まんがこぞうのオモシロおかしい妖怪人間の館 -2ページ目

まんがこぞうのオモシロおかしい妖怪人間の館

あまのじゃくでヘソまがりの妖怪人間
それが、まんがこぞう なのさ!

退院したと、嬉しいメール。

ひさかたぶりに、我が城でくつろいでいるそうだ。

が、

どうにも、違和感がぬぐえない。

まさか、

顔に白い布がかかっているんじゃないかと、

妙な不安が心をよぎる。

メールに写真がない。

写真を送れと言うべきか・・・

いや、やめておこう。

それならそれで、

受けとめる覚悟は出来ている。

今は、

そうなのだと、メールを信じることにしよう。

終戦直前に生まれた親父は、

ものごころが付く前に、

母親を亡くしている。

母親の愛情を知らず育った。

上の3人の姉が母親代わりだったとか。

また、

小生の下には生まれてすぐ死んでしまった、

弟がいた。

幼少時代の小生はきかん坊で、

親を困らせ、その心労がたたって早産。

昔の事と田舎だったこともあってか、

自力で乳を飲む事が出来ず、

親の愛を知らず旅立った。

三途の川を渡ることなく、

賽ノ河原で、ひたすら石を積み、

40数年、誰かが迎えに来てくれるのを、

待っている。

だが、今しばらく

親父を迎えに来るのは待っていてほしい。

でもな、

万が一の時は、

道に迷わないように迎えに来てほしい。

そっちで、長い間待っていた分、

たっぷりと親父に甘えてくれ、

親父も顔を覚えていない母親に、

甘えたいだろう。

だが、何度も言うが、

今しばらく待ってくれ。

今逝ってしまうと、おふくろがせつなすぎる。

だから、

まだ迎えに来ないでくれ。



きのうのメールを鵜呑みにすれば、

明日、退院なのだが、

小生、元来素直に物事をとらえることが出来ない。

1年前の入院で、

有給はすっからかん。

3月が仕事が立て込む月。

それを知っているだけに、

まさか・・・・

それは無いと信じたいが、

いつもの近況報告なら、

写真付きなのだが、

再入院してからのメールには、

写真が無い。

だけに、そんなことはないと思うが・・・

実は・・・なんてことは無いようにと、

小生の、いつもの、

ネガティブな深読みであってほしい。

嬉しい知らせあり。

状態はよくわからないが、

とりあえず、退院するそうだ。

よかった!よかった!

病院なんぞでくすぶっているより、

我が城で自由気ままに、

呑気に暮らした方が良いに決まっている。

万が一のことがあっても、

味もそっけもない病院のベットより、

我が城のほうが悔いはないはずだ。

悪いが、

まだ、まだ、

お迎えは待ってもらおう!
今日は何の連絡もない。

昨日のメールに、

「看護師に私には見せたことがない笑顔を見せていた」と

看護師に嫉妬していたようだが、

いいことじゃないか!

男としての正常な反応だ。

「女房焼くほど、亭主モテもせず」

看護師に愛想好く出来るのは、

元気な証拠。

このまま良くなってくれれば良いが、

そうもいくまいか・・・

結局、1年前に逆戻り。

元の木阿弥。

せめてもう一度、

我が家に戻れればと祈る思い。

強い痛み止めが無ければ眠れないらしい。

点滴や飲み薬ではどうにもならない時は、

注射をする。

注射ならすぐに痛みが緩和するのだが、

一日に使える回数が限られている。

身体に負担がかかるというより、

看護師の話では、

「麻薬と同じようなものなので、

注射を打ち続けると、これがないと痛みが抑えられなくなる」

らしい。

今も点滴で痛みを抑え続けているそうだ。

今更ながら、

手術がもう少し早ければと思うが、

場所が場所だった。

胆管下部に悪種が見つかり、

その悪種が壁になり胆汁が流れなくなった。

本来、数ミリしかない胆管が太くなり、

流れないで溜まっていく胆汁を排出すべく、

鼻から管を入れて排出することになったが、

その時、膵臓が何らかの影響を受けたのか、

膵炎になってしまった。

たしかに、

管を入れる前の内科医の説明に、

この処置は膵炎になる可能性があると言っていた。

これがやっかいなのは、

膵臓が炎症を起こし、

膵液が漏れだすというもの。

そのため腹を開くことが出来ず、

入院をしてから手術するまで2カ月半も待つことになった。

管を入れてから、

約3カ月、

絶食、絶飲が手術が終わり落ち着くまで続いた。

膵炎にさえならなければと、

今更ながらに思えども、

他の臓器に出来る悪種より、

胆管という場所に出来た悪種を取りだすのは、

難しい手術のひとつ。

実際、胆管周辺の臓器を、

ごっそり取り除いた。

大腸も一部腐っていたらしく、

一部を切って大腸をつないだが、

つないだ場所から内容物が体内に漏れ出し、

2度目の手術となる。

3度腹を開けることは困難と判断され、

大腸は穴が開いたままの処置。

人工肛門となってしまった。

これに関しては本人がイチバンショックだったようだ。

その昔、

借家暮らしで、

風呂がなかった。

ならばと、お国のための仕事で培った力で、

五右衛門風呂を作った。

便所が外にあり不便ならばと、

部屋からつながる道と屋根を作った。

小生が生まれた時、

近所に負けてなるもんかと

借家の庭に3階ぐらいの高さの

ぶっとい竹を立てて、

鯉のぼりを上げてくれた。

吹き流しと、黒い鯉と赤い鯉、

中学になるまで大きな鯉のぼりは、

泳ぎ続けた。

意地と根性は、

ハンパなかった親父は、

今、

耐えがたい痛みと戦っている。

若いころからの意地と根性で、

どんな状態でもいいから、

生き抜いてほしい。











今日はまだ何も連絡がない。

いくら強い痛み止めを使っても、

全身に転移した悪種が消えるわけじゃない。

もういいじゃないか、

楽にしてやれば・・・

とんでもない、

簡単に諦めさせない、

意地でも悪あがきをしてもらう。

そういう生き方をして来たんだ。

遊び人だったわけじゃないが、

若いうちは、なかなか定職につかなかったそうだ。

頑固で気の短い性格がそうさせたのだろうか、

その性格を小生は受け継いでいるようだ。

だが、小生が生まれてからは、

お国のための仕事について定年まで戦い続けた。

中卒であったが、

家族のために身体を張って、働きに働いて、

一城の主になった。

先祖代々の墓石も立てた。

バカボンの小生を高校まで出してくれた。

71歳

これから老後の楽しみを満喫するはずだった。

病に倒れた70歳の冬。

入院中に71歳を迎え、

それでも、なんとか我が城に戻り正月を迎え、

まだまだこれからという時に、

再入院。

少しばかりではあったが歩くことが出来ていたのに、

また寝たきり・・・

周りも悔しいが、

本人が一番悔しいはずだ。


強い痛み止めで、

小康状態にあるとメールがあった。

一安心と言いたいが、

おそらく、

小生に心配をかけさせないための強がりだろう。

最初の入院時に半年仕事を休み、

実家に帰っていたが、

2月の終わりに入院して、

2度の手術。

そもそもが、

術後1年後の生存率が3割を切る病だった。

感染症にもなり、

病室を別にされ、

8月を前にしても退院の目処が立たず、

8月に仕事に復帰した。

再入院で、

もう、おそらく真実に気がついただろう。

親と子が、

お互い知っているのに知らないふりをして、

気を使う。

何とも言えない日々だ。







再びの入院。

いよいよカウントダウンが始まったようだ。

そもそもが難しい場所に出来た悪種。

術前から、内科医と外科医がぶつかり合っていた。

「すでに転移していると思われる開けても無駄」だと、

内科医は言った。

「CTには、転移らしき陰影があるが、

これが転移だとは思えない、やりますか?」と、

外科医は言った。

当然、手術を選択。

手術は膵炎を併発していたこともあり、

膵炎が治まるのを待ったため、

悪種がみつかってから2ヶ月後だったため、

癒着がひどく困難をきわめ12時間以上かかった。

その後、

大腸が破れていることが分かり再び手術。

2度にわたって腹を開いた。

そのため長期の入院となった。

年を越す前に退院したが、

その時すでに転移していることを小生は聞いていた。

一時、家に戻り調子も好くなっていたが、

ここにきて、痛みがひどくなり再入院した。

CTを撮るまでもなく、

検査の数値で全身に転移していると、

小生だけは、外科医から聞かされていた。

小生だけは、

いつどうなってもおかしくないと聞かされていた。

小生以外この真実を受け止められる者がいないと、

小生が独断で判断して、

真実は小生だけにと外科医に伝えていたからだ。

しかし、

外科医は、

「CTの映像を見れば、これは何だと聞かれる」

小生は、

「とぼけてください」と言った。

「私はウソはつけません」と、

外科医は言った。

どうにもならなくなったら、

真実を伝えることを条件に、

小生は納得せざるを得なかった。

今回の再入院で、

真実を知ることになるのだろうか?








ものごころついたときには、

という人もいれば、

若くしてという人もいるだろうか。

この年になれば、

遅かれ早かれこういう日が来る。

今までは、まるで対岸の火事。

自分には関係ないものだと高をくくっていた。

だが、いざ自分がその立場に立った時、

腹をくくる覚悟は簡単にはつかなかった。

しかし、

いつ何時どうなるかわからない。

毎日が落ち着かない・・・・

家庭の事情。


田舎に比べれば、


たいしたことの無い雪に、


あまりにも脆過ぎる交通機関。


体調も


まだ、完全とは行かないが、


連続的な雪に、


少々体力を奪われる。


朝、覚えのない筋肉痛で、


目を覚ます。


そうか!


すぐにピンと来た。


雪の中をガツガツ歩いたせいだ。


最近、特に感じる。


体力の衰えがハンパない。


もうちょい、体調が良くなったら、


壱から体力を作りなおそうか?


・・・・・・・・


な~んてな事を何度考えたことか?


やるなら、とっくにやっておる。


その気が無いから、


どんどん体力が落ちて行く。


こまったもんだ。