鬼灯堂奇譚 魔月の巻 後編 2 | あべせつの投稿記録

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《蝋月房》

かつては数十人の職人が出入りし、ろうそく作りに励んだ活気ある工房が、今は静寂に包まれていた。

「影玄、中にいるのか」

 

 扉に手をかけると施錠がなされていたため、輝夜は中に呼びかけた。中でカサリと音がしたが、扉を開ける様子はなかった。

「影玄、中にいるのだろう。輝夜だ。今日はお前に会いに来た。顔を見せてはくれないだろうか」

 がらりと扉が開くと、見目麗しい青年が顔を見せた。

「影玄か?」

 輝夜と別れたとき、まだ七歳の少年だった影玄は凛々しい青年になっていた。幼い頃は母の茜によく似ていたが、今は父・玄夜の面差しを色濃く残している。


今の名は影夜です。何の御用でしょうか」

見知らぬ他人を見るような冷ややかな目つきに、輝夜は幽玄の言ったことを身を以て感じていた。

「いや、特に用ではないのだよ。お前が元気かと思って顔を見に来ただけだ」

「心にもないことを。何をいまさら、のこのことこの家に戻ってきたのですか。あなたはもう十何年も前にこの家を捨てたではありませんか。大きな顔をして敷居をまたげる立場ではないでしょう」


「影夜、誤解しないでほしい。わたしは戻ってきたわけではない。明日の新月祭に呼ばれてきただけだ」

「新月祭、それを聞いてあわてて戻って来られたわけですね。明日になれば、わたしは二十歳になる。いよいよ正式に宝月の当主になる資格を得ます。そうなればあなたは、すべてを失うことになる。今になって欲がでましたか。今の今までわたしたちを放っておいて、権利だけは得ようなんて、それは卑怯ですよ」


「卑怯?」

「そうです。あなたはいつも卑怯なんだ。あの時もわたしが入院している間に逃げ出して、ただの一度も見舞いには来てはくれなかった。わたしのことなど、どうでもよかったのでしょう。あの後、うちがどうなったのかご存じですか。この家が没落しかかっているのは、あなたのせいなんだ」

「わたしの? それはどういうことなのだ」

「もういい。話は済みました。お帰り下さい。わたしは明日の準備で忙しいのです。明日の新月祭に見ていらっしゃい。どちらが宝月の当主としてふさわしいか、目にもの見せてあげますよ」

 そういうと影夜は扉をぴしゃりと閉めてしまった。

「おお、輝夜殿、いかがであった、影玄は」

離れでは既に瑠璃が夕餉の支度を整え、配膳をしているところであった。輝夜を心配し待ちわびていた幽玄が、姿をみるなり声をかけた。

「ええ、影夜が大層立派になっていたので驚きました。あんなに小さかった子供が、大きくなって。お父様に似てきましたね」


「いやそのような外見の話ではなく、何かこう、こちらを敵外視するような態度をとるであろうが。千が何を吹き込んだかは知れぬが、わしらを嫌っておることは間違いないわい」

「叔父上はともかく、わたしは影夜に嫌われても仕方がないのです。影夜が瀕していた時に何もしてあげなかった。一度も見舞いに行かず、ようやく退院して帰ってみればわたしは家を出たあと。その後もなしのつぶての義兄に愛想を尽かしても当然なのです」


「まあ、輝夜様、そのようなことを」

瑠璃は配膳の手を止めると輝夜に向き直った。

「わたしがこのようなことを申しますのは差し出がましいのですが、輝夜様。

影夜様は輝夜様を嫌っておいでではなかったのですよ。退院された後、自宅療養になられたときも安静にしていなければなりませんのに『輝兄さまはどこにおられるのか』と毎日のように皆に聞いて回られておいででした。千様にその名前を二度と家の中で出してはいけないと厳しく言われて、とてもお寂しそうでしたわ。ちょうど屋敷の中に迷い込んできた野良猫にテルと名付けて、それはもう可愛がっておいでだったのですよ」


「しかし瑠璃殿、それは影玄が小さい頃の話でありましょう。今は、あやつも変わってしまった」

「それは、影夜様にも色々なことがおありだったのです」

「瑠璃さん、よろしければ、わたしの出た後の話をしていただけませんか」

「わたしも詳しくは存じませんけれど承知していますことだけ、。影夜様は回復なされてからまた学校に通われるようになったのですが、だいぶ苛めにあわれたようです」

「火傷のせいなのですね」


瑠璃はこくりと頷いた。

「片腕に残った傷を隠すために、夏でも長袖を着ていらっしゃいました。水泳などの授業もお休みになられていましたので目立ちましたのでしょう。それから影夜様は以前の活発なご様子ではなくなられてしまって。それでも頑張ってご卒業されましてからは、まだ十二のお年で蝋月房に通われては、職人頭からろうそく作りを教わろうとしておいででした」


「その頃はまだ宝月も繁盛しておったからな」

「はい、しかしその繁栄も三年ほどしか続きませんでした。その後は客足がめっきり遠のいたのです」

「客足が・・・・・・何があったのでしょうか」


「原因は、輝夜様が独立されてご自分の工房を持たれたことです。それまでのお得意様は皆、輝夜様に注文をお出しになるようになってしまいました。」

「あっ」

思い当たる節があった。輝夜が鬼灯堂を開業するとすぐ、かつての父の顧客たちが取引を申し出てくれていたのである。それから十年、鬼灯堂の経営が安定し続けているのは、ひとえにそのお陰であった。有り難いことだと思っていたが、それが本家をそして影夜を苦しめていたとは考えもしなかったのだ。


「そうか、影夜にすればわたしは宝月の裏切り者というわけなのですね」

「ううむ、話を聞けば、影夜も不憫よの。だからと言って本業を捨て、裏の技にのめり込むのは言語道断。まさか輝夜を呪ってのことではなかろうな」

「叔父上、影夜にも何か考えがあるのかもしれません。明日の新月祭を待ちましょう。技比べをしてみれば何かわかるかもしれません」

夕餉を済ませ、幽玄と瑠璃が部屋を出て行くと輝夜は一人明日の準備を始めた。


つづく