作家の三浦哲郎先生が亡くなられました。

ableは三浦先生にインタビューを一度、させていたたきました。

追悼の意を込めて、その時の記事を紹介させていただきます。


美しく慎ましい純愛を描いた「忍ぶ川」で、芥川賞を受けた。

時流に流されさせず、清冽な筆は文壇で光彩を放つ。

今、同賞の選考委員を務める。

「候補作を落とす作業で、毎回、思い悩む。当事者の一生を変えるのですから」と神妙に話す。

文学論に話が移ると、「師事した故井伏鱒二先生から学んだ日本語の美意識を受け継ぎたい。これからも変わることはない」と言い切る。

しばしば、三浦文学の舞台ともなる青森県八戸市で生まれ育った。

家業は名代の呉服店。六人兄弟の末弟。

「家に使用人もいる恵まれた家庭」だった。それが、六歳の誕生日を境に崩れていく。

二女が青函連絡船から投身自殺したのに続き、長男が失跡。長女は睡眠薬自殺。

一年足らずの間の出来事だった。

「ずっと恥じ入っていた。汚名をすすぐ道は名誉の戦死を遂げるしかないと考え、海軍兵学校に入るための勉強に明け暮れた」と渋い顔で語る。

だが、旧制中学三年の時に終戦。そのころ家計は逼迫し、技師をしていた二男の援助で早稲田大へ進む。

生きる目標を失い、無為の日々を送っていた時のこと。

「友人の勧めで読んだ井伏先生など三冊の小説に心が動いた。むさぼるように片っぱしから読んだ」。

ところが、当時、信頼しきっていた次兄までもが、実家や親せきから大金を借りて興した事業に失敗、姿を消した。

仕方なく大学をやめ、故郷の中学教師となった。

六人兄弟のうち、四人までもが自殺、失跡という「病んだ血」(本人の表現)を恐れ、苦悶し、悩み抜いた。

「毎晩、大学ノートに思いのたけを綴った。やがて、自分だけは断じて生きなければならない。生き抜くことが、

一家の宿命的は血に抗する道だと思うにいたった」と述懐する。