そろそろ期末テストが返ってくる。
「先生持ってきた。」
問題と解答用紙を渡す表情が少し誇らしげ。
結果には、生徒よりも徳ティーの方が満面の笑みだった。
「よく頑張ったな。」
コクっと控えめに頷く。
小学校の頃は「がんばろう」の方が多かったそうだが、
今は、恐らくクラスのトップ3には入っているだろう。
テストも中間、期末を終えて、その先生の癖や傾向も見えてきた。
平均点の設定が低めなのが気になるが、それでも難問揃いと言う訳ではない。
頑張った人なら、きっと高得点が狙える。
そろそろ期末テストが返ってくる。
「先生持ってきた。」
問題と解答用紙を渡す表情が少し誇らしげ。
結果には、生徒よりも徳ティーの方が満面の笑みだった。
「よく頑張ったな。」
コクっと控えめに頷く。
小学校の頃は「がんばろう」の方が多かったそうだが、
今は、恐らくクラスのトップ3には入っているだろう。
テストも中間、期末を終えて、その先生の癖や傾向も見えてきた。
平均点の設定が低めなのが気になるが、それでも難問揃いと言う訳ではない。
頑張った人なら、きっと高得点が狙える。
絶賛開講中!?か、どうかは分からないけど、エクセル教室。
「まさに合成関数やな。」と、後ろで聞いている徳ティー。
初めてエクセルを触る人には、まずエクセルのクセと基本的なワークシート関数を紹介する。ある程度のボキャブラリーが溜まってきたら、それらを組み合わせて使うことに挑戦。関数の中に関数を埋め込む。数学で言う、合成関数だ。
ワークシート関数は、頑固な職人に似ている。一つ一つは決まった仕事しかしない。
「俺は、最大値しかさがせねぇから。」
「わしは、文字を書き換えるしか出来ないわ。」
みたいな。
しかし、その職人さんを上手く配置することで、驚くほど多様な機能が生まれる。その合成関数の強力さたるや、エクセル1つあれば、社員など要らないのではないかと思うほどだ。
アーベルでは、学力あるいはもっと広義の意味で、「自信をつける」ことを目標の1つに置いている。
しかし、「自信」の定義は人によって違うものらしい。
徳ティーの定義では、自分の決めた目標を達成することによって得られる自己肯定感。
私の定義では、他者と比較して自分が他者と同等かそれ以上の能力を持つという自己価値感情。
どちらも自信の定義としては正しい。
しかし、私の言う自信は危険な一面もあると徳ティーは指摘する。
それは確かにその通りで、自信を失っているときには、常に他者と比較することは苦しい面もあり、劣等感を助長することも考えられる。そのような場合は、まず1つ1つの目標を達成して自分を誉めることが必要だろう。
ただ、それだけではトンネルから完全に抜けることはできない。他者と肩を並べて、人と比べて遜色ないと感じたときに、自分の力に対する信頼感が生まれる。もちろん全てにおいて他人を凌駕する必要はない。何か1つ、これは負けない!と思うようなもの。それが自尊心を支える。「自信をつける」とは、綺麗ごとではない。
定期テストを作成する際には、各教科ともその平均点を70程度に揃えるのがセオリーだ。
それは、授業内容を問うた場合に、おおよその生徒が7割程度の理解度を持つような授業を教員がしていなければならないということ。平均点が著しく低い場合は、テスト問題のバランスが悪いか、またはクラス全体の理解度が低くなっていることを疑わなければならない。
ただ、私自身は、難問が多く平均の低いテストであっても、各観点がしっかりと評価できる工夫がなされているなら、それもいいと思う。高度な思考力を育てる取り組みを前提として、よく考える問題を出題するのも面白い。
もっとも、平均点を各教科で揃えるのは、保護者に対する説明を簡単にするという狙いもあるそうだが。
生徒が何を望んでいるのかを把握するのは意外に難しい。
成績を上げたいのか
いい職に就きたいのか
色々な知識を得たいのか
教師は本来、生徒の自己実現をサポートする役割を担うべきだと考えているのだけれど、その望む像が本人の中でまだ曖昧な時には、授業の仕方も各生徒に応じてアプローチが変わる。
ただ、教育機関として目標とすべきは、生徒の自己実現のみ。
試行錯誤の中でもこれはブレない。