動詞は状態動詞と非状態動詞に大別される。

状態動詞は「主に状態を表す動詞」と説明され、動作動詞とも呼ばれる非状態動詞は「主に動作を表す動詞」と説明される。

例えば、英語だと、knowやbelongなどが状態動詞であり、runやeatなどが非状態動詞である。

動詞knowは「知っている」という状態を表し、動詞belongも「所属している」という状態を表している。

一方で、動詞runは「走る」という動作を表し、動詞eatも「食べる」という動作を表している。

英語にはliveという動詞がある。

この動詞は「生きている」や「住んでいる」と和訳され、一般に状態動詞とされる。

 

日本語にも「ある」や「いる」や「値する」などといった状態動詞がある。

では、「生きる」は状態動詞なのだろうか。それとも非状態動詞なのだろうか。

個人的には、「生きる」は状態動詞としても用いられるし非状態動詞としても用いられると考えている。

人類は未だに不老不死を実現できていないため、全ての人は「生きている状態」のあと「死んでいる状態」を迎える。

そのため、例えば「或る人物が、いま生きているのか、それとも死んでいるのか」に重点がある場合は、状態動詞として「生きる」が用いられることになる。

その一方で、生きるということを、「我々ひとりひとりが、いま生きているのは、呼吸を絶やしていないからであり、この一瞬も血が流れているからだ。呼吸が停止し、血液の循環が失われれば、あっという間に我々は死ぬことになる」などといった視点で捉える場合は非状態動詞としての側面が強くなる。

 

このように、動詞「生きる」は、「生きている状態」というニュアンスが強い場合は状態動詞として用いられ、「この瞬間を生きる」というニュアンスが強い場合は非状態動詞として用いられる。

 

現代の日本語には「(場所)に生きる」という表現と、「(場所)で生きる」という表現がある。

試しに蔵書検索が出来るサイトで「国に生きる」や「国で生きる」が含まれる書籍名を調べていくと、前者の例としては『ソ連と呼ばれた国に生きて』や『クリスチャニア 自由の国に生きるデンマークの奇跡』などがあり、後者の例としては『この国でそれでも生きていく人たちへ』や『私とあなたのあいだ いま、この国で生きるということ』や『日本列島回復論 この国で生き続けるために』などがあった。

助詞「に」と助詞「で」の違いを踏まえれば、状態動詞として「生きる」が用いられているときは「(場所)に生きる」となり、非状態動詞として「生きる」が用いられているときは「(場所)で生きる」となるのだろう。

 

状態動詞と非状態動詞の違いは英文法で重視される事柄だと認識している日本人は少なくないが、実は日本語においても状態動詞か否かの違いは軽視できるものではないと、筆者は考えている。