朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -38ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

薬研温泉から出発して最初の目的地は大間。


ところで、世の中には一定数の目的地に着くことが目的であって、それで満足する人がいる。例えば足立の爺ちゃんは京都で「知恩院に行きたい」というので連れて行ったら、三門を眺めて「次はどこへ行く?」と聞いてきた。伊豆半島に行って「何時間で廻って来たよ」とその時間の短さを誇る人もその類。


大間に行きたいと言ったのは元校長先生だったが、大間に着いても車から降りずに満足し、次に行こうと行った。それで実際に車は大間に停車することなく通過したので、画像すらない(爆)。


弁慶は芸能プロダクションに所属しているという、大間の鮪漁師のキャラクターグッズ欲しかったのになあ(爆)。



なんでもない場所の駐車場に止まった。海が綺麗だ。先を急ぐ。



仏ヶ浦展望台からの仏ヶ浦。すごい眺めだ。


展望台駐車場から下ったところにある仏ヶ浦駐車場からは往復で徒歩1時間。さらに先に行ったところに遊覧船の発着場があって、そこからなら上陸含めて1時間半で散策できる。


だが先を急ぐ(爆)



あ、そうだ。駐車場にあった下北かるた巡りの看板。



次に止まったのは、道の駅 かわうち湖。



昼食のつもりで寄ったのだが、空腹にはほど遠くソフトクリームだけ食す。



黒豆ソフト旨し!



宇賀焼は、川内にあった地名、宇賀から名付けられた陶器で、販売されてもいた。



下北和紙人形は展示だけで、販売はなかった。弁慶は、むしろこっちが売っていたら買いたかった。



それにしても、むつには風力発電所がたくさん建っている。


さて、レンタカーのプリウスは途中でなにかを引きずる音がしだして、慌てて下回りを覗くとオイル交換用のアンダーカバーの開閉口が外れかけていた。


正津川沿いを登って行った時に、足にぶつかった影響である。これはLAWSONで布テープを買って応急処置をした。


これも画像はない(笑)。


そうこうしているうちに、八戸に戻り、昼飲み出来る店を探したのだが、



ホウリン はちのへキッチン

0178-70-2712

青森県八戸市尻内町字館田1-1 ホテルメッツ八戸 3F

https://tabelog.com/aomori/A0203/A020301/2012233/


ほとんどの店が17時にならないとオープンしないので、選択の余地はほぼなかった。



八戸ラーメン。検索するともっとコッテリ系の物が出てくるが、こちらの八戸ラーメンはすごくあっさりだった。これはチャーシュー麺である。



最後に駅に隣接するユートリープラザで祭の展示物を見たり、



土産を物色して、新幹線で寝て帰ったよ。かなり肥えた。


ね。



部屋に戻ってトランプを始める(爆)。毎回持ってくるO氏は、これがないとみんなすぐ寝ちゃうからだというが、確かに暇つぶしにはちょうど良い。種目はドボン。


内線で食事を告げられ、食堂に向かうと

女将「食べられるか不安だったでしょう」というから、それはそれは不安だったと伝える。

女将「街まで10分ですっ飛んでいって揃えて来た」という。


後になって地元の飲み仲間の女子が以前ここに泊まり、女将に恐山まで迎えに来てもらったことがあると聞いたが、それはそれは顔が引き攣るほどの勢いで山を降ったそうで(爆)、あながち大袈裟ではないらしい。



ウニとアワビしゃぶしゃぶのWセット付き4名以上、14,600円のコースが無事履行された図(爆)。



改めて、鮪、ハマチ、ウニ、アワビ、ついでに牛蒡の図。


まずはビールで乾杯なのだが、ウニは絶対ビールのうちは食うなと女将の指令があって、次に日本酒へと移行。その他のアルコールは置いてなかったし。

自販機もなかったので、飲料各種は持込が肝要かと思われる。詳しくは現地確認の上、各自の判断で行ってください。

夜は再びトランプ。種目はナポレオン。


さて、朝は早起きなのは、老人の証。



今更ながら客室の説明をすると、写真奥の右側に1.2.3.5.6.7と部屋が並んでいる。左には共同の洗面所、トイレがある。写真を撮っている場所が突き当たりにあたる10号室。浴室は1号室から左に向かった方向で、浴室の手前左に8号室があり、翌室の先には食堂、さらに右に曲がるとフロント。何故か逆側から説明してるが(爆)。


風呂に入ってから、散歩に外出。



薬研共同駐車場と丑湯の里休憩所


丑湯というのは、どこから出てきたのかわからないんだが💦



周辺図。周辺にある国設薬研野営場とかかっはの湯などが記載されている。左の木の株は「樹齢300年」とだけ掲示されている。



閉館となっているホテルニュー薬研。



こちらは晃山樓という旅館だったが、現在は日帰りの温泉に改装したという施設のようだ。



遊歩道



トチノキ



トイツトウヒの実かな



フキが茂って椅子を埋めてしまうかのよう。


散歩の後はまたまたトランプで待つ。種目は7並べ(爆)。



鍋はわらびの卵とじ。魚は秋刀魚。白いうどんのような物はタコの頭をスライスした物。その左はとんぶり入りのとろろ。とんぶりとは、ホウキギの実である。



ナミノコガイは、あまり獲れなくなってしまったので、滅多に出てこない味噌汁の具なのだとか。アサリくらいの大きさで、実はアサリよりしっかりした食感がする。


美味しかったので、三杯食べた。


ね。




最後に温泉に入る。その為に途中のLAWSONで持ってくるのを忘れたタオルを買ったのだから。



薬師の湯


泉質 硫化水素含酸性緑ばん泉

泉温 74.4℃



恐山には薬師の湯、古滝の湯、冷抜の湯、花染の湯とあるが、地蔵堂の前にあるのは、花染の湯以外の3棟である。花染の湯は混浴であるが、その他は入替のようで、この日は右側の薬師の湯が男湯で、左側の2つは女湯と掲示されていた。



笹濁りの熱めの湯である。掛け流しだが、もともとの源泉は高温なので、湯船に至るまでに何らかの方法で適温に落とされている。酸性の数値はわからないが、玉川温泉のようなピリピリするほどではない。ちなみに見ての通り、風呂桶以外、何もない。


手前の方が熱くて、奥は適温。良い湯であった。


さて、恐山温泉も入り時刻は午後5時を廻っているので、そろそろ宿へと向かうことにした。


この日予約したのも、また別の温泉のある旅館である。



薬研温泉 薬研荘


現在、薬研温泉で宿泊できるのはここだけのようである。



お寺みたいに木の板を木槌で叩いて呼び出すと

「はーい」と女将が登場。


弁慶「予約した弁慶ですぅー」

女将「弁慶さん???牛若丸さんじゃなくて、弁慶さん???。楽天?」

弁慶「あー、えーとホームページで直接・・・10号室で予約したんですが・・・」

(沈黙)

女将「みっちゃーん、とりあえず10号室案内してー」

み「○○さんは」

女将「別の部屋に回すから」

女将「コースは何?」

弁慶「ダブルなんとかだったと・・・」

遠ざかる我々の背中に聞こえたのは、

女将「あ!メールあった。」

という声。


とりあえず部屋へは入れるらしい😓。予約も確認出来たらしい😓。でも、晩飯、大丈夫かな😓


「晩御飯は6時半です」と、みっちゃんは去って行く。



とりあえず風呂入るかぁと。


男湯、女湯みたいな暖簾だが、基本的に貸切スタイルで運用。使用していない時は、このように開放されており、使用中はドアが閉じていて、外にスリッパが置いてある状態になる。



青い暖簾の掛かった方は、すこし温めだというので、まずはそちらに。源泉掛け流しである。湯口から静かに投入され、左下の水路から溢れて流れて行く。



源泉名 薬研1号泉

泉質 単純泉(低張性弱アルカリ性高温泉)

泉温 47.7℃

pH 7.5


薬研温泉は豊臣方の落武者、城大内蔵太郎が発見し、その湯口が薬を作る薬研台ににていることから薬研温泉と命名されたと伝わる。江戸時代の初めあたりということか。


城大内蔵太郎については不明だが、城氏といえば、埼玉の熊谷には徳川に仕えた城氏がいたが、こちらは桓武平氏の流れらしい。一方、熊本にも城氏があって、藤原北家を祖とする。こちらは豊臣秀吉に仕えたらしいので、その一族なのだろうか。


ちなみに奥薬研温泉という温泉もある。そちらには恐山を開山した時に円仁さんが大怪我をしたようで、その時に河童に助けられ、その時に浸からさせてもらい傷を癒したという「かっぱの湯」があるのだが、こちらは恐山開山まで遡るから862年ということになる。残念ながら、今回はこちらには立ち寄っていない。



こちらは赤い暖簾の掛かっていたほうで、やや熱めということだったが、そうでもなかった。造りが対照的なので、両方の湯口が背中合わせにあることになる。



ちなみに脱衣所である。恐山にも三途川にも近いが、奪衣婆は居なかったので安心して入浴できた。


しかし、残された問題を忘れてはいけない。そう、夕食である。


ね。




恐山は日本三大霊場である。比叡山、高野山、そして恐山なのである。



再び、ここから。まずは菩提寺の山門を潜る。



山門を潜ると境内の真ん中を参道が通り、左右に湯屋が建っている。右に男湯、左に2棟の女湯だった。右手に見えるのは寺務所。御朱印はこちらで頂く。



曹洞宗 釜臥山 菩提寺 地蔵堂


鳥居は無いが左右に狛犬がある。菩提寺は862年、天台宗の僧侶、円仁さんが創建した。あの山寺も、あの中尊寺も、毛越寺も作った凄い方である。


円仁さんは鵜に導かれてこの地に来て地蔵菩薩を祀ったのだという。しかし、その後、荒廃してしまった。そこで、曹洞宗の僧侶、聚覚が南部氏の支援を受けて円通寺を建立し、菩提寺を中興し、宗派も曹洞宗へと改宗した。


その円通寺はむつ市内にあって、現在でも菩提寺の本坊である。


本尊は地蔵菩薩で、この地蔵堂に安置されている。



次に奥の院 不動明王を訪ねた。坂道を上って行かねばならないが、厄除、魔除といえばやはり不動明王である。色々あったので、まずは不動明王。



不動明王をお詣りして戻る坂の途中からの大師堂。



無問地獄



金堀地獄



重罪地獄



慈覚大師堂。祀られている慈覚大師は円仁さんが亡くなられてから贈られた大師号である。堂と言っても壁はない。その中央に大師像が安置されている。



大師説法之地



慈覚大師坐禅石



八葉地蔵菩薩



血の池地獄


観光の為に赤い食紅を投入するらしいが、この日は透明であった。



八角円堂



極楽浜


この酸性の湖には、ウグイなどわずかだが生息しているそうだ。


静寂。恐ろしいほど静寂。



五智如来から観た宇曽利湖



小高い場所にある五智如来


その他、奪衣婆と懸衣翁、太鼓橋、六地蔵などは画像にない。


各々、細かい説明はないので、その謂れなどわからないが、恐山は元々は宇曽利山と呼ばれていたようだ。「うそり」はアイヌ語の入江をさすウショロからの変化ではないかと推測されている。さらにウソリがオソレと変化し、現在の恐山となったのではないかという。


宇曽利湖はカルデラ湖であり、菩提寺のある盆地を含めて半径4キロのカルデラの中にある。現在でもあたりには硫黄臭が立ち込めている。



このように硫黄が吹き出している場所がいくつもあり、そこも境内。すごい。


ね。


日本一周してみたいなあ。



菜の花ソフトである。



帆立丼である。


その日、弁慶はハマに居た。ハマといえば横浜である。道の駅よこはま「菜の花プラザ」。


道の駅 よこはま 菜の花プラザ

0175-78-6687

青森県上北郡横浜町字林ノ脇79-12 

https://tabelog.com/aomori/A0204/A020402/2004567/



日本一周中のHさんと出会った。ここはハマだから湘南ナンバーなのである。お気を付けて、楽しい旅を続けてください❗️



問題はここからである。八戸で借りたプリウスは旧型だったのだが、そのナビもたぶんデータが古かったのだと思う。



本来はこのルートのはずなのだが、恐山寺務所を目的地としてセットし、むつ市を走っていると道路表示で左折するべき交差点でも直進を指示してくる。「そういえばセットした時に規制がある区間があるので、迂回するルートを設定するとか言ってたな。」ということで、ナビに従い走って行くと、ぐるっと太平洋側に回されているようだ。



遠回りだが、しかしながらナビの言う規制の件あるので、規制があるのなら仕方がないなあと素直に進んで行った。


やがて、いよいよ左折の指示がでて、恐山方向に曲がった。もう少しだなあと走って行くと、なぜかルートはダートになった。


「まじか、ダートなのか!」。


でもしっかり青い導線は目の前の道をなぞっている。元々そんな道ばかり走っていた経歴を持つ弁慶だから、そんなこともあるのかなぁと精神的には全く動じることもない。


尚も進むと石がゴロゴロ、轍は深い。とはいえ、走れない道でもないのでまだも進むと、下回りが石に当たり出すし、それを避けようと轍をまたぎたくても左右からは草が覆い茂りそれも困難になり始めた。やがて落石箇所があって、それは越えられるだろうが、それを超えると戻れないかもしれないと思った。


状況を確認しようと、ナビの行先を確認すると、ルートを示す青い導線が、目的地の恐山寺務所に至るまでの最後の区間で途切れている。これは明らかにおかしいだろ(爆)。まあ、普通の人はダートに入ったあたりで疑問を待つのかもしれないが💦。



あとで調べてみると我々がナビに導かれたのは右上から恐山に向かう川沿いの細い道であった。そして、この川は正津川という川であるのだが、上流部は三途川と呼ばれているそうである。


この状況に恐山はもしかしたら我々が来るのを拒んだのかなとは思っていたが、それどころではないのだろうか。と考えると恐ろしくなるので、レンタカーのナビが把握している段階では、この地図にある4号線がどちらとも通行止めだったと思うことにする!


さて、現地に戻る。乗員3人は弁慶を残して前方へ斥候に出てしまってしばらく帰ってこない。ひとりぼっちでなんとも心細い弁慶であったが、後退に備えて後方へと徒歩で調査にでかけた。すると50メートルほど後退すれば、なんとか切り返せるのではないかと状況が確認できた。


そうしているうちに3人は帰還して予想通り前進不可能ということになった。あとはひたすら先進と後進を繰り返し方向を調整しながら切返しポイントまでバックし、無事に戻れたのだった。これにより1時間以上ロスしたのだが、16時には恐山に到着できた。恐山の参拝時間が6時から18時と長かったことで予定の変更をせずに済んだ。


せっかくの場面ではあるが、余裕もなかったし、なんか映っていると怖いので撮影はしていない(爆)。



菩提寺 山門


念の為に宿には遅れる旨、連絡をすると「どんなに遅くなっても6時半には到着します。なぜなら恐山は6時で閉まってしまうからです。」という謎めいた返事が返ってきたのであった。


ね。



境内の真ん中を参道が通り、左右に湯屋が建っている。右に男湯、左に2棟の女湯だった。



本堂。鳥居は無いが左右に狛犬。



まずは奥の院の不動明王を訪ねた。坂道を上って行かねばならないが、厄除、魔除といえばやはり不動明王である。



大師堂



無問地獄



大師堂。ということは、祀られているのは慈覚大師円仁さんである。









血の池地獄