まんがこぞうのオモシロおかしい妖怪人間の館

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あまのじゃくでヘソまがりの妖怪人間
それが、まんがこぞう なのさ!

妖怪人間の


たわごと ひとりごと 



今日も 明日も


あさっても


そして今宵も


ものおもいにふける

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男でも、美容室に行く時代。

小生

床屋、理容室には少々こだわりがある。

数年前までは、

行きつけの床屋があった。

おばさんがひとりだけの駅からも離れ、

裏通りにあった、昔ながらの床屋だった。

まだブラウン管の時代だ。

ケースに入ったフランス人形?!が、

飾ってあり、

頭を洗うのも、席を替わらずそのままの席で、

前かがみで洗う、

昭和の香りのする、

腕前は確かなおばさんだった。

まっ、行きつけと言っても、

3ヶ月か半年、

長ければ1年行くか行かないかってなもんで、

ある日突然閉店していた。

それから、

いろいろと床屋、理容室、ヘアーサロンと、

行った。

しかし、これと言った床屋に当たらず、

最近は、1000円床屋ですましていた。

いかんせん小生、

肌が実に繊細で敏感。

駅前の理髪店で髭をそった時、

荒い仕事で、肌が赤くなり後が大変だった。

今回も緊急に髪を切らねばならなくなり、

1000円床屋ですまそうと思ったのだが、

駅前にある2店の店は混んでいたので、

あっそうだ!

裏通りに、行ったことがないがあったなと思い、

行ってみた。

外からのぞくと客は誰もいない。

まっ、ここでいいかと店に入った。

席は3席あったが、男の店員はひとり。

小生より、はるかに若い。

店長だろうか?

「いらっしゃいませ~」

しょっていたリュックを降ろし、

首にかけているタオルを置いて、

メガネをはずし、

すぐさま席に座る。

「今日はどうしますか?」

「おもいっきり短いスポーツ刈りで」

「はい」

さくさくと仕事がはじまる。

数分としないうちに案の定、

小生は寝た。

どのくらい時が経っただろうか?

次に声をかけられ、目を覚ました時、

「長さはどうでしょう?」と、

後ろから鏡をあてられた。

「あっ、はい大丈夫です」と言いながら、

実は小生、

メガネをはずすと、

ほぼ、何も見えないのだ。にゃははは~

そして、席を替わり頭を洗う。

前かがみではなく、美容室のように、

あおむけで洗うタイプだ。

綺麗に丁寧に、頭を洗ったのは何年ぶりだろうか?

そして、いよいよ元の席に戻り髭そりがはじまった。

むむむ

小生の肌の繊細さに気づいたか、

蒸しタオルに、

何度も泡をぬりながら、

丁寧に、丁寧に、髭をそっていく。

顔をそっていく。

顔をそるのは、1000円床屋にはないこと、

あおむけで、

ショリショリされるのは、

実に気持ち良く、心地よい。

まったく痛みを感じず、

そった後のクリームをぬっても、

肌がしみる事はなかった。

最後に仕上げをして、

頭と肩のマッサージ。

お見事!

なかなかの腕前。

メガネをかけて料金を払い、

周りを見渡すと、

ガンダムシリーズのプラモデルが、

かなり飾ってあった。

趣味なのか?

だが、気に行った。

こんどから、ここを行きつけの店にしよう。


さて、後日。

あの店は何て名前だっけと、

地図サイトで検索するも、

他店は出てくるのだが、

地図に名前が出てこない。

口コミにものってない。

まっいいか。

裏通りだが、よく通る道だし、

近くに寄った時、店の名前を見ればいいか。

と、

思いにふける、

今日この頃である。











親父の形見

ガラケーの古い型の携帯電話。

親戚に

「お前は携帯をもたないのか」と言われ、

おふくろに

「形見だと思って持って行って」と言われ、

この歳で、

携帯を持つことになってしまった。

携帯初心者の小生は、

扱い方がよくわからないので、

いじくりまわしていたら、充電マークが1本になり、

充電器つないで、

たった今、ピ~~~~と充電完了、マーク3本になった。

これからは、

この携帯電話が壊れるまで携帯することになる。



「親父を越えられない」と、

時折聞く言葉だが、

小生もそれが当てはまる。

小生の年齢のとり方と、

親父の年齢のとり方を比べるなら、

親父が小生の年齢のころ、

現役バリバリで働き、

後に残されることになる家族たちへ、

家や墓や、いろいろな大きなものを残してきた。

今の小生はどうだろう?

何かを残すどころか、

その日、その日に気ままに暮らす独身貴族。

常に身体を鍛えていた親父に比べ、

小生は、な~んにもしてないので、

ブクブクのポンポコ体系。

普通の人が乗っても大丈夫なところでも、

小生が乗れば、底が抜ける。

心も身体も責任も、男としての価値も何もかも、

越えるどころか、

近づいてもいない。

今更ながらに親父の背中。

偉大な巨壁を、

つくづく思い知らされる、

今日この頃である。








家庭の事情から復活して、

10日ほどたった。

2ヶ月間でなまりになまった身体は、

予想以上に動かなかった。

思ってか思わざるか、

上司が考えてくれた復活後のスケジュールは、

うまい具合に身体のリハビリになっている。

前回の半年休業した家庭の事情の時は、

何でもないところですっ転び、

後頭部を強打するなど、

普通に身体が動きだすのに半年かかった。

亡き親父が言っていた。

1日トレーニングを休むと、

元に戻すのに3日かかる。

1週間なら、1ヶ月。

1年も休めば3年かかると・・・

いわゆる今がその時。

今回は前回よりブランクが短かったためか、

若干ではあるが、

日、1日とカメの歩みのように、

動けているように思う。

だが、まだまだだ。

はやく普通に身体が動けるようにならねばと、

思いにふける、

今日この頃。合唱



たとえ家庭の事情といえど、

これほど長く休んでいながら、

普通なら、

とっくにクビになっていてもおかしくない。

だが、

役立たずのポンコツの小生に、

まだ帰る場所があった。

ありがたい!ありがたや~!

今回の長期にわたった家庭の事情に、

いろいろアドバイス、手助けをしてくれた

関係者の方々に感謝!

あたたく迎え入れてくれた、

あの方々、あの人たち、

そして、心やさしいあいつら達。

すべての人たちに感謝して、

あらためて、イチから出直し!恩返し!

少しくらい役に立つように、

頑張らねばだな。





3月27日

親父が逝った。


3月23日午後

親父 危篤の報を受け、

深夜バスに飛び乗り帰郷。


3月24日

早朝到着。

集中治療室に入っている。

重篤な肺炎により、

自発呼吸が出来ず酸素吸入器、

その他、

心電図など、もろもろの機器につながれる。

午後

一般病棟に移る。

シュゴ~シュゴ~

酸素をおくる音が響く。

意識はあれど会話は困難。

だが、

まだ、

呼吸の波形、心臓の波形は大きかった。


去年の秋

退院するも、

いつ容態が悪化するかは、

わからないと担当医は言っていた。


我が城に戻り、

容態は安定していた。


なんとか正月を迎え、年を越した。

だが、

2月の終わりから、

入退院を繰り返す。


3月の中旬に、

咳きこみがひどくなり再入院。

その時には、

すでに、手遅れだった。

両方の肺は機能を失っていた。


3月25日

担当医から、それほど長くないと、

余命を告げられる。

病室に帰って来た小生に、

親父は、かすかな声で、

「引導をわたされたか?」

「いや・・」

「ウソつけ!」

それが親父の最後の怒鳴り声になった。


3月26日

家族には肺炎と告げられるが、

小生は、

全身転移によるものとであると、

聞いていた。

午後

呼吸は荒くなり、

酸素を100で送れども、

身体にめぐる酸素量は70~80。

95以上が正常なのだそうだが、

すでに、

親父の身体は、

酸素を吸収することが出来なくなっていた。


夕方

眼は半開きになり、

意識は飛んだ。




今夜が山だと、

担当医が、

他の患者の手術中だからと、

担当医の上司から、

告げられた。

苦しみが長くならないようにしてほしい。

医者はそれに答えてくれた。


日付が変わり、

薬が効いてきたのか、

呼吸は楽になっていった。


徐々に呼吸の波形が小さくなり

そして、

波が消えた。

呼吸が止まった。

それでも、

心臓の波形は、

動いていた。


しばらくして、

心臓の波形が止まる。

同時に

半眼だった眼が閉じた。


逝った。


直後、担当医、看護師が病室に来て、

「残念です」

と、告げられた。

ドラマで見るワンシーンのように、

おふくろは、

親父にすがり泣き崩れた。


その後は、

淡々と慣れた手つきで、

死後の処置が施され、

霊安室に行き

迎えの車で家に帰った。


3月27日

逝ったその日のうちに

家族葬儀として

通夜。


3月28日

本葬。

骨になった。


日々おふくろは、

仏壇の隣に設けられた

小さな祭壇に念仏を唱えた。


週に1度、

逮夜法要を行い

5月中旬

49日目を終え、

墓に骨は収まった。


おふくろは、

床の間に親父の写真を飾り

毎日語りかけている。


孝行したいときに親はなし


身にしみる



あれやこれやと後悔ばかり。


親不孝ばかり、

なにひとつ親孝行出来ぬまま、

親父は逝った。


71歳。


祖父は81歳

親父は71歳

ならば、

小生は61歳か・・・


笑えない冗談だろうか・・・



















親父の容態が急変した。

今、集中治療室に入ったとのこと。

いよいよか・・・
やれやれだ。

退院したばかりなのに、

また、親父が入院した。

膀胱炎だというが、

おそらく転移した影響、

膀胱に悪癖が出来ている。

そう考えるのが自然だろうか・・・

写真、写真としつこく言ったので、

写真が添付されてきた。

1月の終わりに緊急帰郷して、

あった時にくらべ、

やせ細っている。

おふくろは、心配ないと言うが、

おそらくは、医者からは真実を知らされている、

だからこそ、

小生に心配させまいと、

気を使わせまいと、

気丈に振る舞っているのだろう。

このまま、入退院を繰り返すのだろうか・・・



昨日のメールに、

親父の写真が添付された。

見た目では、

そこそこ調子が良さそうだが、

通院は永遠に続くようだ。

しかし、

いやな予感はぬぐえない。

ホントに現在の写真なのだろうか?

もしかして・・・

いや、そんなことは無い、

そんなことはあるものか!

小生の親父は、

そう簡単にくたばるはずが無い。

くたばられてたまるものか!

メールが来た。

帝国劇場で事故が起きたというもの。

関係ない!

さらに言うならば、

○○○なら、遅かれ早かれ、

こうなることはわかっていた。

劇場の不手際というより、

○○○の日頃の行いが悪いからだろう。

昔、○○○の舞台についたことがあるが、

最悪だった。

何様のつもりか知らないが、

上から目線で、偉そうに演出する、

○○○の演出家○○○にイラついた。

さらに言うなら、

ろくすっぽ稽古もせず、

その場の思いつきで演出つけて稽古するから、

ちっとも先に進まない。

だから、真夜中まで稽古しても終わらない。

ダンスは女性ダンサーの方が、

○○○より遥かに上手い!

歌は口パク、芝居は三文芝居。

よくこれで銭が取れるもんだと呆れ、

こんなもんに1万5千円も払えるもんだと、

わざわざ観に来る○○にも呆れる。

なので、○○○がどうなろうが、

知ったこっちゃない!

関係ない!

それよりも親父のことだ。

言うまいと思っていたが、

写真を送れと言ってしまった。

退院しても、通院生活は変わらないそうだ。

が、

猛烈に悪い予感がするのはなぜだろう?

取り越し苦労なら良いのだが、

小生のネガティブ予感は現実になりやすいのだ。

ホントにタダの取り越し苦労であってほしい。





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