戦後の日本国民の多くは、無意識のうちにアメリカは日本の見方であり、良好な日米関係を維持することこそが日本の存立の要であると思い込んでいるのではないだろか。


それは保守系の言論人や政治家においても同様であり、北朝鮮や中国の脅威が煽られると必ずや、アメリカに助けを求めて、日米同盟に安全保障を依存する方向に進もうとする。


そうしたアメリカへの無意識的、条件反射的な崇拝が日本の自立を妨げてきたと言っても過言ではなく、戦後体制脱却のためには対米認識の見直しが必要となる。


特に、冷戦の崩壊を機に、アメリカの国家戦略も変わったために日米同盟も性質がかなり変わってきた。しかし多くの国民や政治家は、それに気づかずに未だに日米同盟への崇拝、依存を続けている。


そこで、今ここで対米認識の見直しとして日米同盟の性質の変化を点検してみたい。


まず日米同盟は冷戦期においては我が国の安全保障には多くの利益をもたらしたことはいうまでもない。冷戦期のアメリカの国家戦略も、西側諸国の共産化を防ぐとともに、共産圏への対抗として西側諸国をドル経済圏に引き込むものであった。


そのためにアメリカの軍事力による庇護の下、アメリカを始めとしたドル経済圏との貿易で日本は経済的な繁栄も手に入れることができたのである。それは当然ながらアメリカの安全保障上のメリットとも合致していた。


しかし1989年にソ連が崩壊し、冷戦が終結すると、最大の脅威であったソ連の世界共産化の流れも消えたために、アメリカはそれまでの対共産化戦略を大幅に改めた。


そしてアメリカの国家戦略は唯一の超大国としての力を背景に、世界の秩序をアメリカに有利に造り変える一極主義に傾注するようになる。


したがって当然ながら日米同盟も性質が変わった。日米同盟は冷戦期の安全保障のための同盟から、日本の自立を阻止するためのいわば対日封じ込め戦略に変貌を遂げたのである。


90年代に日米構造協議や年次改革要望書の交換などが始まったのも、アメリカが自国に有利な経済システムを日本に組み込もうとしたからである。


クリントン政権で国防次官補を務めたジョセフ・ナイも対日戦略について「日本を今後も自主防衛能力を持てない状態に留めておくために、アメリカは日米同盟を維持する必要がある」


「日本がアメリカに依存し続ける仕組みを作れば、我々はそのことを利用して、日本を脅し続けてアメリカにとって有利な軍事的、経済的要求を呑ませることができる」と述べている。


このジョセフの発言が、冷戦後から現在に至るまでの日米同盟の本質を端的に表しているといえよう。


本来なら、冷戦の終結を機に、我が国もアメリカの国家戦略や日米同盟の変貌を見抜かねばならなかった。しかし、それを見抜けず(あるいは見抜きながらも)、対米依存体質を改めようとはしなかった。


そして現在もTPPや日米経済調和対話などで日本に新自由主義的経済を導入し、また軍事力でもアメリカ軍に依存し、自主防衛力強化を怠り、「日米同盟の深化」という空虚な言葉を掲げてアメリカへの依存度を深めている。


野田政権が脱原発のエネルギー戦略閣議決定を見送ったり、安倍政権が河野談話、村山談話の踏襲を決めたのもアメリカからの圧力があった。


このようにアメリカの国家戦略が日本の自立を阻害し、支配下におこうとするものであるという以上、やはり対米認識の見直しが必須だ。


戦後体制脱却とはアメリカからの脱却である。それは戦後体制を造ったのが当のアメリカであるということを見れば納得できるはずだ。


日米同盟や対日戦略の本質を見極めて対米認識を見直し、盲信的な対米崇拝を止めなければいつまでたっても日本は自立できないということを強く指摘しておきたい。


対米認識の見直しは急務である。