GTR?・・・年式は分かるの・・・それと、その事故車両は、どこにあるの・・・」

「年式は、御手洗とかいった社長の乗った車と、近いぞ。どちらも10年位前だ。車両は、残念ながら、処分されている。それ以外は、怪我で入院している奴に聞かないと分からないな。何か臭わないか・・・雪ちゃん」

2つの県警に行ってみるしかないね。それと、死んだ人と入院している人の職業は何・・・」

「すまん、言うのを忘れていた・・・死んだのは、浅田と言って、雑貨の輸入だ。もう一人は、中古部品の貿易だ、倉重と言う名前だ。倉重も、浅田も貿易に関係している。何かあるぞ・・・何か・・・」

「新開さん、もっと詳しく分からないの・・・何かあるよ。似ている。あまりにも似ている。署としては、どんな動きになるの・・・」僕は酔いが完全にさめた。

「いや、まだ、調査の段階だな。俺と出口刑事で調べている。御手洗の件も、捜査としては、壁に当たっている。EGIや細工したタイマーのような部品は、本庁の科学捜査研究所で化学的に調べているが、まだ、時間はかかるだろう。どっちにしても、二つの所轄に行ってみないと分からない。俺は、明日、群馬に行こうと思っている。倉重という男にも会ってみたい・・・入院している病院も分かっている。前橋南警察署の担当の話だと、重傷だが、話は出来るということだ・・・聞く価値はあるな」

「新開さん、俺も行くよ・・・前橋か・・・明日、一緒でもいいかい・・・」

「あぁ、明日、前橋南警察署で会おう。俺は、朝一で行くから、10時には着いていると思う」

「分かった。僕も10時には着くように行く・・・・」と、言って電話を切った。

今の話を二人に話した。

徳野さんも、同行することになった。残念だが、新藤には店を見てもらわないといけないので、留守番となった。

御手洗との何らかの接点が浮かび上がったかのように思えた。

明日が楽しみである。徳野も、興奮を抑えきれないようであった。

何か、新しい発見があればいいのだが・・・

翌朝、前橋南警察署で新開刑事と会った。病院の医師へ、連絡しているようで、30分ぐらいならOKだと言う。

僕と、徳野と新開刑事、そして、出口刑事と、前橋高木総合病院へ向かった。

署より、15分のところにある、大きな病院であった。

受付で説明して倉重のいる病室へ向かった。個室であり、入口には、倉重仁と書いてある。

ドアを開けると、頭や腕に包帯を巻いた男がベッドに寝ていた。

顔は、両手で火を塞いだのであろうか、目も口も鼻も火傷はしていなかった。

「倉重さんだね。多摩西部署の新開です。ちょっとお話を聞かせてくれませんか・・・」

「ああ、多摩西部署?・・・前橋南署ではないのか・・・」と、こちらを振り向いた。年のころなら、御手洗と同じぐらいの年である。続けて、倉重が言う。

「取調べは、終わったのではないのか。まだ、何かあるのか。東京の刑事が何の用だ・・・」と、怪訝そうに聞いた。

「もう一度、事故の時のことを話してもらいたい。何度もすまないが、ちょっとな・・・」と新開刑事が言った。

「何もない。ただの事故だ。言うことはない。疲れているんだ。早く帰ってくれないか。病人なんだぞ・・・」

「それと、他の奴は刑事か・・・」と、僕と徳野を見て聞いてきた。

「僕違いますが、聞きたいことがあって来ました。倉重さんは、御手洗さんという人とは知り合いですよね・・・」僕が聞いた。

「御手洗・・・誰だ・・・そんな奴は知らない。俺と何の関係があるんだ。早く帰ってくれ・・・」と言う。

「倉重さんよ・・・そんなに聞かれちゃ困ることでもあるのかい。今、話してくれたなら、もう来ることはない。話してくれないなら、何度でも来るしかないな・・・」と新開刑事が、脅すような口調で聞いた。

「何だ、何か俺が犯罪者のような口ぶりだな。何も知らん。何も言うことはない・・・」と、横を向いた。

「何も知らないということはないだろう。倉重さんが、起こした事故なんだ。何か隠しているのか・・・隠しているなら、礼状を持って来るしかないな。それじゃ、困るのはあんただな。それでもいいなら・・・」

「何だ。この重傷の病人を犯罪者扱いか・・・東京の刑事は・・・どうしようもないな・・・それで何だ・・・」

「最初から、素直にいこうや・・・それでな、事故の原因は何だ・・・」と、新開刑事が間髪入れずに聞く。

「車から火が出たんだよ。走っていたら急にボンネットの中から火が出た。それで、あわててハンドルを切って路肩に止まろうとしたが、ブレーキもきかなくなって、それで、路肩の壁に激突した。何が原因だかわからん。火は出るし、ブレーキはきかないし、何が何だか・・・ドアが変形していたから、すぐには外に出られない。そうこうしているうちに車内に火が入ってきた。それで大火傷だ。運よく、近くのトラックの運転手の何人かが、消火器を持ってきてくれて、何かバールのようなものでドアを開けてくれたから、何とか外に出られた・・・」

「そうか、それで、走っていて、火が出る前に何かなかったか・・・」

「そういえば、ボンネットの中で何かが爆発した音を聞いたな・・・それから、今度は大きな火がボンネットを覆った。前は何にも見えなかった・・・これでいいだろう・・・」

「あぁ、よく分かった。もう一ついいかな。その車は、倉重さんの所有か・・・」

「・・・3日前に買ったものだ・・・」と、ふてくされて言う。

今度は僕が聞いた「雪田と言います。二、三、聞きたいことがあります。何としても倉重さんに聞きたい・・・」

「何だ・・・早くしてくれ・・・医者を呼ぶぞ・・・俺は、病人なんだからな・・・」

「もう少しで終わりますから・・・御手洗さんという男を知らないと言っていましたが、本当に知りませんか。この前、中央高速で、倉重さんと同じように、車から火が出て、それが原因で死んだのです。それと、東名高速では、浅田さんという人も、同じような事故で死んでいるのです。倉重さんと何か関係がある人ではないですか・・・」

と聞くと、倉重の顔が一瞬ではあるが、何か怯えて硬直したように見えた。

「その御手洗という奴と浅田という奴が死んだのか・・・それと俺とが何かあるのか・・・俺は知らん・・・」

「そうですか。僕たちは、その件について調査しているのです。何らかの関係があると思います。乗っていた車も、スンイラインGTRなんです。遅れましたが。東京で、車屋をやっています。そして、この女性は、御手洗さんと親しい方で、徳野さんと言います。御手洗さんの事故死の件で、不審な点があるので調査しているのです。単なる事故じゃないと思っています。何らかの細工が車にしてあったのです。本当のことを話してくれませんか。もし、知り合いなら、倉重さんも殺されそうになったに違いないのです。そして、浅田さんは殺されたのです。運よく、倉重さんは、助かりましたが、また、命を狙われるかもしれないのです・・・」

僕は、かなり強い口調で問いかけた。それを聞いていた新開刑事が、口を出してきた。

「あんた、今、手が震えているな、何でだ。何かを恐れているのか・・・このままなら、あんたも狙われるかもしれない。ここで話しておいたほうがいいだろう・・・どうだ」と諭すように話した。

「俺が狙われている・・・・何でだ。俺は何もしていない・・・命を狙われることは何もないはずだ・・・」

確かに、倉重の手は震えていた。顔の相も、別人のように変わっていた。

「こんなに言っても、知らないのかね。あんたが、何も話さないと、捜査も出来ない。捜査が出来ないということは、警察としても、あんたを守ることもできない。もし、隠しているなら、犯人は、また、あんたを殺しにかかると思うが、警察としては、何にもしてやれないな・・・さっ、帰ろうか・・・」と新開刑事が帰ろうとした。

「待ってくれ・・刑事さん・・・話すから待ってくれ・・・全部話す・・・」と、僕たちを引き止めた。

僕は、倉重の顔を見た。完全に何かに怯えている様子だ。

「御手洗も浅田も知っているんだな・・・倉重・・・」と、新開刑事が聞いた。

「はい、私の知っている奴らなら、20年以上も前の仕事仲間です。一緒に小さな会社を経営していました。年も同じぐらいです。20年前に、お互いに別れて別の仕事を始めたのです。その当時は、車の中古部品の貿易をしていました。その二人だとしたなら知り合いですが、もう、何年も付き合いはありません。もしかしたら、別人かもしれません・・・下の名前は分かりますか?・・・」

「御手洗は、晋。浅田は、保夫です。皆、64才です・・・」と、出口刑事が答えた。






別に、艶子さんは何もからんでいないと思いたいが全ては艶子さんという人と出会ってからろくなことはないと感じてしまった。やはり、疫病神の使いなのかもしれない。

今度のむ不動産の件にしても何か簡単に事が運ぶということは考えられない。

しかし、だんなは経理であって営業ではないので、多分、営業の人に話しをしておけば関係ないのだと思った。

昨夜からの疲れのせいで、湯船の中で少し眠っていたようだ。

こっくりこっくりとしたせいで、風呂の壁に頭をぶつけて目が覚めてしまった。

かなり疲れているのだろう。体力というよりも精神的なもののほうが大きいのだ。

今夜は、早く寝よう。どうせだんなは11時過ぎになる。簡単な食事は作ってあるので問題はない。

しかし、ここに越してきてからの2年間は色々なことがあったものだ。

家庭の中での問題は何もなかったのだが、私を取り巻く人たちには色々なことが起こった。

そして、その中でも今年は特に記憶に残ることだらけである。

さらに、今年の後半に入ってからのハプニングは特に多いのだ。

そんなことを考えながら床に入った。時計を見ると11時半になっていた。

ふと、目が覚めると1時になっていた。疲れているのに寝つきが悪い。床の横を見ると、だんなの姿がない。

とっくに帰ってきていいはずなのだし、最終電車が駅に着く時間はとっくに過ぎている。

何か胸騒ぎを覚えた。どんなに遅くても1時前までには家に帰っていたのだが、何かあったのであろうか。

もし、何かがあったのなら電話がかかってくるに違いない。

どこで何をしているのだろうか。本来、今日は会社が休みなのであるが、やり残した仕事があるというので出社しているのだ。そう思うと何か大きな不安が湧いてきた。

ひょっとして浮気をしているのではないか、事故にあって怪我をしているのではないか、もう死んでいるのではないかと考え始めたら、眠気が完全になくなってしまった。

30分ほど不安な時間を過ごして、思いきって携帯に電話をかけてみた。

数秒の呼び出し音で、いつものだんなの声が聞こえてきた。

どうやら、駅のホームで人身事故が発生して、5駅前で止まっているという。

安堵感が私を包み込んだ。だんなに何かあったなら、この先どうして生きていったらいいのだろうかとも考えていた。所詮、私はだんなのパラサイトなのか。一人では何もできない女なのか。安堵感と寂しさが同時にこみ上げてきて、涙が止まらなかった。

台所に行って、だんなのために作っておいた料理をみて、さらにもう一品好みの料理を加えておいた。

夕方に簡単な食事をしているだけということを電話で話していたので、ちゃんと作っておいてあげようと思った。

これが幸せというものなのであろう。

居るべき人が傍にいることの幸せ。

15分くらい居間で待ったであろう。玄関の開く音がして、だんなが居間に顔をだした途端に走り寄って抱きついてしまったのである。だんなは何のことかわからずに戸惑っているのが分かった。

だんなが食事しているのを横で見ながら幸せという実感をかみ締めていた。

その夜は、艶子さんからの不動産の依頼のことは言わなくて、だんなとゆっくりとした時間を過ごすことができた。

ここで、艶子さんのことを言うと、何か幸せがこぼれてしまうと思ったのだ。

翌朝、日曜日なので遅寝を決め込んでいたし、息子が帰ってくるのも夕方であるから、のんびりしたいと思っていた。

横で寝ている、だんなを起こさないように静かに床を出た。

9時を過ぎている。外は秋晴れで陽がまぶしい。

簡単な朝食を作っておいた。だんなが起きてきたら一緒に食べようと思ったのである。

だんなとも13年になる。私のさじかげんでここまできたのかもしれないし、だんなのさじかげんで私は居るのかもしれない。夫婦というものは、ちょっとのさじかげんで何とかなるように思った。

だんなが寝ているので、掃除や洗濯は止めておこう。その音で起こしたら可愛そうだと思った。

しばらく、居間でのんびりしていると、だんなが起きてきたので、一緒に朝食をとった。

休日に、二人だけの朝食というものは何年もない。

何かとても新鮮な感覚になっていた。

艶子さんの不動産のことが頭にはあったが、今の幸せを満喫したいという思いが強くあったので、午後に様子をみて話そうと考えていたのである。

二人だけの食事が終わって、掃除、洗濯に取り掛かった。

どうやら、だんなはまだやり残した仕事があるようで、居間で書類を書いていた。

一通り、掃除と洗濯が終わった。

どうやら、だんなも一区切りついたようである。今は遅い昼食を食べている。2時を過ぎていた。

昼食といっても、インスントのパスタである。

艶子さんのことを話すいいチャンスであると思ったので、思い切ってだんなに話しかけてみた。

昨日、艶子さんから聞いたことを全部話したのであった。

と、すると、だんなが急に艶子さんの家の写真を撮りたいというのである。

どうやら、その画像を営業の人に見せるというのだ。

艶子さんの家は近いので、楽に行って帰られる。一番大事なことは艶子さんに会わないことだ。

会ったとしたならば、だんなもいるから長い話になるかもしれない。

できるだけ家から離れたところで写真を撮ることになった。

艶子さんは、多分だんなの顔を知らないので、二人一緒にいなければ分からないかもしれない。

二人で艶子さんの家に向かった。だんなは、私と離れて歩いている。ほどなく艶子さんの家が見えてきた。

私が艶子さんの家を目で示すと、だんなはただの歩行者という感じでデジタルカメラを家に向けて撮っている。

何かその光景を離れて見ていると滑稽に思えてきて可笑しくなった。

心の中で思った、この家がなくなれば私は日常生活で居間よりももっと楽になるかもしれないと。

何枚か写真を撮ったようである。用が済んだのなら早く退散するにこしたことはない。

いつ、艶子さんが顔を出してきるかもしれないのだ。

運よく顔を合わせずにすんだ。二人して急いで家に戻った。

明日、会社で営業に聞いてみるというから、ある程度の結論はでるのだろう。

土地はかなり広いのであるが、平屋の建物は絶対に価値がないと思う。

庭も大きいのだが、庭木の手入れは全くされていないから、まるで雑木林のようでもある。

玄関の表札にもひび割れがあるし、玄関のドアのガラスも一部分にヒビが入っている。

屋根の瓦もところどころずれているし、どうみても何の価値もない建物だと誰が見ても分かるのだ。

50年もたつとこのようになってしまうのか、否、50年であっても手入れ次第であろう。

50年というのは近所の人の勝手な推測であるが、私が見てもそれくらいは経過していると思う。

家に戻って、だんなに聞いてみたところ、建物の資産価値はゼロということであった。

不動産の営業ではないが、だんなも一応、宅地建物取引主任の資格は持っているのだから分かると思う。

明日、営業の人に写真を見せてから、艶子さんとの相談になるらしい。

本当は、土地の登記簿謄本があれば、より詳しい土地の面積等がわかるらしい。

土地の場合は、見た目ではなくて、土地の権利形態も重要になる。

所有権なのか、借地権なのか、もしかしたら底地は他人かもしれない。また、何らかの抵当権が設定されている場合もあるから、見た目で判断はできないということだ。

もし、借地権であるならば何年の契約なのかということも大きな要因になるらしい。

仮に、艶子さんの場合は建物だけが所有権ならほとんど価値のないことになる。

人の家は表面だけでは分からないことばかりである。

そんなことをだんなから聞きながら、家を売るということは以外と大変なのだと実感した。

それにしても、今日のだんなはよくしゃべる、普段はワンワードトークなのだが、不動産となるとどうやら人が変わってしまうらしい。さすがに、経理と言えども不動産会社の社員である。

何か頼もしい感じがした。確かに、この建売を買う時にも、だんなは東奔西走していた。

私は全く素人なので、ただ、家を見てこれならいいかという形での参加だけであった。

それにしても、艶子さんは何故家を手放すのだろうか、だんなも何故なのと聞いていたが詳しいことは話してくれないので一向に分からないままに話が進んでしまっている。

どちらにせよ、私たちには関係のないことであるし、できたら早く越して行って欲しいというのが本心だ。

秋の日は、つるべ落としというだけあって、4時を過ぎると外は急に薄暗くなっていく。

ほどなくして、玄関のチャイムが鳴った。息子の帰還である。帰還というほどのことではないかもしれないが、一日息子がいないということは何か不安なものである。

息子の顔を見て、ほっとしたのと同時に、息子がお世話になった友人の家にお礼の電話をかけた。

今夜は、3人で美味しいものを食べようということで、近くのファミレスに出かけることにした。

息子の好きな焼肉レストランである。また、明日から会社や学校が始まるし私の家事も始まる。

その日の夜は、焼肉レストランでとても楽しい親子の会話になったのであった。

次の日の朝である。

いつもの朝の始まりである。

朝の8時半ころであった。

電話が鳴り、出てみると艶子さんからだ。どうなっているのかという催促であった。

だんなに話しておいたから夜までには何らかの話があるというと、早く連絡してくれと言って切れた。

本当にせっかちな人である。

今日は、特に何もすることがないので朝から近所のスーパーに行って買い物をしたいと思った。

私の近所のスーパーでは、午前中割引というものがあって、午前中なら30%割引という商品が沢山ある。

夕方にも時間サービスというものがあるが、午前中にも客が来てほしいということで始めているのであろう。

洗濯が終わると愛用の自転車にまたがってスーパーに向かった。

店の中は思っていたより混んでいない。

必要なモノを右回りで買っていきながら、どうしてどのスーパーも入って右側に野菜コーナーがあって、突き当たりあたりには魚や肉コーナーがあるのだろう。多分、客の動きを読んでいて何かそのようにしたなら商品が買いやすいというより売りやすいのかもしれない。

そんなことを思いながら、割引商品を買い物カゴに入れていた、すると、後ろから声をかけてくる人がいる。

ふっと振り返ると、涼子さんであった。この人も午前割引のために来たのであろうか。

「早くから大変ね」と笑いながら立っていた。

涼子さんと会うのも久しぶりである。近所では艶子さんのライバルというか、艶子さんに何でも言える人として通っている。

そこで、ふと思った艶子さんには口止めされていたのだが、艶子さんが家を売りたいということを言っていることを聞いてみようと思った。涼子さんなら何の問題もないのではと思ったのだ。






一度、テレビに出てから有名になったと聞いている。とんこつ醤油の細麺らしい。

その店の前はよく通るのだが入ったことはなかった。近づいてみると外には9人ほどが順番待ちをしていた。

何分待つのかが分からないので、前にいる人に聞いてみると10分くらいだというので、順番に加わった。

待ちながら、今日の警察署でのことを思いだしていた。

最初は緊張感で張り詰めていたのに最後は笑っている自分がいたのである。不思議なことだ。

それと、最後に坂木刑事が言った言葉が妙に警察に親しみを持ってしまったのである。

それは、「何かあったら遠慮なく私に相談して下さいね」ただ、それだけなのだが何か安心したのだ。

地元の警察に一人知り合いができたということは何かあったなら助けてくれるのだろうか。

そんなことを思いながら、順番がきたので席についた。

私は、九州の出身だから、とんこつ味が一番である。しかし、こちらの地域に来てからは、とんこつ醤油味もいいものだと思っている。濃くのあるスープを一気に胃の中に流し込んだ。

そして、悲しいけども人はそんなに信用してはいけないのかと思い直した。

しかし、人を信用しないと生きていくこともできない。

人は人にとって必要なのだ。人がいるから人として生きられるのだ・・・なんて勝手に思いながら

久しぶりに外食のラーメンを堪能していた。

三話 艶子とその息子と不動産

その日の夕方である。午前中は、警察署に行っていたので家事が何もできていない。

おお慌てで洗濯して干して、少しだけ寝ようかと思っていた。

ラーメン店の帰りに近くのコンビニで夕食の材料になるものを少しだけ買ってきたので今夜はなんとかしのげそうである。

ソファーにゴロンと横になりながら、うとうとしていると勝手口を叩く音がする。

確か、今日の5時くらいに来るといっていたのを思い出した。

昨夜、知り合いの葬儀で出かけるという嘘をついていたのだ。てっきり忘れていた。

その場しのぎの嘘というものは、しっかりと忘れているものである。

これは艶子さんに違いないと思い。居留守をしようと思った。たまの居留守くらいいいではないか。

私にも私の自由な時間があってもいいはずだ。誰にも邪魔されない時があってもいいではないか。

何か今日は朝からとても緊張していたので、これ以上緊張することは嫌なのである。

艶子さんと会う度に寿命が半年は縮まっていると感じているのだ。

私は、以外と気が小さいのである。気が小さいから、うまくさじかげんができないのかもしれない。

人と付き合う時の微妙なさじかげんというものが足りないのではないかと思っている。

勝手口を叩く音を少し無視しているとやがて静かになった。居ないと思って帰ってしまったのなら有り難い。

すると、今度は玄関のチャイムがけたたましく鳴り始めた。どうやら玄関に回ったようだ。

10回くらいチャイムが鳴って静かになった。何か私が悪いことをして隠れているような錯覚に陥ってしまった。

何故、逃げ隠れしないといけないのか、何故、こんなことになったのか。

つくづく、自分の不幸を恨んでしまった。もっと言えば、ここに越してこないほうがよかったのではないかとも思ってしまう。私の子供には優しいのだが、その優しさが大人の私へは全くない。

それ以上チャイムが鳴らないので、完全に諦めて帰ったようである。

まるでストーカーのような人である。

それからしばらく、夢ごこちになっていると。

今度は電話が鳴った。これも艶子さんではないか、否、艶子さんは私の家の電話番号は知らないはずだ。電話機の着信表示を見ると、非通知となっている。誰だろうと思いながら受話器を上げた。

「はい」と出た。「田口さんのお宅でしょうか」と言う女性の声である。

「はい、田口ですが何か」と言うと「祐樹くんのお母さんですか、石山といいます、祐樹くんと同じクラスの石山です、昨夜は楽しかったですね」と言うのだ。昨夜一緒に呑んだ石山さんであった。少しほっとした、艶子さんではなかったのだ。「どうかしましたか」と聞くと「横山さんを知っていますよね、今、こちらにいるのですが田口さんとどうしても話したいことがあるそうなのですが」なんということだ。そこまでして私と話したいのか。

それにしても石山さんの家に艶子さんがいるというのは、一体どういうことなのであろうか。

「艶子さんのことですよね」と聞くと「そうです、今代わりますね・・・」と言って勝手に艶子さんに代わってしまった。どういうことなのであろう。

「もしもし、田口ですが」と言うと「あんた、居るじゃないか、さっき行ったのだよ」と言うので、少し留守にしていましたと答えると「確か、葬式だったな、今はいるかね」と聞くので、だったら、今のほうがいいのである。

子供もいないし、だんなもいないから都合はいいのである。

そう思って「今ならいますが、1時間したら外出します」と言うと、今からすぐにこちらに来るというのである。何か急いでいることでもあるのであろうか。それよりも息子のクラスのお母さんの石井さんの家から何故電話をかけてきたのであろうか。「艶子さん、石井さんに代わって」と受話器を石井さんに渡すように告げると、すぐに「田口さん、艶子さんはもう向かったわよ」と言うのだ。

「何故、石井さんのところに艶子さんがいて、私の家に電話をかけてきたの、それと艶子さんとは知り合い・・」と矢継ぎ早に聞いてみた。そうしたら石井さんは、艶子さんとは家が近くて20年以上の付き合いがあるというのだ。

そして、私の家に艶子さんが来てもいないので、石井さんの家に行って私のことを知らないかということになって電話をしたらしいのであった。たまたま、石井さんの子供と私の子供が同じクラスだったということなのだ。

そういうことで理解をしたのだが、艶子さんという人は顔が広いということも認識してしまったのである。

3分くらいしてから、玄関のチャイムが鳴った。

玄関を開けると艶子さんは遠慮することもなく靴を脱いで居間に向かった。

本当に勝手に人の家にづけづけと入ってくる人である。

艶子さんは、ソファーに座ると「あんたのだんなは、不動産関係だったよな」と言う、そんなことを以前、話したような記憶があったが、それが何なのだろう。

「主人は不動産関係ですが、それが何か」と不思議そうに問い返すと「だんなに聞いて欲しいことがある、知り合いで不動産関係の人は誰もいないからな」と言うのである。

詳しく聞くと、どうやら、艶子さんの家についてのことであった。

艶子さんの家を売却するというのである。それが何故なのかは分からないが、売りたいので相談に乗ってくれというのである。売ってどうするのだろう、どこかに引っ越すのであろうか、もし、そうなら私は静かに暮らすことができるかもしれないとほくそ笑んでしまった。

「すぐに売るの」と聞くと、一応、半年以内には売らないといけないという。

売らないといけない・・・何かお金にでも困っているのだろうか。

「見積もりというものをやって欲しい」と言うのである。

不動産には、その地域の平均的な販売価格が存在している。土地の価格と建物の価格である。

艶子さんの家は、50年くらいの築年数だから建物としての評価はないであろう。

つまり、土地の値段しかないと思う。

「どうして売るの」と聞き返すと「そんなことはいい。だんなに聞いてもらえるよな」と相変わらずの脅迫じみた言葉である。仕方がないので、だんなに聞いて連絡するということになった。

そうでも言っておかないとこの場は収まりようがないのである。

いつ連絡してくれるのかということを、はっきりしてくれと言うので、今だんなは会社だし、明日は会社が休みだと告げると、明後日には連絡しろというのである。本当に勝手な人このうえない。

それだけ言うと勝手に帰っていってしまった。

一体何なのだろう。こんな形で相談するのだから、よほど何かがあったに違いない。

息子が大阪から来たというのも何か関係があるのであろうか。

色々と考えているうちに何が何だか分からなくなってしまった。

そんなことよりも、今日の警察署でのことで、泉さんに聞きたいことがあるのだ。

何かというと、何故、泉さんのところに警察が来て、私のところに刑事と一緒に来たのかが解決できていないのである。早速、泉さんへ電話をかけてみた。

以外と簡単な理由であった。どうやら、高橋という放火犯が捕まって、その自白の中で最後に行った小料理屋のことが出て、そのママが泉さんのことを警察に話したというのだ。それで、犯人と最後までいた人物が参考人として警察に呼ばれたということであった。どうやら、泉さんは、ご主人に結構叱られたようである。

私のだんなは何もなかったが、普通のだんなであったなら叱られて当然だろうと思う。

今夜は、息子は友人の家にお泊りであるし、久しぶりの夫婦だけの夜になる。

だんなは、8時までに帰ると言っていたので、たまには夫婦だけで外で食べたいものである。

だんなにメールしてみようと思った。

だんなに、今夜は外食しないかとのメールを送ると、11時くらいになりそうだとの返信メールであった。

結局、いつもこうなのである。

仕方がないので、昼にコンビニで買ったものが冷蔵庫の中にあるので、それで済ますことにした。

夜の9時を回ったころであろうか。電話が鳴った。風呂に入ろうとしていた瞬間だったので、無視しておこうかと思ったが、何か息子にあったのかもしれないと思い受話器をとった。

電話機の液晶表示は、知らない電話番号であった。

「あなたかね、だんなは帰ってきた」と艶子さんだ。艶子さんの声は、年相応の声ではあるが、かすれていて聞き取りにくい時がある。まるで場末の小さな小料理屋の年老いたママのようだと勝手に思っている。

昔、見た何かの映画の中に出てくるママがそうであったと記憶しているので、そのような感覚になってしまった。

もし、艶子さんが小料理屋のママなら1ケ月も経営できない店だろうと思う。

しかし、中には奇特な客もいて逆に繁盛する変な店になるかもしれない。

だんなは、帰りが深夜になると伝えると、さっさと電話を切ってしまった。

息子のクラスの石井さんの件で家の電話番号を知られてしまったのが唯一悲しい。

いっそ、艶子さんの電話番号を着信拒否にしたら楽かもしれないが、そのことで何を言われるかと思うと無理だろうと思う。

早く風呂に入ってのんびりとしたい。

昨日から色々なことが私の回りで起こった。湯船につかりながら、ふと、回想していた。

何でこうなったのだろう。一番の原因は、私の車が壊れて、そしてその件で泉さんと親しくなって居酒屋に誘ってもらい、その挙句の果てが放火犯と知り合いになり、警察署に出頭したという流れなのだ。







「そうですね。今は何とも言えませんが、期待していましょう。新開刑事なら何とかしてくれると思います」

「それで、一つお願いがあります。これも何かの縁ですから、雪田社長さんにも、この件で調査をお願い出来ませんか。車にも詳しいし、輸出もやられているということですので、何かが見つかるかもしれません。いぇ、タダとは言いません。必要経費と、それなりの報酬は払わせて頂きます。どうか、お願い出来ませんか・・・」

と、何やら僕に調査依頼をしてきた。

僕も、小さな件では、探偵まがいのことはしている。仮に殺人事件というものであれば初めてであるが、何か大きな興味を持ってしまった。少し考えて「はい、僕で出来る範囲ですが、協力させてもらいます」と言うと。

「有難うございます。普通は警察にお任せすることが一番だと思いますが、今回は、雪田社長にもお願いします。私も、車の輸出を御手洗の手足として手伝っていました。御手洗の亡き後は、常務の私が会社をきりもりしていく予定です。専務という肩書きだけの人はいますが、国内ではなくて、フィリピンにいるのです。専務は、フィリピンのミタライコーポレーションの社長も兼務しています。ボエット・チャンと言います。彼にも、色々と聞いてみようと思っています。何か、あれば雪田社長に連絡します。宜しくお願いします」と言って、名刺を差し出した。

この後、探偵の男は帰っていき、僕と、新藤と愛人で常務の徳野との打ち合わせになった。

とにかく、死んだ御手洗社長のことは何も分かってはいない。その情報は、この徳野という女からしか得ることが出来ないのであった。

その夜は、遅くまで、話を伺った。そうすることで、次第に御手洗社長の仕事や人格が見えてきた。

表と裏があり、かなり、危ない話にも手を出していたようである。

更に、分かったことであるが、国内では、表向きは車の輸出をメインとしているようであるが、この徳野という女は、仕事の一部しか教えてもらっていないことも分かった。徳野は、御手洗の指示で動いているだけであり、全ては、御手洗が取り仕切っていたという。細かな部分は、全く知らないのであった。

他にも、社員らしき人が何人かいたようであるが、社員としてではなくて、外部請負という形を取っていたようだ。

つまり、実際のミタライの運営は、御手洗社長と徳野と、フィリピンのボエット・チャンであった。

外見は大きく見えた会社であったが、中身は、こんなものなのであった。

僕は、どこから取り掛かろうかと思案にくれてしまった。

翌朝である。

新開刑事から電話があった。

「雪ちゃん。再捜査になったぞ。課長は、無理だと言ったが、直接、署長に話を持っていったら、以外とすんなりOKだったよ。俺と、新米の女刑事の出口が担当する。しかし、殺人としてではなく、殺人事件らしいということでの捜査となった。まぁ、これだけでも進歩だけどな。車は、もう一度検証するから、しばらく保管しておいてくれ。殺人だとの確証と証拠を得ないといけない。今は、その前の段階。まぁ、そういうことだ・・・それと、スカイラインの燃料噴射装置と何かのタイマーらしきものは、明日、取り外して、本庁の鑑識に持っていく・・・」

「良かったです。殺人らしい・・・でもいいですよ。そうすると捜査本部というものはないのですよね」

「それはないな、・・・と、言うことだ・・・証拠が確定したなら、捜査本部になるだろう・・・」と電話を切った。

とにかく、愛人であった徳野へ電話して再捜査となったことを話した。

彼女は、とても喜んでいた。それと、これからの会社の運営について、僕に相談したいと言う。

彼女の味方は、国内には誰一人としていないということも聞いた。

御手洗が死んだことで、取引先や、請負業者も取引から手を引いているらしい。

御手洗のワンマン経営であったから、死によって、皆、離れていったようであった。

恐らく、彼女一人だけでは何もできないと思う。それで、僕に相談してきたのだった。

このままなら、日本の㈱ミタライは、存続できないという。

唯一、フィリピンのミタライコーポレーションの、ボエット・チャンという男が、何とかするしかないと思った。

が、しかし、彼と徳野だけでは無理だろう。

御手洗の本妻は、御手洗の死によって、少しの保険金を受け取っていた。

そして、自動的に死別となったのであった。徳野が望んでいた離婚が、このような形で成就したのであった。徳野が言うには、本妻と連絡が取れないらしい。

例の探偵が調べたところによると、本妻は、何でも生まれ故郷の東北の小さな町に引っ越したらしい。

徳野は、週末に、僕の店に相談に来るという。

御手洗の死によって、借金も全て無くなったということも話してくれた。

徳野も、何らかの仕事をしていかないと生活が出来ない。それもあってか、僕と輸出に関しての企業提携をしたいのかもしれないと思った。

それは、僕にとって利益があるのであれば、特に大きな問題はないし提携なら歓迎したい。

輸出においては、知り合いの会社にお任せしているが、それ以外でも輸出ルートがあってもいいと思った。

条件によっては、提携したほうが更に大きな利益になる。

徳野は、土曜日の夜に店にやってきた。先日の格好とは全く違っていて、化粧もほとんどしていない。

それでも、整った顔立ちであるから、普通にいる同年代よりも綺麗であった。

「お忙しいところ、無理を言ってすみません。少し、お時間を頂きます・・・」と、軽く挨拶をした。

「いえ、店の中でいいですか・・・もうすぐ閉店ですから・・・少し待っていて下さい。それとも、どこかの喫茶店でもいいですよ・・・」と、言うと「そうですね、喫茶店でもいいですね・・・」と答えた。

僕は、店を閉めて、新藤とともに近くの喫茶店に入った。

「あのぅ、その後、警察からは何か連絡はありませんか・・・」と聞いてきた。

「今のところは・・・何もないですね。その後、新開刑事とは会っていませんが、何かあったなら連絡が必ずあります。僕たちは、僕たちなりに調査してみようと新藤と話していますが・・・」と、新藤を見た。

「はい、来週から時間を作って動いてみたいと思っています。社長も、今週は忙しくて思うように動けませんでしたから・・・それと、僕は、その細工した部品のメーカーを調べています。全ての部品は分かりませんが、一部は、製造メーカーを特定できました。しかし、そこから、何が見えるかというと何とも・・・」新藤が話した。

「有難う御座います。私は、何も出来ません。ただ、御手洗の行動についてお話するだけですから・・」

「徳野さん、それで、僕に相談というのは何ですか・・・」と、短刀直入に聞いた。

「はい、㈱ミタライは、閉鎖する予定ですが、新たに、会社を作ろうと思っています。今まで、御手洗が作ってきたルートを無くしてしまうのは、もったいないと思いますし、私も生活していかないといけません。フィリピンのボエットとも相談してのですが、小さくても続けていこうということになりました。ミタライという名前は使いませんが、何とかしたいと思います。それで、雪田社長のお力をお借りしたいと思っております。何とかお力をお貸ししていただけませんか・・・」と言う。やはり、僕の想像していた通りのことであった。

「輸出に関して・・・」と聞くと「はい、私は、車についての詳細な知識はありません。輸出の手続きについての税関への申請をしていました。仕入れや、販売は、全て御手洗が行っていました。どちらかというと事務手続きは何でも分かります。通関士の国家資格も持っております。しかし、車の知識がないのです。そこで、雪田社長に、仕入れをお願いしたいと思っております。御手洗の仕入れた車や部品の販路は、フィリピンやマレーシアが中心です。東南アジアは全域と思ってもらってもいいと思います。フィリピンのケソン市にメインオフィスがあります。

販路は、ボエット・チャンが確保してくれていますから、何の問題もないと思います。国内においての仕入れが一番の問題なのですが・・・」僕の考えていた通りの話なので、少し可笑しくなってしまった。

「というと、僕が国内で仕入れたモノを徳野さんに渡して、それをコンテナに入れて輸出するということでいいですか。それなら、今もやっていることと同じですから、何の支障もないですね。どちらかというと、僕としても販路が増えますから、有難いと思います。ただ、仕入れにおいては、事前に資金が必要になりますが、その資金は用意することが出来ますか・・・」

「大丈夫だと思います。御手洗の仕入れ資金の一部は、私が裏で管理していましたので、5000万円はあります。当面、それだけあれば問題ないと思いますが・・・足りないでしょうか・・・」

「十分だと思います。利益が出て資金が回り始めるまでが問題なのですが、それだけあれば、受注内容にもよりますが、半年はいけると思いますよ。40フィートコンテナ1台で、1000万円と計算しても、とりあえず、5台はいけますね。資金回収が早くなれば、何とかなると思います。支払いの早い、バイヤーだといいのですが・・・」

「よかったですわ。これで何にとかなると思います。早速、支払いの早いバイヤーを探すようにボエットに話してみます。それよりも、注文の内容ですよね。無理な注文なら、何にもなりませんから・・・」と、少し笑った。

徳野茂美の笑った顔を見たのは初めてであった。その笑顔は、何かふっ切れたようでもあった。

「それでは、業務提携ということですね。僕としても、精一杯協力させてもらいますよ。それと、仲間の輸出業者にも聞いてみます。できるだけ、早く輸出しないと資金も底をついてしまいますからね。一緒に頑張りましょう」

と言うと、また、笑顔で頷いた。僕たちの話を聞いていた新藤が口を開いた。

「社長、面白くなりましたね。僕のルートでも探してみます。何か新しいビジネスが始まる時は、ワクワクするものですよね。徳野さん、一緒に頑張っていきましょう。それと、事件の件も並行して調査していきましょう・・・」

新藤も乗り気であった。その後、3人での飲み会となった。

徳野という女は、誰が見たとしても色気のある女である。愛人という立場であったからこそ、そのような色気が漂っているのかもしれない。酒の席で、何げに聞いてみた。

「失礼だけど、徳野さんは、30才半ばですか。僕は、45才になりますが・・」

「まぁ、社長もお上手ですわ。そんなに若くはないですよ。社長と同じ年ですわ。御手洗と知り合ったのは、23才でした。だから、30才半ばなんてあり得ませんよ。でも、嬉しい・・・」と、酒の酔いで赤くなった頬で僕を見た。

「信じられませんね。どう見ても30才の半ばしか見えない・・・なぁ、新藤・・・」と新藤に言うと。

「嘘でしょ。僕の母と5才しか変わらない。若いですよ。僕が、もう少し年なら、絶対に惚れていますよ。年下は嫌いですか・・・徳野さんより、8才年下ですが・・・」

「新藤さんも、面白い方ですわ。年下とか、年上とか関係ないですわ。私は、新藤さんはタイプですよ・・・」

「社長聞きましたか、こんな僕でも、何とかなりますかね。いゃー、今夜の酒は美味しい・・・」

「新藤、何を言っているんだよ。まだ、何も始まってはいないし、これからが大切なんだ。そんなことで喜んでいてどうする。徳野さん、すいませんね。こいつは、酒が入ると調子に乗ってしまうから・・・」

「とんでもないですわ。久しぶりに楽しいお酒です。いつまでも、御手洗の影を引きずっていても仕方ないですから。これからは、私一人で行きていくしかないのです。お力をお願いします・・・」と言って、僕と新藤の手を握った。その手は温かく、女の柔らかさがあった。独身の身としては、何か興奮したのを覚えている。

同じ年ということもあって、色々な話が合う。これで、気持は通じたと思った。

深夜12時になろうとしていた時に、携帯が鳴った。新開刑事からであった。

「なんだ、飲み屋にでもいるのか・・・騒がしいな・・・ちょっと例の件で不思議なことが分かった・・・」

「何ですか・・・新しい何かが・・・」

「いや、似たような事故が、2件あって、同じような時期に高速であったんだよ。車両火災として調べたら、東名高速と関越高速で起こっている。群馬県警と静岡県警の管轄だ。例の事故の数日後なんだ。何かひっかからないか。それと、運転していた奴は、一人は、死亡、もう一人の関越での事故の奴は、重傷で入院している・・・」

「それと、何か関係があるのですか。ただの、事故じゃないの・・・」と聞くと。

「何の関係もないかもしれん。しかし、目撃者の話だと、例の事故とそっくりなんだ。確かに、車両火災は、毎日のように起こっているが、この場合は、日にちが近い。それと、もう一つは、2件の事故の車は、スカイラインGTRなんだ。そんなにスカイラインGTRの車両火災が続くか・・・おかしくないか・・・」





この女が、御手洗の愛人であることは間違いないようだ。探偵まで使って探していたのだ。

「そうですか、事情は分かりました。こちらです・・・」と、車を保管している倉庫に案内した。

新藤は、他の客と対応しているので、僕は、この徳野という女と一緒に倉庫に入った。

事故車を見るなり、彼女は、嗚咽とともに大粒の涙を流した。

か細い声で「あなた、痛くて熱かったでしょう。どうしてこんなことに・・・あの日の朝は、元気だったのに・・・」

と泣き崩れた。あの日の朝ということは、彼女は、事故当日の朝は御手洗と一緒にいたのだ。

彼女は、炎上した黒こげの車を凝視すると、ドアを開けて運転席に座った。燃えているので、鉄のバネしか残っていない運転席である。

彼女は、着ている高価そうな服が汚れることを何とも思わずに座っていた。

そして、車のハンドルに顔を埋めて泣いていた。

数分間が経過したであろう。

突然、僕に話しかけてきた。

「社長さんは、何故、この車を引き取ったのですか。こんな車は、商品にはならないでしょう。それとも、何か売れるルートでもあるのですか・・・」売れるルート・・・と聞いてきた。普通の人が使う言葉ではない。

この徳野という女は、御手洗の愛人だけあって、車に対しての知識があるのかもしれない。

「勿論、商品にはなりません・・・」

「だったら、何故・・・・」

僕は、何と言えばよいのかと言葉を探していた。ここで、本当のことを言ってもいいのだろうか。

一呼吸おいて「えぇ、ちょっと事故について興味があったものですから、同業者として調べてみようと思ったのです。うちも、スカイラインGTRを多く展示していますし、気になったのです。だから、引き取ったのですが・・・」

「そうですか。それで、何かありましたか。まだ、ここに置いてあるということは、解決していないということですよね。それとも、何か発見がありましたか・・・」

「それは、まだです。何か気になることでもあるのですか・・・警察は、単なる事故として処理しています。もう、終わったことですが・・・」と、言うと。

「社長さん、歯に何かがひっかかったような話しぶりのような気がします。本当は何かあるのではないでしょうか。何かあるのなら遠慮なく話して欲しいのです。御手洗とは、20年もの付き合いです。彼が運転ミスで事故を起こすことは考えにくいのです。まして、80キロというスピードです。彼は、200キロ以上のスピードでも何の問題もなく運転できます。ドイツのアウトバーンでは、250キロで巡航していましたし、車の運転はプロ並でした。まして、スカイラインGTRなら、おもちゃのようなものです。私は、どうしても信じられないというのが本音です。

ですから、調べてみたいと思ったのです。どこかの車がぶつかってきて死んだのなら分かります。でも、こんな運転ミスで死ぬ人ではないと思うのです。社長さんも、何か疑問点があるのではないですか・・・」鋭い問いかけだ。

僕は、彼女の問いかけに何と言えばいいのだろう。ここで、僕が疑問に思っていることを話してもいいのであろうか。

「徳野さんとおっしゃいましたよね。ちょっと聞いてもいいですか・・・」

「何でしょうか・・・私で分かることなら何でもお話しますが・・・」

「はい、御手洗社長は、その日の朝は何でスカイラインGTRに乗って、中央高速を山梨方面に向かったのでしょうか。それも、10年以上も前の古い車です。この車が好きで所有されていたのですか・・・」

「いえ、この車は、確かに彼の所有していたものですが、つい、数日前に輸出用として仕入れたものなのです。それのテスト走行だと思います。スカイラインGTRを欲しいという海外のバイヤーからの注文なのです。それでテスト走行していたのだと思います・・・」と言う。

「社長、自らがテスト走行するのですか・・・そんなことは、社員でいいと思いますが・・・」

「確かに、そうですが、御手洗の話だと、相手のバイヤーは、御手洗の知識と運転技術しか信用してないので、テスト走行は社長でなければ駄目だと言われたと聞いています。ですから、御手洗が直接運転したのだと・・・」

「なるほど・・・このバイヤーとは、今回が初めてなのですか・・・」と更に聞いた。

「私も御手洗の全ての仕事を把握していた訳ではありませんが、このスカイラインGTRの話は、確か、5台目か6台目だと思います。いつも、調布インターから、八王子インターまでなのです。そして、帰りは、また、高速で調布まで戻ってきて、自宅の近くにある倉庫に保管していました。ですから、今回が初めてではないですわ・・・」

どうやら、嘘をついているという雰囲気ではなかった。

「では、その日も以前と同じように運転していかれたのですね・・・」

「はい、その通りです。私は、御手洗の仕事の指示で、その日の昼過ぎの飛行機でフィリピンへ向かうために、成田へ朝の9時に家を出ました。私が出る、確か、10分前だと思います・・・御手洗が、スカイラインGTRを運転して出たのです。ですから、私は、御手洗を見送ったのです。それが、彼を見た最後になりました・・・」

と、また、大粒の涙を流した。

「よく、分かりました。すると、一つ確定していることは、徳野さんが御手洗社長を見送ったということですね。そして、それから数十分後に事故を起こした、その事故の時間は、徳野さんは、成田へ向かっていた。とうことですね・・・そして、後日フィリピンで御手洗社長の事故のことを知った・・・」

「そうです・・・間違いありません。御手洗は、20年以上前に奥様と別居されています、私は、奥様と別居されてから出会った女なのです。そして、御手洗とは、同棲という形をとっています。奥様が離婚届けに判を押してくれないのです。御手洗は、何度も離婚調停のために家庭裁判所に申請したり、顧問弁護士にも動いてもらったのですが、奥様は、同意されることはありませんでした。奥様に非があったのなら、離婚も簡単にできたのでしょうが、奥様には何の非もありませんから、難しかったのです。御手洗は、全ての財産を与えると言ってもいましたが、それも、奥様は拒否されたのです。奥様には、月に50万円以上を送金していたようです。お子様もいるのですが、御手洗とは完全に疎遠になっています。これが私と御手洗との関係なのです・・・」と説明してくれた。

「色々とすいません。よく分かりました。初めて会った人に、そこまで話して頂いたので、僕もお話してもいいかと思っています。実は、何かエンジンルームに細工されて炎上した形跡があることが分かったのです。それが大きな疑問になっています。僕たちは、スカイラインGTRについては熟知していますから・・・」と言うと。

「まさか・・・そうなら・・・殺されたのですか・・・」と、大きな目を更に大きくして僕を見た。隣にいた探偵も驚いている。

探偵が「社長、それは本当ですか・・・警察は、分かっていないから処理したのですよね。もし、殺人なら、動いてくれているはずですが・・・」

「そうですが、その疑問のために、さっき、警察に行ってきたのです。そして、説明したのですが、無駄でした・・・」

「もし、御手洗が殺されたとしたなら誰が・・・」と、彼女の体は小さく震えていた。

「徳野さん、あくまで仮説です。はっきりと決まったわけじゃありません。僕たちの思い過ごしだということもあります。ここで説明してもいいですが、聞いてくれますか・・・」と、僕は、彼女と探偵に、燃料噴射装置に変な仕掛けがあることを説明した。

話が、終わろうとしていた時に、新藤が僕に電話がかかってきたことを伝えにやってきた。

「社長、新開刑事からです。何でも、これから、鑑識の山田さんと来るそうですが・・・」

どうやら、新開刑事は、鑑識の山田さんの了解を得たらしい。

「徳野さん、丁度、これから所轄の刑事と鑑識の人が車を見に来るそうです・・・」と僕が言うと。

「私も一緒に拝見していてもいいですか。できたらお願いします・・・」

「多分・・・いいと思います・・・ただ、警察としてではなくて来ると思いますから、今日のことは一切他言しないで下さい。それだけは、約束して下さい。刑事と鑑識の人に迷惑がかかります・・・」

「はい、お約束します・・・」と、彼女と探偵も頷いた。

一旦、僕たちは店に戻った。

他の客は、既に契約を終えたりして帰っていた。今日は、運よく、この時点で3台が売れた。

スカイラインGTR1台であるが、高年式の500万円のものである。スカイラインGTRの中でも、前のオーナーが、かなり手をかけていて、400馬力はあるという。買った客は、50才台の医者であった。何でも、レースに使うらしい。たまに、こんな客もいるのである。それほど、この車はポテンシャルが高い。

他に売れた車は、普通のスカイラインクーペであった。

1時間ほどして、新開刑事と鑑識の山田さんが来た。

「雪ちゃん、山田が、早番上がりだと聞いたので、今日、連れてきた。誰にも内緒だからな。山田も何かあったら、署長から訓告、戒告ものだからな。俺もそうだけど・・・」と、ソフアーに腰掛けた。

「新開さん、山田さん、すいません。それと、こちらの方が、亡くなられた御手洗さんと関係のある方です。丁度、今日、車を見たいと来られて・・・」と、愛人の徳野を紹介した。

「そう、奥さんなの・・・大変だったね・・・」と、新開刑事が軽い口調で聞いた。

彼女は、少し躊躇して「奥さんではありません。世間で言う愛人と言えばいいのでしょうか。でも、20年間一緒に暮していますが・・・」と言った。

「それは失礼しましたな。で、何で車を見に来られたの・・・」と新開刑事は、何やら質問してきた。

刑事の宿命というものなのかもしれない。質問というより、尋問に近い口調だ。

「御手洗の最後を見たいと思いまして・・・」

「そうか、そうか・・・」と、新開刑事は、笑って答えた。その顔を見た、徳野は、何か不機嫌になってしまった。人が死んだのに笑うという行為が許せなかったのだろう。その気配を察知した新開刑事は「いやいや、これはすいません・・・不謹慎でしたな・・・ハハハ・・・」と、また余計な笑い声で言った。僕は、間髪入れずに・・・

「まあ、それはいいとして、山田さん、車を見て下さい。細かなことは、うちの新藤が説明しますから・・・」

と、僕は、皆を倉庫に連れて行った。

車を見ながら、新藤が鑑識の山田チーフに細工の件を説明した。一通り、説明したところで、山田チーフが口を開いた。

「新藤さんの言う通り、不自然だと思う。この焼けた四角いモノは、普通じゃあり得ない。それと、燃料噴射装置、つまり、EGIの燃え方が異常に激しいな。ガソリンホースからの出火なら、EGIは、こんなにならないと思う。この車を見るのは、2度目だが、そこまでは見ていなかったな。単なる自損事故として見たからな。確かに、不自然だ。それと、EGIのパッキンが半分剥されているのも気になる。何だか、もう一度検証しないといけない案件だな。なぁ、新開、何とかならないか・・・事故として片付けるに、不自然すぎるな・・・どうする・・・」

「やっぱり、そうか、お前が言うのだから、何かあるな。それにしても初動で発見できなかったことが・・・」

「車の事故というものは、案外、慣れがあってな、思い込みが多いのだよ。これは、鑑識として恥ずかしいことだと思うが、これだけ、日々の事故が多いと・・・難しいな・・・」と言った。

「よし、課長に話してみるか。何と言うか分からないが、殺人だとしたら、警察の落ち度だし・・・」

「新開さん、お願いしますよ。僕からも・・・・」と言うと「御手洗の無念を晴らして下さい。このままじゃ、浮かばれないと思います。私の知っていることは何でもお話しします。何でも協力しますから・・・」と、愛人の徳野は、新開刑事の顔を見て一礼した。

そして、再捜査が決定するまで、この車は、このまま保管しておくことになった。

新開刑事と山田チーフは、急いで署に戻って行った。

「雪田社長さん、色々と有難うございます。警察が再捜査してくれたらいいのですが・・・」と彼女は言う。







頭の中は、緊張というよりも何か滑稽な感覚になっている。

ほどなくして、坂木刑事が、コーヒーを2つ持ってきた。一つを私の前に置くと「いゃー砂糖は切らしていましたから丁度よかったです、今事務のものに買いに行ってもらいました」と笑いながら言うのである。

何か変。そんなことはどうでもいいのだ。何を聴取されるのかと思うと気が気ではない。

「それで私は何を・・・」と聞くと「まぁ 慌てないで下さい、一杯呑んでからにしましょう」と言った。

私はコーヒーカップを口に持っていき軽く一口だけ飲んだ、普通のインスダントコーヒーであった。

「少しは落ち着きましたか、顔色が悪そうですから・・・」と坂木刑事。確かに顔色がよいことはない。

昨夜はほとんど寝ていないし、今は取調べ室の中にいるし、当然だと思う。

「さて、高橋の件ですが、昨日も伺ったようにライターを思い出して欲しいのです」とライターの件で始まったのであった。そう言いながら坂木刑事は、パソコンを開いて電源を入れている。そして、服のポケットに入っていた透明な小さなビニール袋を出して見せた。中には黒の長方形のライターが入っている。

昨日、写真で見たものと同じような気がする。

「このライターなのですが、見覚えはないかなぁ」と鋭い目つきで聞いてきた。

さっき、コーヒーを持ってきた時の目つきとは全く違っていた。

「よく見て下さい」と私の目の前に置いた。何故かテレビドラマの一場面を思い出していた。

よく刑事役の人がこれ覚えていないかと差し出す仕草と同じであった。

「昨日も言ったように、あまり覚えてないのですが・・・」と同じように話すと、もう少し考えてみて下さいと言って部屋を出ていった。何度、思い出そうとしても記憶に残っていないのだ。勝手なことを言っても問題があるだろう。もし、私が、このライターですと言ったなら帰れるのだろうか。そんなことを考えていた。

すると、坂木刑事が、大きなビニール袋を持って入ってきた。中には黒いジャンパーのような服が入っている。

「では、この服に覚えはないですか」と私の目の前に突き出してきた。

手に取ってもいいかと聞いてから、手に取ってよくみたのだ。

確か、昨夜、高橋さんが着ていたものと同じような気がする。高橋さんは、薄手の黒いジャンパーを着ていたのだ。

「どうですか」と坂木刑事が聞いてきた。私が思い出したということを感じたようである。

「似ていますが・・・同じものかどうかは・・・」と答えると「そうですか。その時このジャンパーを着ていたのです」と言ったのである。その時というのは放火していた時のことである。

坂木刑事が言うには、そのジャンパーに放火した時の痕跡があるというのである。

「痕跡ですか・・・」と聞いたが、そうですと言ってそれ以上のことは言ってくれない。

人には言えない何かがあるのかも知れない。

と、坂木刑事が私の話している内容を、パソコンに文字として入力している。

そうか、私の話が証拠になるのだ。肝心な部分については、文字として入力しているのだ。

「何時まで呑まれていましたか」と聞いてきたので、小料理屋には2時前まで居たと答えると、それも入力している。何か高橋さんのその日の行動について詳しく調べているように感じた。

しぱらく、私と泉さんと高橋さんがどこで呑んだとか、何時に別の店に行ったとか、昨夜の私の行動を全て聞いてきたのだ。それを聞きながら文字を入力しているのだが、どうも遅い。文字入力が異常に遅いのだ。

「手書きではないのですか・・・」と聞くと、今はパソコンに文字を入力しているとのことであった。

テレビドラマでは後ろのほうにいる人が手書きしている場面があるが、最近は違うのかもしれない。

また、手書きの場合は犯人に対してのみで、私のような参考人はパソコンなのかもしれない。

「すいませんね。どうもパソコンは苦手でね」と笑っている。

何かその言葉で一気に緊張していたのが解けたようだ。

色々と聞かれて最後になりますがと言いながら「ライターは覚えてないですよね」と、しつこいのである。

「すいません」と答えると「やっぱ無理かなぁ、皆覚えてないと言うよな」と言うのである。

皆、ということは私以外で他の人にも聞いていたということだ。当然かもしれない。

「泉さんにも聞いたのですか」と聞くと「ああ、泉さんね。昨夜来てもらったよ」と平然としている。

だったら、泉さんから電話が昨夜かかってきてもいいのにと思った。そうしたなら、警察署でどんなことをしたのかがわかったのにと思った。その心を見透かしたように「一応、署に来たことは黙っておいてもらいたいからね」

と言うのだ。そうか、一人一人に聞いて証拠を固めていくのだと思った。皆が口裏を合わせることもできるだろうし、さすが、警察だと感心してしまった。

「もう少しですからね」と坂木刑事。

警察署に来てから1時間以上が経過していた。

それにしても部屋のドアは開けたままである。テレビならドアは閉まっているのが普通なのだがと思った。

ここまできたら何でも聞いてみよう「坂木さん、ドアは閉めないのですか」と「あぁ ドアね。田口さんは容疑者ではないし、ただの参考人だから、ドアを閉めていたら何か嫌な感じがするでしょう」と言うのだ。

なるほどと理解した。結構、警察は優しいのかもしれない。

「そうなのですか。テレビとは違いますよね」と言うと、くすっと笑って「同じこともありますよ」と言ってきた。

「あのう、コーヒーを出していただいたのですが、これは普通のことなのですか」と間髪入れずに聞いた。

「はぁ、容疑者にはないですよ」と大きな声で笑っている。

その声を聞いて何かほっとした自分がいた。

すっと椅子から立ち上がって坂木刑事は、ちょっと待っていてという仕草で部屋を出ていった。

何やらコピー機の前で右往左往している。何をしているのだろうか。若い刑事さんに何か聞いている。

私の座っている位置からは坂木刑事の行動が全て見えるのである。

今入力した文字をパソコンからプリントアウトしているのだ。

それに手こずっているようだ。

何か可笑しくなって一人笑いをしていた。残ったコーヒーを一気に飲み干すとともに安堵感が湧いてきた。

10分くらいたったであろうか。すいませんね待たせてしまってと照れながら坂木刑事が戻ってきた。

書類のようなものを持っている。

「これを私が今読みますからおかしいことがあったなら言ってください」と言って読み始めた。

私が聞かれたことや話したことの内容である。

聞いていると、昔の国語の時間を思い出してしまった。国語の先生が教室で生徒に何かの本を読んでいるような感じであった。

決して、流暢に読んでいるのではない。結構、ひっかかりながら読んでいる。

笑いたい気持を押さえることに必死であったがちゃんと聞いていないといけない。

笑ったりしたら失礼なのであろう。

やっと坂木刑事が全部読み終えた。

「間違いはなかったですか」と聞いてきたので「はい」と答えると「コーヒーもう一杯どうですか」と言うのだ。

そんなにここには居たくない。「今読んだものを正式な形にしてサインして印鑑か拇印を押してもらいますから、もう少し待っていて下さい」と言うのだ。

仕方がないと思いながらコーヒーを頼むと坂木刑事は「おい、コーヒーな。砂糖抜きで」と近くにいた若い刑事に指示したのだ。ほどなくして、戻ってきた。私はサインと印鑑を押したのだ。何故、印鑑を持っていたかというと私は常にバッグの中には印鑑をもっておくという人なのだ。ただ、それだけである。

「長い間、ご苦労様でした」と坂木刑事が言うので「いいえ、このような話でいいのですか」と聞くと「これでいいのです。ただ、ライターのことを思い出したらすぐに連絡して下さいね」とあくまでライターについてこだわっている。放火においては何で火をつけたのかということが重要なのだろう。

「ちょっと聞いていいですか」と一つの疑問を聞いてみた「高橋さんが本当に火をつけたのですか」と聞くと

「白状しましたよ。むしゃくしゃしていたので火をつけまわしたらしいですね」と言うのだ。

「昨夜、初めて会った時には感じのいい人だと思っていたのですが」と切り返すと「田口さん、人はそんなものですよ。私たちは色々な人を見ていますから何となく分かりますが」と平気で話している。

ついでだからもう一つの疑問をぶつけてみた「高橋さんは、どこにいるのでしょうか」と恐る恐る聞くと

「あぁ 3階の留置所にいるよ」と言うのだ。それと高橋という男は、過去に一度傷害で警察のごやっかいになったことがあるとも言うのだ。傷害とは恐ろしい人なのだ。何か身震いがしてきた。

昨夜の楽しそうな顔と傷害や放火とが一致しない。

「人は信じられないですね」と坂木刑事に言うと「まぁ、そんなもんだね」と笑っている。

仕事柄、坂木刑事にとってはそんなものなのかもしれない。

私にとっては、人間不信に陥りそうなのである。そして、ついでだから更に聞いてみた

「何年くらいの罪ですか」と聞くと「まぁ、裁判官が決めることだけど8年は入ると思うよ」と言うのだ。

8年も刑務所にいるのか、模範囚なら仮出所が早くなると聞いたことがあるので、最高で8年なのかもしれない。

高橋さんが出てきたなら二度と会いたくないし、会ったとしたら逃げ出してしまうと思った。

「では、今日はここで終わりです。また、何か聞くことがあるとは思いますがまた連絡します」と言うのである。

まだ、何かあるのかもしれない。しかし、一度経験したから今度は緊張することもないであろう。

そんなことを思いながら警察署を後にしたのだ。

12時前になっていた。安堵感を覚えたと同時におなかが空いてきた。朝から何も食べていない。

自転車に乗ると、家に戻らずに近くのラーメン店に向かったのである。

経験したくてもできないことを経験してしまった。

こんな経験は、そう多くすることはないであろう。

今年の最大の出来事になってしまった。今夜、だんなに一部始終を話そう。

生まれて初めて警察署で参考人聴取をされたのだから。だんなも経験したことはないはずである。

すぅっと肩の荷降りる感覚を覚えた。やっと重苦しい感じから開放されたのだ。

それにしても、放火した高橋という男は、私たちにもう一度やり直して、再起したいと語っていた。

何故、犯罪を犯したのだろうか。離婚したとは言え、子どももいるのだし。元の家族や親族に対して何と謝るのだろう。また、放火された人への賠償は一生かかって償わないといけないはずだ。

ただ、むしゃくしゃしたという理由だけで放火をしたということは一生の禍根になるだろう。

会社が倒産したからといって全ての経営者が犯罪者になることはない。

守るべきものがあるなら犯罪者になることは少ないと思う。守るべきものがないということは自暴自棄になってしまうのかもしれない。一人だけで行きていくということは犯罪者となる可能性があるのだろうか。

そんなことはないと思いたい衝動にかられてしまった。

人と人とのつながりが密であったなら犯罪はなくなると思いたい。

犯罪者への道を歩むということは所詮、大人になりきっていないのだろうと私は思った。

私も、いつどうなるかは分からない。分からないのだが、愛する人を裏切ったり他人に危害を加える人間だけにはなりたくない。どんな状況になったとしても絶対に人としてやってはいけないことがある。

今回の事件で心に強く刻み込んだ。

目の前に、人気のあるラーメン店が見えてきた。

すでに、外には行列ができている。このあたりでは人気の店なのだ。







「えっ、息子さんに会ったら何か都合が悪いことが・・・」と聞き返すと「いいから、息子のことは誰にも言うな」と恐ろしい剣幕である。私は、何と言ったらいいのかもわからず「はい、誰にも言いません」と答えるしかなかった。何で会ったことが問題なのか、私が会ったのは一回だけだし何が問題なのかと不思議に思った。

「でも、何人かの人は知っていますよ・・・」と言うと「会った人には皆口止めした」と言うのだ。

何やらいわくがありそうな息子なのだろうか。見た目はちゃんとしているように思うし、何が何がと思っているうちに勝手口のドアを閉めて帰ってしまった。なんとも不思議な人である。

しかし、さきほどの放火のこともあるので、もしかしたら艶子さんの息子も何かの罪を犯しているのだろうかと疑心暗鬼になってしまった。

考えても仕方がない、誰にも言うなというなら言わないでおこう。そけだけのことだ。

余計なさじかげんで人に話すよりも黙っておいたほうが得策なのかもしれない。

今日は散々な日だ。

食事の支度もできていないし、今夜は何か出前にでもしようと思った。何も作る気がしないのである。

息子が塾から戻り、だんなも7時には帰るということなので7時に近くの定食屋から、とんかつと生姜焼をとった。

ご飯は炊いてあるのでおかずになるものだけでいいのだ。

3人で食べる夕食は美味しい。これが家族というものだ。これが小さな幸せというものだ。

だんなも元気で働いてくれているし、息子も何事もなく学校に通っている。

これが幸せというものだと思う。皆が元気であることが。

と、電話が鳴った。食べていたものをぐっと飲み込むと・・・

「はい、田口です」と出たら。

どうやら昼の警察署の人らしい。これは困ってしまった。だんなにも話していないのだ。それよりも私の家の電話番号まで知っている。勧誘等が多いので電話帳には出していないのだが、警察なら簡単に調べられるのだろうか。

「お世話になります」と言ってしまった。何か変ではあるがこの場としてはそうするしかない。

どうやら明日、署まで来て欲しいということであった。私は、はい はい としか答えていないので、だんなも息子も何も疑いを持っていることはないと思う。明日、午前中に伺うということの約束をして電話を切った。

だんなもテレビを見ていて誰からかなんて興味がないようなのでほっとしたのだ。

だんなに話そうか話すまいかと悶々として食事をしているが、料理の味は分からない。

どうしようかと悩んで、後で全部を話そうと思ったのである。隠してしいてもいずれ分かった時に気まずい。

だとすれば、早く話しておいたほうがいいと結論を出したのだ。

夜、様子を見計らってだんなに話してみた。

一瞬、驚いたような顔をしたが、しばらく黙りこんで静かに口を開いて話しだした。

仕方ない、ちょっと運が悪い場所にいたのだと、たったそれだけである。

何かだんなに対して申し訳なく思った。それ以上何も言わないということは何なのだろう。

普通であれば、おまえがうかつだったのではないかとか、そんな遅くまで飲んでいるからだとか言われても仕方のないことである。

生来、口数の少ないということも幸いしたのであろうか。何とも複雑な気持になった。

少しだけ罵倒されたほうがすっきりしたのかもしれない。

それ以後、何事もなかったかのように、だんなは眠ってしまった。

実際、たいしたことではないのかもしれない。私が一人騒いでいるだけなのかもしれない。

しかし、私にとっては一大事であることに違いない。

明日は、警察署に行って事情聴取なのかもしれないのだ。

全く寝付かれない夜となった。

朝の9時である。今、自転車に乗って15分の距離にある地元の警察署へ向かっている。

息子は、朝から友達の家に遊びに行っていて、今夜はその友達の家に泊まるということだ。

だんなは、昼から会社に出かけて、やり残した仕事を片付けてから帰ってくるということで昼前には出かけるらしい。

警察署への道は越してきた時に運転免許証の住所変更で行ったので場所は知っている。

警察署が目の前に近づいてきた。心臓の鼓動が早くなっている。何か悪いことをして、警察署に出頭しているという感覚になっている。困った時にはおまわりさん助けてというのに、こんな時には何故か違う感覚だ。

警察署の前に着いた。表に立っている署員の人に刑事室はどちらでしょうかと聞くと、2階ですよと、坦々と答えた。その無表情な顔に一層緊張感を持ってしまった。できるなら帰りたい。しかし、帰ったとしても何も解決しない。そんな気持で2階への階段に向かった。

2階へ上がって見回すと、左の奥の壁の上に刑事室と記載されたプレートが掲げてあった。

恐る恐るドアを開けると、中にいる人が一斉に私のほうを見ている。

とても嫌な感じだ。

「坂木さんはいらっしゃいますか」と小さな声で目の前に座っている人に聞いてみた。

「坂木ですね。えっと、坂木は今、席を外しているようですが何か」と答えてきた。

坂木さんという刑事は、昨日、家に来た人であり、夜電話をかけてきた人である。

「今日、こちらに来るようにと・・・」とか細い声で話すと。

ちょっと待っていて下さい。すぐに戻ると思いますからと、横の長椅子へ座るように勧めてくれた。

待った時間は2分くらいだと思うのだが、その待っている時間が何時間にも思えた。

急にトイレに行きたくなった、勇気をだして「すいません。トイレはどこでしょうか」と今対応した人に聞いたら

この階の一番右奥だという。早足でトイレにかけこんだ。何か緊張するとトイレが近くなってしまう性分なのだ。

トイレから戻ってくると、坂木さんが戻っていた。

「ごくろう様です」と一言私に告げて、刑事室の中の左奥にある個室へ案内された。

個室というと聞こえがいいが、どうやら取調べ室のようだ。3つばかり並んでいた。

よく、テレビドラマで見るよりも狭く、窓も鉄格子もない部屋だ。畳でいうと3畳という感じだ。

真ん中に小さな机があり、椅子が3脚ある。奥の椅子に座るように言われた。

奥に座るということは、ドアが開いているので私から見て刑事室全体が見渡せる位置なのだ。

坂木さんは、ちょっと待っていて下さいと取調べ室を出ていった。ドアが開いたままなので刑事室の中の刑事の動きが手に取るようにわかる。電話で話していることやパソコンで何かをしている人、タバコをプカプカ吸っている人、何にもしないで外を見ている人、10人くらいいただろうか。

すると、坂木刑事が手にパソコンと書類の束のようなものを持って入ってきた。

坂木さんという人は、年のころなら50才くらいで、頭は3分刈のいかにも刑事かその筋の人のような風体である。

物腰は柔らかいのだが、眼光は鋭いように思える。

机にパソコンと書類を置くと「田口さん、コーヒーと紅茶どちらがいいですか」と予想もしないことを聞いてきた。

内心、何 何 逆に気持が動揺してしまった。続いて「ミルクはないのですが砂糖だけでいいですか、それとも砂糖抜き・・・」まるで喫茶店のようである。

私は、コーヒーを砂糖抜きでと答えると、ちょっと頷いて部屋を出ていってしまった。

こんなことがあるのか、当たり前のことだが初めての経験である。

こんないかつい男の人から言われたのは前代未聞の経験だ。それも刑事である。






何か男の信念というものを聞いたような気がする。私のだんなとは、そんな話はしたこともない。

何か男のロマンというものを見たような気もした。ぜひ、頑張って欲しいと願わずにはいられなかったのである。

しまった、2時前になっている、早く帰らないと、明日の朝が辛いし、だんなに何を言われるかもしれない。

泉さんも、そろそろ帰らないといけないらしい。

2人で高橋さんにご馳走になったお礼を言って店を出たのである。

外は、肌寒いというより寒いのだ。コートを持ってこなかったのでとても寒い。

泉さんにお礼を言って分かれた。人通りもない時間なので、できるだけ大きな道を歩いて家路についた。

この高橋さんが、この後とんでもないことを起こすことによって泉さんと私に大きな災難が降りかかることになる。

家に着いたのは、210分であった。

夫婦の寝室と息子の部屋をのぞくと、二人は爆睡しているようである。

私の帰りが遅くなったことは分かっていないようであった。

簡単に食器の片付けをして床についたのは、3時を回っていたであろうか。

4時過ぎに、けたたましい消防車のサイレンとパトカーのサイレンに起こされた。

何やら近所で火事らしい。2階のベランダに出て近所を見渡すと、どうやら駅の方角から薄い煙が上っている。

消防車のサイレンが途切れなく続いている。さすがの、だんなも目を覚ましたようだ。

どうやら、大きな火事なのかもしれない。さっきまで私のいた駅の方角なのでちょっと不安になってしまった。

が、明日も朝が早いので気にせずに眠りについた。

いつもの慌しい朝が始まった。

昨夜は遅かったので、かなり眠いのだが、そんなことは言っていられない。

だんなと息子を早く送り出して少しだけ寝たいのである。

それもそうなのだが、早朝の火事も気になる。

二人を送り出して、気になったので愛車の自転車で行ってみた。

火事の現場はすぐに分かった。昨夜私がいた店のあるところとは反対の駅の出口で小さな店が雑居している場所であった。近づいてみると、警察の人や消防の人と野次馬とでごったがえしている。

それと、類焼したのであろうか、何軒も燃えてしまっている。しかし、飛び飛びなのだ。

類焼とは違うような感じがした。

近くにいる人に何げに聞いてみたら、放火らしいというのだ。

放火、それは大変だ。早く犯人を捕まえて欲しい。この近所に放火犯がいるということは私の家も危ないかもしれない。そう思って急いで家に戻ったのだ。

昼のニュースで火事のことをやっていた。どうやら7軒の店や家が連続で放火されたというのだ。

幸いなことに怪我人はいないというのでほっとした。

放火にあった八百屋のご夫婦のインタビューが出ていたが、火事に早く気付いて逃げたらしい。

この町でも放火があるとは、何とも物騒なものである。

そう思いながらいつものマルタイラーメンを食べた。

今日は、この後は昼寝をしようという計画だ。とにかく眠い。

うつらうつらとしながら昨夜の楽しかったことを思い出していた。

居酒屋のこと、スナックで歌ったこと、小料理屋でのこと・・・

眠りかけたその時である、電話が鳴った。

誰だ、私の睡眠の邪魔をするやつはという気持で受話器をとった。

「田口さん、小田です。今警察の人が来て放火犯らしき人物の写真を見せられたの・・・」と言うのである。

「今朝の放火の・・・」と聞くと、そうだというのだ。

何でも放火の現場で警察が写真を取っていたら全部の現場に映っている男がいるというので警察が来たということであった。その男を知らないかというのである。

そんな電話をかけられても、今は眠い。適当にあいづちをうって電話を切った。今さら犯人らしい人の写真と言われても見ることはできないし私には関係ない。

パン屋の小田さんも暇な人である。知り合いに電話をかけまわっているのかもしれない。

それよりも早く寝ないといけない。ほんの20分でいいのだ。それだけで頭がだいぶすっきりとする。

うっかり忘れるところであったが、5時に艶子さんが来るかもしれないのだ。

少し寝たであろうか、今度は玄関のチャイムが何度も鳴った。

また、誰なのかと思いながら、玄関を開けると、昨夜の泉さんと知らない男の人が2人立っている。

「田口さん、こちら警察の人・・・」なんだ、なんなんだ。警察と泉さんが来るというのは一体何なのだ。

「田口さんですね、ちょっとお話を伺いたくて・・・」と警察手帳を見せながら言った。

「なんですか、泉さんも何かあったの」と聞くと「放火のことよ・・・」と言いかけたが警察の人が言葉をさえぎるように「昨夜、一緒にいた高橋という男を覚えていますか・・・」と聞いてくるのだ。何故、高橋さんのことを聞いてくるのだろう。まさか、あの人が放火犯。そんなことはない。そんなことをするような人には絶対に見えない。「はい、一緒にいました」と言うと、ちょっと見てもらいたいものがあると透明なビニールに入った黒いライターらしきものが映っている写真を見せたのだ。「これに見覚えはないですか・・・」と言われても、高橋さんがタバコを吸っていたのは記憶にあるが、人のライターまでは記憶にあるはずがない。

「ちょっと分からない・・・」と泉さんのほうを見ると、彼女も知らないという感じであった。

「そうですか、他にも確認してほしいものがあるので近いうちに署まで来てもらうことになります」と言って警察の人は帰っていった。「泉さん、どういうことなの・・・」と怪訝そうに聞いた。

「あの後、高橋さんかも知れないのだけど火をつけて回ったらしいのよ」と言う。

「高橋さんはどこにいるの」と聞いたら、どうやら警察の留置所にいるらしいのだ。

昼前に捕まったということである。それにしても何で私が警察に行かないといけないのか、合点がいかない。

しばらく、玄関で泉さんと話しをして、その場は終わったのだが、部屋に戻ると急に体がブルブルと震えてきた。

こんな経験は初めてであるし、何かとても怖い気持になった。

また、警察に呼ばれるようであるが、だんなに知られたりしたらどうなるのだろう。

近所の人に知られたら何と言われるのだろうと不安になってしまった。

また、本当は私も疑われているのではないかという暗くてとても不安な時間であった。

高橋さんは、そんなことをする人ではないと信じたいのだが、留置所にいるということは完全に犯人なのだろうか。

昨夜楽しそうに話していた人が犯罪者になったのか。もし、そうならとても怖い人だったのかもしれない。

明るくて笑顔の素敵な人で将来のことについて語っていたのに・・・。とても悲しい気持のまま夕飯の支度に取りかかった。

とても嫌な気分であるから、食事の支度も進まない。何にも手につかないのだ。

頭の中では、警察・高橋・放火・いつ出頭・だんな・息子・親・噂という言葉がまるでメリーゴーラウンドの早回しのようにグルグルと回って止まる気配すらない。

何にも手につかないまま、5時になろうとしている時に勝手口を叩く音がする。

やはり来たか艶子さんである。自分の約束した時間はしっかりと守る人である。

勝手口のドアを開けると「居たか、息子のことなんだがね」と言う、どうやら放火のことではないらしい。

少し安心した。放火のことについて知っていたならこの町中に噂として流してしまう人である。

「息子に会ったということは誰にも言わないでくれ」と言うのである。






3分も歩いただろうか、路地裏の小さな店の前で泉さんが立ち止まった。ここの店なのか。

「ちょっと待っていて」と言って、泉さんがドアを開けて店の中に入っていった。私は外で少し待たされて格好になった。「田口さん、いいわよ」とドアが開いて声をかけてきた。ドアを開けると、カウンターに3人の男性と、テーブルに3人の女性が座っていた。どうやら、私たち2名の席を作ってくれていたようである。

カウンターに座ると、ママさんらしい人が軽く挨拶をして手拭を出してきた。年のころなら50才くらいの綺麗なママさんだ。他に女の従業員が2人カウンターの中にいた。

カウンターに座っている男の客の一人が泉さんに軽く挨拶をした。どうやら、知り合いのようだ。

常連として泉さんが来ているのだろうか。ボトルをキープしているくらいだから。

先ほどの居酒屋とはうって変わって薄暗く何やら怪しくもありスリルもありそうな店だ。

泉さんは、いつもここに来ているのかと思うと何やら羨ましくも思った。

「ひとみさん、焼酎でいい」といきなり下の名前で呼んだので少しあせってしまった。何故、田口さんではないのかと泉さんにさりげなく聞いてみると「上の名前で読んだら、どこの人かとか分かってしまうから」と言うのだ。

私としては、なるほどいうことに気付いたのだ。上の名前なら問題がある場合もあるかもしれないが下の名前なら分かりづらいと思う。さすが、このような店に慣れていると感心してしまった。

ママが出してきた焼酎のボトルの首には、サッチャンと書いたプレートがかかっていた。

二人で、焼酎を呑みながら、歌を歌うということになった。誰も歌は歌っていないので、早いもの勝かもしれない。

早速、ママが歌本を持ってきたので、泉さんから歌うようにお願いしたのだ。どうも最初は照れてしまう。

「じゃ、私から歌うわよ」と泉さんがママに曲を伝えた。

なんと演歌である。泉さんのイメージからは想像ができない。何かポップス系を歌うという雰囲気だと思っていたが、それも都はるみなのだ。かなり昔の曲だと分かった。子供のころに聞いたことがある曲である。

曲のイントロが流れて歌いだしにビックリした。うまい、とても歌がうまいのである。

ヘタな演歌歌手よりも上手なのである。聞きほれてしまった。と、次は私ということは、とても恥ずかしいと感じた。泉さんの歌が終わると客から喝采の拍手の嵐である。先ほど挨拶をした男の客が大きな声でサッチャン、最高と叫んでいる。泉さんは軽く皆に挨拶して椅子に座った。次は私。

ききほれていたので曲が決まっていない。

「ひとみさん、決まったの」と泉さんがせかす。「えっ、まだ、歌がうますぎて次は辛いわ」と言いながら歌本をめくって探しているのは山口百恵だ。

いきなり、こんなうまい歌を聴かされては困ったものだ。ママに曲目を伝えると曲が始まった。

何やら恥ずかしくて、あまり覚えていないのだが、歌が終わった瞬間に客からの大きな拍手で我に返った。

「ひとみさん、凄いじゃないの、百恵の歌」と泉さんが誉めてくれたのだ。さらに、ママからもうまいと誉めてもらった。多分、社交辞令だと思うのだが何だか嬉しいものである。

「そちらの方も歌凄いね」とカウンターに座っていた泉さんの知り合いも言ってくれた。

年のころなら、50才くらいだろうか。紳士とは言えないが何か職人さんのような感じの人だ。

「とんでもないです。何年かぶりなのですよ」と言葉を返した。言葉をやり取りするということは知り合いになった感覚になるものである。

それから泉さんは違う演歌歌手の曲を歌ったり、私は百恵を次々に歌ったのであった。

その間に他の客も歌い始めた。しかし、泉さんには絶対にかなわない。しかし、拍手をしてくれたので、こちらも拍手をしないわけにはいかない。本当は、拍手はうまい人だけでいいと思っている私は心の狭い人なのかもしれない。でも、そうだと思っている。

時間が気になって腕時計を見たら、12時近くになっていた。明日のことが気になったが酒のいきおいで、もう少しくらいはいいかと思った。でも、一回は家に電話しておかないといけない。だんなも子供も心配しているかもしれない。店の外に出て携帯で家に電話をしたら、だんながすぐに出た。

理由を説明して1時までには帰るということを伝えた。なんとか納得してもらったのでもう少しは居られる。

外に出たので何か少し酔いが覚めたようでもあった。金曜日の夜ということもあって今夜は遅くまで呑む人が多いのだろうか。

店の中に入ると泉さんと例の客が楽しそうに話している。どうやら以前からの知り合いのようだ。

と、ドアが開いて入ってきた人に驚いてしまった。艶子さんが服を買った婦人服の店の店長であり、泉さんの弟の久保さんだ。「なんだ、いたのか」と泉さんにバツが悪そうに話している。「あんた呑んでいてもいいの・・・」と泉さんが話すと「今日はいいんだ」と言ってカウンターの端に座りながら私に気付いて挨拶をした。

「この前はどうも・・・」と言うので「こちらこそ」と言葉を返した。

「ひとみさん、うちの弟知っているんだっけ」と聞いてきた。

「この前、知り合いの付き合いで行ったことがあるから・・・」と話すと、そうなんだと理解したようだ。

先日、泉さんから弟の店の売上がよくないから協力して欲しいと言われたことも思い出した。

久保さんは、女の子と楽しそうに会話している。私たちは、例の男性と3人での会話になってしまった。

この男性は、高橋さんという工務店で働いている人らしい。言葉になまりが少しある。どうやら東北のほうの方のようである。格好のわりには若く見えるような気がするので、呑んだ勢いにまかせて聞いてみた。

「おいくつなのですか」と、「42才です」よはり、50才にはなっていなかった。私のだんなと同じ年だ。

主婦というものは変なもので、自分のだんなと他の男の人とを比較してしまう。特に年齢においてはそうである。

だんなと比較してだんなのほうが若く見えるということは何か安心した気持になった。本当に単純なものだ。

その間に他の客は帰ってしまって、店には私たち3人と久保さんだけになっていた。

もう、1時になりかけようとしていたので、皆に挨拶して出ようとしたら「もう一軒いいじゃない、少しだけ、僕がご馳走しますから」と高橋さんが言ってきたのだ。そんな時間はないという顔をすると、泉さんが「ひとみさん、30分だけ」と言うのだ。助け舟かと思ったのだが全く違っていた。家のことが気になるのは当たり前なのだが、こんなに楽しいこともめったにないので。また、外に出て家に電話をかけたら、誰も出ない、だんなは寝てしまったようである。3回かけても出ないので諦めてしまった。何かあったなら携帯にかかってくるだろうと思って店に戻った。

本当に少しだけという約束で、高橋さんに話すと、歩いて1分の店だからというのである。

泉さんは行く気満々なのだ。この泉さんという奥さんも不思議な人である。だんなと子供が家にいるのに平気なのだろうか。いつも、この調子で家を空けているのだろうか。それだけ、だんなの理解があるのだろうか、と思ってしまった。

お会計をして店の外に出た。2500円だったが、次の店は高橋さんのご馳走ということなので気分がいい。

歩くとすぐに店があった。どうやら、小料理の店のようだ。

引き戸を開けると、60才くらいのママが笑顔で迎えてくれた。

ここでの会話の中で、高橋さんの色々なことが分かったのである。

昔は、岩手県で小さいながらも工務店を経営していたというのであるが、知り合いの会社の連帯保証人になったばかりに知り合いの会社が倒産した時に大きな負債を背負って連鎖倒産したというのだ。

それが元で破産宣告を受けて家庭は崩壊、おまけに離婚をするはめになってこちらに出てきたという悲しい話であった。もう、3年前のことらしい。

そんな話を聞きながら、泉さんと私は、高橋さんの今までの人生の話を聞いていた。

他に客はいない。高橋さんは、また、もう一度再起して工務店をやりたいと強く語っていた。