「そうなんだ、実はね、今日午前中に艶子さんと歩いていたでしょ、何があったのかと思って聞きたかったのよ」

すでに、見られてしまっていたのだ。

「どこに行ったの」とパン屋の小田さん。

艶子さんとのことを話すと、大変ねという顔でくすくすと笑っている。

「大変よ、ほんとは時間があったら、しまむらで靴まで見たててとまで言ったのよ」と愚痴を発した。

丁度、惣菜コーナーの前である。この話が10分も続いたであろうか、後ろから誰やら聞きなれた声がする。

艶子さんのライバルとまで言われている人が立っていた。70才を過ぎている涼子さんである。

「艶子に何かあったの」と涼子さんが聞いてきたので別に隠す必要もないので事の全てを話したのである。

「田口さんの奥さんも大変だね。艶子につかれたら背後霊のようにひっついてくるから気をつけなさいよ」と

注意をしてくれたのである。この涼子さんという人は矍鑠とした人であり、昔は小学校の先生をしていたそうである。70才過ぎとは見えないくらいで、艶子さんと比較しても同じ年くらいに見えるのである。

背筋もピンとして何やら品も漂っているのです。

艶子さんとライバルという言葉は少し違うかもしれないのだが艶子さんに対しては何でも言える人なのだ。

その涼子さんを紹介してくれたのは目の前にいるパン屋の小田さんの奥さんなのである。

どうやら涼子さんも大のパン好きで朝は必ずパンでないといけないと言っていた。

そんな3人の立ち話が数分続いて別れたのである。小田パン屋に寄って帰らないといけないのだが、時間が足りなくなってしまっていた。一度家に帰らないといけない、と子どもが帰ってくるのである。

5時前になっていた。急いで自転車にまたがると家路に向かったのである。

自転車というものは非常に便利なものであるが、昔二度転んで怪我をしたことがある。

その怪我で頭の後ろには大きなキズを作ってしまった。髪が薄くなるとはっきりと見えてくるのだろうとちょっと心配なのである。そういう経験もあるから、どんなに忙しいとしても自転車はゆっくりとこぐようになった。

私は昔から自転車のメーカーは決めている。小さいころに父から買ってもらったメーカーなのである。

メーカーというよりもその自転車屋のおじさんが面白い人で、その人の勧めもあってそのメーカーにしたといういきさつがある。名前はかっこいいとは思わないがとにかく好きなのである。おそらく一生そのメーカーの自転車に乗ると思う。子どもの自転車も同じメーカーである。

その名は、マルキン自転車である。皆さんもご存知でありますよね。

名前はちょっと変わっているが乗りやすいこと、このうえないのである。

丈夫で長持ちなので私は大好きである。

家の玄関につくと子どもが怒った顔で待っていた。とりあえず謝ると鍵を開けて入った。

今日は、だんなの帰りが遅いようなので子どもと二人だけの食事である。

昨日はちょっとした疫病神の使いがきたのでオムライスにしたのだが、今日は、スキヤキにしたいと思う。

台所で夕食の準備をしているとチャイムが鳴った。この忙しい時に誰。

なんとあろうことか玄関前に立っていたのは艶子さんであった。勝手口から入ってくるのが普通なのにどうしたことだ。「あんた、これ食べてよ」とスーパーの袋に入っている何かを差し出した。

「朝、あんたに付き合ってもらったからね」と言うのである。

艶子さんからの贈り物なのである。一瞬、目を疑ってしまった。

「食べられるだろ」と言うのであるが、何が入っているのかが分からない。

「何でしょう」と聞くと「だんご」と一言。

「あんたと一緒に食べようと思ってね」えっ、一緒に一緒にということは私の家で一緒になのか。

「すいません。今子どもの食事を作っているので・・・」とやんわりと拒否すると

「みんなで食べたらいいのよ」と玄関で靴を脱ぎにかかっている。

ふと、今日のスーパーで涼子さんの言ったことを思い出した。背後霊のようにつきまとうという意味が・・・。

「後で私が艶子さんの家に伺いますから・・・」と言ったのだが、おかまいなしに居間へ行ってしまった。

そして、子どもを見るなり抱きかかえている。子どもにとっては知らないおばさんに抱えられてどうしたものかと不安な顔になっている。一応、子どもに近所のおばさんということを説明したのだが、何か不安そうである。

確かに、艶子さんは力が強いから子どもを抱きかかえることは簡単であると思う。

そして、今作りかけのスキヤキを中断して3人でだんご食べるはめになったのである。

「何才」と子どもに聞いている。子どもが12才と答えると財布から小遣いをやろうとしているのである。

ちょっと待った。子どもにも背後霊になってしまう。と咄嗟に思い。

「そんなこと・・・」と言いかけたのだが、子どもは無邪気である。しっかりと手の中に500円玉を握ってしまった。もう戻れない「ありがとうございます。気をつかっていただいて・・・」と一礼すると

「いい子じゃない。あんたに似てないな」と余計なことまで言って笑っている。

子どもは美味そうにだんごを食べている。なんとした光景なのか。予想だにしたことのない光景だ。

艶子さんは子どもと一緒になって笑ったり、からかったりしている。

しかし、その光景を見ていると何故か田舎の母を思い出してしまった。この子にはこういった経験が無かったのである。田舎のおばあさんという存在は知っていてもこのような経験は最近無かったのだ。子どもの無邪気な顔を見ていると何か心に熱いものがこみ上げてきてしまった。不思議だ。この艶子さんという人は不思議な人だ。

かなり変人であって嫌味な人なのだが子どもに対しての行為は見ていてとてもうまいと思うのである。

子どもは気を許したらしく無邪気に甘えたりしている。子どもから見ると親切なおばさんということなのであろうか。

「邪魔したね。また今度」と言って勝手に帰っていってしまった。子どもは艶子さんが玄関に向かうのを追っかけていっている。私は一人居間にいて何か考えさせられる気持になってしまったのである。

玄関から子どものさようならという声とかあさんを大事にするのだよという艶子さんの声が聞こえた。

何か熱くなってしまった。これはどういうことなのだろう。あんなに嫌な人なのに子どもが気に入ってしまったなら親として何とも言えない気持になるということは。私の理屈に合っていないのである。

それからスキヤキの準備に入ったのであるが、だんごを食べたせいで何やら食べたいという気持が薄れてしまった。

子どももだんごのせいでそんなに空腹ではなさそうである。

スキヤキの量をかなり減らしてしまった。

どうせだんなの帰りは、11時過ぎになると思う。簡単なスキヤキにして子どもと二人で食べたのである。

夜、床の中で考えてしまった。

艶子さんという人は一体どういう人なのか、何故、みんなに嫌われているのか、どこが嫌われているのか・・・

私の中では今でも嫌っている自分と、うまく付き合えば付き合えるのではないか、わたしのさじかげんが間違っていたのではないかと自問自答してしまったのである。

こんなことは横で寝ているだんなには相談もできないし、相談したところで一言「よくある話」で終わってしまう人なのだ。

うつらうつらとしながら朝になった。

また、朝の戦場が始まる。子どもを起こして、だんなの弁当を作って、それから洗濯・掃除。

主婦というものは何か色々な人と出会うものなのか。それも利害関係のない人と。

そんなことを思っていると、チャイムがピンポン。

はーいと大きな声で玄関を開けると、そこにはパン屋の小田さんが立っていた。

「昨日、来ると思って待っていたのよ」と手には食パンを2袋持っている。

どうやら昨夜寄らなかったので、朝食パンをわざわざ持ってきてくれたのだ。

この町に越してきて最初に仲良くなったのが、このパン屋の小田さんの奥さんなのであった。




何やら拒否できない雰囲気に負けてしまった。

「わかりました、玄関から出ますから」と勝手口を閉めて、簡単な化粧をして玄関を出てのである。

「あんたに見てもらいたいものがある」と歩きながら話してきた。

「何ですか」と聞くと、行けばわかるからと早足で歩いていく、足も速いのである、やはりこの艶子さんは昔何かの肉体労働をしていたと確信を持ったのである。実際は後で分かるのであるが学生時代にはスポーツ選手で名を上げたことがあるらしいのである。人は分からないものである。

しかし、この男の人は何者なのだ。年のころなら30才くらいであろうか。結構おしゃれな格好をしている人である。しかし、一言も話さない。

二人について行く方向は駅の方向である。駅の回りには色々なお店が乱立している駅そばでないと何もない典型的な郊外の駅という感じの町なのである。

10分も歩いたであろうか。一軒のシャッターの降りているビルの前で立ち止まった。

男の人が何やら鍵を出してシャッターを開けている。次第に店が現れてきた。

婦人服店である。ということはこの男性は店の人なのであろうか。

この店のことは全く知らなかった。といよりもこの店のある通りは私の生活するうえにおいてまず通ることのない道なのであるから知るはずもない。

「入ってください」と男の人がドアを開けた。

「早く入ってよ」と艶子さん。男の人は、いくつかの服を艶子さんに出している。

「あんたに来てもらったのは、どれが私に似合うか見て欲しい」と色々な服を手にしている。

なんだ、私は艶子さんの見立て役なのか。それならこの店の男の人に聞けばいいことだ。

なんで私なのよ。少し怒りをもってしまったのである。

しかし、何故この男の人が一緒に私の家にまで来たのかということが疑問である。

それはそれとして「あんたどれが似合う」といくつかの服を手にとって私に見せるのである。

いくつかの中から一つを選んで勧めると「やっぱこれよねぇ」と嬉しそうなのである。

こんな笑顔を見たことはない。艶子さんも女なのである。

「あんたはセンスがいいと思っていたから見て欲しかったのよ。あんたは見る目があるよね」と微笑んでいる。

何やら複雑な心境になってしまった。艶子さんに誉められても何も嬉しいことはない。

「横山さん、やはり私の言ったものですよね」と男の人が口を開いた。

この男の人も同じ意見なのであろう。しかし、この服の中からなら誰でもこれを選ぶのではないかと思うのであるが、じっとこらえて「艶子さんには一番ですよ」と心にもないことを言ってしまったのである。

ちなみに、50才代には多少無理のある、派手な色のカーディガンであるが、私にとってはどうでもいいことなのでそれを選んでみただけのことなのである。他はどうみても20才から30才代にしか無理であった。

それよりもこの店は40才代までが限界の若者の店であると思う。何故、艶子さんがこの店なのかと考えてしまった。

「これにする、店長これにする」と艶子さんははしゃいでいる。このおばさんでもこんなにはしゃぐのか。

「ありがとうございます。何日も悩んだかいがありましたね」何、これごときで何日も艶子さんは悩んでいたのか。

この人でも悩むことがあるのか。しかも、こんなどうでもいいことで・・・

「店長 あんたにも迷惑かけたね」と何やらねぎらいの言葉なのである。

艶子さんからねぎらいの言葉を聞くとは、信じられないのである。

「いえいえ、とんでもありません」と照れている。よく見るとこの店長はなかなかの二枚目なのだ。

背は低いのだが顔つきは精悍である。そして、何故私の家まで来てくれたのかという疑問も解決した。

つまり、彼の家は私の町内の中にあるのではなく隣の町内であって艶子さんと近所なのであった。

どうやら、この店のオーナーで久保という人らしい。

「あんた、まだ時間あるだろ」と服の御代を払いながら艶子さんが聞いてきた。

「すいません。早く帰って洗濯しないといけないので」と答えると「そうかね、時間があったらサンダルを見てもらおうと思っていたの」今度は靴か。靴まで私が見立てるのか。

「ほら、近くにあるフアッションセンターしまむらにいいのがあるのよ」少し残念そうな顔をしながらも今買ったカーディガンを羽織っている。

しまむらというチェーン店は、皆さんも知っているかと思うが、格安で良いものが揃っている。衣服から靴まで何でもあるのである。本当に格安である。靴下などは150円くらいからある。

このしまむらという店は全国に1000軒もあるらしい。

私も好きな店の一つである。特に息子のものや私のものはほとんどここで買っている。

しかし、何故、艶子さんがこの店長の店で買おうとしたのかは不明であるが何か縁があったのであろうか。

「今度見てよ、今日はいいから」と何やら私が艶子さんの部下のような感じである。

しかし、この艶子さんという変人にも人をねぎらったり感謝の言葉を発することがあるのだということが分かったことは少しほっとしたのである。

それから急ぎ家に戻って洗濯開始である。

時間はほどなく12時になろうとしている。無駄な時間を浪費してしまったという気持と艶子さんの以外な一面を見たという気持であった。やっとのことで洗濯と掃除を済ませて昨日できなかった買い物に出かけたのである。

すでに、4時を回っていた。子どもは一度帰ってきて、友達の家に遊びに行ったようである。

掃除をしている時に帰ってきてランドセルをほおりなげて出て行った。

さて、今私は近くのスーパーで買い物中である。不足していた野菜や肉をしこたま買っている。

このあたりでは有名なチェーンのスーパーであり、食品なら何でも揃うので重宝している。

以前、住んでいたところには大きなスーパーは無かったのでとても嬉しいのである。

近所に大きなスーパーがない地域というものをテレビの何かで見たことがあるが、車のある人なら何も問題はない。しかし、車もないお年寄りだと大変なのである。過疎化の進んでいる地域に住んでいる人は大変だろうと心が切なくなってしまった。コンビニだけだと揃わないものである。しかも、自分の欲しいものがない時もある。

つくづくここに越してきて楽になったと思うのである。

全国で不便な生活をしている人に何とかして買い物が楽にできるようになることを行政は考えて欲しい。

何十分もかけて生活品を買いに行くという日々の行動は辛いものなのである。

総理大臣になった人にも日々買い物に行ってもらいたい。そうすればその大変さというものが分かるというものである。なんとかならないものなのであろうか。買い物をしながらふと頭をよぎった。

丁度、その時である。後ろから大きな声で私を呼ぶ声が聞こえてきた「田口さん 田口の奥さん」と振り返ると

近所のパン屋の奥さんである。実は、私は大のパン好きであって2日に一回は食パンを食べないと死んでしまうくらい好きなのである。

「小田さん 後で寄ろうと思っていたのよ」と私は答えた。





あるお店で、友人の友人が開発・製造した紅茶のリキュールをいただきました。


元々、紅茶や紅茶系のお酒は好きだったのですが、このお酒には驚きました。


今まで飲んだことのない、上質なフレーバーとテイストなのです。


レモンとソーダのカクテルを作ってもらい、一口飲んだ時に、全身に走る衝撃でした。


こんな美味なものがあるのかと・・・


その日は、都合、4杯も飲んでしまいました。


まだ、発売して間もないということで、置いてある店は限られているとのことです。


都内なら、世田谷のサンセット、マスターズや、六本木オランジェにもあると聞きました。


立川以西地区なら、マザーズ、アイリ、グルービィ、グリーンベルトにもあるそうです。


このお酒で作った、フレンチトーストは、今までで最高の味でもありました。


ちょっと褒めすぎかとも思いますが、それほど美味しいのです。


作った方は、全国カクテルチャンピオンの、会津氏です。


都内のバーでは、知らない人がいないほど著名な方だと聞いています。


お酒のページ




これが艶子の得意なパターンなのである。自分と比較して弱者と思ったなら、そこを徹底的につついていくという天才的な技を持っている。

「そうですね。今度何か困ったことがあったら真っ先に相談しますから」と言ってみたのだが・・・

「ほう、今は悩みもないのか」と嬉しそうに言葉を返してきた。

「今は夕食の献立を考えているから」と答えたのだが「何にするんだ」とすかさず突っ込んできた。

うかつなことを言うとまた何か困ったことになるので、「オムライスにしようかと」とできるだけさりげなく答えたのだが、「あんた会社から帰ってくるだんなにオムライスか」と情けないなという雰囲気なのである。

誰が何を作ろうが何を食べようがどうでもいいではないか。あんたの知ったこっちゃない。

と、言いたいのであるが今は何とかしてこの疫病神の使いを台所から追い出すことが先決である。

「いえ、主人も子ども大好きだし週に一回は作らないといけないの」と坦々と話した。

「・・・変わった・・・だんなだね」とあきれている。

しめしめ、言葉が途切れてきたぞ。この調子なら退散させられる。

「あんたに気兼ねして子どもの好きなものを言っているだけさ」と吐き捨てるように勝手口のドアを閉めて出て行った。やっと台風が去ったのである。返し言葉を間違えると大変なことになる経験をしているから最近はうまく返す要領を自然と覚えてしまったのである。これも人生の中で覚えたさじかげんなのである。

遅れたが、私は38才の専業主婦、田口ひとみという。だんなは42才の中堅不動産会社の会社員で経理部門の係長をしている。一応、大学は出ているのではあるが出世という言葉とは縁がなさそうである。

私は、だんなと結婚する前は建築材料の輸入関係の小さな会社の事務員をしていた。

だんなと出会ったのは、会社同士の取引があるので、そこで知り合ったのである。

子どもは小学6年生の男の子が一人だけ。過去にもう一人身ごもったのだが流産して子どものできない体になってしまったのだ。だからこの子が私の唯一の宝物なのである。だんなは優しいのだが優しいだけで優柔不断なところが沢山あって、家庭のことにはタッチしないのが信条らしい。子どもの教育についても私にまかせっきりなのである。それはそれでいいと思っている。12年前にOLを辞めてから完全に専業主婦の生活である。

子どもが中学生になったなら、パートでも始めようかと思っているのである。

以前は、地方都市郊外の賃貸マンションに暮らしていたのだが、だんなの転勤にともなってこの地に建売の一軒家をローンで購入することになった。この市は人口が5万人ほどの、どちらかというと田舎の町である。

多分、だんなはこの地で定年を迎えることになると思う。月々の家のローンは8万円である。

既に午後4時を過ぎてしまっている。子どもは塾に通っているので午後6時半には帰ってくるし、だんなは7時に帰るとメールがあった。さて、今夜は何を作ろう、本当にオムライスでもいいかと思っていたその時であった。

ピンポンと玄関のチャイムが鳴った。そそくさと玄関に廻ってドアを開けると、そこには町内会の経理担当さんが立てっていた。

「町内会費ですが」と簡単なメモ紙を見せている。「ご苦労様です。いくらですか」と聞いてみた。聞くまでもないのであるが一応聞いた。200円です。と領収書を出してきた。

ちょっと待って下さいねと居間に行き財布の中から200円を持ってきた。

「いつもご苦労様です」と手渡すと「今年いっぱいで私は引越しますから、次の経理担当を選任しないといけません、ついては田口さんのご主人は経理をやられているということで一番の候補になっているのですが」と狐につままれた言葉。「えっ そんなまだここに住んで2年ですから無理だと思うのですが」ときり返したのだが、

「経理に精通されている人のほうが問題なくできるということで・・・」なにやら勝手に決まっているようである。

経理担当というものは、町内会の会費を集めたり、お祭りの時の必要経費などについて管理する役だと聞いていた。

しかし、だんなは会社が遅いし結局私がやることになるのは明白である。

「なんとかお願いできませんか」と懇願した顔をしている。

「主人は会社が遅いし私は全く経理経験もありませんから無理だと思いますが」とさりげなく断ろうとすると言葉をさえぎるように「会長も推薦しているので・・・」なんてことだ、やはり勝手に決まっているではないか。

「主人に相談してみますが、期待に添えないかと・・・」と手を振りながら無理だと意思表示したのだ。

「・・・一応考えておいて下さい」と帰っていってしました。この町内は町内会長の権限が絶大であることはうすうす感じていたのだが何やら怪しい雲行きになってきた。

閑話休題。

そんなことよりも夕飯なのである。

考えることに疲れたので、さっきの艶子さんへの言葉の通りにオムライスにしてしまった。

買い物に行く時間もなくなってしまったし、冷蔵庫の中にあるもので何とかしないといけない。

せっかくだんなが早く帰ってくるというのに、最初の意気込みはどこかえ吹き飛んでしまったのである。

どうも艶子さんが来る日はろくなことがない。

午後8時を回ったころであった。

夕食も終わり一家団欒の時間である。子どもの学校でのことやだんなの会社のことを何げなく聞いている私にとっては幸せな時間なのである。

玄関のチャイムがけたたましく鳴った。

急いで玄関に行き、ドアを開けるとそこには昼間の町内会経理の人と会長の二人の姿である。

何やら嫌な予感というより悪寒である。

「田口さん、ご主人は在宅ですか」どうやらだんなを口説こうという戦略のようである。

「はい、少し待って下さい」とだんなを呼びに居間に向かった。そして簡単な内容をだんなに話したのだが

「大丈夫、断るから」と一言言って玄関に向かった。

なにやら玄関前で3人が小声で話をしたり、時には大きな声で笑っているのが聞こえてくる。

30分もたったであろうか、だんなが戻ってきた。何となく嫌な雰囲気である。

「お前も協力してくれ」やはりそうか、完全に口説かれたようである。

後でだんなと話したのだが、町内会長がかなり誉めたりしたようである。それに完全に乗っかってしまったのであった。結局、会費の集金等は全部私がやるはめになった。

だんなは他人にはいい顔しかできない性格であるから仕方のないことと諦めるしかない。

その日は寝付かれない時間を過ごしたのであった。

翌日、だんなと子どもを送り出してのんびりとしていると。

勝手口を叩く音がする。また、艶子さんか・・・。

不安な予感というものは大体的中するものである。

「あなた、時間ない」と艶子さん。しかし、一人ではない。後ろに誰やら立っている。

近所の人ではないことは分かるのだが、女ではなくて男の人なのだ。

私が見るとペコリと頭を下げた。

「あんた時間あるだろ。ちょっと付き合ってよ」とかなり強引な口調である。

「洗濯も掃除も終わってないから」と軽い拒否を示すと「30分でいいから」と私の腕をつかむのである。

年のわりには力がある。昔は何かの肉体労働でもしていたのではないかと思うくらいの力持ちだ。




人生ちょっとのさじかげん  誰でも人生さじかげん

あなたは何才ですか。

あなたは何をしていますか。

あなたは何のために生きていますか。

あなたは何ができますか。

あなたは・・・さじかげんができますか。

勝手に料理のさじかげんと思わないで下さい。

人生、人生ですよ。あなたの生きる術のさじかげん。

さて、始まります。

※登場人物 著者控え

横山艶子 59才 独身 大きな古い家 離婚暦あり 家を売る  ※泉ピン子 イメージ

横山昇 38才 艶子の息子 離婚して戻った 最初の夫の子供 久保の店で働く ※高知東生

語り 田口ひとみ 38才 息子祐樹 だんな不動産会社 建売購入2年経過  ※東てる美

小田薫子 パン屋 娘 だんな  ※深浦加奈子

涼子 元小学校先生 72才 だんなは商社 6年前他界 子供は2人独立 ※松原智恵子

久保 婦人服店オーナー 30才 泉幸子の弟 ※賀集俊樹

泉幸子 沙織ちゃんの母 車整備工場夫人 ※清水ミチコ

一話 横山艶子という女と近所の人とわたし

二話 放火と警察と人は信じられない

三話 艶子とその息子と不動産

四話 いじめと宝物見つけた

五話 大人がいいかげんだ

六話 命は自分のものだけではない

七話 子供の家出と不登校

八話 人の親切は要らない

九話 他人のことに口だすな

十話 人って素晴らしい

十一話 

一話 横山艶子という女と近所の人とわたし

「何している」と近所の憎まれおばさんがひょっこりと勝手口を開けて顔を出した。

何しているといわれても、何もしていない。ただ、台所で夕飯の支度をどうしようかと悩んでいるだけだ。

今日は、だんなが早く帰るというから、少し料理の腕をふるってみようかと考えていたのである。

「暇そうだね」と少し笑いながら台所に入ってきてしまった。

この人は、近所でも憎まれおばさんとかおせっかいおばさんと呼ばれているしろもの(人だが)なのである。

暇にまかせて近所をぶらぶらしていることが生きがいのようだ。

人の家にあがりこんでは、たわいもないくだらない話を勝手に話して、ではさらばという気ままな生活を送っている59才の太目でだんご鼻でスカートは絶対にはかないおばさんである。目もまん丸でありどちらかというと目は

ギョロッとしていて何か怖さを人に与えるような感じでもある。

いつも、茶系の服にいかにもおばさんだというグレーのジャージ系パンツである。

髪はショートで多少茶系に染めているのだが白いものがまだらに残っている。

身長は低くはない。160cmはあるだろうか。靴は一年中サンダルである。

私の住んでいる町内ではなく、隣の町内なのだが私の家の前の道を隔てて隣の町内となるので近所には違いない。

平屋の大きな家に一人で住んでいる。築50年はたっているかと思う。こんな大きな家に一人で住むことはもったいないと思うのだが・・・ 仕事はしていないようである。亡くなったご主人の年金か何かで生活しているのかもしれない。

この横山艶子という人とは、近所の人と道路上で立ち話をしている時に割り込んできたのが最初の出会いである。

それ以来、私のことに首を突っ込んでくるようになった。1年前のことであった。

「あんたのとこはいいよね、爺さん婆さんがいないからね」といつもの嫌味な言葉。

私の家は、だんなと12才になる男の子の3人家族で、2年前に中古の建売を買って引っ越してきたのである。

だんなの親も私の親も遠くに住んでいるから同居はしていないのである。

この憎まれおばさんは、横山艶子という人でだんなと死に別れて56年になるという噂を聞いたことがある。

どうやら子供はいないようである。いつも近所をぶらぶらと徘徊しては、顔を出して好き勝手にしゃべって帰っていくのだが、その話の中身はほとんど嫌味という商品が集合したスーパーマーケットという、どんなものにでも口を出してきて勝手に講釈して納得するというえたいの知れないおばさんなのである。

「あんたはいつも家にいて面白いか」と余計なお世話なのだが適当にあいづちをうっていないと聞いてないのかと

かんしゃくを出してしまう、とても困った人なのである。

「面白くはないけど主婦の仕事だから・・・」と適当に答えると「友達もいないのだろう」と切り替えしてきた。

「主婦っていうけど何年やってるの」と次から次に話してきてしまう。

この話も数週間前と同じ質問であるが。いつもこの調子なのだ。

13年かな」と目をそらして答えると「たったそれか、それで主婦なんてな」とやけに攻撃的な言葉。

「私はね、40年だよ、40年もやっているのだよ」と得意げに、私をあざ笑うかのごとく言い放った。

内心、40年といってもだんなが死んでから56年がたっているのだから正味35年ではないのかと思ったが、ぐっとこらえて心の中で出せる精一杯の大声をあげたのだ。

「すごいですよね、プロの主婦ですか」と、ちょっと舌うちしながら返答したのだが、これが失敗のもとになった。

「あんたも頑張ればなれるんだよ、いかにせっせと家事をこなしていくかだね、私はだんなの親と同居していたから何でも教えてもらったもんだよ、あんたは同居じゃないから楽かもしれないが何も覚えられないよな」本当にむかつく女である。

あんたに言われなくても分かっている。それにあんたに言われたくもない。

「そうですよね。同居していたら何でも教わっていけますよね」と言ってはみたのだが、やはり時すでに遅しであった。

「それがわかっているなら私に何でも聞いてみな」と得意げになっている。






第二章 初めて仲間ができた

次の日、大学の入学式は無事に終了した。

式典は最初から最後まで緊張の連続であったが、何か新しい旅立ちにふさわしい日であった。

今日から大学生としての一歩が始まる。僕一人で何年になるかは知らないが生きていくことになる。

不安と期待との複雑な交差が心に重くのしかかっている。19年間生きてきて、これからは全く別世界へと行くのだ。

入学式典は盛大であった。全国から色々な人が来ているのであろう。色々な方言が飛び交っていた。

親と一緒に来ている人もいるし、僕と同様に一人で出席している人もいる。

親と一緒に来ている人が羨ましい。かあさんが一緒に居てくれたのならどんなに心強いかと思った。

式典の後で、クラスの発表があった。僕のクラスは80人くらいがいるらしい。

明日はオリエンテーリングとなる。学校生活についての指導があるとのことで明日は9時までに行かないといけない。4年間は同じクラスの人と一緒に勉強することになる。

どんな人がいるのであろうか。また僕はいじめにあうのか。それとも皆に無視されるのか。

そんなことを考えてしまうほど僕はいじめにあったり無視されてきたのだ。

しかし、僕にとってはそのような経験は何年もある。もし仮にそうなったとしても何も怖くはない。

友が出来ないとしても今までと同じことなのである。そして、一人で生活するだけのことであった。

何年もの寂しく嫌な経験に慣れてしまっていたから怖さはないのだ。

大学といえども人が集まっている場所においては同じではないのだろうか。

いじめや無視されるということは、いつ何時においても起こるものである。

式典終了後、しばらくキャンパス内をゆっくりと歩いてみた。

式典のお祭り騒ぎは嘘のように静まりかえっていた。キャンパス内の人はまばらであった。

僕は、かあさんに言われて持ってきたカメラを取り出すと式典の垂れ幕を何枚か撮った。

実家に送るように言われていたのだ。一人で垂れ幕を撮っているとふいに声をかけられた「撮りましょうか」と新入生のように見える男であった。「垂れ幕の前に立ってみたら・・・」と続けて話してきた。

まだ、あどけなさが残る。僕も誰がみても高校生くらいにしか見えないかもしれないが、僕以上に幼く見える人であった。「いいんですか、お願いできますか・・・」と伝えた。

式典の垂れ幕の下で僕の姿があったなら、どんなにか母や父が喜んでくれるかもしれないと思ったのだ。

「はい、いいですよ」と承諾してくれたので小さく頷いた。

何枚か撮り終えると彼が話しかけてきた「どこからですか」と聞く「九州からです」と答えると「僕は栃木からです、立野といいます」と名前まで言ってきた。確かに、今日の入学式は法学部のみであるから、同じクラスの人かもしれないと思い「井上です、Bクラスです」と告げると「えっ、同じクラスです、宜しくお願いします」

と軽く一礼してきた。「そうなんですか、同じクラスだとは奇遇ですね、こちらこそ宜しくお願いします。東京に来て何も分からないので色々と教えてもらうと助かります。今は埼玉に住んでいて、そこから通います。大学までは1時間と少しかかる距離です。もっと近いところに住みたかったのですが・・・」と僕らしからぬくらいに初めて会った人に対して流暢に話していた。

「僕は自宅が栃木県の宇都宮の近くなので自宅から通います、2時間半以上かかるので大変ですが・・・」と笑って答えてきた。

「えっ、2時間半以上もかかるのですか、近くに引越ししたら・・・」と聞くと「親が駄目だと言うのですから、無理なのです。大学行かせてもらっただけでも有り難いので無理は言えません」とさりげなく答えた。

その瞬間に思ったことがあった。彼は僕なんかよりもはるかに大人だ。僕が彼の立場であったなら、絶対に近くに住まわしてくれと言い張ったと思う。親元で暮らすということは絶対だと思っているが、2時間半以上も時間をかけて通うことはとても無理だと思う。そうであれば、大学の近くに部屋を借りて週に1度か2度実家に帰るという形を選ぶのではないだろうか。

彼は親の意見に従い自宅からの通学を選択したのだ。何か理由があってのことだとは思う。親として子を一人暮らしにさせたくない、また、その過程において資金的な問題もあるのかもしれない。そんな推測をしながら「毎日が大変ですね。朝も早いし・・・近くが楽だと」と聞き返すと「農家なので朝早いことには慣れています、高校に通う時も朝5時に起きていましたから平気です」と坦々と話している。

「そうですか、明日からは宜しくお願いしますね。初めて話したのが同じクラスで立野さんだったので嬉しいです」

と言うと「そうですか、僕の高校からは今年も30人くらいが入学していますから、今日は何人かと会いました、両親も来ていたのですが、先に帰ったのです。僕は少し近所を見たりしてから帰ろうと思っていたので・・・」と言う。

彼の高校からは30人も入学したいたのだ。彼はかなり優秀な高校にいたのだと思った。

そして、彼は現役で合格したに違いない、つまり、僕よりも年下なのだと思った。

僕の場合は浪人していたのであるが、確かに、年下や年上が多数存在しているのが大学なのだと認識している。

「では・・・」と言って立野さんは去っていった。何かもう少し話したいと思っていたのだが、どうやら僕の聞いたことが何かその場の雰囲気を壊したのかもしれない。

初めて会った人のことに深く干渉することは良くないのかもしれない。

立野さんの後ろ姿を目で追いながらそんな気持になった。

同じクラスの人と会ったのに悪い印象を与えたかもしれないと思い、何かもう少し話したいという気持が入り乱れて後を追った。

「立野さん・・・」と小走りに近寄って声をかけた。

「少し時間はありますか・・・」と聞くと振り返り「ええ、駅までブラブラしながら歩いて行こうと思っているから」と言う「僕も同じですから一緒に行きませんか」と聞いた。

「いいですよ、駅の周りも知りたいと思っているし、何度か来たことはあったのですがゆっくりと歩いたことがないので少しは知っておいたほうがいいと思って・・・」と言う。

「僕なんかは何にも知りませんし、ここに来たのは4度目です。一度目は入学試験、2度目は合格発表と入学手続き、3度目は昨日、そして4度目は今日・・・」と言うと「そうですか、地方の人なら仕方はないですよ。僕でも8回くらいだと思う。普段に用はないですから来ることは無いです。昔からこの大学に入りたかったから高校の時に何度か来たことがあったのです」とゆっくりと歩き始めた。

「そうですよね、宇都宮なら日帰りが楽に出来る距離ですよね」と言うと「ですから親は自宅から通いなさいと言うのですよ」と言った。

「立野さんは現役ですよね」と聞いた「はい、井上さんも現役でしょ」と聞き返してきた。

「浪人です、現役では無理だったので・・・」と小声になった。

「えっ、現役だと思っていた・・・」と少し驚いた顔になっていた。

「現役に見えますか、幼いと人には言われるのでそう見えたのだと思いますが、今年で20才になります」と言うと「一年先輩なのですね、宜しく」と何か少し言葉使いのトーンが変化しているのを感じた。感じたというよりも何か年下なのに同じ年として話しているような感じがしたのだ。

僕の推測ではあるが、違う年であったとしても、同じクラスということは名前を呼ぶ時にもクンでなくてもいいのだろうか。年上であれば、クンかサンになるのではないのだろうか。

僕が浪人していた時には、予備校のクラスの全員が一浪であったから名前を呼び捨てにしていた。

「井上さんは、将来は何になりたくて入ったの」とまるで友達感覚で聞いてきた。僕として少し気になった言葉使いであったが、少し間をおいて答えた。

「特に何も深くは考えていませんから、ここで将来何になるかということを探してみようと思っています」と年上なのに年下の人に対して敬語を使っていた。本当は、弁護士か裁判官になれればと思って入ったのであるが、何か気恥ずかしくて言えなかったのだ。

「そう、それもいいと思う。僕は弁護士になりたいので入ったの」と更にざっくばらんな言葉となっていた。

続けて言う「それに、弁護士になるということは社会にとって貢献ができると思うし困っている人の力になりたいからね」とまるで大人である。

その言葉を聞いていると自分がいかに幼くて何も真剣に考えずに入学したことが恥ずかしくなった。

確かに、ある有名教授の授業を受けてみたいという思いはあったのだが、真剣に、そこまでは考えていなかったのである。ただ、法律家になれればいいと・・・

「立野さんは凄いですね、僕なんかよりも将来について真剣な考えを持っています、僕よりもはるかに大人だと思いますよ」と感心したように言ってみた。







人と接したことの少ない僕にとっては良い経験だと思うようにしたのだ。

しかし、その経験が定食屋だとは何とも不可思議なことであった。僕の壁の一つがこの店から崩れていったといってもいいのだろう。

多分、僕は色々な壁を作って自分を守っているのかもしれない、その壁の一つ一つを崩していくことで成長していくのかもしれないと思うと最初の壁を破ってくれたのは悲しいかな定食屋の納豆であったのだ。

納豆が人との会話や人との付き合い方を教えてくれたのだと思った。

かあさんがいないと何もできなかった僕にも何やら一筋の光が見えてきたように思う。

その後、納豆については色々な食べ方をしてみたのだが、今もって好きにはなれない。

ある人から東京にいるなら納豆は食べられないと不便だということを聞かされた。最初は、それを信用していたのであるが、今もって一度も不便を感じたことはないのであるから、納豆を食べられないということは特に問題はないのだ。

その夜は、定食屋で納豆の話で盛り上がっていたのであった。

「井上さん、一杯呑むか・・・」と千葉さんが酒を勧めてきた。「明日、入学式なので・・・今夜は・・・」と丁重に辞退すると「一杯ぐらいなら何もないよ」と更に勧めてくる。

僕としては、昨夜の二日酔いの状態が記憶にしっかりと残っている。ここで一杯でも呑んだなら二杯、三杯となってしまうかもしれない。しかし、あまり拒否するのも千葉さんに悪いし・・・と頭の中はどっちにするんだと悪魔と女神が囁いているようであった。悪魔というのは、呑めということだ。女神は早く帰りなさいという、かあさんからの言葉と同じである。すでに、9時を回っていた。明日は、朝7時に部屋を出ないといけない。入学式へ参加する学生は8時半までに集合となっていた。僕なりに解釈したならば、睡眠時間は7時間で十分であるから、逆算したならば、12時前に寝たならば何の問題もないと思ってしまった。悪魔の囁きが強かったのであった。

「千葉さん、一杯だけいただいて帰ります」と話すと「そうだよ、寝酒のようなものだ」と言い返してきた。

「つまり、寝酒ですか・・・」と言った。寝酒ということにしたなら何とか理由が付いてくるのだ。

勝手な解釈に過ぎないのであるが、僕にとっては皆と話したりすることがとても楽しいと感じていたので嬉しい気持になっていた。そのためにも酒を呑んでもっと親しくなるということのほうが有意義だと思いこんだ。

「すいません、いただきます」と言いながらお猪口を差し出していた。

「そんなに悩むことはないよ、無理しなければいいし、ほろ酔いかげんになって帰ったらいい」と千葉さん。

「井上さん、あまり杓子定規に考えると世の中は渡れないよ」と笑いながら清二さんがカウンターの中から話しかけてきた。

一杯の酒が世の中を渡るために必要になることがあるのであろうか。大人の世界は複雑なのかもしれない。

今までの僕にとっては、一人の親友もいないし、大人の人との付き合いも一切なかった。唯一の大人との付き合いは、母と父と祖父母だけであったのだ。だから、大人の人の考えははっきり言って分からないということなのだ。家族にしか影響を受けていないのであるから仕方がないのであろうか。

一杯の酒が大人の世界への入口になるとしたならば、僕は勇気をだして入っていきたいし、これも大人になるための一歩だと思うと、本当に勝手な解釈であった。

そして、一杯飲み干して結局二杯目に突入してしまったのである。予測の通りとなった。

ほろ酔いかげんになればいいのであろうが、二杯程度では何も酔わない。僕は酒に強いのかもしれない。

三杯目を注いでもらって飲み干しても体に変化は起こらなかった。酒に強いのだ。

結局、一合分は飲み干してしまった。千葉さんは、日本酒を二本追加と言っている。

酔わないといけないと思うと余計に酔わなくなってしまう。

酔う酔わないということも大事なことだと思うのだが、皆と話すということがこんなにも楽しいとは初めての経験であった。子供のころより人一倍の人見知りであったし、学校でも誰とも話すことのできなかった僕が全くの他人と一緒になって話しているという驚きである。僕にも少しは社交的な部分があるのであろうか。それとも元々あったことなのに自分で壁を作っていただけなのであろうか。今となってはどうでもいいことであるが。

人と話すということが楽しいと感じている瞬間が素晴らしいのであった。

いつも、僕はひとりぼっちだと思っていた。かあさんがいるから何も要らないとも思っていた。そういうことが自然と僕に大きな壁を作っていたのかもしれない。壁を作ることを助長させたのは、かあさんなのかもしれない。僕に対して甘いということなのかもしれない。そんなことを一度も考えたことはなかった。一人になってみて初めて分かったような気になっていた。

全て、かあさんが悪いということはないと思うが、かあさんに対して甘えていた僕がもっと悪いのかもしれない。いつも、何かある度に人のせいにしてきたような気がする。この年になっても親離れできないということは、やはり僕にも問題があったのであろう。それが今、少しずつではあるが、崩れていくような感覚になっていた。

そんなことを考えながら結局3合も呑んでしまった。千葉さんに悪いので、1合分のお金は払っておいた。

しかしながらよく考えてみると、誰も何も言わないのであるが僕は未成年なのである。

本来なら酒を呑んではいけない年なのだ。僕自身何も考えずに呑んでいたのだ。

これから大学で法律を勉強する身としては言語道断なのではないかとも。

そして、10時過ぎに店を出たのだ。まだ、皆は飲んで談笑していたが明日が早いということで皆がもう帰ったほうがいいよというので店を出たのだ。帰りの道で、ふと夜空を見上げるとまん丸の月が僕を追いかけるようについてくる。ここは埼玉県なのであるが、東京都に隣接しているので月なんかは見えないのではないかと思っていたが、こんなに綺麗に見えている。僕の生まれたところは工場地帯なので工場の煙突から輩出される煙で夜も月ははっきりとは見えない日が多かった。東京は空気も悪いし月は絶対に見えないと勘違いしていたのだ。

九州の僕の家よりも、よほど綺麗な月が見えていた。

こちらに来て2日がたった。2日前まではひとりぼっちだと思っていたが、今は数人の友人もできた。

皆、定食屋の客なのであるが、それでも嬉しいのだ。

小学校から高校までの間に、何人の友人と呼べる人がいたであろうか。今考えても誰一人としていなかったのではないか。友人というとお互いに一緒になって笑ったり意見を出して議論したりしてこそ友人ではなかったのか。

そのような友は一人としていなかった。ここの定食屋では議論したり笑ったりすることができる。

皆、年齢は違っているが、僕としては友人と呼べる人たちなのだ。

僕だけが友人と思っているだけであるのかもしれない。それでもいいのだ。

一緒にいて楽しい時間を共有することができる友がいるのが至福の時間なのであった。

九州を離れて初めて経験した人との係わりが、人生で初めての友が出来た瞬間でもあった。

一期一会なのかもしれない。しかし、それでもいい、こんなに楽しい時間を与えてくれた人は友人と呼びたいのだ。

今の僕は、ひとりぼっちじゃない。





何とか、3人の人には挨拶ができたが、残りの2人には会えない、千葉さんは昨夜会っていたからいいのだけども、2階の端の203の部屋の人には会っていない。僕のいる部屋の真上の人である。どんな人なのだろうと考えていたら、ドアをノックする音がした。

「はい」と言いながら、ドアチェーンをかけて開けた。

千葉さんであった。「大丈夫か」と心配そうな顔をしている。「昨夜はすいません。もう大丈夫です。迷惑かけたようで何と言ったらいいか・・・」と言うと「別に気にするなよ、それはいいけどいろはにでもいくか、食事は済んだのか」と定食屋のいろはへの誘いであった。「まだ、食べてないのですが・・・」と、「俺も食べてないから行こう」と、僕の手を引っ張っている。僕の心は乱れた。もう酒は呑まないと決めた。しかし、食事なら問題はないと自分に言い聞かせたのであった。千葉さんに挨拶代わりのタオルを渡すと、一緒に定食屋いろはに向かった。

食事だけして帰らないと明日は入学式であるから、遅刻でもしたなら、初日から最悪である。

千葉さんと歩きながら、千葉さんが身の上を話してくれた。

岩手出身で、東京の建設会社に就職したのだが、埼玉の支店に配属になって今に至っているという。

僕の素性も少しだけ話しておいた。公衆電話の前を通ったので、千葉さんには先に行っていてくださいと言いながら、かあさんに電話をかけた。

「もしもし、僕だけど・・・」と言うと「明日はちゃんと行けるでしょ。今日は早く寝ないといけない」と何か僕の行動を見透かしているように感じて「かあさん、今日、下見してきたから大丈夫」と答えると「食事はしたの」

と聞いてきた。「これから食べに行く。安い定食屋があるから。明日からは部屋で自炊するから」と言うと、安心したように電話をきった。

早足で、千葉さんの後を追って、いろはの戸を開けた。

千葉さんは、昨日と同じ席に座っていた。他に3人の人がいる。昨夜とは違う人だ。

「井上さん、いらっしゃい、学校の下見してきた」と春子さん。店に入って僕の名前を呼んでもらえるということの快感を覚えてしまった。単に、いらっしゃいだけではないのである。名前を呼んでくれるということが、こんなにも気持のよいものだと初めて感じた。何やらよくいう常連さんの感覚だろうと思った。

「昨夜は、ご迷惑かけてすみません」と軽く会釈して千葉さんの横に座った。どうやら千葉さんが、後で僕が来るということを告げていたようだ。「気にしなくてもいいよ・・・」と清二さんが笑って言った。

僕は、昨日食べた生姜焼き定食にしようと思い「生姜焼き下さい」と春子さんに言った。

「ごめんなさいね、生姜焼きは終わってしまったのよ・・・」と言う「・・・では、マカロニサラダ定食」と言うと「それも終わったのよ、この時間だから定食ものは少なくなっているの、テンプラならあるわよ」と春子さん。

テンプラ定食、何だか高そうである。店内のメニューを見ると、600円となっていた。

これは高すぎる、いくら何でも600円は高い。「もっと安いものはないですか」と聞くと「そうねぇ、納豆と野菜炒めなら・・・300円」と言うである。納豆、納豆、僕の頭の中では、納豆というものは甘納豆しか思い浮かばない。

野菜炒めと納豆の組み合わせは不思議であったが、値段も安いのでそれを注文した。

千葉さんは、酒を飲みながら一品料理をいくつか注文したようであった。

この店に着いてから急激に空腹感が襲ってきていた。

他の客の食べているものの匂いがやけに鼻につく。清二さんが作っている料理の匂いも僕の空腹感を助長させていた。

「おまちどうさま」と春子さんが定食を差し出した。

野菜炒めの良い匂いがする、僕の大好きな料理でもあった。野菜炒めの皿の横に小鉢で何やらぐちゃぐちゃした茶色いものが入っている。これはなんだ。僕は納豆だと聞いていたが納豆らしきものがない。

とりあえず、味噌汁を飲んで、野菜炒めに箸をつけた。本当にこの店の料理は美味しい。かあさんの作る料理がうまいと思っていたが、やはりプロは違うなどと思いながら小鉢の中のものに箸を入れてみた。

何やらねっとりしていて今まで見たこともない食べ物であった。納豆がないのは少し気になっていたがそんなことよりも腹が減っていたので、そのネットリとしたものを箸でつまんで口に入れてみた。なんだ、この腐った味と匂いは、今まで経験したことのない味覚である。口の中に入れてしまったので出すわけにはいかないと思い飲み込んでしまった。確かに、腐っているとしか言えない味だ。

口の中の変な味をかき消すために、ご飯と味噌汁を口にほおばった。その途端、咳き込んでしまった。

それを見ていた春子さんが「あわてなくても料理は逃げないよ」と大声で笑っている。

僕にとっては、大変なことが起こっているのに・・・。咳き込みが収まったので聞いてみた。

「このネチネチしたものは腐ってないですか、味が変なのですが」と言うと「ちょっと待ってね、今日仕入れたのだから腐っていることはないと思う・・・」と言いながら、僕の小鉢の中に箸を入れて食べ始めた。

「何ともない、腐ってなんかないよ、この味でいいんだよ」と春子さん。

「こんな味のするものは食べたことがないし、春子さんは納豆がついていると言っていませんでしたか」と少し声だかに聞いてみた。

「これが納豆よ、井上さんは食べたことがないの」と、きょとんとした顔で戸惑っている。

「これが納豆、納豆といったら甘い豆だと思いますが・・・」と言い返すと「それは甘納豆、これは納豆よ」と半ばあきれた風である。

このやり取りを横で聞いていた千葉さんが「あんた、九州だから食べたことがないんじゃないの」と聞いてくる。

「こんな腐ったような味のするものは食べたことがないです」と千葉さんに向かって話した。

「やっぱり、これは関東方面や東北の人なら誰でも知っているものなんだ。食べたことがないのも無理ないな」と大きな声で笑っている。その話を聞いていた他の客も自分たちの話を中断して聞き入っていた。

「誰でも知っているモノなのですか、僕は九州では見たことも食べたこともないのですが・・・」と小声になっていた。

すると、清二さんが「辛子と醤油を入れてかき回したら食べられると思うよ」と言う。

その言葉の通りに辛子と醤油を入れてかき回してみた。何だか最初よりもネバネバしてきた。

箸でつまんで口に運ぼうとすると何だか糸をイッパイ引いている。

とにかく、食べてみることにした。

口に入った瞬間に全部を野菜炒めの中に吐き出してしまった。こんなものが美味しいとは信じられない。

とにかくこんなまずいものは食べることが出来ないし野菜炒めの上に吐き出してしまったので野菜炒めも台無しになった。皆は大笑いである。

特に、千葉さんは笑い転げているという言葉が一番似合うぐらいに腹から笑っている。

僕は、頭の中が真っ白になってしまった。

何だ、どういうことなんだ、僕が食べることが出来ないということがそんなにも可笑しいのだろうか。

「井上さん、無理しないでいいよ、もう一回野菜炒め作ってあげるから」と春子さんが清二さんに向かって話しているのだが、その清二さんも大笑いしている。こんな時に一番似合う言葉があったと思う。確か、穴があったら入りたいと・・・。

僕も少し落着いてきたので、皆の会話に入ることになったのだが、どうやら納豆というものは発酵させて作るらしくて匂いが強いので好き嫌いがあるらしい。そして、茨城県が一番の産地だということも分かった。

口に入れた時には、本当に死ぬかと思ってしまったぐらいに焦ってしまったのであった。

色々と納豆について聞いていくうちに体にはとても良い食べ物であって、好きな人は朝にも食べるということだそうだ。とりあえず、今日は無理なのでいずれ買ってみて食べてみようと思った。買ってみようということの本意としては、値段が安くて栄養豊富だと聞いたからであった。

定食を食べ終えると、精神的に完全に落着いた。皆から多少なりとも笑われたことで、僕としても少し楽になったように感じた。今まで、人に笑われたりしたことは殆どなかったせいで焦ってしまった。

人というものは、何かで壁を破るとその先は楽になるのかもしれない。






どうやら僕に勧めるようであった。しかし、生まれてこのかた酒というものを呑んだことがない。ないというよりも、一度とうさんのビールを黙って呑んで、こんなにまずいものを美味しいとは不思議だと思っていた。

僕の左横にいた人が、席を替わってくれるという、つまり、千葉さんの横に座れという指示であった。

断る理由もないし、同じアパートの人なので何かと相談にのってくれるかもしれないと思い千葉さんの横に移動した。それにしても定食屋なのに皆酒を飲んで騒いでいる。何か居酒屋のような感じがしていた。

千葉さんがお猪口に酒をついでくれ「今後もよろしくな」と僕の目を見ている。

僕も「こちらこそ、新入りですが宜しくお願いします」と一礼してお猪口を口に運んで呑んでみた。

まずい、まずい、こんなものは呑めない。と、思ったが、そんなことは言えない。

「日本酒は初めてなので・・・」と少しむせ返ってしまった。

「そう、無理することはない。自然に呑めるようになるから、俺もそうだった」と言ってくれた。

「少しでも呑めるようにならないと駄目でしょうか」と聞くと「少しは呑めたほうがいいかな」と笑っている。

やはり、そうなのであろうか。酒ぐらい呑めないと駄目だと烙印を押されるのかもしれない。

そう思うと「すいません、僕にも日本酒の熱燗を一本」と春子さんに注文してしまっていた。

「井上さん、大丈夫?」と春子さんが聞くので「たぶん・・」と答えてしまった。

「井上さん、無理することないよ、今日でなくてもいいから」と千葉さん。

「いぇ、今日がいいのです」と少し突っ張ってみた。

とにかく楽しいのである。他の客は何かの話で盛り上がったままである。

誰も帰ろうとしないのだ。この店は何か心を暖かくしてくれる不思議な力があるように思う。

こんな僕でも、初めてなのにこんなにも楽しくなってしまうのである。

春子さんが、お猪口に酒を注いでくれた。それを一気に呑み干した。

舌全体に苦味やアルコールが広まって痺れるような感覚だ。

それでも無理して、もう一度自分で注いでみて呑んだ。

最初よりは、呑みやすくなったような気がしてきた。美味しいとまでは言わないが何とか呑めると思う。

千葉さんにもさっきのお礼として注いであげた。

「井上さん、あんた呑めるよ、心配ない・・・」と千葉さんが目を丸くしている。

「有難うございます。何とかなるような気がしています」と言うと「顔に全くでないね」と千葉さん。

顔に出ないということは酒に強いということだと千葉さんに教えてもらった。

どうやら、それで気をよくしたようで、それから5合も呑んでしまったようである。

しまったようであるというのは、その後の記憶がないのである。

5合呑んだということも翌日分かったことであった。

次の日の朝7時前、頭の痛みで目覚めると僕の部屋の炬燵の中であった。

どうやら、千葉さんと鈴木清二さんが僕を部屋まで連れて帰ってくれて炬燵に寝かせてくれたということを、春子さんに教えてもらったのであった。お金もちゃんと支払ったようであるが、その後、倒れるように寝たということであった。また、大失敗をしてしまった。千葉さんや他の客にも迷惑をかけてしまった。

頭が少し痛い、これが二日酔いというものであろうか。炬燵から這い出ると台所にいき水を一気に3杯も飲んでしまった。こんなことを母が知ったなら、どんなにか悲しむだろうと思うと心が締め付けられるように思った。

初めての一人暮らしの日から二日酔いになるとは、とんでもないことである。

今日は、昼から明日の入学式の下調べに大学に行かないといけない。

アパートから、どんな道順でいったなら一番いいのかを調べないといけないのだ。

こんな調子で行くことができるのであろうかと考えると心配になってきた。

昼前になっても頭は痛い。痛いし胸はムカムカして今にも吐きそうだ。

2時前くらいになって何とか少しはよくなったようだ。

駅に向かう途中で昨夜の定食屋に寄った。

そこで昨夜のことを聞いて理解したのであった。ゆっくりする時間はない。昼でも食べていきなさいと春子さんは言ってくれたのだが、食べる気にもなれない。まるで食欲がないのである。

胃の中は、大量の日本酒がまるで澱んで濁っている沼の水のように感じた。

駅に着き電車に乗ったが何か目が回っているような感じであった。池袋に着くころにはかなり良くなっていた。この時は、もうお酒は呑まないと心に誓っていたのだが、実際には何日も続くことはなかったのであった。

池袋駅で山の手線に乗り換えて数分で大学のある駅に着く。そこから歩いて10分ぐらいであろうか。

どうやら地下鉄も利用できるということであるが、田舎者の僕にとって地下にもぐっているというのは何とも不安であるが、どちらのほうが電車賃が安いのかと考えてみようと思い駅の相談窓口というところで聞いてみた。

そうしたならば、どちらもあまり変わらないということであったし、国鉄のほうが何かと便利であると思い、地下鉄利用は止めたのであった。便利ということはキセルができるということだ。高校の時にも何度かキセルをしていた。こんな僕でもキセルぐらいの知識はある。

大学までの道のりは色々な店が並んでいた。食堂が多いのには驚いてしまった。さすが、学生の町である。

大学に着くと周りを一周してみた。その周りにも食堂が林立していた。

何人もの学生が歩いている。そして校内に入ってみた。受験の時に来たことがあるので不安はない。

そうこうしているうちに2時間が過ぎようとしていた。あたりは薄暗くなり、町の灯りがチラホラと瞬いている。

その灯りを見ていると何故だかホームシックになってしまう。どうやら僕は夕方の暗くなっていく光景を見るとセンチメンタルになってしまうということを実感していた。

心の中では、早くアパートに戻りたいが、しかし、誰かと話もしたい。昨夜の千葉さんにもお礼を言わないといけないし、他の部屋の人にも越してきた挨拶もしないといけない。

そう思うと自然に足はアパートに向かっていた。夕方の混雑している電車の中で、ふと思うことがあった。

人見知りだし人の会話は好きではないし、こんな僕でも大学生活を送ることができるのであろうか。

電車の中では、仲の良いカップルが楽しそうに話している。僕にとって同年代の女性と話すということは皆無といっていいほどなかったのである。僕も男だから女性に興味がないということはない。しかし、かあさんのような女性であったならばいいと思うのであるが、そうではないタイプの人ならばどう対応していいのかが分からない。

そんなくだらないことを電車の中で思っていた。本当は明日の入学式のことを考えたり、勉強のことを考えるのが普通であると思う。しかし、こんな時に女性のことを考えるということは至極不謹慎のようだと思うが、頭の中に思い描いてしまうことは止められない。池袋から乗り換えた電車の中でも同じことを考えてしまっていた。

駅に着くと、自然と早足になっていた。早く部屋に帰りたい。さして、昨夜は風呂にも入っていなかったので顔が少しテカテカと光っていると思うし、下着も代えていない。部屋の戻ると、すぐに風呂を沸かした。

風呂を沸かしながら、今日は何も食べていないということに気づいたのだ。

そう思うとお腹がグーッと鳴ってしまっていた。ご飯も炊いていないし、何も買っていないので冷蔵庫は空である。

仕方がないので、かあさんが送ってくれたキャベツを丸かじりすることにした。塩をかけながらの丸かじりである。

少しは空腹が満たされたように感じた。そして、風呂に入ったのである。

何と暖かいのだろう。風呂のありがたみをひしひしと感じていた。

風呂から出ると8時になっていた。すぐに着替えてアパートの人たちに挨拶しようと思い、かあさんが送ってくれた新品のタオルを5本手にして部屋を出た。まず、千葉さんのところに行ってみたが留守。順番に部屋を回ってみると3つの部屋の人がいたので挨拶をして部屋に戻ってきた。皆、僕よりも年上で会社勤めという感じの人たちであった。2階の端は、女性であったので少しオドオドしながら話してしまった。その人にとっては変な人が越してきたと思ったに違いない。