《栄螺堂》
栄螺堂は宝月の広大な敷地のはずれ、鬼門を守るために建てられた御堂である。その特殊な構造は冥界に通じさせるためとも言われていた。
「輝兄さま、なんだか暗いですね」
輝夜の袖口にしがみつき、影玄が不安げな声を出した。
「今宵は二十三夜。まだ月明かりはあるほうだぞ。影玄は暗闇が怖いのか」
「こ、怖くなんてありませんよ。僕は男の子ですから。でも本当にお父さまやお母さまにお会いできるのですか」
「うん、これで間違いがなければ」
輝夜は手にしたろうそくを影玄に見せた。
「以前、父上に聞いたことがあるのだよ。〈鬼灯の蝋燭〉の話を」
「ほおずきのろうそく?」
「そうだよ。鬼灯の蝋燭を丑三つ時、栄螺堂で灯せば冥界と道が繋がり死者に会えると。上りと下りが交差する太鼓橋、そこが現世と冥界の境目になるらしい。ほら、影玄、着いたぞ、ここが栄螺堂だ」
月明かりに浮かぶ栄螺堂は、その名の通り栄螺のような不思議な形をした御堂であった。
「ここに入るの?」
「そうだよ、影玄は入ったことがあるかい」
「ううん、ここに来るの、初めてだよ。こんなのがあるなんて知らなかった」
「では入ろう」
ギキィ。長年人が出入りしていなかったと見え、扉は重くきしんだ音を立てて渋々開いた。
「真っ暗だ。何にも見えないですね」
「ちょっと待てよ。あと少し・・・・・・。よし二時になった。今、ろうそくを点けるから」
輝夜が持ってきたろうそくを灯すと、その強い光にお堂の内部が照らし出された。
「あっ、輝兄さま、上り坂がありますよ。階段ではないのですね」
狭い入口を入るとすぐ正面の左右それぞれに上階に登る坂が見えた。
「では行くよ。急がねば。あまり時間がない」
輝夜は左側の坂を選ぶと影玄を連れて上がっていった。時計回りにぐるぐる上がっていくと、何週目かでようやく最上階にたどり着いた。続いて順路はそのまま下り坂となり出口に向かうようになるのであるが、ちょうどその上りと下りの中心に渡り廊下のような太鼓橋があるのが見えた。
「あれがお父さまの言われた太鼓橋ですか」
「そうだよ。あそこだよ」
朱い欄干の太鼓橋を渡り、ちょうど半月の真ん中あたりで輝夜は歩みを止めた。ろうそくを掲げ、目を閉じ何やら呪文のようなものをつぶやいた。すると、突然二人の目の前に父の姿が現れた。
「輝夜、影玄、元気そうだな」
「お父様」
「お父さま、ほんとにお父さまだ」
「輝夜、鬼灯の蝋燭のこと、よく覚えていてくれたな」
「はい、あの時、お父様が教えてくださったのは、このことだとわかりました。ろうそくの隠し場所は月が教えてくれました」
「お父さま、お父さまはなぜ亡くなられたのですか」
「影玄、これは宿命なのだ。わたしの力が及ばなかった。影玄も大きくなればわかるようになる」
「お父様、わたしはこれから、どうすればよいのでしょう。家も仕事も問題が山積です。わたしはまだ十八歳で当主にはなれないそうです。このまま千殿にお任せしてよいものでしょうか」
「輝夜、お前はまだ若い。あの家に縛られることはないのだよ。わたしも生前は長男が跡を継がねばならぬという家法に縛られて自分にもお前にも、何一つ自由を与えていなかった。しかしこうなった今は思うのだ。自分らしい人生を生きればよかったと。お前たちには何物にも縛られず、生きたいように生きて欲しいのだ。当主の件はお前が二十歳になった時に考えればよい。継ぎたければ継ぎ、いやならば他の血族にまかせなさい。それまでは千殿や幽玄の叔父上に頼ればいい」
「はい、お父さま」
ろうそくの炎が大きくなり、黒い煙を吐き出し始めた。
「もう時間がない。わたしは行かねばならない。輝夜も影玄も達者で暮らせよ」
玄夜の姿が薄くなり、陽炎のように揺らぎはじめた
「あっ、お父様、最後にお聞きしたいことが。裏の書は、裏は何処にありますか」
「お父さま、お母さまは?」
二人はあわてて問いかけるが、ろうそくは最後の揺らぎを見せてふっと消え、それと共に玄夜の姿も闇に消えてしまった。
「輝兄さま、ろうそくを、またろうそくを点けてください」
輝夜は悲しげに首を振った。
「影玄、お父さまが残されたろうそくは一本きり。もう他に無いのだよ」
「じゃあ、お父さまにもお母さまにも、もう会えないのですか」
「影玄、さ、夜も更けた。もう帰ろう」
「お母さまにお会いしたかった」
涙声を抑えてつぶやく影玄の気持ちを考えると、輝夜は何と答えてやればよいかわからなかった。二人は押し黙ったまま闇夜よりも暗い気持ちのまま、家路についた。
翌日、輝夜は影玄のことが気になって仕方なかった。昨夜はあのまま無言で別れてしまったが、落ち込んではいないだろうか。
夕方、作業を終え離れに戻った輝夜は夕餉を運んできた瑠璃に尋ねた。
「瑠璃さん、影玄はどうしていますか。今朝は学校にはちゃんと行っているのでしょうか」
「輝夜様が心配なさるといけないから黙っていて欲しいと、影玄様から口止めされていたのですけれど」
配膳の手を止め、輝夜に向き直って神妙に話し始めた。
「影玄様は今朝方より伏せっておられるのですよ。千様がお医者さまを呼ばれたのですが、身体はどこも悪くないとおっしゃられて。どうも精神的なものだから、しばらく休ませるようにとのことでした」
「そうか、具合が悪いのか」
「色々なことが一度に起こりましたもの。影玄様もお疲れが出たのですわ。むしろ今まで我慢なさっておられたのではないでしょうか」
「そうだね。影玄はよく頑張ったよ」
「輝夜様。輝夜さまもお疲れが出ませんように、お体を大切になさってくださいね」
「ありがとう、瑠璃さん」
(そうか、良かれと思って連れて行ったのだが。昨夜のことでむしろ影玄の心の傷を深めてしまったのだろうか)
「お母様にお会いしたかった」
そうつぶやいた影玄の姿を思い出した輝夜は、夕餉もとらぬまま蝋月房へ戻った。
房に入るなり、輝夜は父の〈裏の書〉を探し始めた。
「あれに鬼灯の蝋燭の作り方が書いてあるはずなんだ」
鬼灯の蝋燭は〈死に人返し〉という裏の技により作られていた。
死に人返しとは死んだ人間の魂を呼び返せる技の総称で、蝋燭師の場合、霊があの世とこの世を行き来するときに提灯代わりに持つという鬼灯の花と、冥界に道を繋げる月の光を封じ込める月読の技法として取り入れられていた。表の技法を知る輝夜にも薄々、材料の類は予測できたのであるが、問題はその月齢がわからないことであった。月はその満ち欠けにより効力が変わってしまう。何月何日何時の月光をどれだけ、何を用いて封じ込めるのか。それは奥義書を見なければわからないことであった。
父は性分として、仕事のものは家には持ち帰らなかった。ましてや禍々しい裏の書は、その存在だけでどのような禍をもたらすか知れず、そのようなものを家族のいる母屋に持ち込むはずがなかった。おそらくはあの形見の鬼灯蝋燭のように人目につかない隠し場所に魔除けとともに封印しているはずと輝夜は考えていた。輝夜は何としても鬼灯蝋燭を手に入れ、影玄に亡き母と会わせてやりたいと思っていた。
つづく