民主党代表選に立候補した小沢一郎前幹事長は6日、高知市内での街頭演説で「首相になったら政治生命どころか、私自身の命を懸けてみなさんとの約束を守ることをお誓いする」と語り、

先の衆院選マニュフェスト実現に向け、不退転の決意を示しました。

「首相の権限は強大だ。首相がこういう方針でいきたいといえば不可能はない」とも述べました。

報道各種の世論調査で首相への支持が小沢氏を上回る中、「政治主導」を強く打ち出すことで、

形勢挽回を狙ったとみられます。

高知県香南市では「日本の首相はどこの国の大統領より、強大な権限を持っている。最高裁の判事も内閣が任命できる。やろうと思えばすべてできる権限を持つ。要は政治家に間違っていたら責任を取るという腹構えがない」と強調しました。

同県須崎市では、「役所任せの予算編成で、財源がないから消費税を上げる、では納得を得られるはすがない」と語り、管直人首相の財政再建路線を非難しました。

首相の雇用対策も「具体策に触れていない」と断じました。

一方、首相は6日夜、首相官邸で記者団に、内閣支持率上昇について、

「政策が段々と国民に理解され、大変うれしい」と述べました。

代表選については「成長戦略を中心にしっかりと経済対策を訴えていく」と語り、

雇用を重視した政策を前倒ししていく考えを実行する考えを示しました。

どちらが勝つか。各紙では小沢氏ややリードと報道されていますが、この代表選はどちらに軍配があがるのか、

さすがにableも全然わかりません。

日本野球機構(NPB)は、12球団の選手、監督ら計858人が選んだ「最高の試合」「名勝負・名場面」の結果を発表しました。

「最高の試合」は1994年10月8日の中日ー巨人戦が99票を集めて1位となりました。

この試合は、史上初の同率首位同士の最終戦対決。

勝った方が優勝という大一番は、長嶋茂雄監督(当時)率いる巨人が6-3で中日を破り、4年ぶりのリーグ

制覇を果たしました。

長嶋監督が「国民的行事」と呼び、大きな関心を集めた一戦でした。

2位は近鉄が北川博敏(現オリックス)の代打逆転サヨナラ満塁本塁打でリーグ優勝を決めた01年9月26日の近鉄ーオリックス戦でした。

「名勝負・名場面」の1位には昨年10月21日のパ・リーグのクライマックスシリーズ第2ステージ第1戦、日本ハムー楽天戦で、九回にスレッジ(当時日本ハム・現横浜)が放った逆転サヨナラ満塁本塁打が43票で選ばれました。


それにしても今年の阪神は強い。両リーグトップのチーム打率が2割9分を超えるダイナマイト打線。

トラファンのableは上機嫌です。

入門後のけいこは周囲を驚かせた。新弟子なら5分ともたないぶつかりげいこに、竹ぼうきでたたかれながら、

30分、40分と挑んだ。

「けいこは受け身じゃだめ。今は月給制だが、当時は勝たなくては金が入らない。生活をかけて土俵にあがったものだよ」。

言葉に力が入る。分離独立してできた小部屋に属していたため、それゆえの苦難を味わった。

「大きな部屋と違い、あらゆる強豪と対決しなくてはならなかった。部屋に金がなくて、地方巡業で部屋へ泊まれず、よく寺の御堂をかりたなあ」と苦笑する。

加えて、軽量というハンディも猛げいこではねのけ、昇進街道をひた走った。

「一番、印象に残る思い出は、十両に上がった時。関取になったのがうれしくてね。大いちょうに結った写真をすぐ実家へ送った」と回想する。

関脇時代、空路で駆けつけ、危篤の父を見舞った。

「はじめて本音で話した。頑固なおやじらしく、お前は大関の器じゃないと言ってましたがね」。

だが、大関はもちろん、横綱として時代を画した。

94年、故郷・弘前市の名誉市民に推挙された。

「生まれ育った故郷を離れ、何十年とたつのにいまだに大事にしてくれる。古里は、ありがたいものです」


ご冥福をお祈り申し上げます。

タイトル名は不法ではなくて、訃報です。失礼しました。

訃報下は仕事が忙しいので、今晩書きます。

初代若及花が亡くなりました。享年82歳。ableはこの方に一度、インタビューしたことがるので、その時の記事を紹介させていただきます。


現役時代、超人的なけいこ量から「土俵の鬼」と呼ばれた。50年後半、横綱栃錦とともに、「栃若時代」を築いた名横綱。

親方としても二横綱、二大関を育て上げ、日本相撲協会理事長を務めた。

現在は相撲博物館館長として、大相撲を一歩さがって見つめる。

「今の力士は豊かすぎて取り組みが弱体化しているね。私たちの時分のけいこなんか、汗が出尽くして、毛穴

から塩が噴き出したものだった。できることなら、あのころのけいこを見せてやりたいよ」。

歯に衣着せぬ語り口は、今も健在だ。

出身は青森県弘前市。男7人、女3人の計10人兄弟の長男に生まれた。

父親は地元で幅広く事業を手掛けていた。

「夏は毎日、岩木川で泳ぎ、家族で岩木山に登ったことをよく覚えている。近所ではわんぱくで有名だったそうでね」と懐かしむ。

ところが、34年の室戸台風が一家を変えた。

生家のリンゴ農園が被害をうけて壊滅。無一文同然となり、北海道室蘭市へ渡った。義務教育を終えるとすぐ、

父とともに室蘭港の沖仲仕を始め、一家の生計を支えた。

「てんびに100キロ近い石炭を稼ぎ、しなる歩み板を渡って運んだ。今にして思えば、足腰が強くなったのは、

荷役のおかげだな」と振り返る。

終戦の翌年だった。北海道巡業に来ていた二所ノ関一門の力士を相手に、飛び入りで相撲を取った。

抜群の下半身に魅了された大ノ海は、すぐさま、実家を訪ね入門を勧めた。

働き手の長男だけに、両親は最後まで渋ったが、二日目に「三年でものにならなかったら、お返しする。

それまでに必ず、一人前にする」との言葉に折れた。



先日、小沢一郎氏が民主党代選に不出馬と、ableのブログで書きましたが、

一転して、小沢氏が出馬をきめました。

この人、わけがわかりません。というか意味不明です。


で、今日の朝刊各紙はすべて、代表選の記事を一面トップで掲載していました。


毎日新聞によると、民主党代表選(14日投開票)が1日告示され、立候補を届け出た管直人首相(63)と、

小沢前幹事長(68)は東京都内のホテル(おそらく赤坂界隈のホテルです)で、共同記者会見に臨みました。

小沢氏が管首相の政権運営を「官僚依存」と批判されれば、管首相は「政治とカネ」の問題を抱える小沢氏の

「首相としての資質」に疑問を呈する応酬を展開。

小沢氏は09年衆院選マニュフェスト実現の争点化を狙い、首相は消費税を含む財源論や雇用対策を強調し、

政権継続を訴えました。

両陣営の決起集会には、それぞれ100人以上の国会議員が集まり、党を二分する激戦の幕が切られました。


ableが思うに、小沢氏はバカではないから、ある程度の勝算があって、出馬したのだろうと思います。

民主党内では最大の150人の小沢グループと、60人の鳩山前総理グループなどが、小沢氏を支持しているからです。

しかしながら、今回の代表選では、党内で割れるというか、しこりが残るのは必至の情勢です。

 

このニュースは少しびっくりしました。

管総理と鳩山前総理が30日夜に会談し、民主党・小沢前幹事長を含めた「挙党態勢」を築くことで一致しました。

これにより、管総理と小沢氏は31日に会談する見通しで、民主党代表選は無投票となる可能性が出てきました。

会談の中で、鳩山氏は「経済的にも円高などで対策が急がれている。挙党態勢が重要だ」としたうえで、

「小沢氏が加わってトロイカ体制の原点に立ち戻ることが重要ではないか」と述べました。

これに対し、管総理は「私としては基本的考え方については全く依存がない。鳩山さんの提案に同意する」

と応じ、今後は小沢氏に輿石参院議員会長も加えたいわゆる「トロイカプラスワン体制」で、

政権運営や党運営に臨む考えで一致しました。

一方、小沢氏の具体的なポストなどは一切していないそうです。そりゃ、ないだろうと思いますが。

これを受け、31日には管総理と小沢氏が直接会談する見通しとなりました。

会談には鳩山氏と輿石氏も同席します。

これにより、「管・小沢」の全面対決の模様となっていた民主党代表選は、小沢氏が出馬を見送り、

管総理の無投票となる見込みです。

それにしても日本の総理はころころ変わるので、今回の措置はベストだとableは思います。

ただ、意外としられていない、管総理の「経済音痴」はなんとかしてほしいと思います。

ま、政府税調委員長が経済ブレーンらしいので、なんとかしのいでいるらしいのですが。


同時に、「自身を取り巻く環境を表現できる作家になろうと意を決した」。

四年後、早大に再入学し、小説漬けの生活が始まる。

「母はお前の好きなことをやれ、と送り出してくれた。が、根なし草の稼業に息子を進ませるとは、

集まった親せき一同から責められた。それだけに後にはひけなかった」と語る。

在学中に結婚。「書く原稿は売れず、妻の内職が主な収入源。買い物に出ていく妻の後ろ姿を見て、もう戻ってこないのでは、と何度思ったことか」と苦笑する。

デビューは彗星のようだった。「病んだ血」(同)に触れた、結婚に至るまでの自伝的小説「忍ぶ川」は、

初選考ながら、芥川賞を受賞。本格作家の仲間入りを果たした。

「郷里の母は電話の向こうで、あんまりうれしいのも、疲れるもんだね」と泣いていた。

家の不幸をずっと心に押しとどめていたせいもあったのでしょう」と自らも涙せんを緩める。

文学を志してから、十年目の新春だった。

東京に住んでもう四十年以上になる。

「故郷を離れて私の文学の土壌は語られない。いまだに東京になじめないのは、出稼ぎに来ているような気持ちをずっと気持ちをずっと抱いているかならんですよ」


三浦先生のご冥福をお祈り申し上げます。

作家の三浦哲郎先生が亡くなられました。

ableは三浦先生にインタビューを一度、させていたたきました。

追悼の意を込めて、その時の記事を紹介させていただきます。


美しく慎ましい純愛を描いた「忍ぶ川」で、芥川賞を受けた。

時流に流されさせず、清冽な筆は文壇で光彩を放つ。

今、同賞の選考委員を務める。

「候補作を落とす作業で、毎回、思い悩む。当事者の一生を変えるのですから」と神妙に話す。

文学論に話が移ると、「師事した故井伏鱒二先生から学んだ日本語の美意識を受け継ぎたい。これからも変わることはない」と言い切る。

しばしば、三浦文学の舞台ともなる青森県八戸市で生まれ育った。

家業は名代の呉服店。六人兄弟の末弟。

「家に使用人もいる恵まれた家庭」だった。それが、六歳の誕生日を境に崩れていく。

二女が青函連絡船から投身自殺したのに続き、長男が失跡。長女は睡眠薬自殺。

一年足らずの間の出来事だった。

「ずっと恥じ入っていた。汚名をすすぐ道は名誉の戦死を遂げるしかないと考え、海軍兵学校に入るための勉強に明け暮れた」と渋い顔で語る。

だが、旧制中学三年の時に終戦。そのころ家計は逼迫し、技師をしていた二男の援助で早稲田大へ進む。

生きる目標を失い、無為の日々を送っていた時のこと。

「友人の勧めで読んだ井伏先生など三冊の小説に心が動いた。むさぼるように片っぱしから読んだ」。

ところが、当時、信頼しきっていた次兄までもが、実家や親せきから大金を借りて興した事業に失敗、姿を消した。

仕方なく大学をやめ、故郷の中学教師となった。

六人兄弟のうち、四人までもが自殺、失跡という「病んだ血」(本人の表現)を恐れ、苦悶し、悩み抜いた。

「毎晩、大学ノートに思いのたけを綴った。やがて、自分だけは断じて生きなければならない。生き抜くことが、

一家の宿命的は血に抗する道だと思うにいたった」と述懐する。

死刑制度の是非について昨年実施された世論調査では「廃止すべき」が5・7%だったのに対し、

「やむを得ない」と、死刑を容認する意見が85・6%でした。

この世論調査は内閣府が行い、昨年11~12月、全国の成人に面接する方法で実施し、うち1944人から、

回答を得ました。

それによると、死刑制度について、「どんな場合でも廃止すべきだ」と回答したのは、5・7%だったのに対し、

「場合によってはやむをえない」とする意見が85・6%でした。

死刑についての調査は昭和31年から9回目で、質問の仕方はやや異なるものの、死刑を容認する85・6%

という数字は過去最高でした。

死刑を容認する意見としては、「被害者らへの気持ちがおさまらない」「凶悪犯罪は命で償うものだ」

「廃止すれば犯罪が増える」などが目立ちました。

ableは記者時代、警察・検察の担当を6年、裁判所担当を2年つとめました。

その経験から、個人的な話をさせていただくと、死刑によって犯罪抑止力は収まりません。

それと、これも持論ですが、死刑は「国家による殺人」とableは思うのです。

みなさん、死刑制度をどう思いますか?