僕としては、何かを引き出せるかもしれないと思った。普通の、女ではないことは知っている。
一筋縄ではいかない女だ。相手も、何かのさぐりを仕掛けてくるかもしれないと思った。
その夜は、二人で、静かな会話をしていた。特に何もない。差しさわりのない話で終わった。
徳野からは、何のさぐりもないままだ。僕から、仕掛けることは、不自然であると思い、余計なことは聞かないでいた。確かに、美しい女だ。他の席の男が、こちらをチラチラと見ていた。
二人が、飲んでいる時に、福岡の博多湾の岸壁の側に、倉重仁の溺死体が浮かんでいた。
夜釣りに来た、釣り客が発見したということであった。
翌日、新開刑事から、倉重の死体が見つかったと電話があった。
福岡県警からの連絡であった。全国に手配していた指紋と一致したのだ。
現状だと、単なる水死だという。これから司法解剖するということであった。
手と頭には、火傷の包帯が巻かれていた。所持金は、数十万円が財布の中に残っていた。
物取りの犯行ではないと思われる、ということを新開刑事が話してくれた。
明日、福岡に行くということで、僕も、同行することにした。
店は、新藤一人で何とかなる、忙しい時には、近所の車の修理工場の友人が手伝ってくれる約束になっていた。
翌日、羽田から飛行機で福岡空港に着いた。
司法解剖の結果、胃の中には、少しの食物と、血中には、多量のアルコールがあったことが分かった。
体には、目だった外傷はない。結果として、多量のアルコールで酔って、岸壁から足をすべらせて落ちたという見解が強かった。死亡推定時刻は、深夜の2時から3時だという。一応、目撃者を探すことになり、博多中央署の刑事が同行してくれた。
倉重の足取りを探すしかない。地理に不案内なので、所轄の刑事が同行してくれるという。
倉重が、死んだことは、合同捜査本部に衝撃を与えた。唯一の証人が亡くなったのだ。
場合によっては、事件は振り出しに戻ることも覚悟しないといけない。
新開刑事にも、あせりの色が見えた。
とにかく、倉重が落ちたらしいという、博多第5号岸壁に行ってみることにした。
船着き場というよりも、釣りを楽しむという岸壁であった。しかし、どうしてこんなところに来たのであろうか。
確かに、岸壁から、数分歩くと、何軒かの定食屋等がある。
船員相手らしい飲み屋もある。しかし、倉重が、何故、福岡にいたのであろうか。
博多中央署の刑事が「ここは、年に何人か自殺する人がいます。丁度、道路からは死角になっているのです」
と、指さすほうを見ると、確かに、広い通りからは、大きな冷蔵会社の建物があって、それが邪魔をして死角になっていた。
「自殺のメッカということですか。例えば、山梨の青木ケ原樹海のような・・・」と、僕が尋ねると。
「ええ、福岡の海沿いなら、有名です。今回は、潮の流れで、沖に流されなかったのが幸いでした。時期によっては、博多湾を出て、玄界灘のほうまで流されてしまうことが多いのです。ですから、靴か遺書でも置いてないと、自殺したのかどうかも分かりません。玄海灘まで死体が流れてしまうと、発見は、まず、無理だと思います。以前、山口の萩の沖合いで、運よく漁船に発見されたこともあるぐらいですから・・・」と、話してくれた。
玄海灘まで、流されると、日本海の親潮に乗って遠くまでいってしまうのだ。
僕たちは、近くの飲み屋や定食屋の聞き込みをしたが、これといった情報を得ることはなかった。
一体、倉重は、どこに泊まったのであろうか。それとも、博多に着いて、すぐにこの岸壁に来たのだろうか。
タクシー会社もレンタカー会社も当たってみたが、何も情報はなかった。
群馬から、博多まで何らかの交通手段で来たことは間違いのないことだ。普通なら、新幹線か飛行機であろう。
僕たち3人は、夜遅くまで聞き込みをした。刑事と同行していることで、刑事の動きがよく分かる。
とにかく、足が棒のようになっていた。太目の新開刑事は、何の苦もなく歩いている。
普通の人で太めなら、こんなに歩いたなら、ヘトヘトになるに違いない。
刑事という職業は大変ものだと感心した。
その夜は、市内の端の小さな素泊まりの旅館に宿泊した。倉重の死んだ岸壁からも近い。店に電話すると、特に何もないという。新藤が、一生懸命に働いてくれていた。
「新開さん、明日は、どうしましょうか。これでは、難しいですよ・・・」
「たった、一日歩いたぐらいで、諦めるなよ。何か見落としていることもある。明日も今日と同じ場所に行って聞き込みするしかない。何か必ず発見できるさ・・・今夜は、フグでも食べよう・・・」と言って、外に出た。
博多の繁華街の中洲にも行ってみたいと思ったが、仕事で来ている訳ではない。無駄な出費は極力抑えないといけない。旅館の近くの、小さな小料理店で安いフグ料理値段を書いている店に入った。
見るからに安いという雰囲気である。店内には、数人の常連客が食べて、飲んでいた。
博多弁を、間じかに聞くということはなかったので、何とも嬉しい感じがしていた。
とりあえず、フグ料理の安いコースを注文した。500円の追加で、ヒレ酒も頼んだ。
「雪ちゃんは、博多に来たことは何度目だ・・・」と、新開刑事が聞く。
「以前、旅行で来たことは一回だけありますよ。ツアー旅行でした。福岡と、佐賀と長崎のツアーです。新開さんは何度もあるのでしょう・・・」
「一度もないよ・・・」
「初めてにしては、動きが早くないですか・・・地理を知っているように感じたけど・・・」
「刑事というものは、そういうものなんだよ。動物の勘というか、そういうものだ・・・」
「・・・なるほど・・・さすが、新開警部補・・・すごい・・・」と言うと、僕に、何やら目配せしてきた。
「雪ちゃん、少し静かに、後ろにいる客の話しを聞いてみろ・・・」と囁く。
後ろには、4人の地元の客が座って飲んでいた。50才代ぐらいであろうか。
「俺も、テレビで見たな、また、仏が浮いたって。あそこは、今年になってから、3人だ。本当に何かの霊が出る。ばってん、俺は、幽霊は信じられんが・・・」と、言う。
「幽霊か・・・自殺があったその夜に、俺の友人が、岸壁で頭が白い男を見たといっていた。それも幽霊か・・・そげなことはないな。でも、そいつは、頭が白いから、幽霊と勘違いしたらしい。あわてて、釣り道具を持って、その場から逃げ出した・・・・ハハハ・・・相当怖かったちゃね・・・ハハハ」
「誰だ・・・あの時間に釣りしているのは、小野田か・・・」
「そうだ。あの小野田だ。あの時間に釣りするのは、小野田ぐらいだ。あの時間は、引き潮だから、魚はいない・・と何度も言ったのに、奴は、性懲りもなく釣りしている・・・」
「いつも、あの時間だ。でもな、釣れる時もあるらしい。それも、大物が・・・ハハハ・・・たまには、そういうこともあるやろ・・・ハハハ」
「それとな、小野田が言うには、白い頭と、ぼんやりと赤い色のような服が見えたといっていた。俺は、幽霊が赤い服を着ると聞いて、腹から笑った・・・ハハハ・・・」
新開刑事は、鋭い目になって聞いていた。
僕にも分かる。この親父たちは、倉重のことを話しているのだ。
新開刑事が、腰を上げて、その4人の席についた。警察手帳を見せて、質問している。
「小野田さんという人は、どこにいますか。もう少し詳しく聞きたいのですが・・・」と言うと。
「東京の刑事さんか・・・あの自殺で、調べているのかい・・・」と、聞く。と別の親父が、
「何かの事件ですかな。小野田は、今頃、岸壁にいると思いますよ。幽霊が出るから、別のところかもしれませんが・・・電話してみましょうか・・・ハハハ」と言って、携帯電話をかけた。
「おう、小野田か、俺、田口だ。お前に会いたい人がいるが、今、どこだ・・・」と、何やら話している。
「刑事さん、今日は、何も釣れないので、これから、ここに来るというのだが・・・」
「それは助かる。どれぐらいで来るのかね・・・・小野田さんは・・・」と新開刑事は、小躍りした。
「10分ぐらいだと思う。少し待っていてくれ・・・」と言ってくれた。
新開刑事は、4人に1杯ずつビールをごちそうしてあげた。
「雪ちゃん、その幽霊が、倉重だとしたなら、頭の白いものは包帯だな。しかし、倉重の死んだ時の服装は、灰色のジャンパーと茶色のズボンだ。赤い色の服だとしたら、それは倉重ではない。誰かと一緒だったと考えられる・・・」
「そうです。赤い色はない。絶対に誰かと一緒に違いありません・・・」と僕も、気持が高揚していた。
少しして、店の戸が開いた。
「小野田、こっちだ。こっちだ。何も釣れていない顔だな。※ボウズだな。残念・・・ハハハ・・・」と、田口という親父が呼んだ。 ※ボウズ 一匹も釣れないことを言う。
小野田という人は、40才ぐらいであろうか。小柄で頬のこけた優男であった。
「僕に会いたいという人は・・・」と小野田が聞く。
「こちらの、刑事さんだ。あの幽霊の話を聞きたいそうだ・・・」
「東京の多摩西部署の新開といいます。ちょっと、その幽霊のことを聞かせてもらえるかい・・・」
小野田という人は、刑事だと分かって、かなり緊張しているようだ。
新開さんが、小野田さんに、お酒をごちそうした。一気に飲み干すと、ゆっくりと話しだした。
「あの晩、釣りに行ったのです。僕は、夜釣りが好きなので、大概は、夜に釣りに行きます。4号と5号岸壁は、好きな場所なので、午後11時ぐらいから、どちらにしようかと場所を探していました。一度、4号岸壁で糸を垂らしたのですが、食いつきが悪いので、5合岸壁に移動しようと思って、車に乗ったのです・・・丁度、5合岸壁の入口に近づいた時です。車のライトに、何か人影のようなものが映ったのです。岸壁の中までは車で行くことはできませんから、入口で車を降りて、岸壁の突端を見てみると、何やら、頭が白い人が、立っていたのです。車のライトは、消していましたから、はっきりと見た訳ではないのですが・・・」と言う。
新開刑事が「何時頃か、覚えているかね・・・」と聞いた。
「確か、午前1時になっていたかもしれません。4号岸壁には、2時間ぐらいはいたと思いますから・・・」
「それで・・・その白い頭を幽霊だと・・・」
「はい、こんな時間に釣りをする人は見たことはありません。自殺が多い場所なので、てっきり・・・」
「幽霊だと・・・」尋ねると。
「もう、怖くて、怖くて・・・でも、怖いもの見たさと言うのでしょうか。もう一度、振り返って見たのです。そうしたら、何か赤い色のようなものが見えたのです」
「赤い色のようなものは、白い頭よりも低い位置に見えたのかな・・・」
「はい、白いものよりは、低い位置でした・・・」
「その赤い色は、人のようには感じなかったかね。二人でいるような・・・」
「そうですね。そう言われたなら、そういう感じかもしれませんが、遠くなので、何とも・・・」
新開刑事が更に続けて聞いた「その時に、岸壁の入口には、小野田さんの車だけしか停まってなかったかね。他には車は見なかったかい・・・」
「そういえば、大きな外車のような車が停まっていました。こんな夜に車が停まっていることは初めてでしたから、不思議だと思ったのです。色は黒だったと思います。車種までは分かりません。車の知識はないですから・・・」と答えた。