〝機械じかけの神〟と訳される。

古代ギリシャ演劇で使われた手法らしい。

複雑に錯綜してしまった物語を、クライマックスで一気に解決してくれる、いわば神風が吹くような展開のようだ。それを、あたかも自動処理をおこなう機械に例えたのだろう。

映画マトリックスシリーズ『マトリックス・レボリューションズ』のクライマックスにも、文字どおりの〝デウス・エクス・マキナ〟が登場する。

AIに追い詰められた人類の、最後の生存圏ザイオンが狙われ、仮想世界マトリックスから、いよいよ荒廃した現実世界での戦いに移る。

ネオは、ベインに忍び込んだスミスに失明させられ、AIの心臓部マシンシティに突入の際にはトリニティも失う。

そしてマシンシティのラスボス、デウス・エクス・マキナと対峙し交渉を始める。


暴走に歯止めが効かなくなったエージェント・スミスは、もはやマトリックスにとっても厄介者であり、スミスを倒すことを条件に、ザイオンへの攻撃を止めるという契約を、ネオはデウス・エクス・マキナと取交わし、マトリックスに接続される。


そして、大量の複製スミスが林立する豪雨の中で格闘が始まる。それは預言者オラクルを吸収したスミスだったが、不覚にもオラクルの言葉を発してしまったスミスは、最後にネオを吸収すると全てのスミスと共に光を発して崩壊した。


同時にザイオンへの攻撃も止み、ようやく人類は平和を取り戻す。マトリックスも人類も存続し、物語はハッピーエンドで終わったようだが…

『マトリックス・レザレクションズ』では、また闘いが再燃するのか?



コロナが蔓延し始めてから、自分が映画『マトリックス』に関心を持ち始めた理由が、何となく解ってきた。

このエージェント・スミスの暴走を見ていると、人体に侵入したウイルスを攻撃するはずの抗体が暴走し、反って人体を破壊してしまう、サイトカインストーム(免疫暴走)を連想してしまう。

人体(有機体)に作用するウィルスとは、コンピューターウィルスと、まさに同じ仕組みなのではないか…?

有機体の遺伝情報とは、まさにコンピューターのプログラム情報そのものだ。

遺伝情報の入ったDNAを複製する際に、RNA転写ミスを引き起こす、それがウィルスの役割なのだろう…

次世代の情報テクノロジーであるブロックチェーンは、マトリックスのような集中管理システムではなく、分散ネットワークなので、人体の免疫機能と同じように、ウィルスに対しても柔軟かつ堅牢なのかもしれないが…


夢オチ


デウス・エクス・マキナとは、物語としては、それまで丁寧に展開していたものが、一気に終結してしまう「無理やり感」があるとして、批判的な向きもあるようだ。

いわゆる『夢オチ』や『どんでん返し』も、そのひとつだという…

映画『野獣死すべし』のラストシーンも〝夢オチ〟のひとつだろう…


日比谷公会堂のコンサートで、居眠りしていた伊達邦彦は、誰も居なくなった客席で目が覚める。

「すべて夢だったのか」と、思った伊達だが、公会堂から出た階段の踊り場で狙撃される…



陽炎の中に見えた柏木刑事は幻覚か?

伊達が目覚める前に座っていた座席は、令子が居たはずだ。その令子の姿がない…

伊達が話すリップヴァンウィンクルの〝夢落ち〟と重なるが、その謎だらけのラストシーンに、様々な解釈が錯綜する…




『野獣死すべし』には、他にも色んな〝演劇手法〟が象徴的に織り込まれているようだ。

例えば、東大の同窓会で、レストランのウェイター真田がぶちギレるシーンだ。

以下 wikipedia ドラマツルギーの応用 より

《 レストランでのウエイターまたはウエイトレスについて…(中略)彼または彼女が関心の深い主要な手引きは「顧客サービス」である。顧客が無作法でも、ウエイターとウエイトレス、あるいはそのどちらかにしても、彼らの職責の一部として礼儀正しいこと(「顧客はいつも正しい」ので)を期待されている。 》


ゴフマンの言う社会常識的ドラマトゥルギーの〝役割期待〟を真っ向からぶち壊した真田の獣性に、伊達邦彦が目を付ける…

脚本家丸山昇一氏と〝共犯関係〟にあった松田優作氏による計算された演出なのだろうか…?


〝機械仕掛けの神〟デウス・エクス・マキナは、ギリシャ悲劇、ゲーテの『ファウスト』、シェークスピア演劇など、様々な演劇や映画などに用いられているそうだ。


今の現実世界にも、コロナによって足踏み、行き詰まり感が抜けきらないが、これを一気に解決してくれるデウス・エクス・マキナは現れないのか?


現実としか思えない夢を
見たことがあるか?



青を飲めば
ベッドで目覚め(夢オチ)
また元の生活に戻れる…

ようこそマトリックスへ…


でも、人類が支配管理され、栽培されてしまうようなシステムは、遠慮したい…