こんな魔物にひっかかるという私も単純な女である。今さら考えても戻ることはできないし、昔に戻ったところで何にも変わらないと思う自分が半ば人生を諦めているのかもしれない。

こんな女をおばさんというのかもしれない。自分ではおばさんにはなりたくないと思っていたのだが、そんな考えをしている自分はまぎれもなくおばさんという種族の一員になっている。

これ以上のおばさんという種族にはなりたくないのだが、結局は種族の長クラスになって死んでいくのかと思うと悲しい気持ちになった。

そんなことを考えながら歩いていると、小さな横道から声をかけられた「いい格好しているねぇ」よく聞いた声である。

声の聞こえた方に目をやると、艶子さんである。

薄暗い道から声をかけられたので、のぞきこむように見ると目だけがギョロッとしてまるで砂かけハバアのように見えた。知らない人なら驚いて腰を抜かすのではないだろうか。それよりも、このような時に嫌な人に会ってしまった。しかし、まてよ、今日の艶子さんの息子のことを聞くいいチャンスではないかと思い「艶子さん、今日、息子さんが来たわよ」と言うと「行ったんだってね、聞いたよ」と坦々と答えている。

「それじゃあ、会えたんですね」と言うと「帰ってくるのが遅くなってな」とあくまで坦々と話している。

「息子さんがいたなんて知らなかったから」と聞くと「いようがいまいが関係ないだろ、一人息子なんだ、ちょっと用事で戻ってきたのだ」というのだ。ちょっと用事、何の用事だ。息子がいるということも知らなかったし、戻るということは昔は艶子さんと一緒に住んでいたのだろうか。

「息子はもう帰ったよ」と聞いてもいないのに話してきた。「大阪に住んでいるんだ」それも別に聞いてはいない。

何か私に話したいのかもしれないが、今は居酒屋に向かっている途中なのだ。

「ごめんなさい、急いでいくところがあるからまた今度」と言いながら足早にその場を去ろうとしたのだが、艶子さんは許さない。「ちょっと待ちな」と脅迫的な態度になっている。

「どこに行くのかは知らないけど、明日いるかね」と明日、私が家にいることを確認しようとしている。

咄嗟に口から出た言葉は「明日、知り合いの人の葬儀で朝からいないの」と答えてしまった。

そんな葬儀なんてものは一切ないのである。とにかく、会いたくない人なのでそう言ってしまった。

「そうかね、だんなも息子も一緒に行くのかね」聞かれて、しまったと思った、だんなのことはどうでもいいのだが息子のことを忘れていた。何と答えよう何も答える必要はないのであるが困った「息子が学校に行ってから出かけて、夕方までは戻るから大丈夫なんです」とまた、咄嗟に答えた。「明日は土曜日だよ」またまた、しまった。土曜日ということも忘れていた。学校は休みなのだ。「あっ、そうですよね、勘違いしていました」と言うと「夕方には戻るというのなら5時くらいに行くから」と一言言って早足に歩いていってしまった。

こちらの都合などは全く関係ないのだ。

やっと開放された。明日のことは明日考えればいいのだ。今は居酒屋で美味しい魚を食べることしか頭にない。

腕時計を見ると、715分になっていた。ここからは歩いてほんの2,3分だと思う。

駅について、教えられた方向に歩いてみると、大きな看板が見えた。魚香と赤い文字に黄色の下地の店の看板である。1階の店であった。引き戸のドアを開けると、4人掛けのテーブルが目に飛び込んできたと同時に大きな声で何人かの店員が「いらっしゃいませっ」と元気の良い声である。さすが、居酒屋という感じである。

お一人ですかと声をかけられたが、何人か来ているはずだと告げると、男性店員はメモのようなものを見て「田口さんか大場さんですか」と聞いてきた。田口ですと言うと、こちらへどうぞと奥のほうへ案内してくれた。細い通路の両側には4人から8人は座れるテーブルがいくつか並んでいた。その奥にはカウンターが見える。

カウンターには10人くらいは座れそうだ。

店員のてきぱきとした動きに何か清清しい感じがした。

突き当たりのカウンターの横をすり抜けると個室らしい、個室と言っても木の格子で仕切られているだけなのだが何か懐かしい感覚になる作りであった。

店員が、こちらです。と手で案内してくれたところには、泉さんと他に3人が座ってこちらを見て手招きしている。

勿論、泉さんは知っているが、他の3人も息子のクラスのお母さんのようだ。ようだというのは、保護者会で何度か見たような気がするという程度である。

少しつめて座るならば、8人は座れるという感じの部屋である。私は、泉さんの横に腰掛けた。

椅子であったことで少しほっとしたのだ。スラックスの中に押し込んだ下腹の肉が椅子なら何とかなりそうという気持で座ったのだ。座敷なら腹がきつくて長い時間なら大きな苦痛になるかもしれない。

だから椅子なのでほっとしたのであった。

テーブルの上には焼酎のボトルと、6個の小鉢料理が並んでいる。

「遅くなって、ごめんなさい」と皆に挨拶すると「後一人来るから・・・」と乾杯はしないで待っているというのだ。ちらっと腕時計を見ると7時半になろうとしている。小鉢料理というよりも付け出しが並んでいただけであった。中くらいの小鉢に野菜の盛り付けが乗っていた。「こちらが、祐樹くんのお母さんの田口さん」と泉さんが紹介してくれた。

他の3人はこの人が祐樹くんのお母さんなのかという顔で見ている。「祐樹の母です。いつも祐樹がお世話になっています」

と、3人も順次名前を告げたので誰が誰のお母さんなのかということが理解できた。というよりも、祐樹のクラスの子は祐樹の仲のよい人しか知らないから、この中には祐樹の仲のよい友達のお母さんはいないようだ。

ほどなく、もう一人のお母さんが到着。みんなで挨拶をして乾杯となったのだ。

店員を呼び、いくつかの料理を頼んで、学校のことや、子供のこと、さらには主人の悪口などで盛り上がっていったのである。お酒も入っているので、皆、気が緩んでいるのであろうか、普段、保護者会では見ることのできない

別の顔を見たようである。女6人になれば、かしましいことかしましいこと。

料理も魚専門だけあって、とても美味しかった。居酒屋でもこれだけ新鮮な魚を食べることができるのは一流の店に行く必要はないのだと思った。

2時間が過ぎようとしていた時に、2人のお母さんが、そろそろ帰らないと主人が煩いからと席を後にした。

残る4人で、30分も話していたであろうか。2人のお母さんも、そろそろということで帰られた。

残ったのは私と泉さんだけになったのである。10時になっていた。料金はセット料金ということで一人3千円のみという。少し安心した。私も明日のことがあるので、そろそろ帰ろうかとしていた時に「田口さんは、まだ、時間いいでしょ」と誘ってくるのだ。「そろそろ帰ろうかと思っていたの、でも、何か」と聞き返すと、もう一軒行かないかと言うのである。予算的には5千円は考えていたから、もう一軒くらいはいいかなと思い「どこに行くの」

と聞いたところ「私の知っているスナックがあるから歌でも少し歌わない」と言うのだ。

歌、つまり、カラオケなのか。カラオケというと何年も歌った記憶がない。決して歌はヘタだとは思わない。というのは、OLをしていた頃によくカラオケに行ったのだが、回りの友人に言わせると結構うまいということのようだ。

声質が山口百恵に似ているので、もっぱら百恵の歌だけなのだが。以外と評判がいいのである。

「お金かかる」と恐る恐る聞いてみると「2千円もあればいいと思うよ。ボトルもキープしているから」

というので、あまり遅くならなければという約束で店を後にした。ここからがトラブルの始まりなのだ。

今夜のお母さんたちの会に誘ってもらったことで、泉さんとも急に親しくなった気がしている。

それに、他のお母さんとも仲良しになれたことで、次の保護者会があっても何か仲間が増えたことで気が楽になると思った。こういう会に出るということは、人と人との付き合いにおいて大事なのだろう。越してきて2年がたつが初めてのことであった。とても嬉しい気分で泉さんとおしゃべりをしながら、次の店へ向かったのだ。






二話 放火と警察と人は信じられない

次の日の午後。

いつものマルタイラーメンではなく、今日はキツネうどんを食べていると電話が鳴った。

出てみると泉さんである「田口さん、今夜時間空いている、よかったら居酒屋でもいかない」と居酒屋へのお誘いなのである。息子のクラスのお母さんたちと何人かで飲み会をしようとしているのだ。

6人くらいになると思うの。よかったら田口さんもどうかなと思ってね」と言うのだ。

居酒屋には数年行っていない。越してきてクラスのお母さんたちとも付き合ったこともない。以前住んでいた時には、息子のクラスのお母さんと何回か行ったことはあるが、それも主人の帰りが早い時だけである。

子供を一人残して家を空けるわけにはいかないのだ。

しかし、待てよ、今夜はだんなの帰りがどうなのかが不明なのだ。朝出かける時に何も言っていなかったから、いつもと同じで遅いのだろう。

「主人の帰りが早ければ行けると思うけど・・・」と答えると「行けそうなら連絡してね」と言って電話は切れてしまった。何か業務連絡のような感じの電話ではあったが、どうしたものかと考えてしまった。

考えても仕方ないので、だんなの携帯へメールをしてみることにしたのだ。

私は携帯を持っているが電話をかけることはめったにない。メールのみである。携帯電話というものは料金が高すぎるし無理に誰かにかける必要もないと思っている。

早速、だんなの携帯へメールしたら、ほどなくしてメールが返ってきた。内容は、今夜は7時までには帰られるというのだ。それならば居酒屋へ行くことができる。

泉さんへ電話をして場所と時間を確認してみたら、駅の側の魚香という魚中心の居酒屋で夜の7時ということであった。7時にだんなが帰ってくるから、7時半には行けると連絡したのだ。

その時に、忘れずに聞いたことがある。私としては高いお金の店なら困るである。

どうやら、3千円もあればお釣がくるという庶民的な店のようだ。

久しぶりの居酒屋なので胸がワクワクしている。こんなことでワクワクするというのは専業主婦ならではだろうか。

誰が来るのかとも聞いていないし、少しは不安があったが泉さんがいるから何とかなるだろうと思った。

一人でも知っている人がいたなら問題ないと思ったのである。

7時にだんなが帰ってくることがこんなに待ち遠しいと感じたのは久しぶりである。

勿論、だんなに会いたいという気持ではなく、早く帰ってくれば早く居酒屋に行けるのである。

そう思うと私も年をとったなと思う、新婚当時は早く会いたいといつも思っていたのに、この豹変ぶりは何なのだ。

と、考えると一人で笑ってしまった。

私にとってはめったにないチャンスなのであるから、たかが居酒屋されど居酒屋なのである。

今夜は美味しい魚をしこたま食ってやるぞという思いが時間とともに湧いてきた。

お酒は、適度に飲める。特に日本酒は好きである。日本酒には肌を綺麗にするという成分が入っていると何かのテレビで見た記憶がある。それ以来、週に1回程度は1合ほど呑んでいる。

だんなは何でもいいという人で、ウイスキーでも何でも外で呑んでいるらしい。

家では決して呑まない人なのだが外に出ると付き合いとか何とかで酔っ払って帰ってくる。私にとってはこれがもったいないと思うのである。呑んでも結局は何も残らないし残らないならいいのだけどお金は消えていくし何にもいいことはないと思ってしまう、しかし、世の男の人たちは仕方のないことなのだろう。

夕方4時を過ぎたころに、玄関のチャイムが鳴った。

出てみると誰だか知らない30才代かと思われる男の人がたっている。

グレーのスーツ姿で何かのセールスマンかと思った。

私の家にはインターホンというものが付いていない。ドアの小さな窓ごしに相手が見えるので誰なのかが分かるのだ。今どきインターホンもない家は珍しいとは思うが、買った時にチャイムしかなかったのだ。

それ以来、別に不自由は感じていないので、そのままなのである。

チェーンをしてドアを少し開けて「何か・・・」と聞くと「母は来ていませんか、横山ですが・・・」

と、聞くのだ。横山 横山 もしかして艶子さんのことか。まさかと思ったが横山という名前の知り合いは一人しかいない。そうしたなら艶子さんしかいないのである。

「・・・艶子さん・・・」と聞き返すと、そうですと言うのだ。

母ということはこの人は息子なのか。噂では子供はいないと聞いているのだが。

しかし、何故私の家を訪ねてきたのかということも疑問に思った。

「横山艶子さんですよね。今日は来ていませんが・・・」と言うと「そうですか。何軒か近所の家を回ったのですが、こちらの田口さんのとこではないかと言っていた人がいたものですから」誰だそんなことを言う人は、私は艶子さんとは仲良しでもないし、誰かが私と艶子さんとが仲がいいと思っているのだ。

「そうですか。母がいないので家に上がれないのです。今日は昼から家にいると言っていたのですが・・・」

「今日は会っていませんから、どこにいらっしゃるのかは分かりません」と告げると一礼して帰っていってしまった。しかし、息子さんなのだろうか、もしかしたら娘のだんなさんということもありえる。しかし、子供はいないという話だから娘もいないと思う。何が何だか分からなくなってしまった。

こういう時の疑問解決は、パン屋の小田さんに限る、早速、電話をかけてみた。

どうでもいいことなのだが何か気になるのである。

「田口ですが、奥さんいます」と電話をかけると、だんなさんが出た。例の食パンマンのような人である。

「ちょっと待って下さい、今、そのあたりにいたのですが・・・」と言って、奥さんを探している声が聞こえる。

「買い物にでも出かけたようですね」つまり、不在ということだ。

仕方ないので、帰ってきたら電話をもらいたいということを伝えて電話を切った。

それから夕飯の支度に入ったのだが、どうもさっきの艶子さんの息子という人が気にかかって仕方ない。

考えれば考えるほど何なのだろうと思ってしまう。こんな時に怪我をするものだと思っていたら案の定包丁で指を切ってしまった。少しの切り傷だから目立たないのだがチクチクとして何とも気持が悪い。今夜、居酒屋に行って美味しい魚を食べようと思っていたのに傷がチクチクしたら台無しである。

ここでも艶子さんは私に悪さをしているのかと思ってしまった。

6時くらいになって、パン屋の奥さんから電話がかかってきた。どうやら色々と買い物をしていたようであった。

「ごめんなさい、遅くなって・・・何か」と言う言葉をさえぎって「小田さん、艶子さんに息子さんがいるって聞いたことある」と単刀直入に聞いてみた。

「聞いたことはないわよ。何で」というので夕方のいきさつを話したのだ。

さすがに驚いていたようで、逆に私が質問ぜめになってしまったのである。

質問されても、一言三言しか会話していないので、どういう素性の人なのかどこに住んで何をしている人なのかも分からない。結局、何も解決しないままに電話を切ったのだった。

6時半になり息子が塾から帰ってきたと同時にだんなも帰ってきた。

二人に食事を出して、化けるための化粧をしていると、だんなが「どこに行くの」と相変わらず短い言葉で聞いてきた「駅のところにある魚香ということ」と答えると「何人で」と聞いてきた、一生懸命に化粧しているのに邪魔しないで欲しいものなのだ。「5人か6人らしい」と答えると「そうか」と言ってキッチンに戻った。

私は忙しいのである。久々の化粧だから、要領が悪い。それほどちゃんとした場所にでたことが最近はないのである。服は昼のうちに決めていたので問題はない。少しだけ派手目な服にした。

何年も着ていないので、スラックスのサイズの問題があったが何とか下腹の肉を押し込んでごまかすことに成功した。この時の嬉しさというものは女でないと分からないかもしれない。

もし、座敷なら腹がきついのだが何とかなると勝手に思ったのだ。

準備も終わったので玄関に出て靴を履こうとしたら「何時に帰る」とだんなが後ろから聞いてきた。

何時になるかなんて分からない「できるだけ早く帰るから」と言ってドアを開けて表に出たのだ。

秋の夜は思った以上に肌寒い。コートでも着たほうがよかったかと思ったが面倒くさいのでそのまま歩いてしまった。秋の澄んだ夜空には、大きな星や小さな星が瞬いている。何か恋人と会うような感覚にさえなってしまうのが秋の夜なのだろうか。なんて、少しセンチになってしまった自分に可笑しくなって歩きながらクスクスと笑ってしまったのだ。丁度よく冷えた空気が頬にあたる度に何か心地よい感覚になる。昔、主人になる前の主人と歩いた秋の海辺のことを思い出した。波の打ち寄せる少しざわめいた音と二人の歩く砂の音とが混ざりあって、とてもロマンチックであった。遠くに目をやると、蜃気楼のように船の灯りが見える。その灯りがチラチラと揺れる度に私の心も彼に揺れているのがわかったのである。この人となら一生楽しく暮らせていけると確信したのが秋の夜の海辺だったのだ。秋の海辺は魔物である。この魔物にひっかかってしまったのだ。今思うと彼の策略だったのかもしれない。言葉が少ない人だから、秋と海という二つの武器を利用したのに違いないと思った。




息子がいたなら大喜びだと思った。かくいう私も機械ものは好きなほうなのだ。

何を隠そう、高校の時にアマチュア無線の資格を取ったのだ。機械というよりも電気なのだが、このようなものは何でも好きである。

「こんな光景初めて目の前で見ました」とだんなさんに言うと「そうですか、私たちには日常ですから」と何とも面白くない。他に言うことがあるだろうと思ったのだが沙織ちゃんのお父さんである。ぐっとこらえて

「いつごろになるでしょうか」と聞くと「見てみないと何とも言えないから、連絡先を教えて下さい」と紙とボールペンを手渡された。家の電話番号を書くと、それを受け取って「代わりの車が必要なら言って下さい。代車はありますから」ということで、今夜、代車を届けてくれるというのである。

「宜しくお願いします、幸子さんにも宜しく伝えて下さい」と一礼すると、ちらっと私の顔を見て帰ってしまった。

どうもこの手の人とは相性が悪いらしい。

とにかく、早く修理して欲しいという気持と知り合いなのだから安くして欲しいという気持が交差していた。

多分、知り合いだから安くなるという気持のほうが強いのだが。

もう、4時になっていた。息子がただいまと帰ってきた。今日は塾の日だから例のマルキン自転車で近くの塾に行く。帰りは6時半だ。それまでに夕食の支度や洗濯物をたたんだりしないといけない。

車がないことに気付いた息子は「車売ったの」と言うのである。家計が大変なのは薄々感じていたのでそう思ったに違いない。事の顛末を説明すると、ほっとしたような顔で塾に行ってしまった。

しかし、私の車の修理代金が気になってしまって仕方がない。

10万円もしたら大変である。5万円でも大変である。何とか1万円以内で・・・と祈る気持だ。

私は、自分で環境に優しい女と思っている。何故かというと、ゴミの分別は徹底的にするし、洗濯の洗剤も昔からの環境に優しいものを使っている。それにペットボトルは決して買わないし飲み物は全て家で煎れるお茶だ。

ゴミとなるものはできるだけ買わないというのがポリシーなのだ。

だから、車は持っているがめったに乗らないし、家族で出かける時にも電車かバスである。

環境・環境と叫ばれて久しいが、どれだけの人が本気で考えているだろうか。どれだけの人が実行しているだろうかと考えてしまうのだ。私一人の力というものは微々たるものだと思うが何もしないよりはいいと思っている。

しかし、現実を言うならば無駄な金は無いというのが本心である。

サラリーマン家計は大変なのであるから。

環境と言っておいたなら何かいいように感じてしまう。

だから、私は環境・環境と言っている企業はあまり信用しない。環境といわなくとも環境は大事なのだ。

環境と言うことは環境に対して何か問題があるからこそ言っているのだと邪推してしまう。

ある意味屁理屈女かもしれない。

環境に優しいのは当たり前であって、環境の前に優しいという言葉を持ってきて欲しい。

優しいから環境のことも考えているのだと。みなさんはどう思いますか。

何か流れがそれてしまった。環境にもちゃんとしたさじかげんが必要だと思いたいのです。

夕食の後片付けの夜の9時頃である。家の電話が鳴った。

電話をとると昼の車の修理屋さんからであった。受話器から聞こえてきたのは・・・

「泉ですが車の修理が終わったので届けますが、都合はいいですか」てっきり代車を持ってきてくれる電話だと思っていたのだが、修理が終わったというのだ。早い、まさか今日終わるとは全く思っていなかった。

と、同時に修理代金のことが気になってしまった。家には持ち合わせはないし、まあ、明日でもいいだろうと思って「早いですね。ありがとうございました」と言うと「今から行きます」と言って勝手に切れてしまった。このだんなは何か一言足りない人なのだ。

ほどなく玄関のチャイムが鳴った。玄関に出てドアを開けると私の車が車庫に入っている。

「もう大丈夫です」とキーを渡すのだ。「あの、どこがおかしかったのですか」とお金のこともあるので恐る恐る聞いてみたのだ。「ディストリビューターの中のローターの接点が焼き焦げていましたね」と言うのであるが何のことだか分からない。「それは何ですか」と聞くと、どうやら電気系のものであるらしい。

「そうですか。直ってよかったわ、でおいくらでしょう」と聞くと驚きの返事なのである。

「この程度なら無料です」と言ったのだ。ただ、ただ、つまり無料なのである。

「えっ そんな・・・悪いです」とだんなに言うと「いいですよ、磨いて直る程度だから」と普通の顔で答えるのだ。私は内心、こんないいことはない。出費がない。最高の気分になったのだが、顔には出さず

「それでは、こちらとして申し訳がないので、いくらかでも・・・」と言うと「女房にも言われているのでお金はいただけません」とがんとして受け取ろうとしないのだ。これ以上言っても仕方がないし、押し問答するものでもないと思い「ちょっと待っててください」と言って、居間に行って、知り合いから貰った日本酒を持ってきて手渡したのだ。「お礼といっては何ですが」とだんなさんに渡そうとしたら「有り難いのですが、下戸なもので・・・」

この人は酒が飲めないのだ。ということでだんなさんは帰られた。よく考えたなら車で送ってあげればよかったと思っている。帰りは歩きで帰っていったのだ。

すぐに、泉さんの家に電話をかけたら泉さんの奥さんの幸子さんがでた「田口ですが、今日はありがとうございました」とお礼を言うと「簡単に直ったから・・・」と言うのである。何か申し訳ない気持でいっぱいになってしまった。世の中にはいい人がいるではないか、こんな世の中でも捨てたものではないと一人納得していた。

些細なことかもしれないが、こんなことで幸せになるものなのだ。何かとても嬉しいというより人の暖かさを感じた瞬間でもあった。何度もお礼を言って電話を置いた。しかし、このきっかけで泉さんとの付き合いが始まり、とんでもないトラブルになっていくのだ。

11時になり、だんなが帰ってきたので今日の車のことを話すと「よかったね」の一言である。

この人には文章というものがないのであろうか、全ての会話が単語なのだ。結婚する前から口数は少ないと思っていたが年とともに短くなっていく。60才になったなら単語というより ‘あ’とか‘え’ とかの単音のみになりそうな予感がしている。今考えても仕方のないことだが、多分、そんな感じになるだろう。

今日も色々なことがあった日になった。寝床で一日を思い出しながら眠りについた。





手持ちぶさたに、タバコをくゆらせている者、パソコンに向かって何かの資料を作っている者、そして、その中に、ソファーで寝そべっている新開刑事がいた。そして、僕を見つけると・・・

「何だよ、雪ちゃん、珍しいな・・・何か、用事でもあるのかい。まさか、泥棒にでも入られたか・・・」

と、ソファーに寝たままで、僕の顔を見上げた。

「ちょっと大事な話があります。例の事故の件ですが、とんでもないことが分かりましたよ。事故なんかじゃないですよ。あれは、巧妙に細工された殺人です・・・」

「おいおい、何を言い出すかと思ったら・・・殺人・・・ハハハ。寝言を言うなよ。そんなことを言うために、わざわざ来たんじゃないよな。本当は何なんだよ。俺も、寝られる時に寝ておかないと・・・」と、起き上がった。

「冗談で来ることなんてないよ。証拠が見つかったんだ・・・ちょっと見て欲しいんだ・・・」と言うと。

「また、雪ちゃんの探偵ゴッコが始まったな。それで何なんだ。証拠というのは・・・」

「燃料噴射のインジェクターのところに、何か変ものがあったんだよ・・・」

「変なもの・・・まさか、車を引き取って調べたんじゃないだろう・・・」

「・・・引き取った・・・調べたよ・・・」

「信じられないよな・・・そこまでしても一銭にもならないだろ。本当か・・・雪ちゃんらしいと言えば、そうだがな・・・」

「とにかく、誰か鑑識の人はいないの・・・一緒に見てもらいたいんだよ。車は、倉庫の中に入っているから・・・」

「そんなに簡単に出来ないよ。鑑識と言っても許可が要るし・・・俺の力だけじゃ何も出来ないよ。課長に聞いてみないと・・・」と、隅の席に座っている小川課長を、ちらりと見た。

この小川課長という人は、堅物で横のモノを絶対に立てにしないことで有名な人であった。

俗に言う、若きキャリアである。新開刑事とは、犬猿の仲であった。

「雪田さんか・・・何かあったのかね。二人で何をごそごそと話しているんだ・・・」と、小川課長は、僕の顔を見た。その目は、何か外部の者が来て、ろくなことを話していないという感じであった。

僕は「この前の、中央高速での車両炎上事故の件なのですが、ちょっと不審な点があったものですからね。もう一度、検証して欲しいと、新開さんに話していたのです。自損事故として処理されているのですが、殺人ではないかかと思っているのですが・・・」と、小川課長へ話した。

「何の事故だ。殺人だとは・・・何か証拠でもあるのか・・・。それで、どうしたいんだ・・・」と、何やらやっかいな言葉を発した僕を睨みつけた。

「えぇ、もう一度、鑑識の方に見てもらいたいのです。それでお願いに来たのですが・・・」

新開刑事が僕の言葉をさえぎって「雪ちゃんが、鑑識の検証をしてもらいたいと言うのです。事故車は、彼の倉庫で保管しているそうです。課長、何とかなりませんかね・・・」

「新開君、それは無理だな。処理が終わっているのだろう。確定していることを今更掘り返すようなことは許可できない。うちとしては無理だ」と、小川課長は、断固無理だという感じである。

「雪ちゃん、そういうことだな。何の証拠があるのかは知らないが、この件は終わっているんだよ。我々の捜査に何か間違いがあったということなのか・・・」と、新開刑事は、僕を見た。

「捜査にミスがあったのか、どうかということを再度調べて欲しいのです。もし、ミスがあったのなら、大きな問題になりますよ。人一人の命が奪われたのですから・・・無理を承知でお願いしているのです。僕の調べでは、単純な炎上事故ではないのです。何かタイマーみたいなものが発見されたし、どうもおかしいのです。なんとかなりませんか。このままじゃ、しっくりこない・・・」と、僕は、大きな声で二人に懇願した。

それを聞いていた、新人女刑事の出口操が「雪田さんが、それほどまで言うなら、何かあるかもしれませんよね。車についてはプロなのですから、課長も新開さんも何とかしてあげられないですかす・・・」

「出口、お前は関係ない。鑑識も忙しいんだ。今更、頭を下げて、もう一度お願いしますと言えるのか。ましてや、鑑識のミスがあるかもしれませんなんて、言える訳がない。もし、何もなかったなら俺の立場はどうなる。笑い者だ。たかが中古車屋の分際で・・・警察みたいな・・・ことはな・・・」と、課長は吐き捨てるように僕を見た。

このままここで話していても何の進展もない。僕は、新開刑事に目配せをして刑事部屋を出た。

外で待っていると新開刑事が、やってきた。

「課長は、堅物だからな、正攻法で話しても無駄さ。鑑識に仲のいい山田という奴がいるから、非公式にお願いしてみるとするかな。非番の時ならいいだろう。それでいいか・・・雪ちゃん・・・」

「何でもいいですよ。しかし、あの課長は何なのですかね。新開さんも苦労しますよね。まぁ、それしかないからお願いしますよ。山田さんは鑑識のチーフだよね。時間があればいつでもいいから・・・」

「これから鑑識に行ってくる。課長には内緒だぞ。バレたら、また煩いからな」と、言って山田さんのところに向かった。僕は、新開刑事にお願いして待つことにした。

事故の被害者でもない僕の話など聞いてくれることのほうが無理なのだろう。

警察組織というものは、一度処理されたものを再度調査するということは、無理だと思うし、もし、調査の結果、殺人だとしたなら、大きな汚点になるのだろう。

僕は、かなりイライラしながら、店に戻った。

店の中と外には、何人かの客がいた。新藤が対応していた。

その中に、僕の店には不釣合いな女の客が椅子に座っていた。年の頃なら、40才代の綺麗な人である。

どうも、普通の職業ではないように感じる。どちらかというと水商売系であろう。

その女性の横には、スーツ姿の年配の男性も座っていた。

他の客は、若い男の人である。大半は、スポーツタイプの車の購入でやって来る。

この日も、スカイラインやスープラ、フェアレディZを見ていた。

新藤が僕に小声で「社長、こちらの女性が何やら相談があるというのですが・・・」と言う。

「お待たせしています。どんなご用件でしょうか・・・車をお探しですか・・・」と尋ねると。

「車ではないのです。こちらの店に、先日、事故を起こしたスカイラインの車があると聞いたので・・・その車はありますか」

と聞いた。僕は、死んだ御手洗社長の関係者だと直感した。

「はい、保管してありますが、それが何か・・・」と、尋ねると、ほっとしたような顔で、僕に話しかけてきた。

「やはり、そうでしたか、自動車解体屋さんに聞いたら、こちらが引き取っていかれたと聞いたものですから。本当に良かったわ。あれから何日も過ぎていたから、もう、ないかと思っていましたわ。それで、見せて頂けますか・・・」

「それはいいですが、どういう関係でしょうか。突然見せてと言われても・・・」と、困ったそぶりで言うと。

「それもそうでしたわ。私は、徳野茂美と言います。こちらは、私が依頼している探偵さんです・・・それで、私は、この事故で死んだ御手洗の知り合いです。御手洗が車の事故で死んでしまったのですが、御手洗の奥様とは疎遠なので、車を見せてもらうことが出来なかったのです。せめて、御手洗が乗っていた車を見たいと思いまして、何とか探し当てたということです。御手洗が死んだ日の朝に、私は重要な仕事でフィリピンに向けて出発したので、連絡も遅く、仕事の都合ですぐに帰国することが出来ませんでした。つい、2日前に帰ってきたのです。御手洗もダビ(荼毘)にふされていましたし、人に言える関係ではなかったので・・・こんなに遅くなったのです。もし、社長さんが、車を引き取って下さってなかったなら、私は、一生見ることが出来なかったのです・・・





翌日、僕の店は定休日であるから、新藤も連れて、山城解体へ向かった。

その車は、ヤードの端に置いてあった。

確かに、完全に燃えてしまっているが、前のバンパー部分とボンネットが大きく凹んでいる程度である。

「新藤、こんな程度で車が燃えるかなぁ。たいした事故じゃないと思うけど、とにかく見てよ・・・」

新藤は、凹んだボンネットを上に持ち上げた。そして、黒こげになっている、エンジンルームを丹念に見始めた。

「社長、確かにガソリンのホースは、燃料噴射装置の前で外れていますね。でも、外れたというよりも燃えて切れたようですが。それ以外は・・・何もないですね。ただ、ぶつかり方としては、そんなに酷くはないですから、この程度でガソリンホースが外れるとは考えにくいのですが・・・」

「そうか、何もないようか・・・エンジンの中は、どうだ、確か、新藤が前に、タイミングベルトとか言ってなかったか・・・」

「ええ、例えば、タイミングベルトに細工をしていたなら、タイミングベルトカバーを取り外してみないと分かりません。でも、ここじゃ無理ですよ。前部分のパーツを全部外さないと無理ですね・・・エンジンに食い込んでますから・・・」

「仕方ないな・・・よし、店の倉庫にレッカーして行くか。うちの倉庫でゆっくり分解してみようよ・・・」

「それしかないですね。そしたら、ゆっくりと調べることが出来ます」

ということで、僕は、車を引き取ることにした。有難いことに、無料でいいし、レッカー車も貸してくれるという。

常々の取引があるということは、有難いことであった。

僕たちは、車を倉庫に運んだ。僕の店には、色々な部品を保管するための倉庫がある。車が4台は入る大きさであった。そこに、その事故車を入れたのだ。

車を倉庫に入れると昼前になっていた。早速、調べることにした。

「社長、タイミングベルトは切れていませんね・・・ただ、ここに少しだけ亀裂があります・・・」

「何・・・切れていない・・・それじゃあ、事故原因ではないな・・・」

しかし、ここで一つの疑問が出た。

それにしても、ミタライの社長は、何故、こんな古い車に乗って高速を走っていたのかも不自然である。

どこかに陸送でもしていたのであろうか。それにしても、ミタライクラスの会社の社長が陸送することはないと思う。趣味で乗っていたのであろうか。そんなことを考えていると新藤が大きな声を出した。

「こんなところに、何か変なものが着いています。黒こげになっていますが、スカイラインR32には、こんな部品はないはずです。ちょっと、店の展示車と比較してきます」と言って、展示されているR32を見に行った。

僕は、ボンネットの中のエンジン部分を覗き込んだ。新藤の言う通り、何か変なプラスティックの燃えたようなものが、燃料噴射装置の横に引っ付いていた。元の形を推測してみると、3cm四方の立方体であろうか。

そして、その箱らしきものから、線が出ている。その線の皮膜は燃えてなくなっているが、中の銅線だけが燃料噴射装置のほうへ伸びていた。

「同年式の車には、そんなものは付いてないですよ。何かおかしいです。これは、後から付けたものに間違いありません。燃えてなかったなら、はっきりと分かるのですが・・・半分は溶けてしまっているから・・・」

「とにかく、これを外してみよう。それに、この銅線も気になる。何か細工したと思う・・・」

新藤は、そのものを丁寧に外した。

「何かタイマーのようだと思いませんか。溶けなくて残っているものに、基盤のようなものがありますよ。それと、この丸いものは、電池だと思います。まてよ、この銅線が、燃料噴射装置の横に2本ありますね。2本ということは、何か点火させるためだと思います」

「燃料噴射装置の横にあったとしても、中に入ってない限りは、火が出てもガソリンには引火しないんじゃないのかい。外にあったとしても無意味だと思うけど・・・新藤君」

「確かに、社長の言う通りですが、もしも、もしもですよ。気化したガソリンが出ていたなら話は別です。気化したガソリンがエンジンルームに充満していたなら、引火して爆発してもおかしくありません」

「そんなことが出来るのかい・・・」

「出来ます。出来ます。そうやったんだ・・・」

「何だよ、早く教えろよ・・・」と聞くと。

新藤は、燃料噴射装置の分解を始めた。

「社長」と大きな声で叫んだ。

「どうした何かあったのか・・・」

「燃料噴射装置の中のパッキンが、パッキンが半分外されています。これじゃあ、ガソリンが気化してしまいます。少しづつですが、エンジンルーム内に出てきてしまいますよ・・・そして、何かの火があったなら引火して爆発します」

「やっぱりそうか。そうだったのか。パッキンを外しているなんてことは考えられない。これと、さっきのプラスティックの箱と何か関係がありそうだな。その箱が、タイマー式で、火が出るとしたなら全てが理解できる」

僕は、何か身震いを感じた。新藤も顔が高潮している。

「新藤、もしそうなら、一つ疑問がある。事故の時に誰かの証言で、側壁にぶつかってから炎上したということは何なのだ。引火したなら、すぐに爆発してもいいと思うが・・・」

「それはそうですが、一度、軽く引火して、その時の音で驚いてハンドル操作ミスをして、2回目の大きな引火で爆発することも考えられます。多分、そうだと思います。気化しているといっても、あまりにも気化の量が多いと、ミタライの社長の家から、調布インターまでの間でも何かの拍子に引火してもおかしくありません」

「なるほどな。そういうと理解できる。目撃者は、ぶつかって爆発した火を見たのだろうな。その前にも、小さな引火爆発があったと考えることが自然かもしれない」僕も、異常な興奮を覚えた。

鑑識も、ただの自損事故だという先入観で調査したのだろうから、僕たちのように詳細には調査しなかったのであろう。

これで、何もかもがはっきりとしたと思った。

ただ、誰がこのような細工をして、ミタライの社長を殺したのであろうか。

僕は、多摩西部警察署へ向かった。新開刑事に、このことを話さないといけない。

これは、完全犯罪を遂行するためのトリックなのだ。

僕が、署に着いた時と、時を同じくして東名高速の清水インター付近でも同じような事故が起きていた。

こちらは、高速走行中に炎上して、運転者が死亡したのであるが、この事故との接点は、しばらく繋がることはなかった。

それから、5日後にも、関越高速で、似たような事故が発生した。

国内で、年間の車両火災というものは、車両故障だけでも2000件以上、その中で事故によるものは130件以上にもなっている。大変大きな数字であるから、よほど不審なことがない限り、警察としても事件として取り扱うことはないのである。つまり、一車両火災として処理されているのが現状である。

後で、分かることであるが、この3つの事故には共通点が隠されていたのだが、各事故の発生した場所、つまり、警察管轄が違うので、大きな問題にはならなかったのであった。

これが、後に、悲しくも忌まわしい連続殺人事件だということは、今の僕には知る由もなかったのだった。

多摩西部警察の刑事部屋に入った。何とも殺風景なところである。





この死んだ社長が、ある意味において、同業者だと知らされたのだ。

僕も、中古車販売のついでに、車の部品も輸出している。数は少ないのであるが、知り合いの輸出業者のコンテナに、一緒に積んでもらっているのだ。

何か引っかかるものがある。車が燃えたことについて疑問が膨らんできた。

そして、同業者である。僕は、輸出業界のことは、ほとんど知らない。

知り合いの輸出業者に、どうしても聞いてみたくなった。

オークションの帰りに、寄ってみた。

「元気か。来月のコンテナにもお願いするよ。マニラ向けだよな。少しだけど、純正以外のハンドルがある。それを積んで欲しい。それと、今回は、アルミホイールのセットもあるから、宜しく頼むよ・・・少しでも、お金にしないと大変なんだよ・・・他に、何か欲しい物があったら、言ってくれ、探しておくから・・・」

そこの社長とは、長年の付き合いである。僕が、学生のころに、中古の部品を探していた時からの付き合いだ。

今は、2代目になっていて、埼玉県内に移っていた。年は、僕と同じで、45才であった。

「雪田も元気そうだな。ハンドルとアルミホイールは、有難いな。フィリピンでは、その手のモノは人気がある。それと、CDがあったら、何でもいいから欲しい。頼むよ・・・そのために来たのか、そのためにここまで来ることはないだろう。何か他にあるのか・・・」と、僕の心を見透かした。確かに、ここは、埼玉県であり、オークションからの帰りとしても、反対方向なのだ。

「聞きたいことがある。この前、高速で燃えた車に乗っていた人が、ミタライとかいう輸出の会社の社長だと聞いたが、知り合いか・・・」

「あれか・・・そうだよ。ミタライと言って、東京の三鷹に本社がある。そこの社長だよ。俺も、何回かは会っているが、一匹狼的な人で、付き合いはない。業界でも、強面で知られていたな。新聞には、会社名は載ってなかったが、何で知っているんだ。社長の過去は、誰も知らないようだ。噂だが、昔は、マニラに住んでいたと聞いた。それで、パイプが出来て、輸出を始めたらしい。何でも、マニラでは料理人だったと聞いたな。奥さんとは、別居していて、三鷹で愛人と暮していると聞いたが、所詮、噂だよ・・・」と話してくれた。

「そうなんだ。いや、車が燃えたと聞いたからね。そんなに簡単に燃えないと思ってね。高速隊の話だと、そんなに大きな事故じゃないと言っているんだが、燃えてしまったから何も・・・」

「何か、あるのか・・・だったら、警察が動くだろ。そういう話は聞いてないな。ただ、裏で何かあるような人だと思うけどね・・・まぁ、事故じゃないの・・・」

それを聞いて、僕は帰った。

この御手洗という社長には何かがある。あるというよりも、大きな何かが隠されているのではないか。

もし、殺人事件だとしたならという思いが強くなっていった。

翌日、運のいいことに、懇意にしている、多摩西部警察署の、新開刑事が、暇つぶしに店にやってきた。

今回の事件は、僕の店のある、このエリアの警察が管轄だ。そして、その署轄の刑事だ。

何もなく暇な時に、僕の店にぶらっとやって来る。そして、時間つぶしをしていくのだ。

刑事の暇つぶしというのも、何かおかしい気がするが、この人は、店のソフアーで横になって、うたた寝をしていくのだ。今日は、一人であった。

僕は、今までの疑問を聞いた。

「雪ちゃん、思い過ごしだよ。高速隊や鑑識からは何の報告もないな。覚えているが、かなり酷く燃えていたと聞いた。ただの、事故だよ。ここは、高速が通っているから、そんなことは日常茶飯事。いちいち、そんな事故は気にしていられないよ。何もない・・・何もないと思う・・・じゃぁ、少し横になるか・・・」と言うと、大きなイビキを出し始めた。いつものことであった。

やはり、僕の思い過ごしなのであろうか。事件性はないということなのだ。

更に、疑問が出た。もし、保険金詐欺だとしたなら、どうだろう。

僕は、イビキをかいている、新開刑事を、激しくゆり起こした。

「なんだよ・・・雪ちゃん・・・寝られないじゃないか・・・本当に・・・何だよ・・」

「ちょっと聞いてよ、起きてる、大事な話だよ・・・」

「分かったから・・・何・・・何なんだよ」

「その、死んだ御手洗という社長には、保険金はかかっていたの、それも、高額な・・・」

「何だよ、そんなことか・・・何で知りたいんだよ・・・調べたらすぐに分かるよ・・・明日でいいだろ・・・」

「今、知りたいんだよ・・・早く聞いてみてよ・・・」と、冷蔵庫から、冷たい缶ビールを出した。

新開刑事は、無類の酒好きである。

しぶしぶ、署に電話して聞いている。

「折り返しだな、少し時間がかかる・・・」と言って、缶ビールを一気に飲み干した。

僕は、引き止めるために、もう一本缶ビールと、柿ピーナッツを出した。

ほどなくして、新開刑事の携帯が鳴った。

何やら、うん、うん、と言って聞いている。

「雪ちゃん、分かったけど・・・たいした金額じゃないよ。そこそこの会社らしいが、保険金は、1000万円だということだよ。何か少ないとは思うが、それだけらしい。担当の部署にも聞いてもらったらしいが、どうやら、保険というものを嫌いで、もったいないと思っていた人らしい。身辺調査もしたらしいが、かなりケチだということだな。奥さんは、別居しているらしいし、財産は、思ったほどないということだ。会社も、昔よりは売上が落ちていて、借金は、多かったということだ。また、愛人がいたということで、調査をしたが、愛人にも保険金支払いはないということだ。保険会社としても、ただの自損事故として処理するという。だから、何の問題もないな。思い過ごしだよ・・・」と話してくれた。

どうやら、保険金殺人だということは消えてしまった。

やはり、何もないただの自損事故死なのであろうか。

僕としては、振り出しに戻ったという感覚に陥ったが何となく釈然としない。

僕は、一つの考えを持った。

事故車を何としても見てみたい。そうしたならば何かが分かるかもしれない。

一度、思い込んだら後へは戻れない性格である。

すぐ、新開刑事に電話をした。

「あのね、何とかしてその事故車を見たいのだけど、何とかならないかなぁ・・・」

「まだ、こだわっていたのかい。もう、署にはないよ。解体業者に引渡したらしいな。車の置き場では見てないからな。そんなに見たいなら、どこの解体業者か調べるから、少し待っていてくれるか・・・」と言うと、電話の向こうで誰かに聞いている。

「雪ちゃん、分かったよ、山城解体という業者に引き渡したらしい。もう、処分されていたら無理だけどな・・」

「有難う。これから電話して聞いてみるよ。あればいいけどね・・・」

僕は、山城解体に電話してみた。僕の店でも、取引のある業者だから、話は早い。

電話をしたところ、明日、古鉄業者に出す予定だと言う。僕は、とにかく明日行くから、保存しておいて欲しいと話した。場合によっては、僕が引き取ってもいいと話したので、了承してくれた。

燃えた車というのは、古鉄としては何の価値もない。燃えた鉄というものは、逆にお金を払って引き取ってもらうことになるから、僕が、いくらかのお金を出すなら、持って行ってもいいと言ってくれた。





※執筆開始。順次掲載します。



よく居る客のタイプである。安くて、程度がよくて壊れないモノなんて、絶対にない。

最近は、景気の影響もあってか、このような客が増えていると思った。

このスカイラインR32という、とんでもないパワーの車に憧れる人は多い。老いも若きにも、とても人気の車である。2600ccで、ツインターボで4WDであり、数々のレースでも、素晴らしい成績を打ち立てた車である。

国内の法規制で、280馬力としているが、少し、手を入れたなら、500馬力にもなる車だ。

かくいう僕も、国産車の中では、一押しの車であった。

初期なら、国内で500万円程度で販売されていたが、外国なら、1000万円以上であった。

今日は、こんな客ばかりである。一人として、予算が届かないのだ。

今日は、一台も売れないであろうと、店を閉める時間が迫っていた。

社員の新藤が「社長、今日は駄目でしたね。仕方ないですよね・・・それは、そうと、さっき、テレビのニュースで、中央高速、八王子ICの傍でR32・スカイラインGTRが燃えて炎上していましたよ。何でも、運転ミスらしいです。側壁にぶつかって燃えたと言っていました。映像を見る限り、車は完全に黒くなって、運転していた人は、即死らしいですよ。多分、相当なスピードを出していたと思いますね。それと、死んだ人の年齢を見て驚きました。何でも、64才と出ていました。60才過ぎても、マニュアルで運転する人がいるのが、GTRですよね。さすがだと思います。このGTRはマニアなら一度は運転してみたいのですかね・・・」

「そうだよな、年に関係なく、人気の車だから・・・その年の人が運転していてもおかしくはないな。それにしても、無茶なことをするもんだ。速度リミッターをカットして、200キロ以上で走っていたのかもな・・・」

「多分、そうでしょう。そして運転操作を誤って、側壁にガーン・・・」

「回りの車を巻き込まなかっただけ、良かったな。さっ、店を閉めて帰るぞ・・・」

その時は、何とも思っていなかった。しかし、この燃えた車が、僕を事件に引き合わせたのだ。

数日後、弁護士の岩崎が、やってきた。

「おう、何かいい話はないか。最近は、刑事事件ばかりで金にならん。何でもいいから、金になる話はないか。民事で、相続の案件でもあればいいが・・・」と、ハンカチで額の汗を拭いていた。

「ないよ・・・あったら、僕にも教えてくれ・・・こんな世の中だし、事件が多いから、弁護士は儲かって仕方ないだろう。お前の、法律事務所も、忙しいって言っていたじゃないか。中古車屋よりも、いいだろう。車は売れないよ。昔は、若い奴らの趣味が車であったからな。今は、車よりも、携帯やゲームに夢中さ。その分、車に使うお金は、減っているんだよ。困ったもんだよ」と、吐き捨てるように言うと。

「仕方ないな。若い奴らの趣味が増えてきたんだ。車は、単に移動の手段になったんだよ。車にお金をかけるよりも、携帯や、そういうジャンルにお金を使うのは、時代の流れさ・・・車屋も、大変な時代だよな・・・」

「それもそうだよな・・・何とか食っていけたらいい・・・」

「ニュース見たか。この前、中央高速で、GTRが燃えていたよな。俺の家の近くなんだよ。たまたま、家にいたら、大きな音がして、外を見ると高速道路の上に黒煙が上がったんだ。高速隊の知り合いの警官が言うには、何でも、運転ミスで、側壁にぶつかったと言っていたな。その時、近くを走っていた車からも聞いたらしいが、側壁にぶつかる前までは、左端の走行車線を、そんなには、飛ばしてないで走っていたと言ったな。普通なら、炎上なんかしないと思うけど、何の関係で燃えたのだろうか。シートベルトもちゃんとしていたと言っていたし、普通なら、燃える前に外に出られると思う。スピード計も、80キロで止まっていたと聞いた。鑑識が調べたが、特に問題はなく、ぶつかった拍子で、ガソリンが漏れたらしいと判断したというのだ。完全に燃えているから、どうしようもないらしい。それで、事故として処理されたらしいな。

しかし、不思議だよな、お前なら分かると思うが、側壁にぶつかったと言っても、乗り上げただけだそうだ。車の前部は、そんなに壊れていないと言っていた。ただ、炎上したから、ものすごいことになっていたらしい。そんなことで、車が簡単に炎上するかね・・・素人の俺でも疑問が残る・・・」

「そうなんだ、その話は、新藤から聞いたよ。スピードは出てなかったのかい。それは、不思議だな。80キロぐらいで激突しても、そんなに簡単には炎上しないよ。スピンでもして、後ろから突っ込んだなら理解できるが、前をぶつけたのだろう。その拍子に、ガソリンタンクからエンジンまでのホースが外れてしまったとしか考えられないな。そして、ぶつかった時の、火花に引火した。そうだとしたら、本当に運が悪いな。スカイラインGTRという車は、そんなに簡単には、炎上することはないよ。レースでも使っているぐらいだから、安全性は、ダントツなんだけど。よほど、運が悪いとしか言えないな、新藤は、どう思う・・・」と、新藤に聞いてみた。

「社長の言う通りですね。色々な偶然が重ならないと無理ですよ。今の、車は、なかなか炎上しないような、仕組みになっていますから、そんなに簡単には・・・それと、鑑識が調査したのでしょ。それなら問題はないですよ」

そして、続けて「何かの仕掛けをしたなら、話は別ですが。そんなことはないでしょう・・・」

「仕掛けが出来るのか、それも、鑑識に分からないように・・・」と岩崎が聞いた。

「ええ、出来ますよ。整備の知識があったなら出来ます。よくテレビドラマにある、ブレーキホースを外しておくという子供だましではないですよ。専門的な知識は必要ですが、そんなに難しいことはないです」

「出来るのか・・・どんなふうに・・・」と、岩崎が驚いた。

「色々とありますが・・・例えば・・・タイミングベルトを・・・」と言いかけたところで、店に、客が来たので、この話は、ここで終わってしまったのだ。

岩崎弁護士も、丁度、携帯電話が鳴って、呼び出しとなったので店を出た。

岩崎も、車が好きである。普段の足としては、コロナセダンに乗っているが、遠出する時には、僕の薦めた、フェアレディZで飛ばしている。普段はおとなしい運転だが、フェアレディZとなると、完全に飛ばし屋に豹変する。

おまけに、何度も、スピード違反で切符を切られている、どうしようもない弁護士なのだ。

翌日は、定休日であるが、車の仕入れの関係で、車のオークションに出かけた。

国内最大の、オークションである。

日に、1万台もの国産や、外車、トラック等が出品される。

普通の中古車屋なら、そこで仕入れて、店頭に並ばせて売るのだ。

千葉県の野田市のオークション会場は、いつものように同業者で混雑していた。

偶然に、そこでも、例の燃えたGTRの話を聞くことになった。

いつものように、朝早く着いたので、中の食堂で朝食を取っていた時のことである。オークションの会員であれば、朝食は無料なのである。そして、隣のテーブルにいた人が、その話をしていた。

「このまえの、燃えた車の人は、何でも車部品を輸出している、ミタライという会社の社長だってな。ミタライというと、結構、手広くやっていたと聞いているが、知っているか・・・」すると、隣の男が答えた。

「有名だよ。ミタライなら、知っている。フィリピンやマレーシアに部品を輸出している中堅の会社だよ。部品だけでなく、車を丸ごと輸出もしている。オークションにも、来ていたよ。何でも、東京だけでなく、福岡やフィリピンにも支店があって、派手にやっていたらしい。どうやら、その社長みたいだな。しかし、何で、スカイラインGTRで、中央高速なんだ。普通、あれぐらいの規模の社長なら、ベンツか何かだろう。よほど好きなのか・・・」

「だよな・・・64才って聞いたよ。その年でマニュアルギアもないものだよな。操作ミスだな・・・」

「操作ミス・・・しかしな、何でも、昔は、かなり悪いことをして、のし上がったって聞いたぞ。誰かに狙われたんじゃないの・・・素人の運転じゃあるまいし、何かあるんじゃないのか・・・」

「まぁ、俺たちには関係のないことだな。さっ、車の下見にでも行くか・・・」

と言って、二人はテーブルを離れた。









中古車屋探偵 雪田正三の殺人日記 

東京 福岡 マニラ を結ぶ、復讐殺人

あらすじ

車部品輸出会社の御手洗社長が不可解な死をとげる。警察の発表では、高速道路上の運転ミスとして処理される。

その後、2件の同様な事故が発生する。

御手洗の、愛人であった徳野から、車に詳しい探偵の雪田のところに、調査の依頼が舞い込む。

中古車屋探偵の雪田は、調査していく上で、連続殺人を確信する。

車の構造に対して、相当の知識を持たないと実行できない、高度なトリックの復讐殺人であった。

中心登場人物

雪田正三 中古車店のオーナーでありながら、探偵を副業としている。

岩崎雄一弁護士 雪田の高校の同級生。雪田の良きアドバイザー。

中野源次郎警察署長 多摩西部警察署の署長。官僚的な中にも、人間味のある人柄。

新開徳治刑事 定年間じかの警部補。独特の勘が鋭い。酒好きで、女に弱く涙もろい。雪田の仲の良い友達。

伊吹新吾刑事 新開の相棒であり、合理的な発想を信条とする。筋の通らないことには断固反対する新米刑事。

山田健吉 鑑識班チーフ。車の事故、事件については特に詳しい。

小川俊治課長 新開に対して敵意を持つ。将来は、署長を狙っている。酒も煙草もやらない堅物。

新藤翔 雪田の店の社員。車の構造についてのエキスパート。寡黙であるが、科学的な発想がある。

出口操刑事 新開刑事を父と思っている女刑事。新開の裏で動くことが楽しい変わり者。

金田純一郎 父を殺人によって失う。復讐に一生を捧げることが、父への親孝行と思っている。

金田栄一 純一郎の父親。御手洗と仲間に殺される。

金田佐知子 栄一の妻。純一郎の母親。純一郎とともに復讐を始める。

御手洗晋 金田の父と同業者。金田の父を殺し、完全犯罪だと確信している。

浅田保夫 昔の御手洗の仲間。

倉重仁 昔の御手洗の仲間。

ボエット・チャン 御手洗の仲間で、フィリピンの輸入会社の社長。

徳野茂美 御手洗の愛人で、御手洗の手足となり動く。御手洗の死の調査を雪田に依頼をする。

一章 最初の殺人

二章 依頼

未定章

一章 最初の殺人

フィリピンのマニラ中心部より、車で北へ30分のところに位置するケソン市は、車の部品の輸出入業者が多い。

特に、バナウェ通りには数え切れないほどの業者が道路の両側に立ち並んでいる。

ケソン市というところは、過去にフィリピンの首都でもあった。

世界各国から、業者が訪れるので、色々な言葉が飛び交っている。

基本的には、タガログ語なのであるが、通りを歩いていると、英語、中国語、日本語も聞くことができる。

その通りは車部品の大きなスーパーの様相である。20フィート、40フィートの大きなコンテナも往来している。

日本で言うならば、東京・江戸川区の解体車の部品を売っている、ポンコツ街と似ている。

まともな、部品も多々あるが、出所が分からない怪しい部品も多く販売されているのがここである。

それ相応の知識がなくては、店と交渉ができないのである。

マニラ湾に面したホテルから見る、夕陽が沈む海は絶景である。

僕は、ホテルの最上階にあるレストランで、※サンミゲルを飲みながら思い出していた。

サンミゲル フィリピンで一番愛飲されているビール

半年に及ぶ、親子の復讐劇は、昨日、終わったばかりであった。

一青年の、父を慕う気持ちと、妻として女として愛した男への愛の証のための殺人。

僕は、何ともやり切れない気持を抱きながら、人は何と悲しいものであり、何と恐ろしいものであるかと考えさせられた。横には、弁護士の岩崎が、ただ、ボォーっと外を見ている。岩崎も何か思うことがあるのであろう。

地平線に、陽が沈んでいく。このマニラ湾の底深くに、金田親子は眠っているのだろう。

父親の遺骨とともに・・・

半年前。

「スカイラインGTRR32で、60万円ぐらいのものはないですか・・・できたら、色は白がいいです。雑誌に載っていたモノは売れたと聞いたので、他に何かないですか・・・走行距離も、あまりいっていないモノがいいです」と、見るからに20才前後の客が尋ねた。

「その予算なら15年以上前の初期しか無理ですよ。距離も、10万キロ以上は仕方ないですね。もう少し予算があれば、程度のいいものは、オークションでもありますが、その予算なら、あまり期待しないほうがいいですよ。それと、色々なところに問題が発生しますよ。だって、平成元年が最初で、そのあたりでも、程度のいいモノなら、今でも、200万円以上することもあります。60万円ぐらいなら、難しいですよね。どこに行っても同じだと思いますが・・・」と言うと「やはり、そうですか。無理だとは思っていたのですが、何か掘り出しモノがないかと思って・・・」

「人気の車には、掘り出しモノなんかはないですよ。安いなら、安いなりの何かがあります。後で、無駄な出費を控えたいなら、最初から相場の値段で買っておいたほうが一番です・・・」

「でも、憧れのスカイラインR32に乗りたいのです。何かあったら連絡してくれますか・・・」

過去に一度も警察に捕まったことはないのだが、人に言わせると単に運がいいだけらしい。

運と言っても人生は運だ。これも一つの幸運と思っているから気持ちのいいものである。

ここだけの話だが、結婚という悲運があったから他は幸運なのだと自分に言い聞かせてしまっている。

結婚というものが何故悲運なのかというと、自分が昔から夢見ていた結婚とはかなりかけ離れた現実があるということは悲運なのだと思う。決して、今のだんなに大きな不満はないが何か違うと思う。これは心の中だけに留めているべきものであるから・・・。

車に乗ってエンジンをかけようとしたがいっこうにかからない、何度キーをひねってもセルモーターの回る音しかしない。素人だからボンネットを開けても分かるはずもない。10回はまわしてみただろうか。

はて、困った。そういえば、20日以上車に乗っていない。だんなも車にはめったに乗らない人であるから、大半は私が乗る。本当に困ってしまった。とりあえず諦めて、歩いていくことにした。

車のことは後でもう一度やってみて駄目なら修理屋さんを呼ぶしかないだろう。

10年以上も前に買った中古であるし、10万キロ以上は走っているポンコツなのだが家計の関係で新しい車を買うことは無理なのだ。

雨の中を傘をさして、30分の距離だ。しまむらに着くと店は混雑している昨日大安売りのチラシが入っていたようだ。とにかく、息子の下着を買って店を出ようとしたところで声をかけられた。

「祐樹くんのお母さん」と振り向くと、息子の学校の同じクラスの泉さんというお母さんだ。

いつも思うのだが、どうして何何さんではなくて、息子や娘の名前の後にお母さんというのだろうか。

私には、田口ひとみという名前がある。何故、祐樹くんのお母さんと呼ばれるのかと思う。

田口さんでいいと思うのは私だけなのか。

「沙織ちゃんのお母さん」と私も同じように返事をしてしまった。これだから意味がないのである。

「こんにちは、今日はお買い物」と沙織ちゃんのお母さん。「ええ、息子のものをね」と実につまらない会話である。

「そうなの、私も娘の服を・・・」と言う。「うちと同じね」と返す。

「嫌な雨ですね」と沙織ちゃんのお母さん。「ええ、車が壊れて歩いてきたのよ」と私。

「車が調子悪いの、うちは整備工場だから見てあげようか」と沙織ちゃんのお母さん。

「えっ そうなんですか。キーを回してもエンジンがかからないのよ」と話すと、バックから携帯を出して何やら電話している。どうやら自分のだんなに電話して説明しているようだ。

「これから帰るの、もし、よかったら主人が見てもいいよと言っていますが・・・」と何か変な展開になってきた。

「沙織ちゃんの家はどこですか」とまるで沙織ちゃんに聞くような会話である。つまり、この沙織ちゃんのお母さんの名前は知らないである。連絡簿には子どもの名前しか出ていないし保護者会でも名前は呼ばないし、全く知らないから何何ちゃんのという会話になってしまうのだ。

「いいんですか、とても助かります」と一礼したら、「家を教えて下さい。主人に伝えますから」という返事。

それと私の家まで沙織ちゃんのお母さんが車で送ってくれるというのだ。何という幸運なのか。

30分雨の中を歩いてきたのだから渡りに船というのであろうか、それに車も見てくれるというダブルラッキーだ。

沙織ちゃんのお母さんは、幸子さんというらしい。私の家までの道の説明の中で幸子が先に行っているからねという言葉があった。沙織ちゃんのお母さんは幸子さんというのだ。この幸子さんが後々とんでもないことを引き起こしてくれるのである。しかし、何故車のエンジンがかからないのか、1年前に近くのディーラーで車検を行ったのに。まあ、車検というものは安全性のことだけで詳しく車を見るということはないということを聞いたことがある。

車の故障と車検とは別ものなのであろう。家計の問題で定期点検もしていないし、10年以上も前のポンコツだから仕方ないとも思う。

私の家までの道の車の中で幸子さんが、面白いことを話してくれた。

保護者会でしか会わない人だから何か新鮮な感覚を持ったのも事実である。

「祐樹くんのお母さん、変な話だけど駅のソバのヒールっていう婦人服店知っていますか」と言うのである。

ヒール、ヒールどこかで聞いたか見たことがある。

どこだったのかと考えではっとした。先日、艶子さんに連れられて行った店なのだ。

「一度、行ったことがありますよ。久保さんという男の人が店長でしょ」と言うと「そうですか、今後とも宜しくお願いします、実は私の弟なのよ。旧姓は久保というの。一番下の弟が1年前から店を出しているのだけどなかなか売上がなくてね。」というのである。

面白い展開になってきた。「そうなの、行ったことは一回だけど・・・」と答えると「協力してもらうと助かるのよ」

と少しだけ懇願しているのだ。

「そうなんですか、今度行きますよ」と心にもないことを言ってしまった。この店は先日行って分かったのだが若い人のモノが中心で私の年代のモノは少ないのである。

そんな話をしているうちに家に着いたのである。ほどなくして幸子さんのだんなさんも着いたのだ。

だんなさんは、なかなかのいい男である。背も高く私の好きな醤油顔なのだ。昔、少年隊にいた東山によく似ている。どうみても車の修理屋さんというイメージとは違う。

私がキーを渡すと何も言わずに車に乗り込んでキーを回している。何度やっても駄目なようだ。

「一度、工場に入れないと・・・」と、この場では分からないようだ。内心、ボンネットくらい開けてみて欲しかったのだがプロがそういうのだから仕方ない。

「そうですか、すみません。主人と相談して連絡します」と伝えたのだが、早いほうがいいと言うのだ。

つまり、明日以降になると別の車の修理が混んでしまうので遅くなってしまうというのだ。

「今日のほうがいいですか、いくらくらいかかります」と聞いてみた。

「早いほうがいいです。どれくらいかかるかは見てみないとわかりません」と坦々と言うのである。

今見たのとは違うの、今は見たとは言わないのと喉まででかかった言葉を呑み込んだ。

祐樹の学校の同級生でもあるし、ここでもめても問題だと思ったのである。

「そうですか、ではお願いします」と言ってしまったのだ。本当は値段も知りたいところなのだが・・・

だんなさんは携帯でどこかにかけている。どうやら自分の工場の社員へ私の家までの道順を教えているようだ。

「後、10分くらいでうちの社員が引き取りにきますから少し待っていて下さい」と一言。

口数の少ない人である。

「祐樹くんのお母さん、私は先に帰りますね」と幸子さん。

どうもありがとうと軽く会釈して見送ったのである。

車庫の中には私と幸子さんのだんなさんの二人になってしまった。

「来るまでお茶でもどうですか」と一応社交辞令的に話したのだが、即結構ですと首を振られた。

その結構ですという仕草が何かカチンときてしまったのだ。他に言い方はあるだろう、手を開いていらないというような仕草なのだ。少年隊の東山なら決してそんなことはしない・・・と。

沈黙の時間が過ぎていく、黙っていたならいい男なのに・・・

すると、大きな車が一台家に横付けになった。どうやら私の車を積み込む積載車らしい。

だんなさんは、社員の人二人で手で車を押して表に出して、積載車の後ろを下げてワイヤーで私の車を引っ張って積んでいる。昔このような光景を高速道路のパーキングで見た。

壊れた車を引っ張って積み込んでいるのだ。

確かに見ていると面白いものだ。するすると車が載っていく、そして、トラックの後ろの部分が元に戻るのだ。





私の家からは自転車で3分のところにあるパン屋だ。

「ごめんなさい、ありがとう、昨夜寄る時間がなかったから今日寄ろうと思ったの・・・」とすまなさそうに話したら「気にしないで、近くの常連さんだから」と言ってくれた。

「それでね。昨日の艶子さんのこと少し聞かせて欲しいのよ」と真面目な顔で聞いてきた。

「パン屋のほうはいいの」と聞くと。ご主人と祖母がいるから大丈夫ということである。

パンを持ってきたのも、そのことを聞きたいことなのかと思った。

世の中の人は人の行動や噂は好きなのであるから仕方のないことなのかもしれない。

この小田さんも同じなのだ。小田さんの奥さんという呼び方をしているが、小田薫子というなにやら素敵な名前なのである。年は私と同じくらいだと思うがはっきりと聞いたことはない。すらりとした清楚な感じのする女性である。娘さんが一人いて近所の中学に通っている。ご主人はもの静かなさもパン屋さんという風体である。何がパン屋かというと、四角い顔に大きな目とメガネをしているので何やら食パンマンという雰囲気だと私の子どもが言っている。言いえて妙であった。

「少しならいいわよ」と薫子さんを居間に誘った。

コーヒーでも煎れるわねと言うと、こっくりと頷いて椅子に腰掛けた。

「綺麗な部屋よね。新しいからいいわね」と部屋中を舐めるように見渡している。

この人も結構普通の女なのだと感じた瞬間であった。

コーヒーを煎れながら、茶菓子に煎餅を出す。

「それで、艶子さんは何を買ったの」と聞いてきた。昨日は服を買うために付き合ったことしか話していなかったので気になっているらしいのである。

「ちょっと派手目なカーディガンよ、60に近い人には無理がありそうだけど似合うと言ったらはしゃいでいたわ」

と、多少バカにしたように話すと「色は・・・」と聞いてきたので赤と答えると、大きな声で笑いころげている。

「あの人に赤は絶対に似合わないよ。誰かいい人でもできたの」と煎餅をぼりぼりと食べながら一人で笑っている。

私も笑いたいのだが昨夜の子どものことがひっかかっていて本気で笑うには少し気がひけたのも事実だ。

「へぇ 赤ね。今まで一度も見たことがないわ。何かあったのかしら」と不思議そうにしている。

「色もそうだけど、何故、田口さんに見てもらいたいの」と逆に質問された「そこなのよね。私ではなくてもいいと思うのよ。どうして私なのかがひっかかるのよ。それに昨日の夜にお礼とかいって だんご を持ってきたのよ」

と言うと。「服の見立てのお礼が だんご なの。それとあの人がお礼といって持ってきたの」と全く信じられないようである。かくいう私も全く驚いてしまったのも事実なのだが、子どもに対してはとても優しい人だと薫子さんに話したのだ。

さらに、驚いたように「子どもに優しい・・・あの人が子どもと話している光景なんか見たことないよ」と薫子さん。「私の娘が挨拶しても全く無視しているの。だからこのあたりの子どもたちは誰も相手になんかしないのよ」と

何年も前からそうだというのである。子どもが小遣いを貰ったというと、目がテンになってしまった。

「お小遣いまでくれたの。絶対にありえない・・・」と本当に信じられない顔をしている。

私も薫子さんと同じ気持なのだが、事実を見てしまっているので何ともいえないのである。

「服を見立てて、誉めたことがよほど嬉しかったのかなぁ」と私が言うと。

薫子さんは、それだけではないと思うというのである。それだけではないということは何か他意があるということか。何だろう。何やら急に不安になってきた。涼子さんがいうように、ここに住んでいる限り、背後霊のように付きまとってくるのだろうか。頭の中で色々な妄想が回り始めてしまった。大変なことになったのかもしれない。

そうこうしているうちに1時間が過ぎたであろうか、薫子さんとのたわいもなく何か心に残る話が終わりを告げた。

「そろそろ戻るはね。昼の時間はかき入れどきだからあまり油を売っていると義母に怒られるから」とそそくさと帰っていった。

何か心にひっかかったのは、言うまでもない艶子さんのことである。

私に白羽の矢を立てて、これからも子分のように使われてしまうのだろうか。勝手に人の家に入り込んで好き勝手なことをするのだろうか。

色々と考えているうちに、お昼になってしまった。洗濯も掃除も残したままである。

とにかくそれだけは済ませないといけない。大慌てで取り掛かったのだ。

昼はいつも簡単な食事で済ませている。どこかの○○○セレブとは違う世界である。

昨夜の残りものかインスタントラーメンというのが定番なのだ。

特に好きなものは、とんこつラーメンだ。何故かというと出身が九州ということもあって異常なくらい好きなのである。それも九州のメーカーのマルタイラーメンが一番である。棒ラーメンでかなり昔から販売されている九州出身の人なら絶対に知っているラーメンなのである。私にとってはインスタント麺ならこれしかない。

以前住んでいたところにはこのインスタント麺を置いている店はなかった。ここに越してきて発見したのであるが、その時の興奮は絶対に忘れることができないものです。たかが、インスタントされどインスタント。

ということで、昼はこのラーメンにゆで卵とキャベツを入れて食べることにした。

ちなみに、だんなは関西の人なのでうどんが好きなのである。私としては夜もラーメンでもいいと思うのだが、だんなが許してくれない。関西人はうどんに対して異常なくらい特別な考えを持っていると分かった。しかるに、私も同じである、とんこつラーメンに対しては。息子は何もなく好きなものは好きという感覚である。

生まれた環境で人というものは愛着を持ったり、人が生まれた地域の食べ物に対して否定的になったりする。

これにはほとほと困ることがある。

実は、この地域に越してきて、最初に出会った人は当然なことではあるが、隣の伊藤さんであった。

この伊藤さんという人は、右隣の人でだんなさんは、電気関係の会社の社員ということらしい。

その引越しの挨拶の時に、今後とも宜しくということで蕎麦を持っていったのだが、だんなさんが蕎麦アレルギーということを左隣の渡辺さんという人から聞いた。渡辺さんという左隣の人はどうやら何かの公務員ということらしい。らしいというのは、そんなに深い付き合いもしていないし、お互いに干渉しないでいて欲しいという気持もあってか、挨拶程度の付き合いなのだ。両隣の人がどういう人なのかは2年たった今でもはっきりとは知らないのである。この地域は会社勤めの人や奥さんがパートで働いている人が多いので、私のような完全な専業主婦は少ないのだ。

伊藤さんのだんなさんは、蕎麦アレルギーということで、蕎麦の成分が入っていたなら大変なことになるというのである。以前に蕎麦アレルギーという病気を何かのテレビで見た記憶がある。

とにかく、蕎麦を食べたなら救急車を呼ぶくらい大変で場合によっては命を落とす危険があるらしい。

そんな人に蕎麦をあげてしまったのだ。何も知らないということは恐ろしいことであるから、今は、何かを誰かにあげる時には、カタログという形にしている。そのカタログの中から好きなものを選べばいいというのだ。

本当に便利な世の中になった。

私としても何かを貰うならそのような形で貰ったほうが有難い。

ラーメンを食べながらそのようなことを思い出していた。今日は、昼から息子の下着を買いにファッションセンターしまむらに行く予定なのだ。外は曇りで今にも雨がザァーッと降ってきそうである。

愛用のマルキン自転車ではおっかない。車も一台持ってはいるが最近ガソリンが高騰しているので、できるだけ自転車を使っている。今日は車になりそうだ。前にも書いたが、過去に2回自転車でこけて大きな怪我をしているので片手に傘を持って自転車に乗るということは怖くてできない。また、頭を打ってハゲにでもなったら恥ずかしい。

と、食事の片付けをしていると大きな雨の音が聞こえてきた。やはり雨が降ってきたようだ。干していた洗濯物を急いで取り込んだ。

さて、今日は車でお出かけとなる。決して車の運転は上手ではないが、ゴールド免許という自信はある。