単行本『BLEACH』74巻(最終巻)の683話において、初見では理解が凄く難しいストーリー展開(プロット)があった。
週刊少年ジャンプに683話が掲載されているのを読んだとき、当時未成年だった筆者も、このストーリー展開を完全には理解できなかった記憶がある。
この記事では、683話で展開されている難解なストーリー展開を解説してゆく。
まず、683話は一見すると、以下のような展開に見える。
初撃で一護が吹き飛ばされる
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恋次が卍解『双王蛇尾丸』でユーハバッハに攻撃するも、ユーハバッハが恋次の左腕を斬り落とす
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藍染が斬魄刀「鏡花水月」を振り回したり、破道の九十九を発動したりすることでユーハバッハを攻撃するも、ユーハバッハは鏡花水月を折り、藍染を吹き飛ばす
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左腕のない姿の一護がユーハバッハを奇襲するも、ユーハバッハに奇襲を防がれる
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ユーハバッハは一護に致命傷を負わせ、「さらばだ 一護」「お前の抵抗は心地良かった」「せめて尸魂界と共に滅べ」と語り、一護を殺し切った達成感に耽るが、左腕のない姿の藍染が「…そうか(自分が)黒崎一護に視えているか」と種明かしをする
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藍染の種明かしの直後、一護がユーハバッハに月牙天衝を放ち、ユーハバッハがその攻撃を直に受ける
しかし、上記の展開は藍染による完全催眠の影響を受けており、作中で実際に起こっている展開そのものではない。
作中で実際に起こっていると考えられる展開を以下に示す。
初撃で一護が吹き飛ばされる。
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「恋次が卍解『双王蛇尾丸』でユーハバッハに攻撃しているかのような催眠」を藍染がユーハバッハにかける。その際、藍染は自分自身を恋次かのように錯覚させている。ユーハバッハは恋次の左腕(実際には藍染の左腕)を斬り落とす。
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「藍染が鏡花水月を振り回し、破道の九十九も駆使して、ユーハバッハを攻撃しているかのような催眠」を藍染がユーハバッハにかける。その際、藍染は恋次を自分自身かのように錯覚させている(※1)。ユーハバッハは鏡花水月(実際には恐らく蛇尾丸)を折り(※2)、藍染(実際には恋次)を吹き飛ばす。
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「左腕のない姿の一護がユーハバッハを奇襲しているかのような催眠」を藍染がユーハバッハにかける。その際、既に自身の左腕を斬り落とされている藍染は、自分のその体を「左腕を斬り落とされている一護」かのように錯覚させている。ユーハバッハは一護による奇襲(実際には藍染による奇襲)を防ぐ(※3)。
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「ユーハバッハが一護に致命傷を負わせたかのような催眠」を藍染がユーハバッハにかける。ユーハバッハは「さらばだ 一護」「お前の抵抗は心地良かった」「せめて尸魂界と共に滅べ」と語り、一護を殺し切った達成感に耽るが、左腕のない姿の藍染が「…そうか(自分が)黒崎一護に視えているか」と種明かしをする。
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藍染の種明かしの直後、一護がユーハバッハに月牙天衝を放ち、ユーハバッハがその攻撃を直に受ける。
※1:言うまでもないことだが、恋次の斬魄刀は鏡花水月ではなく蛇尾丸である。また、恋次は藍染と違って鬼道が苦手であり、破道の九十九という非常に難易度の高い鬼道を用いることが不可能なはずである。よって、このシーンは、実際には「恋次が蛇尾丸を振り回し、破道の九十九よりも難易度の低い鬼道を用いてユーハバッハを攻撃しているの」を、あたかも「藍染が鏡花水月を振り回し、破道の九十九も駆使して、ユーハバッハを攻撃している」かのように見せているのだろう。
鏡花水月の能力は、蠅を竜に見せることも、沼地を花畑に見せることも可能なほど強力な代物であり、「破道の九十九よりも難易度の低い鬼道」を破道の九十九かのように見せることも可能であると思われる。
※2:破面篇の終盤(第48巻)で藍染は「自分は鏡花水月と一体化したような状態になった(ため、鏡花水月という斬魄刀がなくても鏡花水月の能力を使えるようになった)」と解釈できる発言を一護に対して行っている。
事実、最終章(第58巻)において、藍染が斬魄刀「鏡花水月」や解号を用いることなくユーハバッハの時間感覚を僅かに狂わせている描写がある。これは、斬魄刀「鏡花水月」や解号を用いずとも藍染がユーハバッハに対して鏡花水月の能力を発揮できるということを示唆している。
そもそも、藍染が無間に投獄されてから683話までの間、原作で藍染が鏡花水月などの刀を振り回しているような描写は皆無である。
これらのことを踏まえると、683話のタイミングで藍染が鏡花水月という斬魄刀を振り回している光景があるとすれば、その光景は藍染による錯覚だと考えるのが自然なのである。
※3:その際、ユーハバッハは「戦況を見て瞬時に藍染惣右介との共闘に転じた事は上出来(じょうでき)だ」「だが鏡花水月も我が力には及ばぬ」「初撃で我が力に吹き飛ばされたのが阿散井恋次」「次に私に腕を捥がれた(もがれた)のが貴様だ 一護」「全て視えている」と語っている。
だが、「初撃で我が力に吹き飛ばされたのが阿散井恋次」「次に私に腕を捥がれた(もがれた)のが貴様だ 一護」「全て視えている」というのは、あくまで藍染がユーハバッハにそう錯覚させているだけである。
つまり、藍染はユーハバッハに「恋次が卍解『双王蛇尾丸』でユーハバッハに攻撃しているかのような催眠」や「藍染が鏡花水月を振り回し、破道の九十九も駆使してユーハバッハを攻撃しているかのような催眠」や「左腕のない姿の一護がユーハバッハを奇襲しているかのような催眠」をかけたうえで、ユーハバッハに「初撃で我が力に吹き飛ばされたのは一護であるかのように見えるが、これは鏡花水月による錯覚であり、実際に初撃で我が力に吹き飛ばされたのは阿散井恋次である。また、その次に私に腕を捥がれたのは恋次であるかのように見えるが、これは鏡花水月による錯覚であり、実際に腕を捥がれたのは一護である」という催眠をかけていた。
以上で、683話で展開されている難解なストーリー展開を解説したが、個人的に気になっていることがある。
それは『BLEACH』の読者の間で「漫画『BLEACH』の最終巻に載っている683話ってストーリー展開を把握するのが凄く難しいよね」などといった声を殆ど聞かないことである。
世界には有名作品というものがある。
戯曲であればゲーテの『ファウスト』などがそうであり、絵画であればピカソの『ゲルニカ』などがそうであり、音楽であればビートルズの『レット・イット・ビー』などがそうである。
日本の漫画は世界中で読まれており、『NARUTO』等の作品ほどではないかもしれないが、『BLEACH』も世界中の国々に住む膨大な数の読者によって読まれている。
しかし、国内外の非常に多くの読者が存在する漫画であるにも拘らず、少なくとも日本においては「原作683話で凄く難解なプロットが展開されている」ということが余り知られていないように感じられるのだ。
有名作品に読解が凄く難しい箇所がある場合、その箇所はしばしば読者の間で話題となる。
例えば『ファウスト』でも、「第二部の第一幕~第二幕の箇所は凄く読解が難しい」ということが読者の間で広く知られている。
ところが、『BLEACH』の読者の間で「久保帯人先生ってネーミングセンスが凄いよね」や「死神代行篇を読んで『この漫画のラスボスは主人公の母を殺したグランドフィッシャーとかなのかな』と思っていたらラスボスは(藍染や)ユーハバッハであり、グランドフィッシャーを倒すための戦闘は破面篇の序盤あたりであっさりと終わってしまい意外だった」などの声がしばしばあがるのとは対照的に、原作683話のプロットの難解さは余り話題になっていない。
この理由を考えるにあたっては、『BLEACH』が「流し読みしようと思えば凄くスピーディーに読めてしまう作品」であることを踏まえる必要がある。
さきほど、週刊少年ジャンプに683話が掲載されているのを読んだとき当時の筆者はプロットを正確には理解できていなかったと述べたが、それでも「一護が藍染と共闘してユーハバッハに月牙天衝を直撃させることができた」という683話の大まかなプロットを把握することは容易に出来た。
つまり、前述した「作中で実際に起こっていると考えられる展開」を正確に把握できていなくても、「一護が藍染と共闘してユーハバッハに月牙天衝を直撃させることができた」という大まかなストーリーさえ把握できれば、684話以降を読むのに大きな支障が生じないのだ。
『BLEACH』は流し読みするだけであれば、筆者がこの記事で行ったような考察をせずとも、作品の全体的なストーリーを把握することが十分に可能となっており、そのことが「原作683話のプロットの難解さが読者の間で余り知られていない理由」である。
そう考えることは出来るのではないだろうか。