退院したと、嬉しいメール。
ひさかたぶりに、我が城でくつろいでいるそうだ。
が、
どうにも、違和感がぬぐえない。
まさか、
顔に白い布がかかっているんじゃないかと、
妙な不安が心をよぎる。
メールに写真がない。
写真を送れと言うべきか・・・
いや、やめておこう。
それならそれで、
受けとめる覚悟は出来ている。
今は、
そうなのだと、メールを信じることにしよう。
終戦直前に生まれた親父は、
ものごころが付く前に、
母親を亡くしている。
母親の愛情を知らず育った。
上の3人の姉が母親代わりだったとか。
また、
小生の下には生まれてすぐ死んでしまった、
弟がいた。
幼少時代の小生はきかん坊で、
親を困らせ、その心労がたたって早産。
昔の事と田舎だったこともあってか、
自力で乳を飲む事が出来ず、
親の愛を知らず旅立った。
三途の川を渡ることなく、
賽ノ河原で、ひたすら石を積み、
40数年、誰かが迎えに来てくれるのを、
待っている。
だが、今しばらく
親父を迎えに来るのは待っていてほしい。
でもな、
万が一の時は、
道に迷わないように迎えに来てほしい。
そっちで、長い間待っていた分、
たっぷりと親父に甘えてくれ、
親父も顔を覚えていない母親に、
甘えたいだろう。
だが、何度も言うが、
今しばらく待ってくれ。
今逝ってしまうと、おふくろがせつなすぎる。
だから、
まだ迎えに来ないでくれ。