「そうですか。それは、東京から、ご苦労様です。で、一体何の件なのでしょうか?」
「トキワビルを契約していたとのことです。先週、解約したということですが、ちょっと事件に係わっているかもしれないのです。それで、賃貸契約書を拝見したいと思いましてね。見せてもらえますか?」
「はい、今、お持ちしますが、解約後に、敷金の返還をしようと思って電話したのですが、電話連絡がつかなくて困っていたのです。毎月の家賃も、ちゃんと払ってもらっていて、真面目な会社だと思っています。しかし、数日前から、連絡がつかなくなったのです。50万円返還しないといけないというのに・・・少ししてから、井上さんの事務所に行ってみようかと思っていました」と、少しぼやきながら部屋を出て行った。ほどなくして、賃貸契約書を持ってきた。
新開刑事と僕は、その契約書に目をやった。
契約者は、確かにミタライ・コーポレーションであり、代表取締役は、御手洗晋と記載されていた。住所も東京の住所であった。それと、保証人の項目に、目が留まってしまったのである。
そこには、今まで聞いたこともない女の名前が記載されていた。井上八千代という名前であった。
「熊木さん、この井上八千代という保証人について聞きたいのですが、この人はどういう人か分かりますか?」
と、新開刑事が尋ねた。少し、時間をおいて、熊木さんは口を開いた。何か思い出しているようにも見えた。
「お会いしたことはないのですが、何でも、福岡で商社を経営されていると記憶しています。ほら、そこに、印鑑証明がついていると思いますが、私としても同じ福岡の方でもあるし、その方の会社を調べても何の問題もなかったと記憶しています。御手洗さんは、東京の人なので何か不安があったのですが、地元の方が保証人になられるというので、契約したのです。そう、記憶していますが、3年前のことなので忘れていることも・・・」と、答えた。
「そうですか。で、解約したのは、先週だと聞きましたが、何か聞いていませんか?」
「いえ、電話があり、その電話は、保証人の井上さんからでした」
「井上さんからですよね?」と、聞き返すと。
「間違いありません。それと、解約通知書も郵送で届いています。そこには、御手洗さんの印鑑も押してありました。何か大きな事件なのですか?」
「はっきり、申し上げましょう。御手洗さんは、殺されました。これは、殺人事件なのです。それで、聞き込みをしているのです。解約日よりも前に御手洗さんは殺されていたのです」と、新開刑事は、ゆっくりと話した。
「えっ、何ですって。殺人ですか?」と、本当に驚いた顔になっていた。
「えぇ、殺人事件に間違いはありません。それで、東京から来たのです。それと、保証人の井上さんとかいう人を教えて欲しいのです。御手洗が死んだ後に解約したということに、ちょっとひっかかる」と、新開は尋ねた。
「契約の時に、一度しか会ったことはありませんが、近くの会社です。何でも、女一人で会社を経営していると話していました。50才ぐらいだったと記憶しています。電話番号も分かりますが・・・」
「それは助かる。早速、訪ねてみようと思ってね。それと、その契約書を借りていてもいいかな」
「はい、事件なら、協力させてもらいます。この件は、社長にも話しておきますから、何かあれば、いつでも聞いて下さい。それにしても、殺人事件とは・・・物騒な世の中ですな・・・」と、熊木さんは呟いた。
それにしても、井上八千代という女社長とは一体何物なのであろうか。御手洗の死んだ後に、事務所を解約している。そういうことを考えると、何か謎めいた感がしてならない。とにかく、新開刑事と、その井上社長の事務所に向かうことにして、管理会社を後にした。
しかし、博多中央署に連絡もなく、勝手な行動をしていいのだろうか?管轄外ではないのであろうか。
ヘタをすると、始末書だけではすまないと思う。何と言っても、新開刑事は、始末書の数だけは、警視庁管内でもトップクラスだと聞いたことがある。それも、関係してのこととは思うが、出世から見放されているのであった。
30年のキャリアがあっても、巡査長なのである。いつも、後輩に追い越されてしまっていたのであった。
「新開さん、何やら見つかりそうな糸が、また、見えなくなってきたような気がするけど・・・」と、聞くと。
「そんなもんだよ、雪ちゃん。この事件の裏には何か大きな組織があるような気がしてならないな。小さな車の事故から始まっている連続殺人だと思うな。俺の経験だと、かなり大きな事件になる予感がしてならない。まだ、何の確証もないが、大きな組織の匂いがする。とにかく、その井上という女に会うことだな・・・」
新開刑事は、早足で通りを歩いている。博多の町は、九州一の歓楽街ということもあり、大勢の人が行きかっていた。20分ぐらい歩いたであろうか、契約書に記載されている、井上社長の住所の前に着いた。
会社名は、蓬莱商事となっていた。ビルというよりも、マンションであり、どうやらワンルーム形式らしい。
管理人もいない、ペンシルマンションであった。
一階の表示を見ると、5階に蓬莱商事という名前が記されている。僕たちはエレベーターに乗った。
ドアのプレートには、株式会社蓬莱商事と金色で書かれている。何やら、その筋の事務所のプレートの色使いのような感じである。新開刑事が、呼び鈴を押した。少しして、ドアが開いた。
「何でしょうか?」50才過ぎだと思われる、小奇麗な女が顔を覗かせた。
「井上八千代さんという方は、こちらにいますか?」と、新開刑事は尋ねる。
「井上は私ですが、何の御用でしょうか?」と、低い声である。
「あなたが井上さんですね。私は、東京の多摩西部署の新開といいます。御手洗さんのことで伺いたいことがあるのですが、ちょっとお時間を・・・」新開刑事は、靴をドアと壁の間に入れている、そうしてないとドアを閉められてしまうことがあるからであろう。
「あぁ、御手洗のことね。私も困っているのよ。何でも事故で死んだって聞いてね。まぁ、中に入って下さい」
と、淡々と話してきた。僕たちは、言われるままにソファーに腰を降ろした。事務所の中には、机が一つと電話が2台ある。書棚の中には、多数の種類と思われるものが並んでいた。
広さは10畳程度であろうか。机は一つなのだが、椅子は二つあるので、誰か事務員がいるのかもしれない。
「事故のことでしょうか?」と、お茶を入れながら尋ねてきた。
「それもありますが、御手洗の保証人になられていましたね。それと、事務所を解約されていますが、誰からの指示ですか。一般的には、保証人には解約する権利はないと思いますが、それについて聞きたい」
新開刑事は、ストレートに尋ねた。
「はい、御手洗さんが、亡くなったということを聞いたのは、御手洗さんの奥様からです。支店を解約するための代理人として書面も送ってもらいました。確か・・・ここにあります・・・ちょっと待って下さいね」
と、机の中を探している。
「ありました、ありました。これです・・・」と、代理人選任の書類を見せてくれた。
確かに、御手洗名前と印鑑と奥様らしき人の名前が書いてあり、御手洗が死亡したために、解約すると記載されていた。御手洗の奥さんの名前は、御手洗操と書いてある。確かに、御手洗の奥さんの名前であった。
新開刑事は、その書面をくいいるように見ている。
「問題はないようですな。それで、御手洗の奥さんとは面識があったのですか?」
「いえ、電話では、何度か話したことはありますが、一度も会ったことはありませんが・・・」
「そうですか。次の質問ですが、井上さんは何故、御手洗の保証人になったのですか?東京と福岡で離れてますな?」
「10年以上前からの知り合いです。私も雑貨の輸入をしている関係で知り合ったのです。それからは、懇意にしていただいていましたので、福岡に支店を出すということを聞いたものですから、保証人をお受けさせていただいた次第なんですよ。まさか、車の事故で亡くなられようとは夢にも思いませんでしたわ。本当に残念でなりません。私も、色々と輸入のことで便宜をはかってもらったりしていました。本当に残念でなりません・・・」
と、目頭を押さえるそぶりをした。
「そうでしたか。それと、管理会社の人が話していたのですが、敷金の返還について電話したのだが、連絡がつかないということを言っていましたが、電話番号を変えられたのですかな?」
「そうです。契約の時の電話番号は、1年前に変更になっていました。連絡しておけばよかったのですが、すっかり忘れておりました。後で、連絡しておきます。敷金は、奥様に返還することになっていますから、返還されたら、奥様にお渡ししようと思っています。本当に、うっかりしていましたわ」と、少し笑い顔になった。
「奥さんの連絡先はご存知なのかな?何でも、田舎に帰られてということらしいのですが、井上さんとは連絡がとれるということですかな?」
「はい、携帯電話の番号を知っていますから、聞けば分かると思いますので・・・」
「なるほど・・・もう一つ聞きたいことが・・・」と、新開刑事が尋ねようとした時に事務所の電話が鳴った。
「ちょっとすいません・・・」と、受話器を手にした。
何やら小声になっている。それと、今は来客中だから後で電話すると言って電話を切った。
「すいません・・・何でしょうか・・・」と、また、大きな声になっていた。
「仕事中にすいませんな・・・で、ジョジズ・カンパニーか徳野茂美という女を知っていますか?御手洗の愛人だった女ですが?」
「徳野・・・知りませんね。御手洗さんのプライベートについては何にも知りません。女の人がいてもおかしくはないと思いますが、私は何も知りませんね。ジョジズという名前も聞いたことはありません。で、その人が何か・・・・」と、少し慌てたように感じた。
「いえ、知らないのなら結構です。それと、御手洗の奥さんの携帯電話の番号を教えてもらえますかな?」
「それはいいですけど、何か御手洗さんにあったのですか?ただの事故死ではないのですか?刑事さんが来るようなことだとは思ってなかったので、ちょっと気になりまして・・・」と、さぐるような言葉であった。
新開刑事は、少し間をおいて、ゆっくりと話始めた。
「事故ではないんですよ。殺人なんですよ。だから、調べているのです。それ以上は答えられないが、何かあれば、これからも協力してもらうことになる。居場所だけは、必ず、教えておいて欲しい。それと、井上さんの自宅も教えておいてもらいたい」と、ゆっくりとではあるが、しっかりとした声であった。
「えっ、殺されたのですか?私も疑われているんですか?初めて知りました。奥さんは、事故死だとしか話してなかったので・・・殺人・・・・恐ろしいですわ。犯人は見当がついているのですか?私は関係ありませんよ。ただの知り合いなのですし、ここ最近、福岡から出たこともないし、東京で殺されたのですよね。東京の刑事さんだから・・・」と、不安そうな目をして尋ねた。
「疑ってはいませんよ。ハハハ。一応関係者には聞いているだけです。今日は、お邪魔しましたな。一応、この会社の電話番号と自宅の住所、電話番号を書いてくれますか?」
はい、と言って、メモを渡した。僕は、何をするわけでもなく、ただ、二人の会話を聞いていただけであった。
そして、事務所を後にして、このマンションの駐車場に向かったのだ。何故、駐車場に向かったのかというと、岸壁から落とされた、倉重の死について、釣り人が、大きな黒い車を見たという証言があったからである。
もしかしたなら、この井上という女が黒くて大きな車に乗っているかもしれないと考えたのである。
「なぁ、雪ちゃん。どう思う。井上という女は?」と、新開刑事が聞いてきた。
「何かあるとは思いますが、何が何なのかは未知数ですね。何か隠しているような気はしますがね・・・」
「俺も、何か隠しているとは思う。これからだな・・・さっ、車を探してみるか。この分野は雪ちゃんが詳しいからな・・・頼むよ」と、早足で駐車場に向かった。
20台ぐらいが停められる。2台は、大型の車であったので、一応、NOを控えておいた。
後で、所有者を調べてみれば分かるのだ
「新開さん、これからどうしますか?博多中央署に戻ったほうがいいと思いますよ。勝手な行動は・・・」
と、僕が尋ねると。「いや、これから、井上の自宅に行ってみようと思う。とにかく、身辺を調べてみたい。署に戻るのは、それからだ・・・」また、勝手な行動で、始末書になるような予感が頭をよぎった。
タクシーで行くことにした。そのタクシーの中で、新開刑事の携帯が鳴った。