入門後のけいこは周囲を驚かせた。新弟子なら5分ともたないぶつかりげいこに、竹ぼうきでたたかれながら、

30分、40分と挑んだ。

「けいこは受け身じゃだめ。今は月給制だが、当時は勝たなくては金が入らない。生活をかけて土俵にあがったものだよ」。

言葉に力が入る。分離独立してできた小部屋に属していたため、それゆえの苦難を味わった。

「大きな部屋と違い、あらゆる強豪と対決しなくてはならなかった。部屋に金がなくて、地方巡業で部屋へ泊まれず、よく寺の御堂をかりたなあ」と苦笑する。

加えて、軽量というハンディも猛げいこではねのけ、昇進街道をひた走った。

「一番、印象に残る思い出は、十両に上がった時。関取になったのがうれしくてね。大いちょうに結った写真をすぐ実家へ送った」と回想する。

関脇時代、空路で駆けつけ、危篤の父を見舞った。

「はじめて本音で話した。頑固なおやじらしく、お前は大関の器じゃないと言ってましたがね」。

だが、大関はもちろん、横綱として時代を画した。

94年、故郷・弘前市の名誉市民に推挙された。

「生まれ育った故郷を離れ、何十年とたつのにいまだに大事にしてくれる。古里は、ありがたいものです」


ご冥福をお祈り申し上げます。