同時に、「自身を取り巻く環境を表現できる作家になろうと意を決した」。

四年後、早大に再入学し、小説漬けの生活が始まる。

「母はお前の好きなことをやれ、と送り出してくれた。が、根なし草の稼業に息子を進ませるとは、

集まった親せき一同から責められた。それだけに後にはひけなかった」と語る。

在学中に結婚。「書く原稿は売れず、妻の内職が主な収入源。買い物に出ていく妻の後ろ姿を見て、もう戻ってこないのでは、と何度思ったことか」と苦笑する。

デビューは彗星のようだった。「病んだ血」(同)に触れた、結婚に至るまでの自伝的小説「忍ぶ川」は、

初選考ながら、芥川賞を受賞。本格作家の仲間入りを果たした。

「郷里の母は電話の向こうで、あんまりうれしいのも、疲れるもんだね」と泣いていた。

家の不幸をずっと心に押しとどめていたせいもあったのでしょう」と自らも涙せんを緩める。

文学を志してから、十年目の新春だった。

東京に住んでもう四十年以上になる。

「故郷を離れて私の文学の土壌は語られない。いまだに東京になじめないのは、出稼ぎに来ているような気持ちをずっと気持ちをずっと抱いているかならんですよ」


三浦先生のご冥福をお祈り申し上げます。