親父 逝く | まんがこぞうのオモシロおかしい妖怪人間の館

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3月27日

親父が逝った。


3月23日午後

親父 危篤の報を受け、

深夜バスに飛び乗り帰郷。


3月24日

早朝到着。

集中治療室に入っている。

重篤な肺炎により、

自発呼吸が出来ず酸素吸入器、

その他、

心電図など、もろもろの機器につながれる。

午後

一般病棟に移る。

シュゴ~シュゴ~

酸素をおくる音が響く。

意識はあれど会話は困難。

だが、

まだ、

呼吸の波形、心臓の波形は大きかった。


去年の秋

退院するも、

いつ容態が悪化するかは、

わからないと担当医は言っていた。


我が城に戻り、

容態は安定していた。


なんとか正月を迎え、年を越した。

だが、

2月の終わりから、

入退院を繰り返す。


3月の中旬に、

咳きこみがひどくなり再入院。

その時には、

すでに、手遅れだった。

両方の肺は機能を失っていた。


3月25日

担当医から、それほど長くないと、

余命を告げられる。

病室に帰って来た小生に、

親父は、かすかな声で、

「引導をわたされたか?」

「いや・・」

「ウソつけ!」

それが親父の最後の怒鳴り声になった。


3月26日

家族には肺炎と告げられるが、

小生は、

全身転移によるものとであると、

聞いていた。

午後

呼吸は荒くなり、

酸素を100で送れども、

身体にめぐる酸素量は70~80。

95以上が正常なのだそうだが、

すでに、

親父の身体は、

酸素を吸収することが出来なくなっていた。


夕方

眼は半開きになり、

意識は飛んだ。




今夜が山だと、

担当医が、

他の患者の手術中だからと、

担当医の上司から、

告げられた。

苦しみが長くならないようにしてほしい。

医者はそれに答えてくれた。


日付が変わり、

薬が効いてきたのか、

呼吸は楽になっていった。


徐々に呼吸の波形が小さくなり

そして、

波が消えた。

呼吸が止まった。

それでも、

心臓の波形は、

動いていた。


しばらくして、

心臓の波形が止まる。

同時に

半眼だった眼が閉じた。


逝った。


直後、担当医、看護師が病室に来て、

「残念です」

と、告げられた。

ドラマで見るワンシーンのように、

おふくろは、

親父にすがり泣き崩れた。


その後は、

淡々と慣れた手つきで、

死後の処置が施され、

霊安室に行き

迎えの車で家に帰った。


3月27日

逝ったその日のうちに

家族葬儀として

通夜。


3月28日

本葬。

骨になった。


日々おふくろは、

仏壇の隣に設けられた

小さな祭壇に念仏を唱えた。


週に1度、

逮夜法要を行い

5月中旬

49日目を終え、

墓に骨は収まった。


おふくろは、

床の間に親父の写真を飾り

毎日語りかけている。


孝行したいときに親はなし


身にしみる



あれやこれやと後悔ばかり。


親不孝ばかり、

なにひとつ親孝行出来ぬまま、

親父は逝った。


71歳。


祖父は81歳

親父は71歳

ならば、

小生は61歳か・・・


笑えない冗談だろうか・・・