〇経緯
筆者が『School Days』というアニメの存在を知ったのは小中の頃だと思う。
そのときは「前代未聞のアニメが放送されていたんだ、ふーん」程度に感じていたが、のちに一連のエンディング・シーン(「かなしみの向こうへと」という歌声が流れるシーンや「中に誰もいませんよ」のシーンや「やっと二人っきりになれましたね」のシーンなど)を実際に見て衝撃を受けた。
実際に見たといっても、それらは数分か10分ほどの断片的な動画に過ぎず、筆者は今年の3月になるまでキャラクター数人の名前と一連のエンディング・シーンぐらいしか知らない状態だったが、「Nice boat.」などの伝説はネット経由で把握しており、このアニメのことが強く印象に残っていた。
機会があれば全12話を視聴したいとずっと感じていたのだが、今年の3月にYouTubeを眺めていると、『School Days』全12話が期間限定で配信されているのを知り、さっそく全12話を視聴した。
そして、「やはり凄まじいアニメだったのだな」と感じた。
「かなしみの向こうへと」から始まる曲「悲しみの向こうへ」をきちんと聴いたのも初めてで、それまでは歌詞も大して把握していなかったのだが、じっくりと聴いたところ、しみじみとした良曲であることに気づいた。
以下に、全12話のレビューを記す。
〇第1~2話
桂言葉に恋心を抱いている伊藤に対して「伊藤の片思いが実るように応援するね」と宣言する西園寺。
第1話を観終わってようやく、桂と西園寺と伊藤が日本の首相の苗字なことに気づいた。
初デートのときに、セクシーな女性のグラビア写真が載っている本を立ち読みする伊藤誠。
てか、挨拶でキスは流石におかしいと思う。欧米とかなら兎も角、ここは日本なのだし。
桂は豪邸っぽい家に住んでいる模様。
桂の入浴シーンで胸が動いていたけどエロ描写で男性視聴者を露骨に釣ろうとしすぎ。
どうやら桂には妹がいるらしい。裸の姉がいる浴室の扉を開けることに一切ためらいのない妹。
そこまで仲が良い訳でもないのに桂の胸を突然もみはじめる西園寺。
なお、第2話の終わりのほうに、西園寺世界と思しきシルエットがあった。
このアニメが第12話ではなく第2話で終わっていれば、伊藤が自分の身勝手さを反省するというエンディングになって良い終わり方だったように思う。
〇第3話
妹の名前は心というらしい。
それにしても胸を強調した描写が多くね、このアニメ。
「姉妹で変わった名前なんですね」って伊藤は間違ったこと言ってないけど、桂言葉本人に対してそう無神経に言い放てるのは凄まじい。
西園寺の台詞のお陰で「にぶちん(にぶい人)」というスラングを知ることが出来た。
西園寺世界ってファミレスでバイトしているらしいけど、バイトの服装にしては露出度が高くないか。
夕方ぐらいの時間帯なのに別れ際の挨拶が「おやすみなさい」となっており、違和感のようなものが湧いた。
〇第4話
「ノックもしないで入ってこないで」って、妹は裸の姉がいる浴室の扉をノックもしないで開けていた記憶。
このアニメは、こういう露骨なセクシー描写が割と多く、キャラの瞼の描線が特殊なように思う。
入浴時に乳輪(にゅうりん)や乳首(にゅうとう)が普通に描かれていた。
個人的には乳房程度で規制するのは馬鹿げていると思うので、このシーンが規制を受けていないこと自体は良いことだと思う。
西園寺の「あげちゃってもいいかもって感じ、女の子だったら無い?」は「初めて(処女)をあげちゃっても」という意味であろう。
〇第5話
眼鏡かけながらプール入る人って、どのぐらいいるんだろう。
西園寺と伊藤が家でいちゃつきあっており「桂言葉が可哀想だな」と感じた。
〇第6話
授業中の教師の声を聴いていると、西園寺と伊藤は理系ではなく文系なのかなと一瞬、感じたが、第2話で化学の教師の声があったのを思いだした。
この回は最後のほうで不調和音が流れている。
〇第7話
電子機器の暗証番号が誕生日というのはありがちだろうけど、なんで刹那が誠の誕生日を知っているのかが気になった。
〇第8話
刹那というキャラ、人気投票したら普通に上のほうの順位になりそう。
〇第9~10話
桂言葉が赤い体液を流しているシーンがあった。これは多くの先行作品で使われてきたような描写であろう。
それにしても、なんで伊藤ってこんなにモテるんだろう……。
隠し撮りって普通に犯罪な気がするのだが、この女子バスケ部いろいろとヤバくないか?
因みに、カメラの存在は第10話より前の回できちんと提示されている。
これに限らず、このアニメは割と伏線がしっかりしている印象を受ける。
〇第11話
「べつに」という黒田光の台詞を聴き、沢尻エリカとかいう芸能人を思いだした。
沢尻エリカの「べつに」騒動は2007年らしいけど、このアニメも2007年放送らしい。
黒田は西園寺の家へ行き、「世界がいないと伊藤も、ほら浮気するかもしれないし」と西園寺に告げているけど、「そりゃあ黒田本人も伊藤と肉体関係を結んで、浮気に手を染めてるしな」とツッコミを入れたくなった。
桂言葉が可哀想すぎるのは確かだが、何度も何度も「言葉と伊藤は恋人じゃない」と伝えられているのに、「私は誠くんの彼女ですから」と壊れたラジオスピーカーみたいに言ってて、桂言葉も常軌を逸しているように思った(もっとも伊藤は、その夜以降、言葉と親密な関係を取り戻すのだけど)。
「誠、そんなこと言うキャラじゃなかったよね」という台詞が物語っているように、このアニメのヤバいキャラは元から常軌を逸していた訳ではないように見える。
元はまともな性格だったのに、伊藤らは気づいたらヤバすぎる性格になっていたというのが、このアニメの重要なポイントなのではないだろうか。
〇第12話
素朴な疑問なんだけど、伊藤らは高校生なのだから、普通に親とかに相談すればよくないか?
妊娠したかどうかという重大な事態なのに、当事者の親たちの存在感が全然、伝わってこない。
結局、伊藤と言葉は高級そうなレストランで食事をしたのか否かが気になっていたのだが、西園寺が言葉を平手打ちするなどの修羅場をみていると、そんなことがどうでもよく感じられてきた。
因みに、第7話で刹那が誠の誕生日を知っていた理由が第12話で明かされている。
既に削除もしくは非公開となっているらしく今は視聴できない様子だが、或る動画で安藤チャンネルの安藤さんが「伊藤誠は女性に対して病院へ行くことを勧めるなど、女性に寄り添っている描写もある。だから誠は悪くないっすね」と語っていたのを思いだした。
これには二つの可能性がある。
一つは、安藤さんが「病院」が中絶手術という意味であることを知ったうえで、ギャグとしてそう語っていた可能性である。
もう一つは、安藤さんが「病院」の意味を知らなかった可能性である。
安藤チャンネルはギャグ動画が多いことを踏まえれば前者の可能性が濃厚だが、安藤さんは案外ピュアな側面もあるので後者の可能性も低くないと個人的には思う。
安藤さんのことを思い出しながらアニメを見ていると、長い改行メールのシーンが流れ始め「ついにエンディングが始まるのかあ」と感慨深くなった。
長い改行メールのシーンを以て、このアニメは恋愛アニメから猟奇アニメへと変貌を遂げていく訳だが、「西園寺が殺人に手を染める経緯」が(筆者が想定していたよりかは)突飛なようにも感じた。
もっとも、ただでさえ中絶手術を提示されて苦しんでいるとき(ただし後に桂言葉が西園寺の子宮を裂いた際、子宮内に胎児は確認されなかった)に、自分のつくった料理が捨てられているのを見て、殺意がわくという流れはそこまで不自然ではないとも言える。
だから、あくまで「少し突飛かもしれない」というレベルであり、「非常に突飛である」というレベルではないとも考えられる。
西園寺は目の前で伊藤と桂言葉が熱いキスをしているのを見させられており、「誠を刺殺する経緯は突飛ではない」と感じる視聴者も多いように思う。
屋上の流血シーンは知っていたものの、屋上が伊藤と西園寺と言葉にとって思い入れのある場所だったというのは全12話を見るまで知らなかった。
西園寺はポケットの中に刃物を忍ばせている訳だが、そのことを示す伏線が丁寧に張られており、やはり脚本はしっかりしているなと実感した。
〇総評
このアニメは凡作とは真逆の作品であると言わざるを得ない。
筆者は、小説やアニメや漫画や映画を問わず、ぶっとんだ作品に凄く惹かれる。
凡庸で無個性な作品を読んだり視聴したりするぐらいなら、完成度の高低に関係なくぶっとんだ作品を鑑賞するほうがいいとすら感じることが多い。
このように全12話を視聴できたことを筆者は嬉しく思っているが、筆者の脳裏には「このアニメで最も可哀想なキャラがいるとすれば、それは桂心なのではないだろうか」という考えが浮かんでいる。
桂心の境遇を整理するならば、「裕福な家庭に育ち、優しい姉のもとで暮らし、伊藤誠という年上の男子に淡い恋心を寄せていたのに、伊藤誠は他殺され、姉も犯罪者になってしまった」となる。
西園寺世界を刺殺するという犯罪に手を染めたのは桂言葉であって桂心ではないのだが、世間では加害者の家族というだけで差別や偏見を受ける可能性が高い。
最終話以降の作中世界において、桂心が体験することになる未来は過酷なように思う。
2005年発売の原作ゲームは全然知らないため、原作ゲームがどうなのかは分からないが、アニメに関してはガラゲーが重要なモチーフとなっているように感じられる。
長い改行メールもガラゲーならではの描写だし、CMとCMの間の映像(アイキャッチ)でも二頭身と化したキャラがしばしばガラゲーに触れていた。
日本でスマホが本格的に普及したのは2010年代前半なので、2007年当時の携帯電話事情が窺える。
最後になるが、このアニメは企画段階では「いかにバッドエンドを回避するか」という方向性で議論されていたという。
だが、アニメーション制作会社TNKの「とにかくショッキングに行きたい」という案が採用された結果、あの伝説的なエンディング・シーンが誕生するに至った。
安易なエンディングにしなかった制作スタッフたちの勇気は並々ならぬものがあると思うし、このアニメをまだ見ていない方がいるのならば、第1話から最終話まで一気に視聴することを強く推奨する。