童話「ウサギとカメ」はレース(race)を題材としたストーリーである。
レースの序盤、亀を引き離した兎は、まだゴールしていないにも拘らず眠ってしまう。
一方の亀は休むことなく進み続け、兎よりも早くゴールに到着し、兎に勝利する。
筆者は、この童話のメッセージ(教訓)は油断大敵だと考えている。
というのも、兎は油断して眠ってさえいなければ亀に余裕をもって勝てていたからである。
この童話が明治時代の国語の教科書に掲載されたときも、タイトルは「油断大敵」となっており、歴史的経緯に鑑みても油断大敵をこの童話の教訓と捉えるのが妥当である。
しかし、近頃この童話に対して「本当の教訓は油断大敵ではない」という俗説がしばしば見られるようになっている。
「兎は相手(亀)を見ていた。亀はゴールを見ていた。だから亀は兎に勝ったのだ。『相手ではなくゴールを見ろ』が、この童話の本当の教訓なのだ」というような俗説を見聞きしたことのある人は多いのではないだろうか。
個人的には、この解釈も間違いではないと思っている。
レースの序盤あっさりと自分を追い抜かしていく兎の姿を見て、亀が「これ、もう無理じゃん」と心おれてレースを棄権するという事態も普通にありえた訳だが、亀は自分が劣勢であることに絶望せずゴールへ進み続けた。
だからこそ、亀は兎に勝利したのである。
しかし、兎がレース中に対戦相手である亀を見ていたことは誤りだったのだろうか。
結論から言えば、それは誤りではない。
何故なら、レースの勝利条件は「相手よりも早くゴールに到着すること」だからである。
自分が全力を尽くして早くゴールに到着しても、自分より先に相手がゴールに到着していたなら、その相手に勝つことは出来ない。
一方で、凄く手を抜いて遅くゴールに到着しても、相手がまだゴールに到着していなければ勝つことが出来る。
NPBやMLBなどといったプロフェッショナル野球の試合では、終盤に継投がしばしば行われる。
このとき、例えば1点リードで9回裏を迎えているのか、それとも7点リードで9回裏を迎えているのかによって、起用されるリリーフ投手は変わってくる。
7点リードで9回裏を迎えているときに勝ちパターンや守護神(チームのリリーフ投手のなかで相対的に能力の高いリリーフ投手のこと)を登板させない監督は多いが、そのことを油断とは言わない。
野球の試合のゴール(目標)は基本的に「相手よりも1点でも多い状態でゲームセットを迎えること」である。
そのことに着目するならば、残り3つのアウトを稼ぐために7点リードの9回裏に勝ちパターンや守護神を登板させることは論理的には凄く正しい判断である。
しかし、プロフェッショナル野球が1年で膨大な数の試合をこなさなければならないことや、リリーフ投手の酷使の予防などといった事柄を知っている人であれば、「7点もリードしているからといって、チームで優れたリリーフ投手を登板させず、それよりも能力の劣るリリーフ投手を登板させるのは油断である」などとは主張しないだろう。
これと同様のことが「ウサギとカメ」にも言えるのではないだろうか。
レースでの勝利のみを目的とするならば、客観的に考えて、兎は全力疾走をする必要などなかった。
自分と亀の距離を確保しつつ、自分がゴールするまで「全力疾走ではないものの亀のスピードよりかは速いスピード」を維持したまま進み続けるだけで兎は勝てたのだ。
前述した俗説では「兎は自分がゴールするまで対戦相手を見ずゴールだけを見て全力疾走すべきだった」ということになってしまうが、これは合理的な考えではない。
結局のところ、この童話などから、レースすなわち競争で勝つためのノウハウを導き出すならば、それは「油断は絶対にするべきではないが、自分と競争相手のうち、どちらが優勢なのかや、自分と競争相手との差はいかほどなのかを十分に把握したうえでゴールまで着実に進み続けること」と要約できるように思う。
さきほどプロフェッショナル野球の事例を紹介したが、プロフェッショナル野球では毎年リーグ戦が行われている。
リーグで最も勝率の高いチームはリーグ優勝となり、優勝ペナント(リーグ優勝を示す優勝旗)を獲得できる。
そのため、各チームが公式戦でリーグ優勝を目指してゆく競争のことをペナントレースという。
プロフェッショナル野球の一つであるNPBのチーム(球団)は、例年、1シーズンすなわち1年で143試合を行っていく。
NPBは2リーグ制を採用しているが、1リーグには6チームがあり、大雑把にいうと6チームのなかで最も勝率の高いチームがそのリーグの優勝チームとなる。
「最も勝率の高いチームがリーグ優勝」というのが肝であり、「143試合のうち90試合以上に勝ったチームがリーグ優勝(そもそも、そのようなルールだと、1シーズンで勝率の異なる複数のチームがリーグ優勝することがありえてしまう)」という訳ではない。
それゆえ、「143試合で101勝42敗のチーム」がいたとしても、「143試合で102勝41敗のチーム」が同じリーグにいた場合、そのチームは「101勝42敗(勝率7割以上)」という非常に優秀な成績を残しているにも拘らず、リーグ優勝することが出来ないのだ。
逆に言えば、「143試合で73勝」のチーム(引き分けがないと仮定すれば勝率はなんと51.049%ほど)であっても、同じリーグに、そのチームよりも勝率の高いチームが存在しなかった場合は、そのチームがリーグ優勝できてしまう。
このように、或るチームがリーグ優勝を果たす難易度は、「そのチームが属しているリーグで、そのチームよりも強いチームがどのくらい存在するのか」によって大きく左右されてしまうということが分かる。
もしかすると、プロフェッショナル野球のペナントレースを俯瞰するにあたっては、この身も蓋もない現実を頭の片隅に入れておく必要があるのかもしれない。