九代目七右衛門の徒然日記 -8788ページ目

邑南町指定有形文化財 旧山崎家住宅

本日の日本民家再生協会中国地区事務局主催の民家再生座談会 で、西中国茅葺き民家保存研究会の上田進さん から、「このあたりで一番大きい茅葺き屋根の建物は、邑南町日貫にある町指定文化財 旧山崎家住宅であるが、先日見に行ったところ、荒廃が進んでいて、茅もだいぶ抜けていた。」との話があったため見に行ってみました。旧山崎家住宅は、香木の森から旭方面に向かう県道7号線から右手に見えました。
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県道にも、このような看板が出ており、看板の手前に2台ほど駐車できるスペースがあったので、そこに車を止めて歩いていきました。
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桜の木の向こうに旧山崎家住宅が見えました。
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日貫川に架かる橋の突き当たりに位置しています。
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家に帰ってネットで「旧山崎家住宅」を検索してみると、この施設は、今から約220年前の安永8(1779)年に建築されたものと伝えられているそうです。当初、現在の日貫診療所付近にあったものが安永5(1776)年の日貫大火により焼失し、安永8(1780)年9月27日に棟梁大工銀山領川登兵七によって現位置に建築されたものとの事です。主屋の屋根は茅葺きで、棟には15本の棟飾りが付き、表側の中程から上は兜状に厚く茅が敷かれています。
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茅屋根を兜状に吹いた例は他になく、庄屋としての格式を表しているものと思われます。大規模な改造としては昭和13(1938)年に曹洞宗大本山永平寺より無邊光照禅師総持道海を迎える際、隠居(現在の離れ)の増築が行われたそうです。往時には大工4人程度が維持補修に毎日従事していたようです。昭和58(1983)年の大雨災害に伴う裏山及び河川護岸の崩落により、木橋、蔵1棟、土塀が流出し、そのため、河川改修の護岸嵩上げ、ブロック塀に改修されており往時の様子を伺うことは難しくなっているそうです。上田さんが言われていたように、茅がだいぶ抜けていました。
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建物と敷地は、平成10(1998)年4月17日に指定名称「山崎家(隅屋)」と町文化財認定され、その後、山崎家から寄付を受け、所有が石見町になり、指定名称「旧山崎家住宅」と変更され現在に至っているそうです。平成10年茅屋根修繕工事、平成11年に防蟻・防腐工事、平成12年に土蔵改築工事が行っているとの事ですが、メンテナンスがあまりされていないのが残念です。山崎家の祖は、大内氏家臣の山崎勘解由と伝えられており、県下十指に入る大地主だったそうです。
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ミルク工房四季 ジェラテリア・カフェ Mui(ミューイ)

稲積家を出た後は、稲積家でもらった資料の中にミルク工房四季 のパンフレットが入っていたので、昨日行ったいわみ温泉 の下にある自然放牧シックス・プロデュースが経営するミルク工房四季に行きました。
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昼夜完全自然放牧の牛乳から作った、ジェラートやソフトクリームなどのお店です。昨年10月4日に来て 、とても美味しかったのを思い出しました。
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店内は次々にお客さんが入っていました。
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前回はジェラートを食べたので、今回は無添加ソフトクリームを注文しました。
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レジに、「四季のプリン」という宣伝があり、おいしそうだったので、これも買いました。
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窓際の席が空いていたので、ここに座りました。
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「無添加ソフトクリーム」と「四季のプリン」です。ソフトクリームは、濃い牛乳の味で、思ったよりさっぱりしており、プリンは上のほうは濃厚な層で、下に行くほどトロトロになってきて、キャラメルソースも美味しくて、どちらも大満足でした。
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コーヒーもコクがあってとても美味しかったです。
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カウンターには、フィナンシェなども売っていました。
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自家製のむヨーグルトが本日発売と書いてありました。デンマーク産の乳酸菌を使って長期発酵させたものだそうです。ソフトクリームとプリンを食べた後なのですが、飲みたくてたまらなくなってたまらなくなって買ってしまいました。
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蜂蜜を入れて飲んだのですが、粘度が高く濃厚な割りに、さらっとした味で美味しかったです。
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瓶詰めにしての販売も計画中との事でした。

邑南町井原地区「田植え囃し」

14時半からは、稲積家の桜咲く中庭で、地元井原地区の方々による「田植え囃し」が行われました。座談会が終わって外に出てみると、遠くの方から太鼓と笛の音が聞こえてきました。
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おば様方が縁側に並んで座って、見ている様子が絵になります。
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どんどん稲積家の方に近づいてきました。
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この地方では、お祝い事などがある家へ出向いてお囃子を披露するならわしが昔からあるそうです。
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この田植え囃子は、室町時代から伝えられてきたもので、戦時中一時中断したものの、復活しているそうです。
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庭に一列に並んで、リズム良く演奏していました。
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太鼓のバチには「ぼんぼん」がついていました。
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小さな子供も居ました。
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途中、年配の方の歌が入りました。
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桜の咲く中庭にお囃子が良く似合います。
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邑南町の風は冷たかったですが、お囃子の歌や子供たちの笑顔に春を感じました。
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15時に田植え囃子が終わりました。みなさんにご挨拶をして、稲積家を後にしました。
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帰り道から撮った稲積家の全景です。
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次回の民家再生協会のイベントが楽しみです。
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民家再生の座談会

見学会の後は、民家再生の座談会が行われました。説明会の時よりさらに参加者が増え、机が片付けられて、前から詰めて座っていました。
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まずは、沼隈町で自宅を再生されている村川さんのお話がありました。
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私も昨年の2月1日にお邪魔した 家です。20年間空家でしたが、2006年に広島で行われた民家フォーラムの見学会がきっかけになって再生することになり、「ぬまくま民家を大切にする会」の支援を仰ぎながら、現在も再生工事中との事でした。完成が楽しみです。
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沼隈では昔から「一荷合力(いっかこうろく)」という言葉が使われており。昔の農村ならどこでもやっていた「共同作業」のことをいうそうです。この言葉のように、人のつながり拡大の場、先祖に感謝する場として、人が集って楽しい開放的な場にしていきたいとおっしゃっていました。
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続いて、西中国茅葺き民家保存研究会の上田さん より、広島県の茅葺きの現状についてお話がありました。
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上田さんによると、広島に2002年に308棟あった茅葺き、民家は2007年の調査では105棟まで減少し、衰退の一途をたどっているそうです。特に志和堀地区の茅葺きは「志和堀式」とよばれ、入母屋と切妻となっており全国的にも珍しい屋根形式でこの地区のみに見られるそうで、その茅葺きが次々と消えていくのは非常に残念なことだとおっしゃっていました。
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休耕田を茅場にという活動や、茅刈りイベント、私が見に行った記録映画「藝州かやぶき紀行」 の話もありました。
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昔の茅葺き職人は合掌を組むところからやったが、戦後の建築基準法改正で茅葺き屋根の新築が出来なくなってからは茅葺きの補修だけになり、合掌から組める職人さんは殆どいなくなったことを嘆いていました。ヨーロッパでは茅葺き屋根が見直され、オランダでは毎年3000棟の茅葺き住宅が新築されており、イギリスでは政府が茅葺き職人を育成しており、現在15000名の茅葺き職人の登録があるそうです。
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その後は、新たに会員となった西本さんから座談会の感想と質問があり、
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上田さんや、
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尾川社長が熱心に答えていました。
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その後も、様々な意見交換がなされました。

㈱尾川建築社長による稲積家見学会

報告会の後は見学会が行われ、尾川社長から各所の詳細な説明がありました。背戸の倉 は、基礎と根太の補強、外壁の補修、床板の張り替えを行いましたが、壁や柱はそのままだそうです。
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濡れ縁は板を張り替えたそうです。
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湯殿は大幅に改修し、痕跡調査の結果、なくなっていた裏手のトイレを復元したとの事でした。
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玄関横の濡れ縁も補修しましたが、建築当初の部材をそのまま使用し、見えないところで補強したり、裏板をあてたりして、外観が変わらないよう細心の注意を払ったとの事でした。
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再生前の座敷や、再生工事中の写真がポスターになっていました。
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大黒柱は腐食して傾いていたので、大型のジャッキを使ってミリ単位で上げていき、最終的には15cmジャッキアップしたそうです。
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囲炉裏は稲積家の重要な顔として、再び火をともす事が出来るように修復したそうです。この日も、団欒の場所となっていました。
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台所と食堂は、床組みを補修し、床板を張り替えたそうです。
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尾川社長のわかりやすい説明で、再生工事の様子がよくわかりました。

稲積家 再生工事報告会

13時から稲積家再生工事の報告会が始まりました。
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参加者はざっと数えて50名くらいいました。
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まず最初に、午前中の全員集会でお話のあったのと同様の稲積家再生経緯の説明が、日本民家再生協会の金井事務局長からありました。
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続いて、温泉津温泉で吉田屋旅館が潰れそうなのを、大阪からIターンした27歳の女将が週3日営業(金土日が営業日で残り四日間は地域貢献)で立て直したお話がありました。木造総3階建の吉田屋旅館の建築は、重要伝統建造物保存地区内の伝統的建築物にも指定されており、築90年の大正生まれの建物だそうです。
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続いて当主の稲積さんから、完成を喜ぶお話がありました。稲積家活用の反響も大きく、地元から稲積家でお花見をしたいとの申し入れもあるそうです。
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続いて㈱地域再生工房の中谷事務局長からお話がありました。地域再生工房では、使われなくなった古い民家をリサイクルして宿泊所などにしたり、解体して建材として販売したり、特産品販売などで大都市とヒト・モノ・情報の交流を増やし、Uターンなどを促しているそうです。
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そして、㈱尾川建築設計事務所の尾川社長から再生工事の詳しい説明がありました。尾川社長によると、屋根、建具、床組みの最低限の補修にとどめ、古いもので使えるものはすべて生かしたとの事でした。
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梅田さんという古い物に詳しい方がいて、古い物はすべて生かすというコンセプトで再生を進めたそうです。
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皆さん、メモを取りながら熱心に聞き入っていました。
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稲積家の外観

外に出て行かれる方がちらちら見えていたので、私も表に出てみました。
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朝から降っていた雨もすっかり止み、青空が見えてきていました。
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稲積家の外観です。
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道の向こう側に広がる田んぼの畦道に出てみました。畦道から見た稲積家です。
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後ろを振り向くと、このような田園風景が広がっています。
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門の正面です。腐食していた板塀が無くなっていたので、すっきりした外観に生まれ変わっていました。
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道の奥まで行ってみました。

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門の手前の板塀は新しくしたようです。

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すごく形のいい松です。年代を感じます。
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青空に桜の花びらが揺れていました。
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縁側を奥の方から見たところです。
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家の前の道で写真を撮ってもらいました。
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調子に乗って、松の木の前でもう一枚です。
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道の向こうには細木小屋(はせ小屋)が見えました。
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畦道には「つくし」が顔を出していました。
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桜の木の下からです。
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石垣の上に登って写真を撮ってみました。
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東側にまわってみました。
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太い梁が、重厚さを感じます。
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稲積さんの自宅の前から東側の全景を見たところです。
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ここで、工事報告会の13時近くなったので、再び家に入りました。

桜の花がひときわ綺麗です。
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稲積家 室内の見学

引き続き、家の中の様子です。縁側の上部にある星や雪の形をした明かり取りもそのままで、板の間には網戸が入っていました。
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座敷の天井を見上げたところです。
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土間の奥には、囲炉裏が赤々と燃えていました。
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囲炉裏の火を見ていると、時間がゆっくりと流れていくような気がします。
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土間には臼の中に什器が飾ってありました。
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こちらの臼の中には、壷に竹炭が刺してありました。
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土間の裏口の手前には、鎌が刺してありました。昔使っていたそのままのようです。
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壁には、2時半から開催予定の「田植え囃し」のポスターが貼ってありました。
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稲積家 湯殿(ゆどの)

昼食後は、「湯殿(ゆどの)」と呼ばれる「離れ」を見学しました。
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座敷の奥にある細い濡れ縁を歩いていくと湯殿がありました。ここが今回の再生で、一番大掛かりに手を入れたところだそうです。
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一番奥がトイレになっていました。最新式のウォシュレット付きトイレです。明り取りが美しいです。
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隣は風呂場でしたが、こちらは当時の風呂桶があるだけで、実際は使用できないそうです。
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その隣は、書斎のようになっており、本がたくさん置いてありました。この部屋は風呂にも続いており、本来ならここが脱衣所の位置のはずなのですが、どうしてでしょうか。
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奥にももうひとつ廊下があり、
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手前の障子を開けると2畳ほどの部屋がありました。この部分は、再生前には無かったのですが、痕跡調査の結果、建築時には存在していたことがわかり、復元したそうです。
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その隣は、当時の便座がそのまま置いてあるトイレでした。
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そしてその奥には、もうひとつトイレがありました。
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板張りはすべて新しくなっていたので、白木の良い香りが漂っていました。
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湯殿から出てきたところには、中庭に面して、ぐるっと廻って台所まで行く事のできる濡れ縁がありました。
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稲積家での昼食

全員集会終了後は、昼食の準備に取り掛かりました。
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机を縦に並べて、お弁当を配りました。
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縁側から見た外の景色です。田舎らしい風景です。
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縁側です。
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豪華なお弁当でした。
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みんなで話をしながら美味しく頂きました。
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自家製の煮物や漬物もありました。
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また、一人に1本ずつ「ここにしかない石見銀山土産 自慢のわさび漬」を頂きました。
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これは、近くの道の駅でしか売っていないそうです。