朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -39ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

最近の食生活、肉が減った。



居酒屋わ


カブト焼き。カマとかカブトとか、頭の部分は裏メニュー的にリーズナブルな価格設定で良く食べる。



蕎麦一茶 本店


蕎麦。ここの蕎麦は喉越しなどないが、風味がある。カテゴリーとして蕎麦で良いのかはちょっと微妙だとは思うが、良く食べる。



某蕎麦屋


親子丼。出張で袋井に行った時の昼食。袋井市ではありません。食べログに親子丼の鶏肉が美味しかったと書いてあったが、想像と違う丼が出てきた💦。



とろろ本丸


自然薯と鮪の刺身の定食。その名も「鮪」。



自然薯は山から掘ってきたものではないにしろ、美味しかった。近所なら通いたい。



ワインとアテ SAQRA


オレンジとチョコレートのミード(ハチミツ酒)



同、鯵とカブのマリネ、生ハム、なんとかハム(忘れた)。



同、フランスの白ワイン(忘れた)



同、青唐辛子のフリッタータ。久しぶりすぎて、新年のご挨拶された💦



蕎麦一茶 動物公園駅店


季節限定の、春だけ蕎麦。かなりのボリューム。



NINOKURA


本格的スーさんカレーの日。手前は辛いのの単品、奥は3種。次回は8月以降らしい。


あぶない刑事とかいくつか観に行きたいが、都合がつかない。


おまけに喉が痛くなり(日曜日夜)、咳が出て(火曜日朝)、熱がでた(火曜日午後)。もうそれだけでコロナだから来るなとかバイ菌扱いになるので、薬局で抗原検査キット買ってきて検査したけれど、陰性だったから。


ね。



富山に到着。ここで新幹線乗り継ぎまでに3時間程度の余裕を作った。



富山城


1954年(昭和29年)4月11日より富山城跡の敷地一帯で富山産業大博覧会が開催され、鉄筋コンクリート構造による模擬天守が記念に建てられることとなり、1953年(昭和28年)7月5日に着工、翌1954年(昭和29年)4月3日に完成。この模擬天守は同年11月17日より富山市郷土博物館として運営が始まった。



城好きな芸妓さんは、鉄筋コンクリート造だとガッカリすると言ってたが、富山城も老朽化で建て直す計画なども持ち上がっていたようだが、結局耐震補強を施して今に至っているし、国指定重要文化財ともなっている。富山の景観において重要だという理由なのだそうだ。



ここが郷土博物館の入口である。展示内容としては中世から近現代までの富山城の歴史など。



鉄筋コンクリートなので、天守閣へも安心して登れる。



展望は良いが正面の大木に大量のサギが巣を作っていて、臭い。



千歳御門は、もともとは1849年に10代藩主、前田利保の隠居所として建てられた千歳御殿の門であった。千歳御殿は消失してしまったが、この門はここへ移築される時の解体工事で、柱に書かれた年号から当時の物と断定された。



佐藤記念美術館


なんとなくこちらの瓦の色のほうが雰囲気あって好きだが、茶人であった故佐藤助九郎氏を中心に財団法人佐藤美術館として開館し、現在は市に寄贈された。佐藤家の所蔵品であった絵画、墨蹟、陶磁器などと、茶室が移築されている。



城のすぐそばの松川の遊覧船。これは以前、黒部の帰りに乗って楽しかった。


その黒部の帰りに寄った寿司屋さんだが、行ってみると本日の受付は終了しましたと書いてあったので、次の候補のとやマルシェの寿司屋さんへ。



廻る富山湾 すし玉 富山駅店

076-471-8127

富山県富山市明輪町1-220 きときと市場 とやマルシェ

https://tabelog.com/toyama/A1601/A160101/16007295/


5組待ちだったが、15分くらいで入店。










と、ひたすら食べた。実はあら汁までにビールを飲んだり、帆立を食べたりしていたのだが、その辺はみんな撮り忘れた(爆)。



予算オーバー💦



フェルヴェール 富山駅店

076-471-8058

富山県富山市明輪町1-226 

https://tabelog.com/toyama/A1601/A160101/16007300/


まだ時間があったので、ソフトクリームに引かれて、こちらも黒部の帰りに立ち寄ったお店。



ソフトクリームを頼んだだけなのに、お菓子だけでなく、卵も貰った。このお店は卵屋さんが経営しているらしく、それで「よろしかったらどうぞ」と頂いたのだ。



とやマルシェのお土産コーナーへ。純金パックは以前は4,000円だと記憶していたが、現在は7,200円であった。



到着時にやっていた古本市は帰りには撤収中で立ち寄らなかった。残念だ。


あとは北陸新幹線が勝手に高崎までは運んでくれる。


ね。

もうすでに旅館はチェックアウトして街をぶらぶらと歩いているので、残すは駅に向かうのみ。


地図を見ていたら昨日のしまず橋の上にもう一つ寺院があったので、この際、そちらも行っておこうと向かってみた。



しみず橋から上流方向を見ると、各家から川に出るために石段があるのがわかる。



浄土宗 松峰山 洞泉寺は8月7日に便座の祭礼が行われるが、郡上おどりの七大縁日のひとつとなっている。


ところが、門が開いていなくて中には入らなかった。まだ、朝だからかな。


そろそろ駅を目指そう歩くと国道沿いの地蔵尊の前に出た。



枡形延命地蔵尊


江戸時代にコレラが流行した時に建立されたのだとのことで、8月24日の地蔵尊祭では、郡上おどりも行われるそう。


そのまま国道を進むと



「桝形町のカワド」があった。



カワドとは水路における洗い場のことである。こちらが上流。



こちらが下流。



国道から脇道へと入ると、下枡形町のカワドがあった。右を見ると石段があり、弘法杖が置いてある。これはきっと弘法大師ゆかりの何かがあるのだろうと思ったが、時間がないので通り過ぎた。



通り過ぎてしばらく歩くと左手にお堂が見えたが、それほど遠くはなさそうなので、そこから車道を登ってみた。しばらく登ると先ほどの石段が横切っており、そこからは右に曲がって石段を登った。



相生教会中野山弘法堂


詳しいことは何もわからないが、ここからは郡上八幡の街が良く見える。



早足で駅に向かったので、列車の時刻前に駅に到着。それを逃すと1時間以上の待ちとなってしまい、今日の予定が崩壊する。


反対車線に列車が入ってきて、ここですれ違う為に待機。



再び美濃太田駅に戻った。駅前には立派なホテルがある。



名古屋に向かう飛騨6号



弁慶は富山に向かう飛騨7号に乗車。



高山線は富山に向かうなら右側のほうが良い。飛騨川上流の飛水渓は景色が良いが、なかなか画像で捕えるのは車窓ゆえに難しい。ここはそこよりずっと下流。


ね。

朝は5時に起きた。老人だから早起きなのである。



宿のそばに岩があって、岩の上に神社があった。京都の町屋の階段みたいに急な石段がついていて、危険だという警告と、登らなくてもお参りできる賽銭箱が登り口にあった。



でも登った。


白龍稲荷神社。元々は岸劍神社はこの辺りにあって、その一部だったらしい。岸劍神社は、八幡城のある山の山腹に移り、この神社は商家に委託されてここに残った。だから、なんとこの岩山は個人の所有物なのだとか。



職人町の街並み。



玉井山 蓮生寺


職人町の真ん中あたりにあった寺。織田信長と本願寺の戦いの中で、天台宗から浄土真宗に改宗したそう。



本堂と親鸞聖人像。上人と聖人は共にショウニンと読むが、親鸞さんは僧侶ではないから聖人なんだよね。肉も食ったし嫁もいた。



ドンツキの浄土真宗 長敬寺は、1601年に城主 遠藤慶隆が菩提寺として建立した寺。



本堂と右に親鸞聖人像と左に蓮如上人増。


ちょっと山側に雰囲気のあるお寺が見えたので気持ちはもうそっちへ向いていた。



日蓮宗 清水山 大乗寺


朝倉氏家臣、清水左衛門尉が法華堂を創建したのが始まりで、1603 年に妙覚寺の日奥上人の弟子、日曜日能が大乗寺の寺号と本尊、十界曼荼羅を賜り、尾壺山城の跡地であったこの場所を城主、遠藤慶隆から寄進を受け、妙覚寺の末寺として創建された。



尾壺山城とは、佐竹氏の居城ということらしい。佐竹氏は武田氏と同じく源義光を祖とする源氏の一門であるが、平安時代には常陸を拠点に北関東で最大の勢力を誇っていた。平家に組して領地を失ったが、奥州征伐では頼朝に味方した。


鎌倉時代にあっては、後鳥羽上皇の承久の乱の功績で、美濃に所領を与えられ、一部が美濃に移ったと言われている。



苔むした境内の静かさが良い。右は1872年建立の本堂で、左は1803年建立の鬼子母神堂である。



浄土真宗 浄国寺。工事中だったが、もしかしたらこちらの住職は、クラシックカーのかなりのマニアかと。


昨日急いで山を降った時に、岸劍神社の奥に立派な建物が見えたが時間の関係で立ち寄らなかった。心残りだったので、また城山を登って行った。



秋葉三尺坊悟竹院


1522年開基の曹洞宗の古刹だが、1821年に秋葉総本殿可睡斎より秋葉三尺坊大権現の分身を勧進し、郡上の火防守護所となり、超宗派的に信仰されているお寺だという。


なんと、可睡斎は、郡上にくる前にいた袋井の寺である。


早朝6時に始まり1日4回鳴らす時の鐘は、郡上八幡の名物のひとつで、100年以上に渡ってただの1回も欠けたことがないのだとか。



威徳堂


秋葉三尺坊大権現は戸隠村の生まれで、4歳にして越後蔵王権現に修行に出かけた修験者であるという。26歳で比叡山の千日回峰行を満業し大阿闍梨となった(こちらは天台密教)。そのあとで住まわれたのが蔵王権現堂十二坊の中の三尺坊である。27歳で今度は真言密教不動三昧之法を習得。諸国を行脚し、静岡県春野町秋葉山に留まった。それで現在は遠江天狗の総帥といわれる神仏習合の神となった。



豊川堂は豊川稲荷をお祀りしたお堂。右側には栄豊稲荷。



太子堂。聖徳太子信仰のこのお堂は昭和63年の建立なのだが、これを最近と思ってしまう弁慶であった。



六地蔵堂。並んでいる六地蔵(本来の姿)は、あまり記憶にはないが、小野篁が彫り、それを平清盛が分散させて京都の周りの街道に配置したことで現在も残る六地蔵という地名、駅があるので、なんとなく馴染みを感じる。


書き終わると思ったが無理だ。続く。


ね。

真の目的地に向かう。



お抹茶処 宗祇庵

050-1039-9252

岐阜県郡上市八幡町本町862-10 

https://tabelog.com/gifu/A2102/A210205/21016894/


この水まんじゅう、旨そう。昼間も通ったのに気が付かず、この時にはすでに店はしまっていたので、頂けず。



宗祇水。郡上八幡のシンボルの湧水だという。


文明3年(1471年)に連歌師 宗祇が郡上の領主である東常縁から古今伝授の奥義についての講義を受け、京へ戻るとき、師弟の2人がこの泉のほとりで歌を詠み交わしたことから、別名「白雲水」とも呼ばれている。


ビッグネームがさりげなく出てくる街である。



そして、しみず橋の向こうにある「お食事処 しみず橋」。


しみず橋

0575-67-1531

岐阜県郡上市八幡町中坪439 

https://tabelog.com/gifu/A2102/A210205/21005347/


古事によれば、令和の御世に六角精児が訪れたという。



ハイボールとお通し。じゃこの山椒が新鮮というか、痺れかたがすごい。京都の某有名店で買う土産品の数倍美味い。



とりあえずの冷奴。



そして、天然あまごの塩焼き。


さて、次はどうしようかなというところで、お隣の2人組から声をかけられた。



どうやら地元の建設業の方(右)と、鮎の季節になると毎週のように東京から郡上八幡に通う某新聞社の方(中)のようだ。毎週はすごいよなあ。


「あんた京都に住んどるのか?」と言われる弁慶ではあるが、平均すれば月1には満たない。見習わんといかんね(爆)。


関係はというと、通いすぎてセカンドハウスを買ってしまった方と、その家をリフォームした社長さんという感じである。


岩魚の骨酒を御相伴にあずかり、もうベロベロなので公開は自粛する🤭



肉バル八熊

岐阜県郡上市八幡町殿町167 

https://tabelog.com/gifu/A2102/A210205/21021518/


にわか宴会解散後は、まだ21時前だが開いている店も少ない。コンビニもないので、もう寝るかなと宿に向かったのだが、通りすがりに鶏ちゃん焼が見えてしまったので、これを食べないといけないという使命感に燃え、もう一軒入ってみた。



珍しくレモンサワーにきゅうりのお通し。



10分まではかからず、野菜がしんなりしたら食べ頃。肉は若鶏とひね鶏のミックスにした。若鶏は柔らかく、ひね鶏は跳ね返る弾力がある。食べ過ぎたけど、今宵も良い夜であった。


ね。