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あべせつの投稿記録

投稿小説・エッセイなどの作品記録用ブログです

《蝋月房》

かつては数十人の職人が出入りし、ろうそく作りに励んだ活気ある工房が、今は静寂に包まれていた。

「影玄、中にいるのか」

 

 扉に手をかけると施錠がなされていたため、輝夜は中に呼びかけた。中でカサリと音がしたが、扉を開ける様子はなかった。

「影玄、中にいるのだろう。輝夜だ。今日はお前に会いに来た。顔を見せてはくれないだろうか」

 がらりと扉が開くと、見目麗しい青年が顔を見せた。

「影玄か?」

 輝夜と別れたとき、まだ七歳の少年だった影玄は凛々しい青年になっていた。幼い頃は母の茜によく似ていたが、今は父・玄夜の面差しを色濃く残している。


今の名は影夜です。何の御用でしょうか」

見知らぬ他人を見るような冷ややかな目つきに、輝夜は幽玄の言ったことを身を以て感じていた。

「いや、特に用ではないのだよ。お前が元気かと思って顔を見に来ただけだ」

「心にもないことを。何をいまさら、のこのことこの家に戻ってきたのですか。あなたはもう十何年も前にこの家を捨てたではありませんか。大きな顔をして敷居をまたげる立場ではないでしょう」


「影夜、誤解しないでほしい。わたしは戻ってきたわけではない。明日の新月祭に呼ばれてきただけだ」

「新月祭、それを聞いてあわてて戻って来られたわけですね。明日になれば、わたしは二十歳になる。いよいよ正式に宝月の当主になる資格を得ます。そうなればあなたは、すべてを失うことになる。今になって欲がでましたか。今の今までわたしたちを放っておいて、権利だけは得ようなんて、それは卑怯ですよ」


「卑怯?」

「そうです。あなたはいつも卑怯なんだ。あの時もわたしが入院している間に逃げ出して、ただの一度も見舞いには来てはくれなかった。わたしのことなど、どうでもよかったのでしょう。あの後、うちがどうなったのかご存じですか。この家が没落しかかっているのは、あなたのせいなんだ」

「わたしの? それはどういうことなのだ」

「もういい。話は済みました。お帰り下さい。わたしは明日の準備で忙しいのです。明日の新月祭に見ていらっしゃい。どちらが宝月の当主としてふさわしいか、目にもの見せてあげますよ」

 そういうと影夜は扉をぴしゃりと閉めてしまった。

「おお、輝夜殿、いかがであった、影玄は」

離れでは既に瑠璃が夕餉の支度を整え、配膳をしているところであった。輝夜を心配し待ちわびていた幽玄が、姿をみるなり声をかけた。

「ええ、影夜が大層立派になっていたので驚きました。あんなに小さかった子供が、大きくなって。お父様に似てきましたね」


「いやそのような外見の話ではなく、何かこう、こちらを敵外視するような態度をとるであろうが。千が何を吹き込んだかは知れぬが、わしらを嫌っておることは間違いないわい」

「叔父上はともかく、わたしは影夜に嫌われても仕方がないのです。影夜が瀕していた時に何もしてあげなかった。一度も見舞いに行かず、ようやく退院して帰ってみればわたしは家を出たあと。その後もなしのつぶての義兄に愛想を尽かしても当然なのです」


「まあ、輝夜様、そのようなことを」

瑠璃は配膳の手を止めると輝夜に向き直った。

「わたしがこのようなことを申しますのは差し出がましいのですが、輝夜様。

影夜様は輝夜様を嫌っておいでではなかったのですよ。退院された後、自宅療養になられたときも安静にしていなければなりませんのに『輝兄さまはどこにおられるのか』と毎日のように皆に聞いて回られておいででした。千様にその名前を二度と家の中で出してはいけないと厳しく言われて、とてもお寂しそうでしたわ。ちょうど屋敷の中に迷い込んできた野良猫にテルと名付けて、それはもう可愛がっておいでだったのですよ」


「しかし瑠璃殿、それは影玄が小さい頃の話でありましょう。今は、あやつも変わってしまった」

「それは、影夜様にも色々なことがおありだったのです」

「瑠璃さん、よろしければ、わたしの出た後の話をしていただけませんか」

「わたしも詳しくは存じませんけれど承知していますことだけ、。影夜様は回復なされてからまた学校に通われるようになったのですが、だいぶ苛めにあわれたようです」

「火傷のせいなのですね」


瑠璃はこくりと頷いた。

「片腕に残った傷を隠すために、夏でも長袖を着ていらっしゃいました。水泳などの授業もお休みになられていましたので目立ちましたのでしょう。それから影夜様は以前の活発なご様子ではなくなられてしまって。それでも頑張ってご卒業されましてからは、まだ十二のお年で蝋月房に通われては、職人頭からろうそく作りを教わろうとしておいででした」


「その頃はまだ宝月も繁盛しておったからな」

「はい、しかしその繁栄も三年ほどしか続きませんでした。その後は客足がめっきり遠のいたのです」

「客足が・・・・・・何があったのでしょうか」


「原因は、輝夜様が独立されてご自分の工房を持たれたことです。それまでのお得意様は皆、輝夜様に注文をお出しになるようになってしまいました。」

「あっ」

思い当たる節があった。輝夜が鬼灯堂を開業するとすぐ、かつての父の顧客たちが取引を申し出てくれていたのである。それから十年、鬼灯堂の経営が安定し続けているのは、ひとえにそのお陰であった。有り難いことだと思っていたが、それが本家をそして影夜を苦しめていたとは考えもしなかったのだ。


「そうか、影夜にすればわたしは宝月の裏切り者というわけなのですね」

「ううむ、話を聞けば、影夜も不憫よの。だからと言って本業を捨て、裏の技にのめり込むのは言語道断。まさか輝夜を呪ってのことではなかろうな」

「叔父上、影夜にも何か考えがあるのかもしれません。明日の新月祭を待ちましょう。技比べをしてみれば何かわかるかもしれません」

夕餉を済ませ、幽玄と瑠璃が部屋を出て行くと輝夜は一人明日の準備を始めた。


つづく

〈魔月の巻 後編〉

《現在 新月祭前夜・宝月家》


新月祭の前夜、幽玄を伴い輝夜は久方ぶりに実家の門をくぐった。

「どうじゃ、輝夜殿、懐かしいであろう。いったい何年離れておられたのじゃ」

「はい、叔父上、十四年になります」

「もう、そんなになるか」

「ところで叔父上、門番がおりませんが」


かつては屈強な番人が門の左右を陣取りいかめしい顔をして立っていたものだった。その門番がいないことを怪訝に思った輝夜に、幽玄は声を潜めて答えた。

「うむ、そなたが心配してはいけないと思って言わなかったがな。宝月の家計、今は逼迫しておるのだ」

「それは、いったいどうしたことでしょう」


門から荒れた前庭を抜け、屋敷にたどり着くと、ちょうど玄関前を掃除していた瑠璃が輝夜に気づいて歓声を上げた。

「輝夜様、輝夜様ではありませんか」

十四年の月日を経ても瑠璃は相変わらずその優しい面のままであった。

「瑠璃さん。お元気そうで良かった。今もまだ宝月においでなのですね」


「はい、今も変わらずお世話になっておりますのよ。輝夜様が今日お越しだと幽玄様から聞いておりましたので、あの離れを掃除しておきました。まずはあちらでご一服なさってくださいませ」

「瑠璃殿、それはありがたいが、まだ輝夜殿は母屋には上がらせてもらえんのか」

「あの、それは」

「いいんですよ、叔父上。わたしも慣れた離れのほうが気を使わずにありがたいのです。

さ、瑠璃さん、参りましょう」

しどろもどろの瑠璃が気の毒になり、輝夜は瑠璃をせかして離れへと急いだ。実際のところ、輝夜もまだ千とは会いたくなかった。

幽玄と共に離れの座敷に上がると、早速瑠璃がお茶を運んできてくれた。

「ああ、瑠璃さん。ありがとう。ところで影玄、あ、いや影夜はどうしていますか」

「影夜様はお元気でいらっしゃいますよ。最近は蝋月房に籠もられていることが多いですわ」

「そうですか。ろうそく作りに励んでいるのですね」

「いえ、それが」


言いよどむ瑠璃に幽玄が話を継いだ。

「それじゃて。宝月の経済が逼迫しておるのは、影玄が蝋燭師の仕事を果たしておらんせいなのだ」

「では影夜は蝋月房では何をしているのでしょう」

「〈裏〉じゃよ。裏の書を見つけ出してからは、その技ばかり試しておる。顧客からの依頼は表技のほうがほとんどだからな。表をせねば経済は立ちゆかん」


「あれほど大勢いた職人たちはどうしたのです。作業頭もいなくなったのですか」

「影玄が皆を辞めさせたのだ。蝋月房に自分一人が籠もるためにな」

「収入がなくては困るだろうに。今はどのようにして暮らしているのですか」

「玄夜殿の貯えを食いつぶしておるわ。玄夜殿亡き後、輝夜殿は遺産を放棄なされて家を出られたが、影玄も未成年、千は血族ではないゆえ相続は出来ず、宝月の資産は一時預かりとなっておった。しかし影玄が来月成人を迎えれば正式に家督を継げるようになる。

そうなれば近いうちにこの屋敷も何もかも手放すようになるだろう。影玄が当主になれば宝月が没落すると言ったのはこういうことなのだ」


「しかし影玄のそのような勝手なふるまいを、あの千さんが放って置くとは思えないのですが。千さんはどうされているのですか」

「輝夜様、千様はここ数年、お体の具合がよろしくないのです。このところは床に臥せったままで」

「そうじゃ、それで他の者たちは全員解雇したのだが、それでは家内のことが立ちゆかん。そこで千は瑠璃さんだけを手元に残したんじゃ。瑠璃さんは今、雀の涙ほどの給金で働かされておる。本来ならば妙齢のご婦人は良家に嫁がせてあげねばならんのに、あの鬼婆は優しい瑠璃さんにつけこんで、ここに留め置いてこき使うておるのじゃ」


「幽玄様、身よりもなく行く所もなかったわたしを玄夜様、冴様は快く置いて可愛がってくださいました。そのご恩を忘れてはおりません。この宝月の家をお守りするのがわたしの役目と思っておりますから」

「ありがとう、瑠璃さん。あなたがここにいてくれて本当に感謝しています」

「いえ、そんな、ではお食事の用意をして参ります。どうぞごゆっくりなさってくださいませ」


瑠璃は空になった茶器を下げると、離れを出て行った。

「叔父上、わたしは蝋月房へ行って参ります。影夜に会って久々に話がしたい」

「ではわしも一緒に参ろう」

「いえ叔父上、申し訳ないのですが、しばらく二人にさせていただけませんか。積もる話もありますので」

「うむ、しかし輝夜、昔の影玄とは」

「わかっております。だからこそ二人だけで会いたいのです。他に誰かいれば影玄も本音を語れますまい。では叔父上、失礼します」

輝夜は幽玄を離れに残し、ひとり蝋月房に向かった。


つづく

《別れ月》


意識のない影玄に付き添い、三日三晩、千は病院から戻らなかった。

何の連絡も寄越さない事にじれた輝夜は矢も立てもたまらず見舞いに行こうとした矢先、使いの者から「来ないで欲しい」という千の伝言が預けられ、仕方なく家で悶々と待機していた。

五日後、病院から戻った千に輝夜は呼びつけられた。

「千さん、影玄は、影玄は無事でしょうか」

「よくもまあ」

千は白目を向いて輝夜を睨みつけた。

「よくも白々しく私に聞けたものですね。影玄を殺そうとしたくせに」

「なんですって、わたしが影玄を殺す? 自分の弟にそんなことをする訳がないではありませんか。あれはわたしの不注意で」

「いいえ、あなたは影玄を事故に見せかけて殺そうとした。私はそう考えています」

「そんな馬鹿な。なぜわたしが弟を殺さねばならないのですか」

「あなたにとって影玄は目の上の瘤、自らの地位を脅かす相手であり、もっと言うならば亡き父親の愛情を独占した憎き茜の子供だからです」

「・・・・・・」


あまりの言葉に輝夜は絶句した。その沈黙を自らの勝利と受け取った千は言葉を続けた。

「だから影玄には、あなたには近づくなと言いつけておいたのに。あなたの義兄は危険な男だと、もっときつく忠告しておくべきでした。わたしも迂闊でした。近頃のあなたは大人しくしていたから。その殊勝な顔に油断していました」


輝夜はどうしたら千の誤解が解けるのか、必死に考えていた。しかし何を言えば信じてもらえるかがわからなかった。

「千さん、影玄は無事なのでしょうか。それだけは教えてください」


輝夜を仰視し、しばらく何かを考えていた千が口を開いた。

「ともかく峠は越えました。しかしまだ予断はならず、しばらくは入院せねばならないでしょう。そこで輝夜さんには、影玄の退院までにこの家から出て行ってもらいたいのです」

「えっ、わたしに出ていけとおっしゃるのですか」

「そうです。今回は運よく影玄の命は助かりました。しかし、あなたがそばにいれば、また何が起こるかわかったものではありません。あなたは信用がならない。家名に傷がつかないよう今回のことは不運な事故としておきます。ことを荒立てないかわりに輝夜さん、あなたは明日にでもこの家から出て行ってください」


「わたしに、どこへ行けとおっしゃるのですか。ここしかわたしの家はないのです」

「神月の家があるではありませんか。あちらなら不自由はありませんわ」

「神月のお祖父様も昨年お亡くなりになり、叔父の代に代わっております。今更わたしがお世話になることはできません」

「では幽玄様のところに行かれるとよろしかろう。幽玄様なら輝夜さんも続いて修行も出来るというものです」

「叔父上はとうにご隠居の身でいらっしゃいます。工房も閉じられていて」


「ええい、もう、どうのこうのと口達者な。控えめに申し上げている内にお聞きなさい。

あなたは影玄にひどい仕打ちをしたのですよ。どれほどの大きな傷が一生残るかおわかりですか。体の傷もですが、心の傷もあるのです。信頼していた兄に、ひどい目にあわされた。あの子の気持ちを考えると私はもうつらくて悔しくて。ありていに申せばあなたの顔など二度と見たくはないのです。あなたがどう言おうと明日、幽玄様にお越しいただき、この話を進めます。幽玄様の工房再開のための費用は出しましょう。そこで修行した後、あなたがご自分の工房を開くというなら、それも援助いたしましょう。


しかし宝月との関係はそこまでです。二度とこの屋敷の敷居をまたがないでいただきます。影玄にも二度とお会いくださいませんように」

それだけ言い放つと、千はまた病院に戻って行った。

翌日、輝夜は千に抗議をする幽玄を説き伏せ、大叔父の家で世話になることにした。

家からは神月の祖父の形見の望月の天目茶碗と、父から授かった宝刀、母の一弦琴だけを持ち出した。蝋月房にあるものは〈表裏の書〉あわせてすべて置いて出た。後に影玄が当主となった時に、父の道具を引き継げるようにという配慮だった。

 

その後、四年の間を幽玄の元で修行をし、二十二歳のとき、自らの工房〈鬼灯堂〉を開いた。

 それから十年の月日が流れた。この間、一度も影玄に会うことは叶わなかった。


つづく

《傷月》


あれから二週間、輝夜は毎夜、蝋月房に籠もって鬼灯蝋燭の試作品を作っていた。

房の中をすみずみまで探してみたが裏の書は、おいそれと見つかるものではなかった。

そこで輝夜はとりあえず色々思いつくままに配合を施し、それを日毎の月の光で試しながら一日も早く影玄を喜ばせてやりたいと時間を惜しんで励んでいた。


そんなある夜、輝夜はいつものように、ろうそくの原料となる櫨の実の木蝋を湯煎にかけ、溶かす作業をしていた。この溶けた蝋を特殊な和紙と灯心草から作った灯心にかけては乾かし、かけては乾かしを何度も繰り返して作る生掛けをするのであるが、ここまでは通常の和ろうそく作りと同じ技法であった。慣れた作業であったためか、日頃の疲れが出たためであったためなのか、乾くのを待つ間に輝夜はついうたた寝をしてしまった。


「うわあ」

ガラガラと何かが崩れ落ちる音と火のついたような子供の泣き声で輝夜は目を覚ました。

見れば熱いろうが入った鍋をひっくり返し、火傷をおった影玄が泣き叫んでいた。床には乾かしかけのろうそくが折れて、辺り一面に散らばっていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい」

片腕を真っ赤に腫らしながら影玄が謝っていた。

「影玄、大丈夫か !早く水で冷やすんだ」

「輝兄さま、ごめんなさい。ぼくお手伝いしようと思って。ろうそくを全部ダメにしてしまいました」

「ろうそくなんか、どうでもいい。痛いか。早く医者に」


輝夜は影玄を背中におぶると一目散に母屋に走った。

「誰か、誰か医者を呼んでください。影玄が火傷を」

寝静まっていた母屋に次々に灯りがつくと、たちまち慌ただしさに包まれた。

「何事ですか」


ぐったりした影玄を見て千は血相を変えた。

「早く先生に連絡を。病院の手配をしてもらいなさい。それから運転手を呼んでちょうだい。すぐに影玄を運びます」

千はテキパキと指示を出し、影玄を連れて病院へと走った。


一人残された輝夜はいたたまれず、蝋月房へと戻った。

「わたしの不注意だ。居眠りなんかしてしまって。作業中は房に施錠しておくべきだった。 影玄は大丈夫だろうか。火傷の具合がひどいと命にも関わることがあると聞いたことがある。傷跡も残らなければいいのだが」

輝夜は自責の念にかられ、まんじりともせず夜を明かした。


つづく


《栄螺堂》

 

栄螺堂は宝月の広大な敷地のはずれ、鬼門を守るために建てられた御堂である。その特殊な構造は冥界に通じさせるためとも言われていた。

「輝兄さま、なんだか暗いですね」

輝夜の袖口にしがみつき、影玄が不安げな声を出した。

「今宵は二十三夜。まだ月明かりはあるほうだぞ。影玄は暗闇が怖いのか」

「こ、怖くなんてありませんよ。僕は男の子ですから。でも本当にお父さまやお母さまにお会いできるのですか」

「うん、これで間違いがなければ」


輝夜は手にしたろうそくを影玄に見せた。

「以前、父上に聞いたことがあるのだよ。〈鬼灯の蝋燭〉の話を」

「ほおずきのろうそく?」

「そうだよ。鬼灯の蝋燭を丑三つ時、栄螺堂で灯せば冥界と道が繋がり死者に会えると。上りと下りが交差する太鼓橋、そこが現世と冥界の境目になるらしい。ほら、影玄、着いたぞ、ここが栄螺堂だ」


月明かりに浮かぶ栄螺堂は、その名の通り栄螺のような不思議な形をした御堂であった。

「ここに入るの?」

「そうだよ、影玄は入ったことがあるかい」

「ううん、ここに来るの、初めてだよ。こんなのがあるなんて知らなかった」

「では入ろう」


ギキィ。長年人が出入りしていなかったと見え、扉は重くきしんだ音を立てて渋々開いた。

「真っ暗だ。何にも見えないですね」

「ちょっと待てよ。あと少し・・・・・・。よし二時になった。今、ろうそくを点けるから」


輝夜が持ってきたろうそくを灯すと、その強い光にお堂の内部が照らし出された。

「あっ、輝兄さま、上り坂がありますよ。階段ではないのですね」

狭い入口を入るとすぐ正面の左右それぞれに上階に登る坂が見えた。

「では行くよ。急がねば。あまり時間がない」

輝夜は左側の坂を選ぶと影玄を連れて上がっていった。時計回りにぐるぐる上がっていくと、何週目かでようやく最上階にたどり着いた。続いて順路はそのまま下り坂となり出口に向かうようになるのであるが、ちょうどその上りと下りの中心に渡り廊下のような太鼓橋があるのが見えた。


「あれがお父さまの言われた太鼓橋ですか」

「そうだよ。あそこだよ」

朱い欄干の太鼓橋を渡り、ちょうど半月の真ん中あたりで輝夜は歩みを止めた。ろうそくを掲げ、目を閉じ何やら呪文のようなものをつぶやいた。すると、突然二人の目の前に父の姿が現れた。


「輝夜、影玄、元気そうだな」

「お父様」

「お父さま、ほんとにお父さまだ」

「輝夜、鬼灯の蝋燭のこと、よく覚えていてくれたな」

「はい、あの時、お父様が教えてくださったのは、このことだとわかりました。ろうそくの隠し場所は月が教えてくれました」


「お父さま、お父さまはなぜ亡くなられたのですか」

「影玄、これは宿命なのだ。わたしの力が及ばなかった。影玄も大きくなればわかるようになる」

「お父様、わたしはこれから、どうすればよいのでしょう。家も仕事も問題が山積です。わたしはまだ十八歳で当主にはなれないそうです。このまま千殿にお任せしてよいものでしょうか」


輝夜、お前はまだ若い。あの家に縛られることはないのだよ。わたしも生前は長男が跡を継がねばならぬという家法に縛られて自分にもお前にも、何一つ自由を与えていなかった。しかしこうなった今は思うのだ。自分らしい人生を生きればよかったと。お前たちには何物にも縛られず、生きたいように生きて欲しいのだ。当主の件はお前が二十歳になった時に考えればよい。継ぎたければ継ぎ、いやならば他の血族にまかせなさい。それまでは千殿や幽玄の叔父上に頼ればいい」

「はい、お父さま」


ろうそくの炎が大きくなり、黒い煙を吐き出し始めた。

「もう時間がない。わたしは行かねばならない。輝夜も影玄も達者で暮らせよ」

玄夜の姿が薄くなり、陽炎のように揺らぎはじめた

「あっ、お父様、最後にお聞きしたいことが。裏の書は、裏は何処にありますか」

「お父さま、お母さまは?」


二人はあわてて問いかけるが、ろうそくは最後の揺らぎを見せてふっと消え、それと共に玄夜の姿も闇に消えてしまった。

「輝兄さま、ろうそくを、またろうそくを点けてください」

輝夜は悲しげに首を振った。

「影玄、お父さまが残されたろうそくは一本きり。もう他に無いのだよ」

「じゃあ、お父さまにもお母さまにも、もう会えないのですか」

「影玄、さ、夜も更けた。もう帰ろう」

「お母さまにお会いしたかった」

涙声を抑えてつぶやく影玄の気持ちを考えると、輝夜は何と答えてやればよいかわからなかった。二人は押し黙ったまま闇夜よりも暗い気持ちのまま、家路についた。

翌日、輝夜は影玄のことが気になって仕方なかった。昨夜はあのまま無言で別れてしまったが、落ち込んではいないだろうか。

夕方、作業を終え離れに戻った輝夜は夕餉を運んできた瑠璃に尋ねた。

「瑠璃さん、影玄はどうしていますか。今朝は学校にはちゃんと行っているのでしょうか」

「輝夜様が心配なさるといけないから黙っていて欲しいと、影玄様から口止めされていたのですけれど」


配膳の手を止め、輝夜に向き直って神妙に話し始めた。

「影玄様は今朝方より伏せっておられるのですよ。千様がお医者さまを呼ばれたのですが、身体はどこも悪くないとおっしゃられて。どうも精神的なものだから、しばらく休ませるようにとのことでした」

「そうか、具合が悪いのか」

「色々なことが一度に起こりましたもの。影玄様もお疲れが出たのですわ。むしろ今まで我慢なさっておられたのではないでしょうか」

「そうだね。影玄はよく頑張ったよ」

「輝夜様。輝夜さまもお疲れが出ませんように、お体を大切になさってくださいね」

「ありがとう、瑠璃さん」


(そうか、良かれと思って連れて行ったのだが。昨夜のことでむしろ影玄の心の傷を深めてしまったのだろうか)

「お母様にお会いしたかった」

そうつぶやいた影玄の姿を思い出した輝夜は、夕餉もとらぬまま蝋月房へ戻った。


房に入るなり、輝夜は父の〈裏の書〉を探し始めた。

「あれに鬼灯の蝋燭の作り方が書いてあるはずなんだ」

鬼灯の蝋燭は〈死に人返し〉という裏の技により作られていた。


死に人返しとは死んだ人間の魂を呼び返せる技の総称で、蝋燭師の場合、霊があの世とこの世を行き来するときに提灯代わりに持つという鬼灯の花と、冥界に道を繋げる月の光を封じ込める月読の技法として取り入れられていた。表の技法を知る輝夜にも薄々、材料の類は予測できたのであるが、問題はその月齢がわからないことであった。月はその満ち欠けにより効力が変わってしまう。何月何日何時の月光をどれだけ、何を用いて封じ込めるのか。それは奥義書を見なければわからないことであった。


父は性分として、仕事のものは家には持ち帰らなかった。ましてや禍々しい裏の書は、その存在だけでどのような禍をもたらすか知れず、そのようなものを家族のいる母屋に持ち込むはずがなかった。おそらくはあの形見の鬼灯蝋燭のように人目につかない隠し場所に魔除けとともに封印しているはずと輝夜は考えていた。輝夜は何としても鬼灯蝋燭を手に入れ、影玄に亡き母と会わせてやりたいと思っていた。


つづく