
やはり偉大だ
つづく
飲まず嫌い
私も薬にはあまり頼りたくない
大澤さんのように特に
ステキな思い出がある訳ではないけれど
「抗体」という言葉が怖い
一年に一回か二回薬飲んだくらいで
抗体なんか絶対できないと思うけど
「抗体ができてしまった」
という言葉には
どう頑張っても取り返しがつかず
あがらえない無敵感が
あると思う。
薬の中でも特に
飲んですぐ効く咳止め液とか、飲んで肩こりに効く薬とか
この液のどこがどうなって、肩にたどり着くの
とか思うとちょっと怖くなる。
昔からあまり病院に行く習慣がなかったから
幼稚園の時に
メリケンパークの花火を見に行って
右腕を複雑骨折した時も
痛さよりも
病院という得体のしれない所へいく怖さの方が勝って
ずっと
痛くない痛くない、大丈夫
家に帰りたいと言っていたし
中学生の時に友達から
ニキビができたから今から皮膚科に行ってくる
と聞いた時は
病院ってそんなことで行っていいんだ
とカルチャーショックを受けた
今はなんでもかんでもすぐに病院に行ったり
救急車タクシー代わりに使ったり
医療費増大の問題もあるけど
いくら医療技術が進歩しても
添加物や着色料
ストレスにさらされている我々現代人は
きっと
戦中戦後を乗り越えてきた
今の高齢者の人たちのように長寿は望めないだろうね
長寿大国を誇れるのもあと何年かな
つづく