「そうですか。それは、東京から、ご苦労様です。で、一体何の件なのでしょうか?」

「トキワビルを契約していたとのことです。先週、解約したということですが、ちょっと事件に係わっているかもしれないのです。それで、賃貸契約書を拝見したいと思いましてね。見せてもらえますか?」

「はい、今、お持ちしますが、解約後に、敷金の返還をしようと思って電話したのですが、電話連絡がつかなくて困っていたのです。毎月の家賃も、ちゃんと払ってもらっていて、真面目な会社だと思っています。しかし、数日前から、連絡がつかなくなったのです。50万円返還しないといけないというのに・・・少ししてから、井上さんの事務所に行ってみようかと思っていました」と、少しぼやきながら部屋を出て行った。ほどなくして、賃貸契約書を持ってきた。

新開刑事と僕は、その契約書に目をやった。

契約者は、確かにミタライ・コーポレーションであり、代表取締役は、御手洗晋と記載されていた。住所も東京の住所であった。それと、保証人の項目に、目が留まってしまったのである。

そこには、今まで聞いたこともない女の名前が記載されていた。井上八千代という名前であった。

「熊木さん、この井上八千代という保証人について聞きたいのですが、この人はどういう人か分かりますか?」

と、新開刑事が尋ねた。少し、時間をおいて、熊木さんは口を開いた。何か思い出しているようにも見えた。

「お会いしたことはないのですが、何でも、福岡で商社を経営されていると記憶しています。ほら、そこに、印鑑証明がついていると思いますが、私としても同じ福岡の方でもあるし、その方の会社を調べても何の問題もなかったと記憶しています。御手洗さんは、東京の人なので何か不安があったのですが、地元の方が保証人になられるというので、契約したのです。そう、記憶していますが、3年前のことなので忘れていることも・・・」と、答えた。

「そうですか。で、解約したのは、先週だと聞きましたが、何か聞いていませんか?」

「いえ、電話があり、その電話は、保証人の井上さんからでした」

「井上さんからですよね?」と、聞き返すと。

「間違いありません。それと、解約通知書も郵送で届いています。そこには、御手洗さんの印鑑も押してありました。何か大きな事件なのですか?」

「はっきり、申し上げましょう。御手洗さんは、殺されました。これは、殺人事件なのです。それで、聞き込みをしているのです。解約日よりも前に御手洗さんは殺されていたのです」と、新開刑事は、ゆっくりと話した。

「えっ、何ですって。殺人ですか?」と、本当に驚いた顔になっていた。

「えぇ、殺人事件に間違いはありません。それで、東京から来たのです。それと、保証人の井上さんとかいう人を教えて欲しいのです。御手洗が死んだ後に解約したということに、ちょっとひっかかる」と、新開は尋ねた。

「契約の時に、一度しか会ったことはありませんが、近くの会社です。何でも、女一人で会社を経営していると話していました。50才ぐらいだったと記憶しています。電話番号も分かりますが・・・」

「それは助かる。早速、訪ねてみようと思ってね。それと、その契約書を借りていてもいいかな」

「はい、事件なら、協力させてもらいます。この件は、社長にも話しておきますから、何かあれば、いつでも聞いて下さい。それにしても、殺人事件とは・・・物騒な世の中ですな・・・」と、熊木さんは呟いた。

それにしても、井上八千代という女社長とは一体何物なのであろうか。御手洗の死んだ後に、事務所を解約している。そういうことを考えると、何か謎めいた感がしてならない。とにかく、新開刑事と、その井上社長の事務所に向かうことにして、管理会社を後にした。

しかし、博多中央署に連絡もなく、勝手な行動をしていいのだろうか?管轄外ではないのであろうか。

ヘタをすると、始末書だけではすまないと思う。何と言っても、新開刑事は、始末書の数だけは、警視庁管内でもトップクラスだと聞いたことがある。それも、関係してのこととは思うが、出世から見放されているのであった。

30年のキャリアがあっても、巡査長なのである。いつも、後輩に追い越されてしまっていたのであった。

「新開さん、何やら見つかりそうな糸が、また、見えなくなってきたような気がするけど・・・」と、聞くと。

「そんなもんだよ、雪ちゃん。この事件の裏には何か大きな組織があるような気がしてならないな。小さな車の事故から始まっている連続殺人だと思うな。俺の経験だと、かなり大きな事件になる予感がしてならない。まだ、何の確証もないが、大きな組織の匂いがする。とにかく、その井上という女に会うことだな・・・」

新開刑事は、早足で通りを歩いている。博多の町は、九州一の歓楽街ということもあり、大勢の人が行きかっていた。20分ぐらい歩いたであろうか、契約書に記載されている、井上社長の住所の前に着いた。

会社名は、蓬莱商事となっていた。ビルというよりも、マンションであり、どうやらワンルーム形式らしい。

管理人もいない、ペンシルマンションであった。

一階の表示を見ると、5階に蓬莱商事という名前が記されている。僕たちはエレベーターに乗った。

ドアのプレートには、株式会社蓬莱商事と金色で書かれている。何やら、その筋の事務所のプレートの色使いのような感じである。新開刑事が、呼び鈴を押した。少しして、ドアが開いた。

「何でしょうか?」50才過ぎだと思われる、小奇麗な女が顔を覗かせた。

「井上八千代さんという方は、こちらにいますか?」と、新開刑事は尋ねる。

「井上は私ですが、何の御用でしょうか?」と、低い声である。

「あなたが井上さんですね。私は、東京の多摩西部署の新開といいます。御手洗さんのことで伺いたいことがあるのですが、ちょっとお時間を・・・」新開刑事は、靴をドアと壁の間に入れている、そうしてないとドアを閉められてしまうことがあるからであろう。

「あぁ、御手洗のことね。私も困っているのよ。何でも事故で死んだって聞いてね。まぁ、中に入って下さい」

と、淡々と話してきた。僕たちは、言われるままにソファーに腰を降ろした。事務所の中には、机が一つと電話が2台ある。書棚の中には、多数の種類と思われるものが並んでいた。

広さは10畳程度であろうか。机は一つなのだが、椅子は二つあるので、誰か事務員がいるのかもしれない。

「事故のことでしょうか?」と、お茶を入れながら尋ねてきた。

「それもありますが、御手洗の保証人になられていましたね。それと、事務所を解約されていますが、誰からの指示ですか。一般的には、保証人には解約する権利はないと思いますが、それについて聞きたい」

新開刑事は、ストレートに尋ねた。

「はい、御手洗さんが、亡くなったということを聞いたのは、御手洗さんの奥様からです。支店を解約するための代理人として書面も送ってもらいました。確か・・・ここにあります・・・ちょっと待って下さいね」

と、机の中を探している。

「ありました、ありました。これです・・・」と、代理人選任の書類を見せてくれた。

確かに、御手洗名前と印鑑と奥様らしき人の名前が書いてあり、御手洗が死亡したために、解約すると記載されていた。御手洗の奥さんの名前は、御手洗操と書いてある。確かに、御手洗の奥さんの名前であった。

新開刑事は、その書面をくいいるように見ている。

「問題はないようですな。それで、御手洗の奥さんとは面識があったのですか?」

「いえ、電話では、何度か話したことはありますが、一度も会ったことはありませんが・・・」

「そうですか。次の質問ですが、井上さんは何故、御手洗の保証人になったのですか?東京と福岡で離れてますな?」

10年以上前からの知り合いです。私も雑貨の輸入をしている関係で知り合ったのです。それからは、懇意にしていただいていましたので、福岡に支店を出すということを聞いたものですから、保証人をお受けさせていただいた次第なんですよ。まさか、車の事故で亡くなられようとは夢にも思いませんでしたわ。本当に残念でなりません。私も、色々と輸入のことで便宜をはかってもらったりしていました。本当に残念でなりません・・・」

と、目頭を押さえるそぶりをした。

「そうでしたか。それと、管理会社の人が話していたのですが、敷金の返還について電話したのだが、連絡がつかないということを言っていましたが、電話番号を変えられたのですかな?」

「そうです。契約の時の電話番号は、1年前に変更になっていました。連絡しておけばよかったのですが、すっかり忘れておりました。後で、連絡しておきます。敷金は、奥様に返還することになっていますから、返還されたら、奥様にお渡ししようと思っています。本当に、うっかりしていましたわ」と、少し笑い顔になった。

「奥さんの連絡先はご存知なのかな?何でも、田舎に帰られてということらしいのですが、井上さんとは連絡がとれるということですかな?」

「はい、携帯電話の番号を知っていますから、聞けば分かると思いますので・・・」

「なるほど・・・もう一つ聞きたいことが・・・」と、新開刑事が尋ねようとした時に事務所の電話が鳴った。

「ちょっとすいません・・・」と、受話器を手にした。

何やら小声になっている。それと、今は来客中だから後で電話すると言って電話を切った。

「すいません・・・何でしょうか・・・」と、また、大きな声になっていた。

「仕事中にすいませんな・・・で、ジョジズ・カンパニーか徳野茂美という女を知っていますか?御手洗の愛人だった女ですが?」

「徳野・・・知りませんね。御手洗さんのプライベートについては何にも知りません。女の人がいてもおかしくはないと思いますが、私は何も知りませんね。ジョジズという名前も聞いたことはありません。で、その人が何か・・・・」と、少し慌てたように感じた。

「いえ、知らないのなら結構です。それと、御手洗の奥さんの携帯電話の番号を教えてもらえますかな?」

「それはいいですけど、何か御手洗さんにあったのですか?ただの事故死ではないのですか?刑事さんが来るようなことだとは思ってなかったので、ちょっと気になりまして・・・」と、さぐるような言葉であった。

新開刑事は、少し間をおいて、ゆっくりと話始めた。

「事故ではないんですよ。殺人なんですよ。だから、調べているのです。それ以上は答えられないが、何かあれば、これからも協力してもらうことになる。居場所だけは、必ず、教えておいて欲しい。それと、井上さんの自宅も教えておいてもらいたい」と、ゆっくりとではあるが、しっかりとした声であった。

「えっ、殺されたのですか?私も疑われているんですか?初めて知りました。奥さんは、事故死だとしか話してなかったので・・・殺人・・・・恐ろしいですわ。犯人は見当がついているのですか?私は関係ありませんよ。ただの知り合いなのですし、ここ最近、福岡から出たこともないし、東京で殺されたのですよね。東京の刑事さんだから・・・」と、不安そうな目をして尋ねた。

「疑ってはいませんよ。ハハハ。一応関係者には聞いているだけです。今日は、お邪魔しましたな。一応、この会社の電話番号と自宅の住所、電話番号を書いてくれますか?」

はい、と言って、メモを渡した。僕は、何をするわけでもなく、ただ、二人の会話を聞いていただけであった。

そして、事務所を後にして、このマンションの駐車場に向かったのだ。何故、駐車場に向かったのかというと、岸壁から落とされた、倉重の死について、釣り人が、大きな黒い車を見たという証言があったからである。

もしかしたなら、この井上という女が黒くて大きな車に乗っているかもしれないと考えたのである。

「なぁ、雪ちゃん。どう思う。井上という女は?」と、新開刑事が聞いてきた。

「何かあるとは思いますが、何が何なのかは未知数ですね。何か隠しているような気はしますがね・・・」

「俺も、何か隠しているとは思う。これからだな・・・さっ、車を探してみるか。この分野は雪ちゃんが詳しいからな・・・頼むよ」と、早足で駐車場に向かった。

20台ぐらいが停められる。2台は、大型の車であったので、一応、NOを控えておいた。

後で、所有者を調べてみれば分かるのだ

「新開さん、これからどうしますか?博多中央署に戻ったほうがいいと思いますよ。勝手な行動は・・・」

と、僕が尋ねると。「いや、これから、井上の自宅に行ってみようと思う。とにかく、身辺を調べてみたい。署に戻るのは、それからだ・・・」また、勝手な行動で、始末書になるような予感が頭をよぎった。

タクシーで行くことにした。そのタクシーの中で、新開刑事の携帯が鳴った。







大きな借金を作っておいて、何を言うのかと思った。38才にもなったのに、何か子供のような気持を持っている。

食べるために皆必死で働いている。かくいう我が家のだんなもそうだ。

あれは嫌だ、これも嫌だなんて言っていたら何もできない。それよりもこの息子は、会社を倒産させたのだ。

その危機感が薄いのではないだろうか。はたから見ていて、とてもじれったく感じられた。

「色々と探すしかないと思いますよ。このあたりは、工場や飲食店も多いから、とりあえず何か働いてみたらどうですか」また、余計なことかもしれないが口を出してしまった。

「それは知っています。でも、僕には向かないのです。お母さんもそう言っています」何、お母さんだと、人前なら母と言いなさい。そんなことも言えないのか。いい年をしてお母さんとは何事だ。

むらむらと怒りがこみ上げてきた。確かに、艶子さんとは離れて暮らしていたのかもしれないが、人としての基本がなっていないのではないか。母と言いなさい。小学生でも言う子は言うのだ。

こんな人だから3千万円もの借金を作って、いっちもさっちも行かなくなって家を売るのだろう。

情けないやら悲しいやら「そうですか・・・」と言うしかなかった。

二人のやりとりを聞いていた艶子さんが「昇が嫌いだという仕事は無理だ。嫌いな仕事は続かない」と弁解じみた言葉である。

「そうですよね、無理はしないほうが・・・」と、どうでもいいと思い言った。

「まぁ いつか見つかるな。お前も頑張れ」と楽天的に息子に話している。

家が売れたなら何とかなるだろうと思っているのかもしれない。

艶子さんには、大家さんという収入源もあるし、何とかなるだろうと思っているのかもしれない。

だったら、私なんかに聞くことはない。勝手にすればいいのに。

本当に、艶子さんの私生活まで私を仲間にしないでほしいものである。

勝手口で話していると、玄関のチャイムが鳴った。

艶子さんに、お客さんが来たからと言って、玄関に行ってみた。

そこに立っていたのは、婦人服の店長の久保さんであった。

「お忙しいところ・・・来週から服のバーゲンを始めますからチラシを持ってきました」とチラシを手渡された。

どうやら、近所を一軒づつ回ってチラシをポストに投函しているようだ。私の家は以前来たこともあるし、泉さんの弟であり、スナックでも会ったから挨拶としてチャイムを押したらしい。

「そうですか、何かあったら行きますね」と、言ったが、私の好きなタイプの服はおいていないのであるから無理だと思う。

そんな会話をしていると、裏の勝手口にいた艶子さんが玄関に回ってきた。

「店長、何してる」と艶子さんが聞いたので久保さんは、バーゲンセールのことを説明していた。

「安くなるのか」と手渡されたチラシを入念に見ている。艶子さんはこの店の服が好きなようだから興味があるらしい。「もっと安くならないか」いつもの口調である。

「これ以上は勘弁して下さい、いっぱいなのです」と久保さんが困っている。

確かに、チラシには表示価格よりも30%から50%オフと書いてあった。

かなり安いには違いないが、私の好きなタイプはない。

私がよく行く、ファッションセンターしまむらには及ばないが、こちらは大量生産ではなくて、一点ものが多いから当たり前であろう。

「店長の店のモノは質がいいから、これ以上は安くできないということか」と艶子さん。

「質には自信を持っていますから、これが限界です」と、これ以上は勘弁してくれという仕草をしていた。

「すみません、服の販売店ですか」と突然、艶子さんの息子の昇さんが久保さんに聞いてきた。

「ええ 婦人服が中心ですが、輸入服や雑貨も扱っています」と言った。

「そうだ、昇、店長のとこで働きな」と艶子さんが口を出してきた。

久保店長にしたら寝耳に水である。

「どういうことですか、私の店で働くというのは・・・」久保さんが驚いて聞いている。

それはそうだろう、いきなり働けと息子に言っているのだから当然である。

「息子は、大阪で輸入の雑貨や服を扱っていたんだ、だから詳しい。あなたの店で働いたらいい」と勝手に話を進めている。進めているというよりも、勝手に採用しろと言っているのと同じである。

「ちょっと待って下さい。うちは人を雇うほどの余裕はないですし、今は無理ですよ」と久保さん。

「今は無理かもしれないが、先は分からないだろ」と艶子さん。艶子さんのいつもの脅迫が始まってしまった。

「横山さん、無理ですよ。先のことは分かりませんが今は資金もないし大きくしないと人を雇うことは無理ですよ」

と、久保さんも困った顔をして私に助けてくれという雰囲気である。

私としても何だか変な展開になってしまったと思っていたら「資金がないなら、少しだしてやるから昇と一緒に大きくしたらいい、それでいいかね」と艶子さん。

資金を援助してあげるということは、どういうことなのであろうか。まとまった資金が無いから家を売るということではないのか。また、千万単位ではなくとも、数百万円ならあるのだろうか。

「急に言われても、困ります。確かに、3百万円もあれば良い商品を大量に仕入れできますから、店としては有り難いのですが・・・」何やら久保さんは店の内情について話している。

続けて「資金があれば大きくできるのですが、資金を貸してくれないのです。銀行なら金利も安いしいいのですが、こんな小さな店には貸してくれません」と久保さん。

「そうかね、息子を雇ってもらったら、3百万円なら捨ててもいい」と艶子さん。

3百万円を捨てたと思うということは3百万円という大金は艶子さんにとっては、たいしたお金ではないのか。

何か頭の中が真っ白になってくらくらしてしまった。

「店長さん、僕も10年以上の経験があります。大阪でやっていたのですが、事情でお母さんと一緒に暮らすことになったのです、一生懸命にやりますし、給料は利益が出てからでいいです」と息子が言うのだ。

相変わらず母と呼べないでお母さんと呼んでいることが気になったが、私には関係ない。

事情という言い方をしているが、本当は倒産したと言いたかったが、余計なことなので何も言わないでおいた。

久保さんは、しばらく考え込んでから「ここでは何ですから店で話しましょう」と艶子さんと息子に店に来るように話してしまった。

何やらとんでもないことになりそうな予感である。

久保さんの店で艶子さんの息子が働くのはいいとしても、艶子さんが3百万円も投資するというのだ。

息子も利益が出てから給料を貰いたいという。何が何だかおかしなことになった。

「よし、店長の店に行って話そう、うちの息子は使えるよ」と微笑みながら久保さんを見ている。

3人は私の家の玄関を後にした。

何ということだ。これが決まったならどうなるのだろう。久保さんの店はどうなるのだろう。

もしかして、艶子と息子に乗っ取られるのではないか。

いやいや、そんなことはないだろう。後ろには泉さんという姉がついているし、泉さんのだんなは整備工場の社長であるから、そんなことは絶対にないだろうと思った。

それよりも、久保さんの店が今よりも発展して大きくなるかもしれない。

そうしたら、艶子さんは皆にうちの息子が働いたから大きくなったのだと自慢するかもしれない。

そんなことになったら・・・と色々と頭の中はぐちゃぐちゃになってしまった。

そんなことを考えていると、突然、携帯にメールが届いた。

だんなからであった。

どうやら、艶子さんの家をその金額で買いたいという人が現れて、話が進んでいるというメール内容である。

不動産業者が買取って、土地を3分割にして3棟の建売住宅を建てるという内容だ。

私のような素人からみても土地は広いから、3つの戸建てを立てるということは十分に可能だと思う。

とにかく早く決まって欲しいという思いが強い。家が売れたなら、必ず、艶子さんは近所から引っ越すのだ。

どこに越すかは知らないが、まさか、今よりも近いところではないと思う。

これは私の勝手な推測であるが、多分、そうあって欲しいという願望のほうが強いのは確かなことである。

少しでも遠くに越してくれたなら、そう頻繁に我が家にはやって来ないと思うのだ。

そういう思いは、後であとかたもなく崩れるという現実を知ることになる。

世の中は自分の思う通りにはいかないということを、悪い意味で教えられることになるのである。

数日して、艶子さんの息子が久保さんの店で働いているという話を泉さんから聞いた。

色々と問題はあったようだが、解決して息子の昇さんが働いているというのである。

どうやら、艶子さんが資金を提供したということだ。久保さんが納得して、事業を大きく展開するために、その申し出を受入れて、息子が働くということになった。表面上は、久保さんが社長らしいが、息子の昇さんは専務ということらしい。久保さんと、姉の泉さんと泉さんのだんなが了承して決定したらしい。

専務といっても、二人しかいない店ではあるが。

近々、会社登記をするというのであった。

ということは、艶子さんは投資家という立場なのだろうか。何だか似合わない言葉である。

私としては、似合わないというよりも嫉妬なのかもしれない。

3百万円というお金を息子のために出すということが羨ましいのかもしれない。

一言で言うならば、バカ親だと思う。また、その申し出を受けた久保さんという人の考えも気になる。

どうせ、他人事なのであるが、何ともしっくりしない。やはり、私には妬みがあるに違いない。

それから、数日が経過した。

突然、艶子さんが勝手口に現れた。明日、家を明け渡して引っ越すというのだ。

心は躍った。本気で踊った。これで離れられる。これで静かに暮らせる。これで満足だ。

「あんたには世話になった。これからも頼むな・・・」と艶子さんが言う。

これからも・・・何だ、これからもという言葉は何だ。

「おめでとうございます。良かったですね」と言うと「まぁ それはそれで良かったな、借金も返せたし、息子も本気で働く気持がでてきた、引越しが終わったら、また来るからな」と楽しそうに話している。

また、来るということは何なのだろう。確かに、遠くに行っても、たまに来るぐらいなら仕方ない。

しかし、遠くになると、そうは頻繁には来られるはずがない。

艶子さんは、自転車も車にも乗れない。歩いてくるしかないのだ。

私は、艶子さんが遠くに住むと思い込んでいた。だから、勝手に問題はないと思っていたのだ。








とりあえず、一件落着という形になりそうだが、艶子さんのことであるから何かトラブルを起こすかもしれない。

また、そのとばっちりが私にこないことを祈るしかないのだ。

何か毎日が艶子さんの私生活と一緒になって動いているように感じた。他人の家のトラブルを貰ってもどうしようもない。

私の付き合いのさじかげんが間違っていたのかもしれないと思いながらその夜は床についた。

近所付き合いというものは、場合によっては人生を変えてしまう。テレビのニュースではないが、近所付き合いが元で殺人事件になったこともある。それぐらい付き合いのさじかげんは難しい。

相手の懐に入りすぎてもいけないし、あまりにも付き合いが悪いことも問題になる。

よく、適当に付き合いなさいという人がいるが、適当という付き合いほど難しいことはないと思う。

さじかげんが出来ないからトラブルになるのである。

翌朝、艶子さんが勝手口からいつものように入ってきた。

どうやら、だんなの会社の営業から連絡があったらしい。

3千万円は無理だ、仲介で頼むことにした」と、少し晴れ晴れしい顔をしている。

何かがふっ切れたのかもしれないし、息子と相談して決まったのかもしれない。

「そうですか、早く売れるといいですね」と坦々と言うと「3千万円なら時間がかかるから、28百万円で出すことにした、早くしないと息子が訴えられるからな」と恐ろしいことを口にした。

訴えられるということは、何なのだろう。

「訴えられる・・・」と聞くと「そうだ、昇が借金した相手からな・・・相手は金融会社だから・・・」と言うと悲しそうな顔をした。艶子さんも人の親である。息子のことを何とかしたいと思っているのだろうか。

「何か事業されていたの」と思い切って聞いてみた。

「そうだ、小さいが何人か使って小物販売していた、資金繰りが難しくなっていくつかの信販会社から借りたんだ」

やはり、事業の失敗だった。私の思っていた展開だったので、少し嬉しくなったが、そこはぐっとこらえて同じように悲しい顔をしておいてあげた。

本当は、やっばりね、そうだと思ったのよ・・・と言いたい。そんなことを面と向かって言ったなら間違いなく私は殴られるだろう。

「返済期限が、来年の春だから、あせっているのだ」と気が抜けたような感じで話ながら勝手口に座りこんだ。

相当、疲れているのかもしれない。息子のことで家を売るようになったのだから仕方がないかもしれない。

艶子さんは座ったまま「明後日、息子が大阪から戻ってくる。何か仕事を探さないといけない。何かあったら紹介してくれるか」と聞いてきた。私は座ったままの艶子さんの髪の中に小さなハゲがあることに気がついた。

やはり、相当参っているのだろう。円形脱毛症になっていた。

私は何を言っていいのかと思案しながら「何人かに聞いてみます、息子さんは何才ですか、家族は・・・」また、余計なことかもしれないが聞いてみた。

38だ、去年離婚したから家族はいない」とやるせなさそうに答えた。

「そうですか、私でできることはやってみます、どうか気を落とさないで・・・」と言うと「気なんか落としてない、金が落ちるのだ。家もなくなる、何もかもなくなる」と急に立ち上がってむっとした表情になった。

しまった、また、余計なことを言ったのかもしれない。

「あんたには分からない、子供が大きくなったら分かるさ」と吐き捨てるように言うと帰っていった。

子供が大きくなったら分かるということは、私の息子も同じようになるということだ。

とんでもない、私の祐樹に限ってそんなことは絶対にない・・・と思う。

本当に、艶子さんという人は人を怒らせることが得意だ。私も人のことは言えないが艶子さんには遠く及ばないし及びたくもない。気持を切り替えて洗濯・掃除に取り掛かった。

昼前である、電話が鳴った。

「小田ですが、後で時間空いてる」とパン屋の小田さんの奥さんだ。

丁度、昼を食べようと思っていたというと、午後2時に遊びに行ってもいいかというのだ。

特に断ることもないので、遊びにきていいよと伝えた。

小田さんが遊びに来るということは初めてのことである。

何かあるなと睨んだ。ただ、遊びに来るという人ではない。何かを話したいか聞きたいかだと思う。

2時ちょっと過ぎにチャイムが鳴った。

玄関を開けて小田さんを迎えた。

手には店の紙袋を持っている、どうやら土産で何かのパンのようである。

居間に案内して座ってもらうと「ねぇ、艶子さんの家で何かあったの」といきなり聞いてきた。

「えっ何かって」と少しとぼけて答えると「今日、涼子さんから聞いたのよ、涼子さんの家に行ったでしょう、何があったのか教えてよ」やはり、そういうことであった。どうやら、涼子さんは詳しいことは話していないようである。さすがに、涼子さんだ。私がお邪魔したということだけ話したらしい。

しかし、それも本当は言う必要のないことかもしれないが、人の口には戸はたてられないのだろうか。

「艶子さんに何かあったのでしょう」としつこく聞いてくる。

仕方がないので、私の勝手なさじかげんで話してもいいと思うことは話すことにした。

「息子が戻ってくるらしいのよ・・・」と言うと「えっ 息子がいたの、子供はいないって聞いていたのに・・・」と驚いた様子である。続けて、大阪から来ることと、こっちで仕事を探しているから近くで何かあったら世話して欲しいと言われたことを話した。家を売ることは何となく言いそびれてしまった。

というよりも、艶子さんに人には絶対に言うなと言われていたからでもあった。

小田さんは「どうして今頃一緒に住むのかねぇ、艶子さんが何かの病気じゃないの」と聞いてきた。

何か、艶子さんの具合が悪いから一緒に住むのかと大きな勘違いをしている。

勘違いしても当然なのであるが、私がそうかもしれないと言うと小田さんは納得してしまいそうなので「どうも艶子さんとは関係なく戻ってくるみたいよ、病気ではないみたい、だって艶子さんは元気だものね」と言うと、それもそうだとう感じで頷いていた。

しばらく、小田さんはこのことについて、憶測したりして楽しんでいた。

前から感じていたのだが、この人は人の噂話が大好きなようである。

何やら例の放火事件についても何か知っていないと聞いてきたので、私も詳しくは知らないと答えるしかなかった。

ここで私が放火事件について知っているとなると、とことん追求されてしまいそうである。

言わなくてもいいことは言わないのが一番だ。

特に、噂好きな人には言わないことだ。後で皆に話されて、本当のことと嘘が一体となって何が何だか分からなくなって最後には私が悪人になるかもしれない。そう思うと余計なことは言わないことに限る。

これも、生活の知恵だと思った。知恵というほどのことはないかもしれないが、私にとっては知恵だと思いたい。

小田さんの持ってきた菓子パンを食べながら、二人だけの井戸端会議の時間が過ぎていった。

玄関のチャイムが鳴って、息子が学校から帰ってきた。

小田さんは、楽しかったわ、また、寄っていいかなと言いながらパン屋に戻った。

数日後、艶子さんの家の物件案内が新聞の地域版の不動産合同広告に掲載された。

価格は、2890万円となっている。丁目は出ているが番地は書かれていない、しかし、近所の人なら誰でも判断できると思う。土地の形で判断できる。建物は古屋ありと書かれていた。

土地の値段のみということである。古屋の解体費用は、購入する人の負担とも書かれていたが、アスベストについては何も書かれていなかった。

このチラシで艶子さんが家を売るということが白日の下にさらされたのだ。

案の定、小田さんや、泉さんから電話がかかってきた。簡単に言うならば、このチラシの物件は艶子さんだよねということである。私としても隠す必要もないので、前からそんな雰囲気はあったのだが、はっきりとは聞いていないから黙っていたのよと答えたのだ。

チラシの下にある不動産会社名は、だんなの会社名ではなくて、別の近所の会社の名前であった。

おそらく、だんなの会社の営業の人が近くのつながりのある、不動産会社に依頼したのだと思う。

やっと、肩の荷が下りたと思った。ここ数日は艶子さんに振り回されていたから本心からほっとしたのだ。

売れようが、売れまいが私には全く関係はない。

もう、不動産の相談はないだろうと思っていたのだが、それは大きな勘違いであった。

また、一波乱が待っていたのだ。

1週間後、艶子さんが息子とともに勝手口にやって来た。しばらく、顔を見ていなかったので落着いていたのかと思ったのだが、実際はまったく違っていた。

「家が売れないよ、高すぎるらしい」と文句を言ってきたのだ。

文句を言う相手が違っている。と思いながら「高いのですか」と聞くと「200万円安ければ買うという話はあった、200万円も安くなんかできない」と怒りを私にぶつけてきたのだ。

全くもって筋違いだと思う。息子は、艶子さんの後ろで静かに立っている。

「私に言われても・・・」と言うと「あんたの会社だろ」と言い返してきた。

私の会社ではない、だんなの会社であるが、だんなではなくて相手は営業の人なのだ。全く話にならない。

と、言いたいのだが、相手が艶子さんであるし後ろには息子もいる。何か余計なことを言ったら、何をされるか分からないと思い、ぐっと言葉を飲み込んで「営業の人は何て言っているのですか」と怒りを抑えながら聞いた。

「もう少し様子を見ようだとさ」と言う「そうですか、もう少し待ってみたらいいと思います、まだ、1週間ですから、これから大丈夫ですよ」と今度は丁寧な感じで話してみた。

艶子さんは、それもそうだと言うことで「あんたに言っても仕方ないな」と少し落着たような感じになっていた。

「それと、息子の仕事は見つからないかね」今度は、息子の仕事の話になった。

色々と声はかけているのだが、良い返事がもらえないと言うと「何とか早くしないと息子も困る」と、まるで私が就職先を見つけないことが問題なのだということになっている。

色々と声をかけたというのは、真っ赤な嘘である。そうでも言っておかないと何を言われるかと思うとそう言うしかなかったからである。

38才にもなったのだから、自分で探すことが当たり前であると思うし、誰でもそうしている。

「色々と声をかけているが・・・なかなかない」と艶子さんが言う。

艶子さんは、近所では嫌われているから彼女が前面に出てお願いすることは難しいと思う。

艶子さんとの関わりも嫌であるし、ましてや息子の就職先となると何かあった時には大きなトラブルとなりかねない。そう思うと二の足を踏んでしまうのだろうと思う。

「ハローワークとか就職情報誌は・・・」と聞くと「みんな駄目だ、息子に合わない」と、とんでもないことを言っている。合うか合わないかは息子が決めることであって艶子さんではない。

「僕に合うのは、小物雑貨や衣類関係です、工場などは全く駄目です」と息子が後ろから声をだした。

そんなことを言っても、今は選んでいる場合ではないと思う。何でもいいから働くべきだ。







「それで、小野田さんは、慌てて車に乗って、帰ったということかい」

「はい、何だか怖くて・・・・急いで帰りました」と、その時の怖さを思い出したように顔に出ていた。

「そうですか、色々と有難う。また、お伺いすることがあるかと思いますので、連絡先を教えてもらいたい」

と、新開刑事が言うと、小野田は、連絡先を教えてくれた。

何か突破口としての光に似たものが見えてきた。

僕と、新開刑事の、福岡出張も無駄ではなかった。

これで、倉重は、誰かと会っていたことが推測できたのであった。

その後、フグを食べて宿に戻った。

赤い色とは、女ではないだろうか。新開刑事も僕も同じことを考えていた。

「徳野茂美か・・・その赤いのは・・・」と、新開刑事は僕を見た。

「だと思います。徳野の当日のアリバイを調べればわかりますね。間違いないと思いますが・・・」

と、僕が言うと「早速、出口に調べさせよう」と、出口刑事の携帯に電話をかけて指示した。

翌日、博多中央署から連絡が入り、倉重の司法解剖の死因が確定した。

外傷はなく、多量のアルコールを飲んだことによる、急性アルコール中毒により、岸壁から足を滑らせて落ちたということになっていた。新開刑事が、昨夜の件を詳細に話したところによると、署内は、にわかに慌しくなった。

倉重は、一人で岸壁にはいなかった。誰か、赤い色の服を着た人といたのである。

署にも、殺人事件ではないかということで、合同捜査本部も設置された。

これで、多摩西部署、博多中央署、と、群馬と静岡の各署の大きな捜査本部となっていた。

所轄の刑事が、釣りをしていた小野田さんを署に呼んで、詳しく話しを聞くことになったようだ。

「雪ちゃん、俺たちは、例の御手洗の福岡支店に行ってみないか?何か分かると思うが・・・」

「新開さん、僕も考えていました。会社登記の住所も分かっていますから、早速、行ってみましょう」

僕と、新開刑事は、その住所に向かった。

その途中、出口刑事から連絡が入った。

「新開さん、徳野はシロです。その日は、都内で、複数の人間と会っています。夕方から、深夜まで、新宿の店で、仕事の打ち合わせをしています。店の従業員からの確証もあります。別の尾行していた刑事も確認していますから、間違いはありません。自宅に戻ったのは、深夜の2時です。福岡と東京の往復は絶対に無理です。残念ですが・・・」

「そうか、ご苦労さん。引き続き、徳野をマークしておくように伝えておいてくれ・・・」と、新開刑事はため息をついた。

二人の電話の話から、僕は察知した。

「アリバイ成立ですか・・・では、その赤い色の服は誰でしょう?迷宮に入ったようですよ・・・」

「あぁ、一からだな、とにかく、御手洗の福岡支店を探してみよう。閉鎖されているかもしれないが、何か分かることもあるだろう。確か、地図だと、この近辺だが・・・」と、新開刑事は、何棟も建っているビルの名前を探していた。

「トキワビルですよね。これじゃないですか。トキワとプレートがありますよ」と、僕が指指した。

5階建ての、古いビルであった。中に入ると、真正面に、各階の会社案内表示があり、数枚は白いままになっていた。

その中に、ミタライ・コーポレーションという名前はなかった。

御手洗が死んだのであるから、閉鎖されていることは十分に考えられた。しかし、徳野茂美からは、閉鎖したという話は聞いていない。会社登記からすると、このビルに間違いはないと思う。幸いなことに、一階に管理人室がある。新開刑事は、管理人室の窓を叩いた。

「何でしょうか?」60才代と見られる初老の管理人が顔を出した。

「このビルに、ミタライ・コーポレーションという会社はありますか?」と、新開刑事は、警察手帳を見せながら尋ねた。

「あぁ、あの会社だね。3階だよ。しかし、先週、解約して出て行ったよ。何か急に出て行ったよ。何かあったのですか?」と、管理人は答えた。

「先週・・・部屋の中を見せてもらうことは出来るかい?」と、聞くと、空室になっているから問題はないと言う。

僕たちは、管理人から鍵を借りて、その部屋に入った。

部屋の中には何もない。壁にエアコンがかかっているだけであった。

4人も入れば狭くなるような小さな事務所であった。

「逃げられたな・・・先週か・・・とにかく管理人に聞いてみよう」と、新開刑事は、部屋を出た。

一階に下りると、管理人室に入った。新開刑事は、管理人に尋ねはじめた。

「この事務所は、誰が借りていたのかを知りたい。契約書はあるかな?それと、引っ越した時は、誰が来たのかい」

「契約書は、ここにはありません。このビルを管理している不動産会社にあります。引越しの時は、運送会社の人だけでした。2人の人が荷物を持ち出していたのを覚えていますが、事務所の人はいませんでした。いつもは、男の人が一人だけいたと思います。それ以外の人は見たことはありません」

「とりあえず、管理会社を教えてもらおうか。それと、運送会社は分かるかね?」

「管理会社は、中州にある、明和地所という会社です。ここに住所があります。それと、運送会社は、分かりません。勝手に運んでいましたから・・・トラックは表にありましたけど、どこの運送会社なのかは分かりません。1BOXの車だったと思います。荷物を引き取るように言われて来たと言って、挨拶しただけでした。管理会社から、解約したということは聞いていましたから・・・でも、もしかしたら運送会社ではないかもしれません。車には、何も書いていませんでした。普通なら、社名を書いているので、不思議だと思っていたのですが・・・」

「そうですか、有難う。また、聞くこともあると思う。それと、その男の顔は覚えているかい。いつも、事務所に居た男だが・・・」

「はい、覚えています。私と同じぐらいの年だと思います。ほとんど会話はしたことはないですから、はっきりとは分かりませんが、60才ぐらいだと思います。それと、週に3日ぐらいしかいませんでしたが」と、管理人は答えた。

「そうかい、それと、この写真の中で見たことのある人はいるかい?」新開刑事は、2枚の写真を取り出した。

一人は、徳野、もう一人は、倉重であった。

管理人は、手に取り見たが、全く知らないという。

死んだ御手洗の写真は、一枚もないので、似顔絵になっていた。

それを見せても、管理人は知らないというのであった。この会社の社長なのであるが、この事務所に来たこともないのであろうか?

新開刑事は、外国人が出入りしていなかったと聞いたのであるが、その管理人の口からは、日本人のその男だけが出入りしていたと言うだけであった。僕たちは、管理会社へ向かった。

博多の中洲の真ん中にその不動産管理会社はあった。

何でも、福岡では、ビル管理の大手だということである。

新開刑事は、その管理会社の窓口で説明していた。

大きな応接室に案内され、しばらくすると担当者が部屋に入ってきた。

「何かの事件ですか?あのビルの管理責任者の熊木と言います」と、名刺を差し出した。

新開刑事は、警察手帳をチラリと見せて「東京の多摩西部署の新開です。こちらは、関係している雪田さんと言います」と、僕のことも紹介してくれた。





僕としては、何かを引き出せるかもしれないと思った。普通の、女ではないことは知っている。

一筋縄ではいかない女だ。相手も、何かのさぐりを仕掛けてくるかもしれないと思った。

その夜は、二人で、静かな会話をしていた。特に何もない。差しさわりのない話で終わった。

徳野からは、何のさぐりもないままだ。僕から、仕掛けることは、不自然であると思い、余計なことは聞かないでいた。確かに、美しい女だ。他の席の男が、こちらをチラチラと見ていた。

二人が、飲んでいる時に、福岡の博多湾の岸壁の側に、倉重仁の溺死体が浮かんでいた。

夜釣りに来た、釣り客が発見したということであった。

翌日、新開刑事から、倉重の死体が見つかったと電話があった。

福岡県警からの連絡であった。全国に手配していた指紋と一致したのだ。

現状だと、単なる水死だという。これから司法解剖するということであった。

手と頭には、火傷の包帯が巻かれていた。所持金は、数十万円が財布の中に残っていた。

物取りの犯行ではないと思われる、ということを新開刑事が話してくれた。

明日、福岡に行くということで、僕も、同行することにした。

店は、新藤一人で何とかなる、忙しい時には、近所の車の修理工場の友人が手伝ってくれる約束になっていた。

翌日、羽田から飛行機で福岡空港に着いた。

司法解剖の結果、胃の中には、少しの食物と、血中には、多量のアルコールがあったことが分かった。

体には、目だった外傷はない。結果として、多量のアルコールで酔って、岸壁から足をすべらせて落ちたという見解が強かった。死亡推定時刻は、深夜の2時から3時だという。一応、目撃者を探すことになり、博多中央署の刑事が同行してくれた。

倉重の足取りを探すしかない。地理に不案内なので、所轄の刑事が同行してくれるという。

倉重が、死んだことは、合同捜査本部に衝撃を与えた。唯一の証人が亡くなったのだ。

場合によっては、事件は振り出しに戻ることも覚悟しないといけない。

新開刑事にも、あせりの色が見えた。

とにかく、倉重が落ちたらしいという、博多第5号岸壁に行ってみることにした。

船着き場というよりも、釣りを楽しむという岸壁であった。しかし、どうしてこんなところに来たのであろうか。

確かに、岸壁から、数分歩くと、何軒かの定食屋等がある。

船員相手らしい飲み屋もある。しかし、倉重が、何故、福岡にいたのであろうか。

博多中央署の刑事が「ここは、年に何人か自殺する人がいます。丁度、道路からは死角になっているのです」

と、指さすほうを見ると、確かに、広い通りからは、大きな冷蔵会社の建物があって、それが邪魔をして死角になっていた。

「自殺のメッカということですか。例えば、山梨の青木ケ原樹海のような・・・」と、僕が尋ねると。

「ええ、福岡の海沿いなら、有名です。今回は、潮の流れで、沖に流されなかったのが幸いでした。時期によっては、博多湾を出て、玄界灘のほうまで流されてしまうことが多いのです。ですから、靴か遺書でも置いてないと、自殺したのかどうかも分かりません。玄海灘まで死体が流れてしまうと、発見は、まず、無理だと思います。以前、山口の萩の沖合いで、運よく漁船に発見されたこともあるぐらいですから・・・」と、話してくれた。

玄海灘まで、流されると、日本海の親潮に乗って遠くまでいってしまうのだ。

僕たちは、近くの飲み屋や定食屋の聞き込みをしたが、これといった情報を得ることはなかった。

福岡市内の、ホテルも倉重の写真を持って回ったのだが、収穫はなかった。

一体、倉重は、どこに泊まったのであろうか。それとも、博多に着いて、すぐにこの岸壁に来たのだろうか。

タクシー会社もレンタカー会社も当たってみたが、何も情報はなかった。

群馬から、博多まで何らかの交通手段で来たことは間違いのないことだ。普通なら、新幹線か飛行機であろう。

僕たち3人は、夜遅くまで聞き込みをした。刑事と同行していることで、刑事の動きがよく分かる。

とにかく、足が棒のようになっていた。太目の新開刑事は、何の苦もなく歩いている。

普通の人で太めなら、こんなに歩いたなら、ヘトヘトになるに違いない。

刑事という職業は大変ものだと感心した。

その夜は、市内の端の小さな素泊まりの旅館に宿泊した。倉重の死んだ岸壁からも近い。店に電話すると、特に何もないという。新藤が、一生懸命に働いてくれていた。

「新開さん、明日は、どうしましょうか。これでは、難しいですよ・・・」

「たった、一日歩いたぐらいで、諦めるなよ。何か見落としていることもある。明日も今日と同じ場所に行って聞き込みするしかない。何か必ず発見できるさ・・・今夜は、フグでも食べよう・・・」と言って、外に出た。

博多の繁華街の中洲にも行ってみたいと思ったが、仕事で来ている訳ではない。無駄な出費は極力抑えないといけない。旅館の近くの、小さな小料理店で安いフグ料理値段を書いている店に入った。

見るからに安いという雰囲気である。店内には、数人の常連客が食べて、飲んでいた。

博多弁を、間じかに聞くということはなかったので、何とも嬉しい感じがしていた。

とりあえず、フグ料理の安いコースを注文した。500円の追加で、ヒレ酒も頼んだ。

「雪ちゃんは、博多に来たことは何度目だ・・・」と、新開刑事が聞く。

「以前、旅行で来たことは一回だけありますよ。ツアー旅行でした。福岡と、佐賀と長崎のツアーです。新開さんは何度もあるのでしょう・・・」

「一度もないよ・・・」

「初めてにしては、動きが早くないですか・・・地理を知っているように感じたけど・・・」

「刑事というものは、そういうものなんだよ。動物の勘というか、そういうものだ・・・」

「・・・なるほど・・・さすが、新開警部補・・・すごい・・・」と言うと、僕に、何やら目配せしてきた。

「雪ちゃん、少し静かに、後ろにいる客の話しを聞いてみろ・・・」と囁く。

後ろには、4人の地元の客が座って飲んでいた。50才代ぐらいであろうか。

「俺も、テレビで見たな、また、仏が浮いたって。あそこは、今年になってから、3人だ。本当に何かの霊が出る。ばってん、俺は、幽霊は信じられんが・・・」と、言う。

「幽霊か・・・自殺があったその夜に、俺の友人が、岸壁で頭が白い男を見たといっていた。それも幽霊か・・・そげなことはないな。でも、そいつは、頭が白いから、幽霊と勘違いしたらしい。あわてて、釣り道具を持って、その場から逃げ出した・・・・ハハハ・・・相当怖かったちゃね・・・ハハハ」

「誰だ・・・あの時間に釣りしているのは、小野田か・・・」

「そうだ。あの小野田だ。あの時間に釣りするのは、小野田ぐらいだ。あの時間は、引き潮だから、魚はいない・・と何度も言ったのに、奴は、性懲りもなく釣りしている・・・」

「いつも、あの時間だ。でもな、釣れる時もあるらしい。それも、大物が・・・ハハハ・・・たまには、そういうこともあるやろ・・・ハハハ」

「それとな、小野田が言うには、白い頭と、ぼんやりと赤い色のような服が見えたといっていた。俺は、幽霊が赤い服を着ると聞いて、腹から笑った・・・ハハハ・・・」

新開刑事は、鋭い目になって聞いていた。

僕にも分かる。この親父たちは、倉重のことを話しているのだ。

新開刑事が、腰を上げて、その4人の席についた。警察手帳を見せて、質問している。

「小野田さんという人は、どこにいますか。もう少し詳しく聞きたいのですが・・・」と言うと。

「東京の刑事さんか・・・あの自殺で、調べているのかい・・・」と、聞く。と別の親父が、

「何かの事件ですかな。小野田は、今頃、岸壁にいると思いますよ。幽霊が出るから、別のところかもしれませんが・・・電話してみましょうか・・・ハハハ」と言って、携帯電話をかけた。

「おう、小野田か、俺、田口だ。お前に会いたい人がいるが、今、どこだ・・・」と、何やら話している。

「刑事さん、今日は、何も釣れないので、これから、ここに来るというのだが・・・」

「それは助かる。どれぐらいで来るのかね・・・・小野田さんは・・・」と新開刑事は、小躍りした。

10分ぐらいだと思う。少し待っていてくれ・・・」と言ってくれた。

新開刑事は、4人に1杯ずつビールをごちそうしてあげた。

「雪ちゃん、その幽霊が、倉重だとしたなら、頭の白いものは包帯だな。しかし、倉重の死んだ時の服装は、灰色のジャンパーと茶色のズボンだ。赤い色の服だとしたら、それは倉重ではない。誰かと一緒だったと考えられる・・・」

「そうです。赤い色はない。絶対に誰かと一緒に違いありません・・・」と僕も、気持が高揚していた。

少しして、店の戸が開いた。

「小野田、こっちだ。こっちだ。何も釣れていない顔だな。※ボウズだな。残念・・・ハハハ・・・」と、田口という親父が呼んだ。  ※ボウズ 一匹も釣れないことを言う。

小野田という人は、40才ぐらいであろうか。小柄で頬のこけた優男であった。

「僕に会いたいという人は・・・」と小野田が聞く。

「こちらの、刑事さんだ。あの幽霊の話を聞きたいそうだ・・・」

「東京の多摩西部署の新開といいます。ちょっと、その幽霊のことを聞かせてもらえるかい・・・」

小野田という人は、刑事だと分かって、かなり緊張しているようだ。

新開さんが、小野田さんに、お酒をごちそうした。一気に飲み干すと、ゆっくりと話しだした。

「あの晩、釣りに行ったのです。僕は、夜釣りが好きなので、大概は、夜に釣りに行きます。4号と5号岸壁は、好きな場所なので、午後11時ぐらいから、どちらにしようかと場所を探していました。一度、4号岸壁で糸を垂らしたのですが、食いつきが悪いので、5合岸壁に移動しようと思って、車に乗ったのです・・・丁度、5合岸壁の入口に近づいた時です。車のライトに、何か人影のようなものが映ったのです。岸壁の中までは車で行くことはできませんから、入口で車を降りて、岸壁の突端を見てみると、何やら、頭が白い人が、立っていたのです。車のライトは、消していましたから、はっきりと見た訳ではないのですが・・・」と言う。

新開刑事が「何時頃か、覚えているかね・・・」と聞いた。

「確か、午前1時になっていたかもしれません。4号岸壁には、2時間ぐらいはいたと思いますから・・・」

「それで・・・その白い頭を幽霊だと・・・」

「はい、こんな時間に釣りをする人は見たことはありません。自殺が多い場所なので、てっきり・・・」

「幽霊だと・・・」尋ねると。

「もう、怖くて、怖くて・・・でも、怖いもの見たさと言うのでしょうか。もう一度、振り返って見たのです。そうしたら、何か赤い色のようなものが見えたのです」

「赤い色のようなものは、白い頭よりも低い位置に見えたのかな・・・」

「はい、白いものよりは、低い位置でした・・・」

「その赤い色は、人のようには感じなかったかね。二人でいるような・・・」

「そうですね。そう言われたなら、そういう感じかもしれませんが、遠くなので、何とも・・・」

新開刑事が更に続けて聞いた「その時に、岸壁の入口には、小野田さんの車だけしか停まってなかったかね。他には車は見なかったかい・・・」

「そういえば、大きな外車のような車が停まっていました。こんな夜に車が停まっていることは初めてでしたから、不思議だと思ったのです。色は黒だったと思います。車種までは分かりません。車の知識はないですから・・・」と答えた。








現在のところ、御手洗と浅田に、スカイラインGTRの仕入れを依頼した人物は特定されていない。

が、おそらく、金田だと思われる。が、これは推測である。

と、ホワイトボードに書き、腕を組んで何やら考えている。

「結局は、何も完全に繋がってはいないな。雪ちゃんは、どう思う・・・」と、僕に聞いてきた。

「全て、推測の域ですね。殺人と、どう結びつくかというと、それの証拠になるものは何もないですね」

「そうなんだな。カチットした形にはならない。よく考えてみると、全部がバラバラだ。繋がっているように見えても、色々な線が、交わることはなく平行に走っているだけだ。それと、殺人の動機が全く見えてこない。犯人は、別においておいたとしても、動機が見つからない。何ともやっかいな・・・」と、言うと。また、課長が

「まぁ、焦ることはないぞ。これだけでも今は十分だ。次第に全貌が見えてくるさ。何かあったら、俺にも相談しろ。俺は、今日は帰る。早く帰られる時には帰っておかないと、女房が煩いからな・・・後は、係長に任せて帰るが、お前たちも早くな。窃盗傷害の犯人も捕まったと、今、連絡があった。じゃあ、そういうことで・・・」

と、そそくさと帰った。

「新開さん、金田という男について、素性が分かったなら、突破口になるのではないでしょうか。倉重が言っていたように、社長という肩書きを隠していたということが、何かひっかかります。隠すことはないはずですから・・・」

と、僕が言うと。

「うん、そこなんだ。俺もそう思う。それよりも、御手洗と浅田に、スカイラインの仕入れを依頼した奴を特定することが大事だ。雪ちゃん、金田という男に会ってくれないか。車の輸出をしているから、何とかして会ってくれないか。俺たち刑事だと変に警戒されても困るし・・・」と、僕に調査してくれと言う。

「いいんですか。僕も、さっきから同じことを考えていました。僕なら、何の問題もなく会うことはできます。早速、輸出している仲間に、金田とアポイントが取れないかと聞いてみます。金田でなくてもアンジェラスという男でもいいですよね・・・」

「あぁ、ジョジズ・カンパニーに行けたらいいのだ。そうしたなら、何かが分かるかもしれない」

僕は、翌朝、早速、車を輸出している仲間全員に聞いた。仲間の仲間まで広げて聞いてもらったが、

誰一人としてジョジズ・カンパニーのことは知らないと言う。

完全に行き詰ってしまっていた。その日の夕方に、新開刑事から電話があった。

「雪ちゃん、科捜研から報告があったぞ。EGIや細工したタイマーのようなものは、人為的で作為のあるということが証明された。これで、一応、殺人事件だと証明されたのだが、実際に、その通りにして、車が爆発炎上するのかということは、実際にテストしてみないといけないらしい。そうしないと捜査本部は立ち上がらない。近日中に、テストするのだが、立ち会ってくれないか。新藤君も連れて来て欲しい。これは、署長の許可も取ってある」

と、実際に、爆発のテストをすることになった。

そして、テスト車は、同じ型式のスカイラインGTRである。僕は、新開さんからの依頼で、オークションで車を仕入れた。

車を仕入れるというのは、販売するためであるが、爆発させるために仕入れるというのは、前代未聞のことであった。こんなことは一生に一回もないだろうと思った。

それから、数日後にテストは行われた。

完全に秘密裏に行われた。某、警察関係の敷地内においてであった。

多摩西部署の、鑑識チーフの山田さんも同行した。タイマーを作ったりしたのは、新藤君であった。

EGIのパッキンを半分剥がしておき、エンジンをかけてから、1時間後に、タイマーにより火花を出す。

EGIのパッキンの隙間から、漏れた、気化したガソリンがエンジンルーム内に充満する時間は、テストでないと分からない。実際の事故は、走行中に起こっているのだから、走行中には、エンジンルーム内には、外気が入ってくるから、停まったままの状態とは、少し違うと思ったが、誰かを乗せて実験するわけにもいかないので、停めた

ままで行うしかない。そこで、新藤が提案した。走行中と同じ条件にするために、大型の扇風機をフロントグリルからボンネットに向けて、風を送るということだ。これで、走行中と同じような条件になる。もし、失敗したなら、何の証拠にもならないのだ。

皆は、祈るような気持で車を見ていた。

開始より、50分が経過した。火花が出る前に、気化したガソリンに引火しても困る。

丁度、1時間になった。皆は、緊張して見ている。

と、一度、軽い爆発音がしたかと思うと、続いて、大きな爆発が起こった。車の全部は、炎につつまれた。

テストは、完全に成功したのであった。

その日に、多摩西部署、前橋南署、清水北署において、合同捜査本部が立ち上がったのであった。

勿論、中心となるのは、多摩西部署である。新開刑事が、チーフとして指導することになり、その翌日に、多摩西部署に、各警察署から、担当刑事が集まった。

新開刑事が、今までの流れを説明した。

ただ、清水北署、前橋南署においては、証拠となる車はないのであるから、倉重と浅田との人間関係の捜査が中心となる。そんなことで合同捜査になった、翌日のことであった。

倉重の入院している、前橋高木病院から、前橋南署に、電話が入った。

倉重が、病院を抜け出したというのだ。手と頭には火傷をおっているが、足には問題がないので、歩くことはできる。困ったことになった。前橋南署の刑事は、倉重の立ち寄りそうな場所を探してみたが、一向に足取りはつかめない。

倉重の銀行口座を調べてみると、全額引き降ろされていた。

フィリピンにも精通しているので、海外逃亡の恐れがあるということで、全国の国際空港や港湾関係にも手配することになった。

容疑者ではないのであるが、今ここで行方不明となれば、唯一の証人がいなくなることになる。

倉重について、前橋南署が全面的に捜査することになり、新開刑事は、御手洗の死について、受け持つこととなった。

僕は、何とかして金田の会社にアプローチしたいと思っていた。

勿論、徳野についても、面の割れていない別の刑事が張り付いていた。

徳野から、電話があったのは、倉重が、行方不明になった次の日であった。

「雪田社長さん、その後、何か進展はありましたか。私のほうは、車の輸出でバイヤーが見つかりました。明日、お伺いしたいと思いますが、都合は如何でしょうか・・・」と、普通どおりに坦々と聞いてきた。

「明日ならいます。お待ちしています」と答えると。分かりましたと言って電話を切った。

僕は、浅田とのことを聞きたいと思っていたが、新開さんとの約束がある。

勝手なことをして、捜査妨害しても何にもならない。そこは、ぐっとこらえた。

その日も、金田への接点を見つけようと、動いてみたが、何の収穫もないままに終わった。

とにかく、殺人ということで再捜査が始まり、そして、倉重は、どこに行ったのか不明のままであった。

清水南署の浅田の調べも難航していた。人間関係が希薄なのと、近所付き合いがないので、何から調べたならいいのかと言うことだ。徳野とのことは、多摩西部署の管轄とてして調べることになっていた。

まだ、徳野への事情聴取は行われていなかった。新開刑事によると、しばらく泳がせておくということだ。

翌日、徳野が見せにやってきた。

「やっと、信用できるバイヤーが見つかりましたわ。ボエットからの話しなんです。何でも、ボエットの知り合いらしいのです」と、言う。

「それは、良かったですね。これで、僕も動くことが出来ます。それで、どこのバイヤーですか、フィリピンですか・・・それとも、国内の・・・」と聞くと。

「はい、フィリピンにもあります。フォーシーカンパニーという会社です。メインは車と車の部品なのですが、雑貨等も輸入したりしているそうです。何でも、ボエットとは古い付き合いがあるようで、信用できると言っていました。支払いは、半金は、前払い、終わったら、1週間以内に、残りの半金を支払ってくれます」

「それはいいですね。それで、何を仕入れたならいいのですか」と聞くと。

「日本の高性能スポーツカーということです。フィリピンの金持ち相手だと言っていました。後で、仕入れのリストをFAXしてくれるということです。とりあえず、最初は、10台で、3000万円以内ということです」

200万円で仕入れたなら、1台につき、100万円の利益になりますね。仕入れのしやすい車種ならいいのですが、条件が厳しいと、時間がかかりますね。しかし、半金が前払いなら、問題はないです。ボエットさんも、良い業者と付き合いがあって羨ましいです。その、フォーシーカンパニーという会社は、御手洗社長が生前にも、付き合っていたのでしょうか。それとも、新規ですか・・・」と聞くと。

「さぁ、そこまでは聞いていませんが、私の知っている範囲だと、新規のバイヤーだと思います。御手洗の口から、その名前を聞いた記憶はありません。御手洗の取引していたバイヤーなら、大半は知っていますから・・・」

「そうですか、とにかく、車種のリストが来てからですね。ああ、そうそう、仕入れた車は、僕の倉庫だけでは保管できませんので、どこかにないですか・・・」と聞くと。

「御手洗の借りていた、倉庫は、継続して借りていますから、そこなら、20台は入ります。そこなら問題ないと思いますが・・・」

ということで、話は決まった。

徳野が、続けて話した。

「科捜研での調査は、どうなったのでしょうか・・・」と、いきなり聞いてきた。

「まだ、連絡はありませんね。難しいとは聞いていましたけど、今のところは・・・」

と、徳野には、爆発のテストをしたことや、殺人として動いているということを言う訳にはいかなかった。

「そうなのですか。何だか、殺人ではないのかもしれませんね。ただの、偶然だけかしら・・・」

「なんとも言えませんね。僕としては、引き続き調べていますが、特に新しいことはないですね」

「では、車種のリストが来たなら、連絡します。それと、今夜、お時間はありませんか。たまには、お酒に付き合ってくださらない・・・」と、少し、色気のある話し方であった。それと、今日の徳野茂美は、前と違って、化粧もしっかりとしている。まるで、銀座のママのような姿であった。

徳野の携帯に何かの電話がかかってきて、店の外に出て話している。

それを見ていた、新藤が僕に小声で「今日は、色気がムンムンしていますね。これなら、普通の男なら、一発で落ちてもおかしくないですよ。社長に、気があるのでは・・・」僕も小声で答えた。

「バカ、殺人と何らかの関係があるかもしれない女だぞ・・・」と、言うと、新藤は、あっ、そうだったと言って黙った。

「すいません。業者からの電話でした。それで、今夜は・・・」と、徳野がまた、聞いた。

「今夜なら、少しだけ時間はあります。明日が早いので、少しでいいならお付き合いできますよ・・・」

「本当ですの。それは嬉しい。今日は、何もありませんから、このままお店にいてもいいですか。終わったら、一緒に行きましょう。たまには、落着いたバーなんかがいいですわ。どうかしら・・・」

「いいですね。知り合いのバーでよければ・・・」と言うことで、今夜は、徳野と飲むことになった。






私が見ても何が何だか分からないのであるが、だんなには分かるらしい。

不動産の会社だから、当たり前なのであろう。

「横山さん、この家は買取をして欲しいのですか、それとも一般の仲介として売りたいのですか」と聞いている

「何でもいいから早くお金になればいいし、時間がかかるようなら困る」とやけに真剣な眼差しだ。

「近いうちに、私の会社の営業に行かせますから、その時までにはっきりとした気持を整理しておいて下さい、買取ならば価格は一般の仲介よりも安くなります。一般仲介でも専任媒介契約と一般媒介契約の2つがあります」

どうやら、専任とは仲介する会社を1社のみに限定、一般とはそうでなくどこにも依頼して販売できるということらしい。専任ならその1社だけなので販売について力の入れようが違うと説明している。

それと、だんなが気にしていたのは、建物のアスベスト(石綿)のことであった。

どうやら、築56年も経過していると建物には、相当なアスベストが使用されているというのだ。

たまに、テレビでアスベストのことを大きな社会問題として取り上げているので多少は知っている。

私の家は、新しいのでアスベストは使用されていないと、だんなが購入する前に話していたから何も問題はないということであった。

艶子さんは、アスベストについては何も知らないようである。

だんなが、アスベストについて説明している。

建物にアスベストが使われているということは、建物解体する時にアスベスト除去の費用が別途必要になるというのだ。㎡あたり、2万円くらいはかかると話している。

建物の解体費用とは別に必要となるから大きな出費となるのだ。

艶子さんにとっては、何故、私が払う必要があるのかと真剣に質問している。

つまり、こういうことなのだ。

アスベストというものは、昭和30年代から40年代において、防火、耐火等において、盛んに使用されていた。

輸入されたアスベストは、建材として建築物に使用されてきており、そのアスベストを吸い込むことにより、悪性中皮腫という肺のガンになる確率が非常に高いというのだ。日本では毎年、何十人以上否何百人かもしれない人がこの病気で亡くなっている。アスベストに関係した裁判も最近、ニュース報道されている。

国としても今後、全てのアスベストを国内より除去するという方針が決定している。

危険なアスベストの種類としては、クリソタイル、クロシドライト、アモサイトがあるらしい。

そのアスベストが建材の中に入っているということなのである。

特に、危険なアスベストというものは、建材に吹きつけられているものだそうだ。

それが艶子さんの家の壁にはあるというのである。

それを除去してからでないと家屋の解体は法律的にできないらしい。

だから、建物の価値がない以上は、建物を完全に解体して購入する人に渡すか、購入した人が費用を負担して建物の解体を行うのかの二つの方法があるというのだ。

それによって販売価格が変わってくるということらしい。

何やら複雑な感覚になってきてしまった。

艶子さんとしては、どちらがいいのか、また、買取の場合もアスベストがあるということで安くなるということが気になっている。

「だんなさん、とにかく、お金が必要なんだよ」と元に戻ったような話になった。

艶子さんとしては、アスベストと言われても何が何だか分からないようである。

だんなが口を開いた「お金ということですが、いくら必要なのですか」と聞くと「2千万円以上」と答えてきた。

「その金額なら問題ないと思います、早く換金したいのなら買取がいいです」と言うと「買取ならいくらだ」と異常とも思えるくらい真剣な目である。

だんなが、「今、はっきりとは言えませんが、営業の者を明日にでも伺わせますから明後日には価格がはっきりとすると思います」と伝えると、そうか、わかったよという顔つきで、明日は一日中家にいるから必ず来てくれるようにと言って帰って行った。

それにしても。お金に困っているようには見えない。何に必要なのだろう。また、自分ではなくて誰かのために必要なのかもしれない。だんなとそんな事を話していた。

既に、10時を過ぎている。

私も、あまり気にしていなかったのであるが、アスベストというものはとても危険なものであると認識した。

それから、もう少しアスベストについてだんなに聞いてみたのだが、今後は色々と問題が出てくるということと、アスベストによって悪性中皮腫になった人からの法律的な訴訟も増えていくということである。

これからの日本はどうなるのだろうか、早くアスベストを除去しないと子供にも影響がでると思う。

母親としては、またひとつ不安な材料が増えたという気持になってしまった。

確かに、息子の学校でもアスベストの検査によって、除去しないといけない箇所があって、近いうちに工事をするという報告文を見た記憶があった。ただ、その時は、そんなに不安はなかったのだが、だんなから色々なことを聞くと、できるだけ早く工事して欲しいという気持になった。

今後、日本でも米国のように更に大きな社会問題となっていくに違いないと思った。

それにしても、だんなは何でも知っている。少し惚れ直した。

家庭では口数は少ないのだが、仕事になると豹変する人のようである。

次の日の夕方である。

艶子さんから、今、だんなの会社の営業の人が来ているから至急来て欲しいと電話が入った。

何故、私が一緒にいないといけないのか、この件は、営業の人とのことだろうと思い、ちょっと手が離せないのですがと言うと、私が行かないと、この件はなかったことにすると言うのだ。まるで、脅迫であるしだんなの会社の営業の人に対しても、だんなのイメージが悪くなると思い、重い腰をあげて艶子さんの家へ向かった。

艶子さんの家に着くと、営業の人が2人来ていた。軽く挨拶をすると「3千万円以上なら売る」と言うのである。買取で3千万円は無理だと言っているのですが、何とかならないかともめているようだ。

「いくらなら買取れるのですか」と営業の人に質問すると「23百万円が限界です」と答えた。

「そうですか、艶子さん、その金額では駄目なのですか」と聞くと、どうせなら高く売りたいと言う。

何か足元を見ているようであった。私は、プロでもないし、だんなの会社の人間でもないので、それ以上は何も言えない。

3千万円でなければ、売らないからな」と強気な艶子さん。どうやら、誰かに聞いて、もっと高くなるから、あせっては駄目だと言われたと私に小さな声で話してきた。そんなことを言われても私も困る。

「どんなに大甘に見ても建物の解体もありますし、アスベストもありますから」と営業の人も一歩も引かない。

「当社の買取でなければ3千万円で広告してもいいかと思いますよ」と、少し投げやりな言い方になった。

「すぐに売れるか」と艶子さんも一歩も引かない。

「広告を出してみないと何とも言えませんね」と営業の人。

「少し、息子と相談してみる、あんたたちも何とかなるように考えてくれ」と艶子さんが多少引いた感じになったのだが、息子と相談してみるという言葉は一体何なのだろう。以前から何となく息子の存在が気にはなっていたが。

やはり、息子と何か関係がありそうだ。

とにかく艶子さんは強気である。最後には、少し引いて話していたのだが、何が何でも3千万円らしい。

だんなの会社も慈善事業ではないのであるから、損をしてまで買取をすることはないと思う。

営業の人も、今日はここまでという感じで帰っていった。

艶子さんの昨日の2千万円という数字で満足していたかのような態度が一変していた。

息子と相談ということは、息子に決定権があるのかもしれない。もしかしたら、違う場所で息子と一緒に住むためにこの家を売るのかもしれない。

私なりに憶測していたが、つまるところは何も分からないのである。

「あんたのだんなの会社は、買取をしてくれるのかね」と私に聞いてきたのだが、私に決定権があるはずもなく、ましてや、だんなにもない。

「どうでしょう。私には全く分かりません」と答えると、それもそうだという顔していた。

思い切って疑問を聞いてみた「息子さんと一緒に住むのですか」そうすると「まだ、はっきりとしていない。昇が判断する」と言うのである。ここで息子の名前が昇ということが分かった。

「大阪のほうに住んでいると・・・」と聞くと私の言葉をさえぎるように「大阪だよ。大阪から離れてこっちに住むんだ。一緒に住むかどうかは分からないがね」と何かいつもの覇気のある声ではない。何か独り言のようにも聞こえた。

「それはいいですね、息子さんと一緒ならいいではないですか」と言うと「そうじゃない。昇がバカをしたからこんなことになった」と恐ろしい剣幕である。その大きな声に一瞬ひるんだのだが、ここまで聞いたら全部聞いてみたとい思い「息子さんに何かあったのですか、何かの転勤ですか」私としては何かの転勤だろうと思ったのだが、バカをしたという言葉にちょっとひっかかった。そして「うちの主人も転勤が多かったものだから・・・」と続けて話した。艶子さんは、何を言っているんだという態度で「昇が事業に失敗して、大きな借金ができたんだ。何が気楽で転勤というか・・・」また、怒り始めてしまった。どうやら、火に油を注いでしまったようだ。

「大阪の親戚にも借金しているし、それ以外でも借金がある。だから家を売るしかない」と吐き捨てるように、いいながら口から唾を地面に吐いた。その光景を見ていると、まるで鬼の形相であった。

「あんた、こんなバカ息子のために家を売るとは思ってもなかった、あいつはどうしようもない、皆に迷惑ばかりかけて生きてきたんだ。そして、借金を作ってしまった。親だから何とかするしかないだろう」と私の顔を下からのぞきこむように言い放った。

「それで、売るのですか、他に何か方法はないのですか」と余計なことだと思ったが聞いてみた。

「他に方法がないから売るのだ、何を言っている」とバカにしたような目で睨み返してきた。

これ以上、話を続けていると何を言われるかもしれないし何をされるかもしれない。

触らぬ艶子に祟りなし、と思い、軽く会釈してそそくさとその場を後にして家に向かおうとした。

家に向かいながら、後ろを振り返ると艶子さんが、まだ、こちらを見ている。

まるで鬼婆の形相だ。

私が、余計なことを聞いたから怒ったには違いないが、私には関係のないことだ。

少し歩くと、急に右肩をつかまれた、えっと振りかえると、艶子さんの手であった。

「だんなにも言っておきなよ、できるだけ高く買ってくれとな」と言うと、肩から手を下ろして帰っていった。

その瞬間は、私は何か魔物にとりつかれたようであった。こんなに怖い顔をした艶子さんは見たことがない。

かなり、興奮している様子が手に取るように感じられたのだ。

息子の借金はいくらくらいなのだろう。何で大きな借金を作ったのだろうと思いながら家の玄関を開けた。

仮に3千万円も必要だということは何か事業の失敗かもしれない。普通の生活において3千万円もの借金を作るということは私には理解できないのである。

その夜、だんなにこの事を話すと、どうやら営業の人からいきさつを聞いていたらしくて、23百万円以上で買取ることはできないそうだ。明日、艶子さんに営業から電話しておくということであった。

もし、それ以上の価格が希望なら仲介として広告を出すか、他の不動産業者にお願いしてもらうということで決定したらしい。私もその通りだと思う。







「こんにちは、お元気ですか」と軽く挨拶をして、ちょっと聞きたいことがあるのですがと伺ってみた。

「何か困ったことでもあるの」と何やら心配してくれているようだ。

艶子さんのことを話すと、買い物が終わって時間があったら涼子さんの家に行くことになった。

買い物帰りでもいいと言ってくれたのだが、冷凍食品も買っているので一度帰って冷蔵庫にしまってからでないと困るのだ。ついでに涼子さんは昼食を一緒に食べないかとまで言ってくれた。

前から、涼子さんとは一度ゆっくりと話してみたいと思っていた。いつも、小田パン屋かスーパーでの立ち話だけだから何か機会があったならいいと思っていた。

元小学校の先生であり、70才とは思えない若い風貌であり、品が備わっている人の家にも興味があった。

早々にスーパーでの買い物を終えて、家に戻った。

手ぶらで涼子さんの家に行くのもどうかと思い、近所のケーキ店でショートケーキを2個買って持って行った。

涼子さんの家は、私の家から自転車で5分くらいのところである。

初めて行くのだが、以前、このあたりを散歩したことがあるので道は知っている。

この町では、一番の高級地ということは聞いていた。確かに、大きな敷地の家が並んでいる。

道が九十九折になった少し上り坂の一番上にある、白色を基調とした、瀟洒な洋風の建物であった。

さすがに、何か違う。こういうところから涼子さんの品というものが出ているのであろうか。

私の自転車が何か場違いのような感覚になった。こういうところには、何か外国の車と外国の犬が似合うと思う。

私のレベルではそういう感覚なのだ。

玄関の前には大きな表札がかかっていた、何万円もするような高価なものだということは私でも分かる。

かくいう私の家の表札は薄いプラスティック製である。確か千円だと記憶している。

玄関の呼び鈴というのもお洒落だ。ボタンが金色に輝いている、少し剥がれているところに歴史というものを感じる。艶子さんの家とは、月とスッポンであった。

軽くボタンを押すと、心地よい音のチャイムが鳴り響いた。

少しして、玄関が開いた。玄関といっても両開きドアの大きなものである。

「いらっしゃい」と涼子さんが出てきた。こんな大きな家に一人で住んでいるということである。

何か貧乏人の僻みかもしれないが、もったいないと思った。

「お世話になります」と言うと部屋の奥に案内された。

居間というよりも本当にリビングと呼べる部屋であった。

そして、驚いたことにテーブルには既に何種類かの料理が並んでいる。

さっき、スーパーで会ったばかりで、もう、こんなに料理を作ったのであろうか。

「座ってね」と微笑みながら言ってくれた。

「あの、後で食べようと思ってケーキを持ってきたのですが・・・」と言うと、ありがとうと言って、キッチンのほうへ持って行った。その間に部屋の中を見渡すと、何やら高そうな古美術品が多数並んでいる。

こんな家に来たのは初めてであるから、驚いてばかりである。

「さっ、食べましょうか」と涼子さんが料理を勧めてくれた。

「涼子さん、今作られたのですか」と聞くと「半分はね。半分は昨日の残りもの」と言うので。

私は、何も手伝わなくてごめんなさいと言うと何も気にしないで、一人で食べることが多いから今日は楽しみなのよと言ってくれた。本当に良い人である。食べ始めてすぐに涼子さんが

「田口さん、艶子さんのことで何を知りたいの」と聞いてくれた。私のほうから言っておいて何か言い出すのが悪いような気がしていたから相手の心を読み取ることができる人なのだろう。

「遠慮しないで、私で知っていることは何でも話してあげるから」と言ってくれた。

艶子さんのことを全て話し終えると涼子さんが口を開いた。

「あの家はね、ずっと不幸だったのよ、最初のご主人と離婚してから次のご主人と死別するまでは、かなり不幸が続いたのよ、そして、結婚して数年したら今度はご主人が病気で亡くなってしまったの」

さらに話を続けてくれた「最初のご主人との間には男の子が生まれたのだけど、次のご主人との間で折り合いが悪くて、子供は艶子さんの関西のほうの親戚に預けられたの、そして今になっているのよ」と言うのだ。

「最初のご主人とはどうなったのですか」と聞くと「最初のご主人は大酒呑みで近所では有名だったの。ご主人の家は、このあたりでも有名な資産家であったからお金には困ることはなくてね。朝から酒びたりだったのを覚えているわ」と言うのだ。そして「結局は離婚ということになったのだけど、慰謝料の代わりに今住んでいる家を貰ったらしいの。最初のご主人は今は亡くなったと聞いているのよ」と話してくれた。

何となく艶子さんの生き様が分かったようで、今の性格もこの時の苦労があったからだとも思った。

「次のご主人とは・・・」と少し詳しく聞くと「次のご主人は、酒は呑まないのだけどね、病気がちであったのと艶子さんの子供とは相性が悪かったのよね」なるほど、それで子供を親戚に預けたということなのであった。

横山という姓は、どうやら次のご主人の姓のようであると分かった。

最初の艶子さんの姓は、藤原というらしい、確かに、このあたりには藤原という姓は多いと思った。

涼子さんは続けて「その子供を少しの期間だけ私が教えていたことがあるから詳しいのよ」と言った。

そうか、涼子さんは学校の先生であったから、そして、艶子さんの子供を教えていたことがあるから詳しいし艶子さんも涼子さんには何も言えないのであった。100%ではないが艶子さんのことが理解できた。

艶子さんは、涼子さんに対して少しだけさじかげんをしているのだ。

どんな人であっても、さじかげんをしないといけない相手がいるものだ。

艶子さんにとっては、涼子さんがそうなのであろう。

「艶子さんという人は苦労しているのよ、皆が色々なことを言っているし、私も背後霊のような言い方をしているけど、本当はそんなに悪い人ではないと思うの、ただ、あまり親しくなると問題を起こすことが何回もあったから、注意してほしいという意味で言ったのよ」と話してくれたのだ。

「家を売りたいと言ってきたのですが・・・」と話すと「お金には困っていないはずだけど、お金は亡くなった前のご主人の遺族年金や、最初のご主人と離婚した時に今の家とは別に2軒の貸家も貰っていると思うのよ」何だ、艶子さんは、どこかの貸家の大家さんでもあったのか。はっきり言って、とても羨ましいと思った。

艶子さんに対して羨ましいという気持になったのは初めてのことである。

いかに、私が貧乏な庶民であるかということを痛切に感じた瞬間でもあった。

「だから、お金には困っていないと思うの、何か他に理由があるかもしれないわね、例えば、何かの理由で引っ越すことになったとか、子供と一緒に住むことになったとか・・・」と涼子さんが言うので「実は、数日前に艶子さんの息子さんという人に会ったのですが・・・」と伝えると「関西のほうにいるという人なの」と聞いてきたので

「どうやら、そうらしいのですが・・・」と、その時のことを話してみた。

涼子さんは、憶測だけどねと前置きして「何か息子さんと関係がありそうね、その息子さんと一緒に暮らすから、今の家を売るのかもね」と言った。私も多分そうだと思うと答えると「どちらにしても、あまり深く付き合わないほうがいいですね」と言ってくれた。

涼子さんと話したことで、艶子さんの色々な面が見えてきたように思う。

私の子供に対しての優しい態度というのも、理解できたような気がしてきた。

何かは知らないが、実の子供と離れて暮らすということは母親にとっては一番の苦しみかもしれない。

それが、自分の意思ではなく、再婚した夫との折り合いの悪さからなのだとしたら、なおさら辛いと思う。

そんな、ことを考えていたら、涼子さんが紅茶でも飲みますかと言ってくれた。

食事は終わっていたので、はいと答えるとキッチンに入っていった。

涼子さんの家には、台所や居間という日本語は似合わないと思う。

それにしても、涼子さんに作ってもらった料理の美味しかったこと。一般の家庭の料理とは違っていた。

紅茶と私の買ってきたケーキを食べながら涼子さんが、ぽつりぽつりと話し出した。

亡くなったご主人とは、47年前に結婚して、6年前に病気で他界したということであった。

涼子さんの年が72歳ということも分かった。亡くなったご主人は、一流商社で海外転勤が多かったことも、子どもは2人いて既に独立して家庭を持っているという。年に数回は、こちらに戻ってくるということであった。

涼子さんも、何か寂しいのだと思った。これから時間があれば寄せてもらってもいいですかと聞いたら、いつでも遠慮なく来て下さいという返事にとても嬉しい心になった。

女同士のおしゃべりは気がつくと時間がたっているものである。3時を過ぎていた。

涼子さんに、また来ますと告げて私の小さなうさぎ小屋に戻ったのであった。

帰りの玄関前での、涼子さんの何か寂しそうな顔が心に残っていた。

帰りの自転車のペダルを踏みながら、人は外見では分からないことばかりだと思った。楽しい人が放火犯だったり、嫌味な人の過去には、つらい苦労があったり、私は他人からどう見えるのだろう。どう見えてもいいのだけど、できるだけ裏表のない人になれたなら幸せかもしれないと思った。我が家が見えてきた。

どんなに小さくても、親子3人で暮らしていけるという幸せをかみ締めながら玄関を開けた。

涼子さんの家と比較したくはないのだが、やはり比較してしまう。比較しても何も始まらないことは分かっているが、我が家は我が家だと気持を切り替えて夕食の支度を始めた。

今日は息子は塾があるから6時半、だんなは早く帰るということで7時には食事ができると思う。

だんなが先に帰ってきた。

開口一番、艶子さんの話である。

「営業に写真を見てもらったけど、建物は価値がゼロだ。土地が所有権で抵当がなければ、3千万円くらいだな」と言ってきた。それとやはり、土地の登記簿謄本が必要らしい。

とにかく、こんなことは早く終わりたいので、艶子さんの家に電話をかけた。

1回のコールで艶子さんが出た「もしもし、田口です。家の件ですが、主人が言うには、建物の評価はゼロなので資産価値はないらしいです。土地については登記簿謄本を見せてもらわないと具体的な数字は出せないのですが、このあたりの相場から言うと、3千万円くらい」と言うと「今から謄本を持って行く」というのである。

今、来られても夕食の時間なので午後9時にして欲しい旨を告げると以外とあっさりとOKを出してきた。

艶子さんらしからぬ態度であった。それだけ緊急なのかもしれない。

3人で夕食を終えて9時になった。9時過ぎに玄関のチャイムが鳴った。

急いで玄関を開けると艶子さんが登記簿謄本を手に持って立っていた。

「だんなは」と聞くので、居間にいると言うとまた勝手に入ってきて居間に向かった。

「初めてだね。あなたがだんなさん」と聞いてきたので、だんなはこくりと頷くと謄本に目をやっている。

客ではないのでお茶などを出す必要もないと思い、だんなの横に座って謄本に目をやった。

「抵当権などはないようですね。他にも特に問題はないと思いますが建物は築56年なので価値はありません」と艶子さんに話した。







「岩ちゃん、何の用事。ちょっと群馬まで行っていたから・・・」

「新藤に聞いたよ。何でも、殺人事件かもしれないそうだな・・・俺の話は、他でもない。その事件のことなのだが、徳野という御手洗の愛人がいるだろう。少し、気をつけておいたほうがいいな。かなりの女だぞ。実は、少し気になって調べてみたのだが、過去に詐欺で捕まっている。新開刑事は何も言ってなかったか・・・」

「詐欺。前科があるのか・・・何も言ってなかったな・・・」

「ああ、20年ぐらい前だがな。俺の知り合いの弁護士が担当したんだ。昨夜、東京弁護士会の仲間での飲み会があってな、何げに今度の件を話したんだ。そしたら、その弁護士が、担当したことが分かった。大きな詐欺事件ではないが、仲間とつるんで、宝石類の詐欺をしたらしい。初犯でもあったし、金額が大きくないので、執行猶予になったらしい。それと、その時の、詐欺にあった人に金を弁済したのが、死んだ御手洗なんだよ。警察も、御手洗のことを調べたということだが、奴からは何も出なかったらしい。俺の推測だが、詐欺を指示したのは御手洗だと思うけどな。何かの参考にでもなるか・・・」

「そんなことがあったのか・・・分かった。気をつけるよ。それで、その後の、徳野のことは分かるか・・・」

「いや、そこまでだ。知り合いの弁護士も、その案件だけで終わったらしいからな・・・」

「そうか、有難う・・・何かあったなら頼むな。明日は、静岡に行く。この事故は、間違いなく殺人事件に違いない」と言って、今までの流れを岩崎弁護士に全て話しておいた。

徳野茂美という女も、したたかな女であると思った。

表面上だけで人を判断してはいけない。過去だとしても、そういった感覚を持っているのかもしれない。

翌日、新開刑事と清水北警察署に行ったのであるが、署ではこれといった収穫はなかった。

ただ、おかしな噂を聞いた。浅田の自宅に行ってみた時のことである。賃貸の戸建てに住んでいた。

何でも、浅田という男は、近所の人が言うには、5年ぐらい前に、こちらに住み着いたということであった。

近所とは全く付き合いはなく、時折、外国人風の男が何人か出入りしていたらしい。

その中で、近所の町内会長の主婦は、こう話してくれた。

「おかしな人でした。こちらから挨拶しても目も合わそうとしないし。町内会の会費を貰いに行った時も、普通なら、毎月、毎月払う人が多いなかで、3年分を前もって払ったのです。それはそれとして有難いのですが、電話番号も教えてくれないし、家族構成も教えてくれませんでした。見ていると一人だと思うのですが、月に一回、年配の女の人が来ていました。その女は、5日ぐらい泊まっていたようです。東京ナンバーの赤いスポーツカーでした。浅田さんが亡くなる数日前にも来ていました。刑事さんが来るということは浅田さんは、ただの事故じゃないのですか。高速での事故だと新聞には出ていましたが・・・」と、話してくれた。

「ええ、事故ですが、一応、色々な角度から調べています・・・それと、その年配の女というのは、顔を見たなら分かりますか・・・」と、何やら上着の中から二枚の写真を取り出した。そして、その一枚を、その主婦に見せたのだ。その主婦は、しばらく見てから、口を開いた。

「そうです・・・間違いありません。この人です。髪型は変わっていますが、先月見た人と同じです」

僕も、その写真を覗き見て驚いた。新開刑事が、いつ撮ったのであろうか。まぎれもなく徳野の写真であった。

「それとね。奥さん、もう一つ見てもらいたい写真があります。この男は見たことがあれませんか」

と、御手洗の写真を見せたのだ。

「・・・見たことはないですね。この男の人は・・・」と、御手洗は見たことはないと言った。

「ご協力感謝します。また、何かあればお伺いすることがあるかと思いますので、宜しく・・・」

と、新開刑事は、その主婦に礼を言った。

「新開さん、徳野を、いつ撮ったのですか・・・それと、御手洗の写真も持っているとは、驚きましたよ。それよりも、徳野と浅田の点が繋がりましたね。信じられません・・・」と、僕は、とても驚いてしまった。

「雪ちゃん、徳野は、うちの出口が隠し撮りしたんだよ。何かあると思ってね。それと、御手洗の写真は、御手洗の付き合っている業者に聞いた時に、見せてもらったものを複製したんだ。本当は、御手洗の家を捜査すればいいのだが、容疑者でもないので、家宅捜査令状を取ることは出来ない。それと、徳野と一緒に住んでいたのだから、徳野が事件に関係しているとしたなら、証拠となるものは全て処分しているだろう・・・そう思って持ち歩いていたんだよ。これで、徳野と浅田は、何らかの関係だと証明できる。多分、男女の関係だろう。しかし、あの徳野という女は、何者かだな。かなり、色々なことを隠していると思っていたほうがいい。それと、過去に詐欺で捕まっているしな・・・」と言う。

「さすが、新開さんですね。全て調べていたんですか。友人の岩崎弁護士からも徳野の過去は聞いていました。別に、今回の事件とは関係がないと思って、新開さんには、話しませんでしたが・・・」

「いくら、雪ちゃんでも、事前に言えないこともあるし・・・まあ、警察とは、そういうところだよ。雪ちゃんを信用していない訳じゃないけど、徳野は、雪ちゃんに、今度の件の調査を依頼しているだろう。もし、何らかの理由で漏れたら、困るからな・・・いい女だし、雪ちゃんも男だからなぁ・・・」と、僕を、チラリと見た。

「まいったなぁ。そんな気持はないですよ。それより、何故、徳野は、黙っていたのでしょうか。それが、一番の知りたいところです。徳野に聞いてみますか・・・」

「いや、まだ、このままでいい。仮に、聞いたとしても、何とか理由をつけて誤魔化すと思う。あの町内会長だけの証言だけでは何もならない。世の中には、似ている人が沢山いるからな。それと、徳野が、素直に話してくれたとしても、今回の事件との因果関係がない。ただの、愛人だと言ったなら、それまでだ。それよりも、少し、泳がしていたほうが、いいと思う。この件は、雪ちゃんも他言しないでくれよ。少し、徳野も、見張っておいたほうがいいようだな・・・」

「分かりました。僕は、徳野と連絡を密にしていますから、何か不穏な動きがあれば、新開さんに連絡します」

僕の本心は、徳野に聞いてみたいのだが、新開刑事の邪魔をすることは出来ない。

しかし、徳野茂美という女は、一体、何者なのであろうか。御手洗の愛人であり、浅田とも繋がっている。

しかし、入院している、倉重とは面識がないようであったが、もしかしたら、知っていて隠していたとも考えられる。そうだとすれば、徳野は、必ず、何かを知っていてもおかしくないと思う。

と、考えていると、新開刑事の携帯電話が鳴った。

「おぅ、出口か・・・何か分かったか・・・」どうやら、例の、会社を調べている、出口刑事からだ。

「・・・やはり、そうか・・・ジョジズ・カンパニーの社長は、アンジェラスではなくて、日本人だと言うことだな。よし、分かった。ご苦労さん。後で、署に戻ったら、詳しく聞く・・・」と電話を切った。

「雪ちゃん、面白くなってきたぞ・・・ジョジズ・カンパニーの本当の社長は、金田という男だ。何でも、まだ、若い男だということだ。アンジェラスという男は、日本での支社長という肩書きらしいな。それと、福岡、フィリピンにも支店がある。出口の調べだと、金田という男は、前科も何もない。普通に、貿易をしている会社だと言う。近所とのトラブルも何もない。会社の登記簿謄本を取ってみたらしいが、特におかしなところはないらしい」

「新開さん、その金田という男が、何か関係しているのでしょうか。倉重との取引があったということは、御手洗や浅田とも取引があったと考えるのが自然だと思いますが・・・」と、聞くと。

「まぁ、そんなに慌てるなよ・・・いずれ、分かるさ・・・よし、清水北署の担当刑事に、話してから、東京に戻ろう・・・せっかく、マグロの美味しい清水に来たのだから、ちょっとマグロでも食べて帰るか・・・」

と、箸を持つ仕草をした。

「そうですね。収穫もあったことだし、マグロの刺身でも食べて帰りましょう・・・」

僕たちは、清水北署で、担当刑事に、捜査状況と、今後も引き続き宜しくと話して、近くの、マグロ料理店に入った。残念ながら、車で来ているので、酒は飲めない。お茶を飲みながら、マグロに舌鼓をうった。

中古車店に戻る前に、多摩西部警察署に寄った。出口刑事が、待っているのである。夜の7時になっていた。

出口刑事が、待っているので、新開刑事は、お土産として、マグロの冷凍を買ってやっていた。

署に着くと、刑事部屋には、出口刑事と小川課長がいた。他の刑事たちは、何やら近所で窃盗傷害事件があったとかで、皆、出払っていた。

新開刑事が出口刑事へ「遅くなって、すまんな。これ土産だ。冷凍のマグロだ。彼とでも食べてくれ・・・」

「新開さんは、意地悪なんだから・・・彼なんていないのを知っているでしょ。両親と一緒に食べます。それで、どうでしたか・・・浅田のほうは・・・」と聞くと、隅の席にいる、小川課長が口を挟んできた。

「新開、俺には何もないのか・・・うん・・・」

「課長の口には合いませんよ。安物ですから・・・」と、新開さんが切り返すと「何だ、俺も一庶民だぞ・・・」

と、小川課長は、何だか不満だという顔をした。

「課長、少しおすそ分けしましょうか・・・」と、出口刑事が言う。

「そうか、少しでいいから・・・」と、顔つきが一変した。何だか、単純な人である。

普段は、堅物として通っているのであるが、こんな一面もあるのかと思うと、何か親近感を覚えた。

「面白いことが分かった。徳野と浅田は、知り合いだ。知り合いというよりも、男女の関係かもしれない。月に、1回、数日は、浅田の家に泊まっていたようだ。御手洗がいながら、浅田とも関係していたのかもしれない。徳野には、何か隠していることがあるな・・・それで、金田という社長について詳しく話してくれ・・・」と、新開刑事が聞いた。

「はい、ジョジズ・カンパニーの社長で、金田純一郎と言います。年齢は、20才台後半だと思います。思うというのは、前科も前歴も何もないので、データがありません。それと、会社自体は、貿易全般ということです。5年前に設立しています。さっきも、電話でお話したように、福岡とフィリピンに支店があります。会社の業績は、かなりいいようです。近所の人に聞いてみたのですが、愛想のよい、好青年だと皆言っていました。今日は、ここまでですが、明日、自宅の近辺も調べてみようと思います。自宅は、品川の北品川にあると分かりました。現時点では、何もおかしなところはないです」

「そうか、それで、福岡やフィリピンについては、何か分かったことはないか・・・倉重は、アンジェラという男が社長だと言っていたのは、嘘だったな。何かひっかかる・・・」と、新開刑事が聞いた。

「はい、福岡については、今、福岡県警に調べてもらっています。フィリピンについては、本庁の国際部に調べを依頼しました」と、少し得意げに話した。

そこで、小川課長が口を出した。

「新開、出口からの調査依頼は、俺が話しをつけておいた。近日中には、報告があると思う・・・」

と、何やら、新米の出口だと不安だから、俺がやってやったという感じである。

「そうですか・・・」と、新開刑事は、課長の言葉を軽く無視して、続けて出口刑事に話した。

「一度、矛盾点をまとめてみるか・・・流れが分かると思うが・・・」と、ホワイトボードに整理し始めた。

死んだ御手洗と徳野茂美は、愛人関係で、一緒に住んでいた。御手洗の女房は、別宅に一人で暮していた。

御手洗と、倉重、浅田は、過去にフィリピンで同じ会社を経営していた。御手洗と浅田は死んだ。

浅田と徳野は、何らかの関係があった。倉重に、スカイラインGTRの仕入れを依頼したのは、金田純一郎というジョジズ・カンパニーの社長である。倉重は、金田ではなく、アンジェラスという男が社長だと思っていた。







「・・・昔の仲間だ・・・間違いない・・・俺の友人だ・・・」と、うなだれて答えた。

「やはり、そうか。何があったんだ。何かなければ、こんな事件は起こらないな・・・何があった・・・」

と、新開刑事が、鋭く甲高い声になって問い詰めた。

「何もありません。20年も会っていないのです。何も・・・ない・・・」

「そんなことはないだろう。何かなければ命を狙われることはない。隠していても仕方ないぞ・・・」

と、新開刑事は、畳み込むように聞く。

「刑事さん、本当に何もないのです。20年間、二人が、どこで何をしていたのかさえ知りません。20年前に、フィリピンの会社を閉鎖して、日本に戻ってきたのですが、それ以来会っていません・・・」

「フィリピンか・・・御手洗の会社は、フィリピンのケソン市にある。あんたの会社は、フィリピンにはないのか・・・」

「はい、日本に戻ってからは、皆、別々の会社を作りました。私の会社は、台湾にはありますが、フィリピンにはありません。本当に何も知らないのです・・・何故、狙われるのかも分かりません・・・」

と、見ている限りでは、嘘をついているような感じではないと思った。続けて新開刑事が聞いた。

「もう一点、聞くことがある。昔、3人で会社を経営している時に、何かなかったか。もしかしたら、その時の何かが関係しているかもしれないな・・・20年以上前だけどな・・・思い出してみないか・・・」

「もう、過去のことですから、特に何かあったとは思いません。確かに、ビジネスをしていましたから、何らかの恨みはあったかもしれません・・・しかし、殺されるようなことは絶対にないです。もし、あったとしたら、20年も経ってからというのも不自然だと思います。たまたま、事故が重なっただけではないでしょうか・・・」

「倉重さん、重要なことです。倉重さんの乗っていたスカイラインGTRは、前から所有していたものですか。それとも、最近買ったものですか・・・」と、僕が聞いた。

「最近です。外国のバイヤーから依頼があって、高速道路で試乗していたのです。GTRを高く買ってくれるということで、仕入れをしていました。普通の相場よりも、30%以上高値で買うということでしたから・・・」

「必ず、高速で試乗して欲しいとの条件があった・・・」と、聞くと。

「その通りです。200キロ以上出せないといけない。つまり、速度リミッターがカットされていないといけないし、車の性能も良く、安定した走行が出来ないといけない。何でも、複数の東南アジアの小金もちが欲しがっているとのことでしたが・・・」

「そして、試乗は、社長自身がやって欲しいと、言うことでしたか・・・」と、徳野に聞いたことを話した。

「えっ、何で知っているんですか・・・その通りです。それがバイヤーの条件でした・・・」

やはり、御手洗と同じ条件である。そのバイヤーが何かを知っているのではないだろうか。

全く、同じ条件でスカイラインGTRを買うということなのであった。

突然、徳野が口を開いた。

「倉重さん、御手洗との付き合いは長かったのですか・・・」と聞いた。

「御手洗さんとは、10年ぐらいになります。御手洗さんが、フィリピンで、コックをしている時に出会いました。私は、元々、貿易をしていましたが、御手洗さんの働く店に客として行くようになってから、何か急速に親しくなり、二人で何か大きな貿易会社を作らないかと意気投合したのです。そして、御手洗さんの友人の浅田さんを紹介してくれたのです。その当時、浅田さんは、フィリピンのダバオという都市で、レストランを経営していました。何でも、父親が日本人で母親がダバオ市出身のフィリピン人ということで、ダバオに日本食のレストランを出したと聞いています。御手洗さんは、2526才の時にマニラに来て、それから、ずっとコックとして働いていると言っていました。20年前に、そんな形で3人が出会ったのです。そして、貿易の会社を作ったのですが・・・」

「そうでしたか、生前、御手洗は、過去のことは何も話してくれなかったので何も知りませんでした。私も、色々と知りたいと思っても、何も話してくれないので・・・・」と、徳野は言った。

「徳野さんとおっしゃいましたか。御手洗さんとは何年ぐらいの付き合いですか・・・」と、倉重が聞いた。

20年になります・・・」と、徳野が短く答えた。

「それなら、私たちがフィリピンから日本に戻った時の後になりますね。いや、最初は、順調にいっていたのですが、色々と大きな貿易会社の参入で、利益がなくなってきて、会社の状態も悪くなってきたので、日本に戻ったのです。浅田は、ダバオのレストランを同時に経営していましたから、ダバオに戻るかもしれないと言っていたのを覚えています。日本に戻っていたとは知りませんでした・・・私は、日本に戻ってから、結婚したのですが、10年前に妻に先立たれてしまい。子供もいるのですが、家には寄り付きません。今は、一人で細々と小さな貿易会社を経営しています・・・何だか身の上話になってしまった・・そんな私が、何故、殺されなくてはいけないのでしょう?・・・」

倉重は、何とも不可解だという顔をした。

僕は、更なる疑問を倉重に聞いた。

「会社を閉鎖した時には、何か大きな問題を抱えていませんでしたか・・・例えば、借金とか・・・」

「いえ、負債を背負う前に閉鎖したので・・・それはありません。間違いないことです」

「そうですか。それで、そのスカイラインの仕入れを依頼したバイヤーというのは、どこの誰ですか・・・」

「はい、私の知り合いの社長からの紹介で、支店は、フィリピンのケソン市にあり、日本本社は、港区三田にあります。社長は、アンジェラス・ポンセカというフィリピン人です。一度しか会ったことはありませんが、金の支払いは、とてもよくて、ちゃんとした会社です。このスカイラインの前にも、いすゞの2トンのトラックを何台か仕入れて、輸出しています。社名は、ジョジズカンパニーと言います。それが何か・・・」

「そうですか、それと倉重さんの知り合いの社長という人は、誰ですか・・・」

「埼玉の熊谷で、バイクの輸出をしている、マレーシア人の、ウイーという社長です。彼とは、10年以上の付き合いになります。そんなことが何か関係しているのですか・・・」倉重は、最初とうって変わって静かに答えていた。

続けて僕は聞いた。

「事故の時に、ブレーキが、きかなかったと言っていましたね。車が燃える前ですか、それとも燃えてからですか」

「いや、気が動転していたから、はっきりとは覚えていないが、燃える時だったと思う。ボンネットの中から、爆発音がして、ブレーキを踏んだけど、全くスポンジのように軽くなっていた。まるで、ブレーキオイルが抜けてしまったような感じがした・・・」

「そうですか、倉重さんも、車については、素人ではないですから、ブレーキのことは分かりますよね。でも、何故か変ですね。ブレーキホースに引火してからなら理解できますが、燃える時と同時だというのは、何とも解せない。もし、ブレーキホースが最初に燃えたとしても、そんなに早く、きかなくなることはない。一瞬にブレーキの何かが作動しなくなったということだと思います。例えば、ブレーキのマスターバック、つまり、エンジンの吸気負圧を利用して、ブレーキペダルの踏力を倍増する装置であるから、そこにも何らかの細工があったのかもしれませんが・・・」

新開刑事が口を開いた。「二重に何かを細工したということか、御手洗の場合は、どうだったんだ・・・」

「御手洗の場合も調べていますが、マスターバックには細工はありませんでした。新藤が調べているから間違いはないと思います。何で、倉重さんの場合は、そこまでしたのかということが分かりませんが・・・」

「その点も調べる必要があるな・・・」と、新開刑事が言う。

「ちょっと気になったものですから・・・新開さん、僕のほうはもういいですが・・」

「そうか、倉重さん、長々と邪魔したな。また、聞くこともある。とにかく、今は、怪我を早く治すことに専念したらいい。それと、まだ、殺人事件だと断定した訳ではないが、身の回りには気をつけるほうがいい。何かあったなら、前橋南署に相談しなさい。また、来る・・・」

倉重は、僕たちに、ベッドの上から「何かあったら、相談します・・・」と、言った。

何だか、色々と見えてきたものがあった。御手洗と倉重、浅田は、過去に会社を経営していた。

そして、何かの理由で閉鎖した。それから、20年以上が経過していた。

20年後の、今年になって、3人が何らかの理由で殺されることになったのではないか。

それにしても、スカイラインGTRの仕入れを依頼した、ジョジズカンパニーを調べる必要があると思う。

「新開さん、何だか分からないことだらけですね。糸は繋がったとは思いますが、動機が全く分かりません。新開さんは、どう思いますか・・・」

「そうだな。何とも・・・これは複雑な事件に発展するかもしれないな。3人を殺して、誰が得をするのかも分からない。誰か、得をする人物がいたなら、簡単なのだがな。今のところ、倉重も、浅田も独身であり、身内で得をしたりする人もいない。一応、各所轄には、保険金についての照合はしたが、特に不審なことは何もない。誰が得をしたのか・・・それとも、得をするということではなくて、他の何かが・・・」

「分かりませんね。明日、静岡の清水北警察署に行ってみようと思っています。浅田の件で何か分かるかもしれません。それと、御手洗は、東京。倉重は、埼玉。浅田は、静岡ですよね。本当に20年間連絡を取っていなかったのでしょうか。僕は、疑問に思っています。フィリピンで、一緒に会社をやっていて、日本に戻ったからといって20年間何もないというのは信じられないのです。何かが隠されていると思うのが筋ではないかと・・・」

「その点は、同感だな。何かあると思って捜査したほうがいい・・・出口、お前は明日、六本木の何とかいう貿易会社を調べてくれ。分かったな・・・」と、出口刑事に指示した。

「はい、六本木ですよね。社名もちゃんとメモしています。昔は、よく行ったから庭のようなものです。こんな私でも、色々な男に声をかけられたのです・・・懐かしい・・・」と少しにやけた。

出口刑事は、30才ぐらいだと思う。スーツ姿だから何とも思っていなかったが、化粧して髪を下ろすと、何だか、アイドルの某有名歌手に似ていると思う。眼鏡をしているので何とも言えないが・・・可愛いことは確かだ。

「出口さん、過去に、そんなに男遊びをしていたのですか・・・」と、冗談めいて僕が聞くと。

「冗談ですよ・・・警察官が、そんなことをする訳がないじゃないですか・・・何度か、買い物に行っただけです。そんな女に見えますか・・・雪田社長・・・」と、変に真面目に聞いてきた。

「そうでしょう。出口さんは、そんな遊び人の女には見えませんよ。どちらかと言うと、堅物の公務員という雰囲気がピッタリですよ。信じていないから安心して下さい・・・」と、更に冗談ぽく言うと。

「それも、何だか複雑よね。女としての色気も何もないということですか・・・アーア、私ってそう見られるのよね。いつも、そうなの・・・」と、何だか沈み込んでしまった。

「出口、そう気を落とすな。お前にも、いずれ、お前がいいという男が現れる。人間は辛抱だ。お前には良いところはイッパイある。諦めずに生きていけ・・・」と、新開刑事が、励ましたが、励ましになっていない。

僕たちは、皆大笑いした。

その日は、夕方に店に戻った。徳野は、フィリピンのボエットと、今後のことがあるので、自宅に戻って電話で打ち合わせをするという。

新開刑事たちも、多摩西部署に戻った。新開刑事と僕は、明日、清水北警察署に行くことになった。

「新藤君、お疲れさん。今日は、どうだった・・・」と、留守番していた新藤に聞いた。

「社長、お疲れさまです。フェアレディZ1台売れました。それと、岩崎弁護士が来られましたよ・・・」

「岩崎・・・何か用事でもあったのかな・・・」

「はい、何でも、例の車の事故の件で、面白い話があるとか言っていましたが・・・それと、何か新しい収穫がありましたか・・・」

「岩崎も好きだよなぁ。何かあったのかもしれないな。後で聞いてみるよ。それと、面白いことが分かったよ。御手洗と、今度の事故にあった奴とは、昔、フィリピンで一緒に会社を経営していたんだ。やはり、何かあるぞ」

「何だか、面白くなってきましたね。それで、EGIについては、科捜研で何か分かったのですか・・・」

「いや、まだ、時間がかかるということだ。それと、明日、静岡に行く。新藤には、悪いが。明日も、一人で頼むな。夕方までには戻れると思う・・・」そして、岩崎弁護士に電話した。