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あべせつの投稿記録

投稿小説・エッセイなどの作品記録用ブログです

幼かった二人も立派な若者になりました。

相変わらず二人は仲が良く、オウウも毎日のように山から降りてきていました。


そんなある日のこと。二人は集落の近くを流れる清流の川べりに座っていました。


初夏の日差しは強く、少し汗ばむくらいでしたが、ひんやりとした川風がとても心地よく、最近の二人のお気に入りの場所となっていました。


オグニがその美しい足先を、冷たい川の水につけて遊んでいると、オウウがふところから大葉でくるんだ小さい包みを取り出してオグニに渡しました。


「開けてごらん」


オグニがその包みを開けてみると鹿の角を磨いて造った美しい縦櫛が入っていました。


「わあ、きれい。オウウが作ったの?」


「そうだよ」そういうとオウウはその櫛を手に取り、オグニの艶やかな髪に差して飾ってくれました。


オグニは鏡のように透き通る川の流れに、その姿を映してみようと覗き込みましたが、さざなみはキラキラと反射をして、オグニの姿を映すのをこばむかのようにきらめいていました。


「見えないわ。似合うかしら?」


「とてもよく似合うよ」


二人の幸せそうな姿に、川は少し泡立ったように渦を巻き始めました。



その頃、オグニの家では、ムラ長である父親があきれたように妻に話しかけているところでした。


「まったく。オグニのお転婆にもほどがある。いい加減、年頃の娘になったというに、朝から晩まで表をほっつき歩くなどとはいかがなものか。よその娘御などは、おとなしく家で花嫁修業でもしているというのに。」 


「あらまあ、元気でよろしいことではありませんの?」長の妻であるオグニの母親が穏やかに答えました。


「奥方よ。何を呑気なことを。もうじき物忌みを迎えようという年頃に、うかつにどこの誰ともわからぬ男に『さらわれ婚』でもされたら、いったいどうするのだ?」


さらわれ婚というのは、年頃の気に入った娘をさらってきて結婚するという、現代では考えられないような風習のことです。当時はそんな風習がまだ根強く残っていたため、父長はそれを心配していたのでした。

 

「おほほほほ」奥方様は艶然と笑うと


「大丈夫ですわ。オグニにはいつもオオウが付いておりますもの。オオウは腕のいい弓人。たちの悪い輩は追い払ってくれますわ」と言いました。


「そこが問題なんじゃよ。仲がよいのは良いのじゃが、まさかオウウと恋仲というわけじゃなかろうな。」と父長は眉間にしわを寄せました。


「わしの贈った上等のひすいや、珠には見向きもせず、いつも手製の粗末な櫛や首飾りをしておる。あれもオウウの贈り物かの?」


「あらオウウのどこがいけませんの?精悍で立派な上に誠実な青年ではありませんか。オグニとお似合いですわよ」


「冗談じゃない、奥方よ。確かにオウウは人としては素晴らしい。わしもオウウは大好きじゃ。しかし婿としてはな。オウウは山の民じゃ。猟は上手いが、畑を耕し収穫することを知らん。オグニの婿となってもこの広大な畑を守ってはいけんじゃろう。わしとしては、ムラの者のためにも畑を守らねばならん。


できればオグニには、わしと同じような豪族の血筋の者と一緒になってくれればと思うがの。それが無理なら、せめて畑の小作人でもかまわない。山の民というのがいかんのじゃ」


「あなた…それではあまりに二人が可哀そうですわ」


「お前と結婚して、この家に迎えられた夜、お前の父上から、くれぐれもこの畑やムラを守るようにと言いつかったんじゃ。それが民全員の幸せのためじゃからとな。

それを受け継ぐ者としては、オグニ一人しか産まれんかった。他に姉妹があればオグニの好きにもさせてやれたが、そうもいかん。他の小作人の娘とは違うんじゃ。


これがオグニの宿命なんじゃよ 。お前からもくれぐれも、そうオグニに言うて聞かせてやってくれよ」


「あなた・・・」


夫婦はは若い二人の前途を心から祝してやることが出来ず、重苦しい気持ちで目の前に広がる栗林を見つめていました。



さて、話は戻りますが、先ほどの少女・オグニは花嫁のヒトガタがことのほか美しく作られているのがうらやましくてなりません。


よく見るヒトガタは、足が短く、よく太ってずんぐりとしているので、幼いオグニにはとても不恰好に見えていました。それに比べたら、今日の花嫁のヒトガタは流行の服を着て、スラリとしています。ヒスイや珠の装飾は付いてはいませんでしたが、オグニにはとても素晴らしいものに思えました。


「どうしたんだい?」


ヒトガタを見るなり、じっと動かなくなったオグニに、少し年上の少年・オウウが声をかけました。


「あのヒトガタを見て」


「ヒトガタ?あれがどうかしたのかい?」


「どうかしたかですって?とても美しいと思わない?」


うっとりとしたオグニの姿に、オウウはあきれたように


「そうかなあ。やせてギスギスしてるし、あんまり上手とは言えないだろう。そもそもヒトガタは子だくさんとか豊穣を願うまじないのためなんだから、あんな貧相なんだったらちっとも意味がないじゃないか」


「わたしへのヒトガタが、そんな不恰好なものばかりだったら、私は一生誰とも結婚なんかしないわ」


不機嫌そうなオグニの言葉に、オウウはあわててこう言った。


「じゃあ、すごく美しい最新流行のヒトガタなら、俺のを選んでくれるかい?」


「もちろんよ。オウウのだったら、どんなのでもかまわないわ」オグニは満面の笑顔でそう答えました。


オグニはこのムラの一番の有力者であるムラ長の娘でありましたが、幼い頃から見目麗しく、利発で活発でありながらも心優しい少女でしたので、誰からも好かれ可愛がられていました。


一方、オウウはオグニより少し年上の少年で、山の民の一族でありました。

山の民はその名の通り山に住み、イノシシやシカを弓矢でしとめては家族で食べたり、オグニの家のような畑の持ち主のところに持ちこんで、ドングリや栗などの作物と物々交換をしてもらっていました。


オウウの父親もそうした猟師の一人で、ムラへは必ずオウウを伴っていましたので、二人はずっと小さい頃から顔見知りでした。


オウウが十二歳になったとき、父親から弓矢の一式をもらい、打ち方を習うと、みるみる上達し一人でキジやカモなどをしとめられるようになりました。


すると早速、自分で捕った獲物を手に一人で山を降りて、オグニに届けるようになりました。オグニはそうしてオウウに度々会えるのがうれしく、そうして二人はとても仲良しの幼馴染みとなっていきました。


そうして穏やかに数年の月日が流れていきました。





金色に輝く日差しが暖かく体を包み、奥羽山から吹き降ろす爽やかな風が頬をなでていく、そんなおだやかな春の日のこと。


今日は有力な豪族の娘の結婚式がとり行われるとあって、ムラは朝から大にぎわいでした。


祀りの広場には焼き立てのシシ肉やシカ肉、アユなどの海の幸山の幸が香ばしい匂いをあげながら幾皿も並べられ、美味しい果実酒や採れたての野イチゴ、クリやトチの実の焼き菓子や雑炊なども皆にふんだんにふるまわれていました。


夜になれば、広場のあちこちに松明が灯され、歌や踊りも披露されることでしょう。


その広場の一隅には結婚式のための木製の舞台がしつらえられ、新郎新婦が皆の祝福を受けるために座っています。


二人の座る床には鹿皮が敷き詰められ、カヤで葺いた屋根には色とりどりの花が差し込まれて、あたりには甘い香りがたちこめています。


新郎はあっさりとした麻の編布の貫頭衣(筒状の着物)姿でしたが、新婦はその編布にウルシをほどこした上物の花嫁衣裳を着て、勾玉ヒスイの耳飾りや首飾り、美しい櫛などを身に着けています。


その新郎新婦の後ろには、祭壇があり、一体の土偶が安置されていました。


この花嫁の土偶を、少し離れた場所から憧れたように見入っている十歳くらいの可愛らしい少女がいました。この物語の主人公・オグニです。


さてここで物語をわかりやすくするために、少しこの土偶についてのお話をしますね。


このムラでは、少女に女性のしるしが現れると、家から出てムラのはずれに建てられた物忌み小屋というところに、十日間ほどこもる風習がありました。


その十日の間に、その女性に求婚しようと思う男たちは彼女に贈るための土偶を用意します。力のあるものは土偶にヒスイの耳飾りなどの装飾を施した豪華なものを土師に作らせたりし、財力のない者は自分で工夫を凝らして土をこね、素焼きにして作りました。

そうして自分の能力の高さや気持ちを土偶で表したのです。


物忌み小屋の前にそれは並べられ、小屋から出たとき、女性はその中から夫となるものの土偶を一つだけ選びます。選ばれなかった者の土偶は持ち主に返されますが、持ち主はその土偶を打ち砕いて、人型塚へ叶えられなかった想いとともに捨てて未練を断ち切ります。


一方、選ばれた方の土偶は、無事に婚礼を終えると、巫女により石で砕かれ、人型穴に捨てられます。これは身代り地蔵のように花嫁のこれからの厄災を封じ込めるための大切な儀式としてとり行われました。


そうして夫が決まると花嫁の家では婿を迎える準備をします。当時は入り婿婚といって男性側が女性の家に入るので、新居や結婚式の準備は嫁側がするのが普通でした。


財力のある家では新しい竪穴式住居が建てられ、そうでない家は同居するための新しい部屋が用意されました。


そうした準備はひと月ほどでなされ、その後、いよいよ正式に結婚式をあげることができるのです



 『オグニものがたり』 あべせつ


皆さんは縄文時代というと人間はどんな風に暮らしていたと思われるでしょうか?

洞穴に住み、断ち切っただけの毛皮をまとい、髪は伸び放題で、野山を素足で駆け回りながら獣を追う、そんな原始的なイメージをお持ちかもしれません。


しかし実はとても文化的で豊かな暮らしをしていたことが、最近の発掘調査からわかってきています。

たとえば平成4年、山形県舟形町西ノ前遺跡から高さ四十五センチの日本最大の縄文土偶が出土しました。今から約四千五百年前の縄文時代中期に製作されたもので、この均整のとれた八頭身の美しい全身立像は『縄文の女神』と呼ばれるようになりました。


通常は何らかの儀式の後に、打ち砕かれて捨てられる土偶なのですが、この縄文の女神は5つに分かれていたものの、完全に修復できるきれいな形で発見されました。


この縄文の女神が、なぜ西ノ前遺跡から美しい原型を保ったまま出土されたのか?

また誰がこの珍しい土器をつくったのか?

今日はこの縄文の女神についての伝説をお話したいと思います。


 縄文時代は温暖化の影響で、今の山形県のあたりも気候は暖かくとても過ごしやすい土地柄でした。特に舟形町西ノ前遺跡の周辺は、奥羽山系の山の恵みと清流小国川の川の恵みを豊かに受けられるとあって、縄文人たちはこの魅力的な土地へと集まってきました。


人々はこの土地に定住するために、後に竪穴式住居と呼ばれる家を建てました。竪穴式住居とは、地面を掘って踏み固め、その穴に建てた主柱に棟木、垂木を通して骨組みを作り、樹の皮やカヤなどを使って屋根を葺いた住居のことです。

縄文人たちはこうした家を幾つも作り、西ノ前遺跡は次第に大きな集落となっていきました。


人口が増えてくると、川で魚を捕るのが得意な者は漁師に、山でイノシシや鹿を捕るのが得意な者は猟師にと、だんだん分業化が始まり、お互いに必要なものを物々交換して暮らしていくようになりました。


その中で、当時の主食であるトチやドングリ、シイやクリの木を植えて育て、秋に収穫して貯蔵庫に保存するという、いわば農業を始めるものも出てきました。


こうした農業者は、収穫の一部を分け与える約束で定職を持たない者たちを雇い、川周辺の肥沃で豊かな土地を次々に開拓して広げ、だんだんと財力や権力をもつ豪族となっていきました。


「縄文の女神」のお話は、そうした豪族の中でも一番の権力を持ったムラ長の娘・オグニの物語です。






『500円玉貯金』      あべせつ


自営業手伝いの主婦である。

毎月決まったお手当てをもらえるわけではないので、ヘソクリとして500円玉貯金をしている。


毎朝チラシを見比べて特売のものに赤ペンで丸印をつけ、少しでもお買い得なものを吟味する。そして燃料代がかからないようにと車はやめて、自転車であちこちの店へ買い物に走り回る。


お米やネコのトイレ砂のような重いものも、荷台にヒモでくくりつけ『ヘソクリ、ヘソクリ』と呪文を唱えながら、登り坂を一歩一歩自転車を押して上がる。


酷暑にもエアコンは入れない。窓を開け放し、体を濡れタオルで冷やしながら扇風機にあたって涼をとる。


そうして浮かした分のお金を、自分へのごほうびとして500円玉貯金する。


郵便局でもらった高さ10センチにも満たない小さなポストの形をした黄色い貯金箱。

この中にわたしの小さな夢が詰まっている。

これがいっぱいになったら、何を買おう。

靴を新調しようか?いやいや、たまには家族で美味しいものを食べにいくのも悪くない。


本棚の一番上の棚に乗せた貯金箱を見上げると朝日を浴びて金色に輝いている。

2ヶ月が経った。


そろそろ満杯に貯まった頃

爪先立ちをして貯金箱を棚から下ろすとズシリと重い手応えが・・・ない。

あわてて底のゴムを外して中をのぞくと空である。


慌てるわたしに、父親が


『ああ、そこの小銭、わしが煙草銭にもろうてたで』


わたしが入れる、父親が出す。

これをこの2ヶ月毎日やっていたわけだ。

『そんなアホな・・・』

トホホのお話でございました。