今は亡きスキー板のメーカー | 九代目七右衛門の徒然日記
2015年05月09日(土) 02時48分39秒

今は亡きスキー板のメーカー

テーマ:白馬レポート

土蔵から出てきたスキー板は、今はもうないスキーブランドの物ばかりでした。ヤマハスキーは、1992年アルベールビル五輪男子回転で金メダルを獲得したヤッゲ(ノルウェー)が履いていた名機でしたが、1997年2月にスキー板とテニスラケットから撤退しました。ヤマハスキーの技術者はレグザムに移動したらしいです。

プレシジョンの板は白地にメーカー名のPREとモデルナンバーを書いただけという、シンプルなデザインが印象的な板でした。K2の副社長だった方が立ち上げたメーカーで、モーグル系の板が特に人気でしたが、姿を消してしまいました。

ケスレ(KASTLE)も1999年にベネトンに吸収され、その後ノルディカになりました。しかしそのネーミングだけをゼビオが買い取ったらしく、ゼビオに行くと初心者用の板に同じ字体でケスレというモデルがあります。

ニシザワは小賀坂、ヤマハ、ミズノ、カザマと並んで国産スキーの代表ブランドでしたが、こちらもヒマラヤスポーツ製の板にネーミングだけ残っています。

ハーガン(HAGAN)もアルペンスキーをたくさん作っていましたが、現在では山スキー専門です。

ブルーモリスはまだ存続しているようですが、このあたりのスキー場やスキーショップではほとんど見かけません。

ストックも、今はもう無いメーカーのものばかりでした。