縄文の女神投稿作品『オグニものがたり』1 | あべせつの投稿記録

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 『オグニものがたり』 あべせつ


皆さんは縄文時代というと人間はどんな風に暮らしていたと思われるでしょうか?

洞穴に住み、断ち切っただけの毛皮をまとい、髪は伸び放題で、野山を素足で駆け回りながら獣を追う、そんな原始的なイメージをお持ちかもしれません。


しかし実はとても文化的で豊かな暮らしをしていたことが、最近の発掘調査からわかってきています。

たとえば平成4年、山形県舟形町西ノ前遺跡から高さ四十五センチの日本最大の縄文土偶が出土しました。今から約四千五百年前の縄文時代中期に製作されたもので、この均整のとれた八頭身の美しい全身立像は『縄文の女神』と呼ばれるようになりました。


通常は何らかの儀式の後に、打ち砕かれて捨てられる土偶なのですが、この縄文の女神は5つに分かれていたものの、完全に修復できるきれいな形で発見されました。


この縄文の女神が、なぜ西ノ前遺跡から美しい原型を保ったまま出土されたのか?

また誰がこの珍しい土器をつくったのか?

今日はこの縄文の女神についての伝説をお話したいと思います。


 縄文時代は温暖化の影響で、今の山形県のあたりも気候は暖かくとても過ごしやすい土地柄でした。特に舟形町西ノ前遺跡の周辺は、奥羽山系の山の恵みと清流小国川の川の恵みを豊かに受けられるとあって、縄文人たちはこの魅力的な土地へと集まってきました。


人々はこの土地に定住するために、後に竪穴式住居と呼ばれる家を建てました。竪穴式住居とは、地面を掘って踏み固め、その穴に建てた主柱に棟木、垂木を通して骨組みを作り、樹の皮やカヤなどを使って屋根を葺いた住居のことです。

縄文人たちはこうした家を幾つも作り、西ノ前遺跡は次第に大きな集落となっていきました。


人口が増えてくると、川で魚を捕るのが得意な者は漁師に、山でイノシシや鹿を捕るのが得意な者は猟師にと、だんだん分業化が始まり、お互いに必要なものを物々交換して暮らしていくようになりました。


その中で、当時の主食であるトチやドングリ、シイやクリの木を植えて育て、秋に収穫して貯蔵庫に保存するという、いわば農業を始めるものも出てきました。


こうした農業者は、収穫の一部を分け与える約束で定職を持たない者たちを雇い、川周辺の肥沃で豊かな土地を次々に開拓して広げ、だんだんと財力や権力をもつ豪族となっていきました。


「縄文の女神」のお話は、そうした豪族の中でも一番の権力を持ったムラ長の娘・オグニの物語です。