初代若及花が亡くなりました。享年82歳。ableはこの方に一度、インタビューしたことがるので、その時の記事を紹介させていただきます。


現役時代、超人的なけいこ量から「土俵の鬼」と呼ばれた。50年後半、横綱栃錦とともに、「栃若時代」を築いた名横綱。

親方としても二横綱、二大関を育て上げ、日本相撲協会理事長を務めた。

現在は相撲博物館館長として、大相撲を一歩さがって見つめる。

「今の力士は豊かすぎて取り組みが弱体化しているね。私たちの時分のけいこなんか、汗が出尽くして、毛穴

から塩が噴き出したものだった。できることなら、あのころのけいこを見せてやりたいよ」。

歯に衣着せぬ語り口は、今も健在だ。

出身は青森県弘前市。男7人、女3人の計10人兄弟の長男に生まれた。

父親は地元で幅広く事業を手掛けていた。

「夏は毎日、岩木川で泳ぎ、家族で岩木山に登ったことをよく覚えている。近所ではわんぱくで有名だったそうでね」と懐かしむ。

ところが、34年の室戸台風が一家を変えた。

生家のリンゴ農園が被害をうけて壊滅。無一文同然となり、北海道室蘭市へ渡った。義務教育を終えるとすぐ、

父とともに室蘭港の沖仲仕を始め、一家の生計を支えた。

「てんびに100キロ近い石炭を稼ぎ、しなる歩み板を渡って運んだ。今にして思えば、足腰が強くなったのは、

荷役のおかげだな」と振り返る。

終戦の翌年だった。北海道巡業に来ていた二所ノ関一門の力士を相手に、飛び入りで相撲を取った。

抜群の下半身に魅了された大ノ海は、すぐさま、実家を訪ね入門を勧めた。

働き手の長男だけに、両親は最後まで渋ったが、二日目に「三年でものにならなかったら、お返しする。

それまでに必ず、一人前にする」との言葉に折れた。