小学生のころ「トイ・ストーリー」三部作が話題になっていた。

「トイ・ストーリー」シリーズと聞いて頭に浮かぶキャラは、主人公の少年と、カウボーイ人形と、宇宙飛行士っぽい男と、熊のぬいぐるみ程度で、『トイ・ストーリー』や『トイ・ストーリー2』に関する記憶は殆どないに等しいのだが、『トイ・ストーリー3』は視聴した記憶がある。

『トイ・ストーリー3』の全体的な粗筋は記憶に残っていないものの、「玩具は子供が大人になると遊ばれなくなる」というテーマや、大人になろうとしている主人公の男が年下の子供に玩具を手渡すエンディングなどは印象に残っており、『トイ・ストーリー3』を視聴し終わった直後、子供ながら「いい感じに三部作の物語が完結しているな」と感じたのを覚えている。

 

大学生になり、<映画『トイ・ストーリー2』、いつの間にかセクハラシーンを削除>という記事を見かけた。

まず「あんなに美しく完結した『トイ・ストーリー3』に続編が出るらしい」と知って驚いたあと「『トイ・ストーリー2』に、そんなシーンがあったんだ」と思った。

記事によると、『トイ・ストーリー2』にはプロスペクターという悪役キャラが登場しているそうで、プロスペクターがバービー二人(若い女性キャラ)に「僕なら君たちを『トイ・ストーリー3』に出してあげられるよ」と持ちかけるも、カウボーイらの視線に気づいたプロスペクターが言い繕うシーンがある。

 

ネットで調べると該当シーンが見つかったので、プロスペクターの台詞を引用する(拙訳も付記した)。

 

(プロスペクターが二人組のバービー人形を見ながら)

And so, you two are absolutely identical? 

それで、君たち二人は完全に同じなんだね?

You know, I'm sure I could get you a part in Toy Story 3.

君らも分かると思うけど、私は君らをトイ・ストーリー3に出演させることが出来ると思う。

 

(カウボーイらの視線に気づいたプロスペクターが言い繕って)

Oh, I'm sorry. Are we back?! Lovely talking with you. 

おお、ごめん。我々は撮影中の状態に戻っているのか?!君らと会話できて楽しかったよ。

Yes, any time you'd like some tips on acting, I'd be glad to chat with you. 

ああ、演技のヒントが欲しいなら、どんなときでも私は喜んで君らにしゃべるさ。

All right. Off you go then. 

いいよ。もう行っていいよ。

 

映画等のプロデューサーが(特に新人の)女優を自分の部屋に呼び、親密な関係(セクハラ行為の許容や、疑似恋愛や、肉体関係など)となることを交換条件に、映画等の役や契約をその女優に与えることを、キャスティングカウチというが、このシーンはキャスティングカウチを暗示したブラックジョークとなっている。

 

前述した記事を引用する。

 

最新作『トイ・ストーリー4』の公開を前に再リリースされたDVDからこのシーンが削除されているという。ディズニーはこれについて正式には発表していない。

ハーヴェイ・ワインスタインの事件をきっかけに起きたセクハラ告発運動「#Me Too」ムーブメントでキャスティングカウチの実態も明るみになったハリウッド。ワインスタインだけでなく、他の映画会社重役やプロデューサーが同様の行為をしていることを女優たちが語っている。ちなみにこのムーブメントの中でディズニーのプロデューサー、ジョン・ラセターもキャスティングカウチではないけれど、社員へのセクハラが告発されディズニーを退職するという騒ぎに発展した。

ディズニーアニメにこのようなシーンが登場するのは、『トイ・ストーリー2』が作られた1999年にはキャスティングカウチをジョークにしても問題ないと男性主導のハリウッドが考えていたことの表れ。それから約20年経ち、これが冗談ではないという考え方が浸透してきたよう。「ようやく」という感もあるけれど、ハリウッドのセクハラに関する意識は確実に変わってきていると言えそう。

 

 

「明るみになった」は「明るみに出た」という意味だろうが、「ディズニーアニメにこのようなシーンが登場するのは、『トイ・ストーリー2』が作られた1999年にはキャスティングカウチをジョークにしても問題ないと男性主導のハリウッドが考えていたことの表れ」というのは少し違うと思う。

というのもブラックジョークは批判や非難や風刺や告発の意義がこめられているケースも多いからだ。

このシーンで「I'm sure I could get you a part in Toy Story 3.」と語っているのが、作中で善とされる側のキャラではなく悪役であるという点、そしてカウボーイらの視線に気づいたプロスペクターが即座に言い繕っている点などから判断できるように、このシーンを制作したスタッフはキャスティングカウチを良くないこととして描いている。

つまり、本作のスタッフはキャスティングカウチを肯定したり笑い話として扱ったりするためにこのシーンを制作した訳ではない。

 

だが、或る空間や作品でブラックジョークが存在しうるか否かは表現の自由度に大きく依存する。

例えば、金正恩を風刺したブラックジョークを人ごみの中で語るという行為は、金正恩を非難しても政治的に弾圧されない日本や英国などの国では容易に出来るだろう。

しかし、そのようなブラックジョークを平壌の人ごみの中で語るとなれば話は別である。

このように、表現の自由度が低い空間ではブラックジョークが存在しづらくなってしまう。

ポリコレやキャンセルカルチャーの勢いが凄まじい米国では、現在と異なる時代に制作された作品に対して攻撃的な人が目立っており、表現の自由度が大幅に低下している。

このことは例のシーンが削除された要因の一つだと考えられる。

 

もう一つの要因は、大々的に報じられている事故や事件への自粛である。

例えば、2015年に「イスラム国」とみられるグループが日本人二人を拘束し、殺害を予告する事件が起こった。

この事件を受けて、フジテレビはアニメ『暗殺教室』第3話の放送を自粛した。

『暗殺教室』は謎の生物が担任教師を務める中学校を主な舞台とした作品である。

作中には中学生が暗殺目的で特殊なナイフを振り回す場面などがあり、こういったことが放送自粛につながったという。

記事にもあったように、2010年代後半は、ワインスタインの事件をきっかけに起きたセクハラ告発運動「#Me Too」ムーブメントでキャスティングカウチの問題に注目が集まっていたばかりかジョン・ラセターのセクハラ疑惑が報道されていた。

2019年の記事で米オンラインメディアのVoxが考察しているように、当時ピクサーがセクハラ関連のシーンに関して敏感になっていたのは確かである。

 

ブラックジョークのシーンの削除が2025年以降も続くのかは分からない。

ポリコレ等のウォーキズムに否定的なドナルド・トランプが再選したことを踏まえると、このシーンの削除がディズニー社で見直される可能性はある。

結局のところ、大きな事故や事件が起こったときに作中の或るシーンを自粛すべきか否かは、主に具体性で判断すべきなのではないだろうか。

ネットで安倍晋三銃撃事件の前に発表されたと思しき漫画を見かけたが、例えば、この漫画は「安倍晋三狙撃」という語句を含んでおり、具体的な人名が登場している。

政治家が狙撃されること自体は今も昔も数えきれないほど発生している訳だが、「安倍晋三狙撃」で連想される出来事となれば、やはり2022年7月に奈良県で発生した例の事件が多くの人々の脳内で真っ先に浮かぶであろう。

その一方で、削除されたブラックジョークのシーンはワインスタインなどといった人名を全く含んでおらず、本作のアニメーターたちがワインスタインらの問題を念頭においてこのシーンを制作したのかは不明である。

 

子供も見る作品であったとしてもブラックジョークは一定の範囲内であってよいはずだし、ワインスタインらの問題を直ちに連想させるシーンではない以上、このシーンを永遠に削除するのは過剰な反応であると考える人は多いのではないだろうか。