過去に一度も警察に捕まったことはないのだが、人に言わせると単に運がいいだけらしい。

運と言っても人生は運だ。これも一つの幸運と思っているから気持ちのいいものである。

ここだけの話だが、結婚という悲運があったから他は幸運なのだと自分に言い聞かせてしまっている。

結婚というものが何故悲運なのかというと、自分が昔から夢見ていた結婚とはかなりかけ離れた現実があるということは悲運なのだと思う。決して、今のだんなに大きな不満はないが何か違うと思う。これは心の中だけに留めているべきものであるから・・・。

車に乗ってエンジンをかけようとしたがいっこうにかからない、何度キーをひねってもセルモーターの回る音しかしない。素人だからボンネットを開けても分かるはずもない。10回はまわしてみただろうか。

はて、困った。そういえば、20日以上車に乗っていない。だんなも車にはめったに乗らない人であるから、大半は私が乗る。本当に困ってしまった。とりあえず諦めて、歩いていくことにした。

車のことは後でもう一度やってみて駄目なら修理屋さんを呼ぶしかないだろう。

10年以上も前に買った中古であるし、10万キロ以上は走っているポンコツなのだが家計の関係で新しい車を買うことは無理なのだ。

雨の中を傘をさして、30分の距離だ。しまむらに着くと店は混雑している昨日大安売りのチラシが入っていたようだ。とにかく、息子の下着を買って店を出ようとしたところで声をかけられた。

「祐樹くんのお母さん」と振り向くと、息子の学校の同じクラスの泉さんというお母さんだ。

いつも思うのだが、どうして何何さんではなくて、息子や娘の名前の後にお母さんというのだろうか。

私には、田口ひとみという名前がある。何故、祐樹くんのお母さんと呼ばれるのかと思う。

田口さんでいいと思うのは私だけなのか。

「沙織ちゃんのお母さん」と私も同じように返事をしてしまった。これだから意味がないのである。

「こんにちは、今日はお買い物」と沙織ちゃんのお母さん。「ええ、息子のものをね」と実につまらない会話である。

「そうなの、私も娘の服を・・・」と言う。「うちと同じね」と返す。

「嫌な雨ですね」と沙織ちゃんのお母さん。「ええ、車が壊れて歩いてきたのよ」と私。

「車が調子悪いの、うちは整備工場だから見てあげようか」と沙織ちゃんのお母さん。

「えっ そうなんですか。キーを回してもエンジンがかからないのよ」と話すと、バックから携帯を出して何やら電話している。どうやら自分のだんなに電話して説明しているようだ。

「これから帰るの、もし、よかったら主人が見てもいいよと言っていますが・・・」と何か変な展開になってきた。

「沙織ちゃんの家はどこですか」とまるで沙織ちゃんに聞くような会話である。つまり、この沙織ちゃんのお母さんの名前は知らないである。連絡簿には子どもの名前しか出ていないし保護者会でも名前は呼ばないし、全く知らないから何何ちゃんのという会話になってしまうのだ。

「いいんですか、とても助かります」と一礼したら、「家を教えて下さい。主人に伝えますから」という返事。

それと私の家まで沙織ちゃんのお母さんが車で送ってくれるというのだ。何という幸運なのか。

30分雨の中を歩いてきたのだから渡りに船というのであろうか、それに車も見てくれるというダブルラッキーだ。

沙織ちゃんのお母さんは、幸子さんというらしい。私の家までの道の説明の中で幸子が先に行っているからねという言葉があった。沙織ちゃんのお母さんは幸子さんというのだ。この幸子さんが後々とんでもないことを引き起こしてくれるのである。しかし、何故車のエンジンがかからないのか、1年前に近くのディーラーで車検を行ったのに。まあ、車検というものは安全性のことだけで詳しく車を見るということはないということを聞いたことがある。

車の故障と車検とは別ものなのであろう。家計の問題で定期点検もしていないし、10年以上も前のポンコツだから仕方ないとも思う。

私の家までの道の車の中で幸子さんが、面白いことを話してくれた。

保護者会でしか会わない人だから何か新鮮な感覚を持ったのも事実である。

「祐樹くんのお母さん、変な話だけど駅のソバのヒールっていう婦人服店知っていますか」と言うのである。

ヒール、ヒールどこかで聞いたか見たことがある。

どこだったのかと考えではっとした。先日、艶子さんに連れられて行った店なのだ。

「一度、行ったことがありますよ。久保さんという男の人が店長でしょ」と言うと「そうですか、今後とも宜しくお願いします、実は私の弟なのよ。旧姓は久保というの。一番下の弟が1年前から店を出しているのだけどなかなか売上がなくてね。」というのである。

面白い展開になってきた。「そうなの、行ったことは一回だけど・・・」と答えると「協力してもらうと助かるのよ」

と少しだけ懇願しているのだ。

「そうなんですか、今度行きますよ」と心にもないことを言ってしまった。この店は先日行って分かったのだが若い人のモノが中心で私の年代のモノは少ないのである。

そんな話をしているうちに家に着いたのである。ほどなくして幸子さんのだんなさんも着いたのだ。

だんなさんは、なかなかのいい男である。背も高く私の好きな醤油顔なのだ。昔、少年隊にいた東山によく似ている。どうみても車の修理屋さんというイメージとは違う。

私がキーを渡すと何も言わずに車に乗り込んでキーを回している。何度やっても駄目なようだ。

「一度、工場に入れないと・・・」と、この場では分からないようだ。内心、ボンネットくらい開けてみて欲しかったのだがプロがそういうのだから仕方ない。

「そうですか、すみません。主人と相談して連絡します」と伝えたのだが、早いほうがいいと言うのだ。

つまり、明日以降になると別の車の修理が混んでしまうので遅くなってしまうというのだ。

「今日のほうがいいですか、いくらくらいかかります」と聞いてみた。

「早いほうがいいです。どれくらいかかるかは見てみないとわかりません」と坦々と言うのである。

今見たのとは違うの、今は見たとは言わないのと喉まででかかった言葉を呑み込んだ。

祐樹の学校の同級生でもあるし、ここでもめても問題だと思ったのである。

「そうですか、ではお願いします」と言ってしまったのだ。本当は値段も知りたいところなのだが・・・

だんなさんは携帯でどこかにかけている。どうやら自分の工場の社員へ私の家までの道順を教えているようだ。

「後、10分くらいでうちの社員が引き取りにきますから少し待っていて下さい」と一言。

口数の少ない人である。

「祐樹くんのお母さん、私は先に帰りますね」と幸子さん。

どうもありがとうと軽く会釈して見送ったのである。

車庫の中には私と幸子さんのだんなさんの二人になってしまった。

「来るまでお茶でもどうですか」と一応社交辞令的に話したのだが、即結構ですと首を振られた。

その結構ですという仕草が何かカチンときてしまったのだ。他に言い方はあるだろう、手を開いていらないというような仕草なのだ。少年隊の東山なら決してそんなことはしない・・・と。

沈黙の時間が過ぎていく、黙っていたならいい男なのに・・・

すると、大きな車が一台家に横付けになった。どうやら私の車を積み込む積載車らしい。

だんなさんは、社員の人二人で手で車を押して表に出して、積載車の後ろを下げてワイヤーで私の車を引っ張って積んでいる。昔このような光景を高速道路のパーキングで見た。

壊れた車を引っ張って積み込んでいるのだ。

確かに見ていると面白いものだ。するすると車が載っていく、そして、トラックの後ろの部分が元に戻るのだ。