村上辰午郎(むらかみ たつごろう)は、

東京帝国大学卒の超エリート。


「村上式注意術」という他の催眠術と立場を変えた催眠術を行った。


生没年、出身は不明。


注意術の対象は、盗難、虚偽癖のだから吃音、夜尿症、肺病、胃腸病、心臓病と幅広く、全国を回った。

治療費は150円、今の物価で30万円くらい。



江間俊一(えましゅんいち)

衆議院から霊術師へ


1861年生まれ、明治法律学校(今の明治大学)を卒業し、衆議院議員選挙にも四度当選。

大正7年に政治家業を引退し、

「江間式心身鍛錬法」と言う気合術の普及に努める。


名声を高めたのは、

横綱大錦を生み出したこと。

大錦が3段目にいた時、坐骨神経痛を治し、綱を締めるまでになった。


73歳で死去。


新年明けましておめでとうございます。


いつもこちらにお立ち寄り下さりありがとうございます。


スピリチュアルな学びの一部として、主に書籍から投稿させていただいています。


自分勝手な投稿ですが、

きらりと光る小さなかけらが届けば良いなとも思っています。


本年もどうぞよろしくお願い致します。




桑原俊郎は岐阜県、今の美濃加茂市の農村に生まれる。

秀才の誉高く、漢文教師だったが、催眠術に没頭し教えていた学校をやめ、明治35年に東京へ出る。

催眠術を応用したのは病気治療で、結核、腎臓病を治療した。


明治39年に結核で死んでいる。

大著7精神霊動」を残した桑原天然の影響は大きく、死後、弟子が全国に散った。


明治11年、紀州長島町生まれ。


本名は熊蔵。

13歳の時、突如現れた老僧に導かれ、那智山で修行を始める。

山を降りたのは17歳、仏教を学ぶが、気合術で騒がれるたび、警察に700回以上呼び出される。


彼はこの気合い術を「人身自由術」と名づける。


特に抜歯術は見事であった。


患者から大金をせしめることはなく、有罪にはならなかった。


昭和18年、死去。



飯野吉三郎(いいのきちさぶろう)


予言を武器に政界、皇室に深く食い込んだ怪人。


予言者デビューは、詐欺罪での獄中。

同房の囚人たちの経歴を当てる。

又、

オーストリアのエリザベート皇妃のレマン湖での暗殺。

出獄後は飛騨の恵那山で修行を積んだとされる。


伊藤博文の行く末の予言、

日露戦争の日本の勝利の予言など。


昭和19年、78歳で死亡。



国安仙人(くにやすせんにん)


幕末1860年、江戸深川の武士の家に生まれる。

幼名は米太郎。


3年後に母親が死去、1868年箱館戦争で父親は戦死。


1870年に二人の子を伴った老人が訪れ、仙界に招き修行をさせると言う。

二人の子は兄弟子。


修行は12年に及び、病気を治したり、様々な神通力を披露した。


日露戦争の日本の勝利を予言し、明治天皇の相談役になっていたと言う話もある。


様々な伝説を残し、1912年大正元年死去。


友清歓真(ともきよ よしさね)


明治11年、山口県山口市生まれ。


大正7年に大本教に入信し、浅野和三郎と知り合い、盛んに大本教の宣伝活動を行うが、翌年大本教と袂を分かってしまう。


その後、古神道家の本田親徳(ちかあつ)による本田霊学を極めるべく、霊的探究の道へ。


様々な天啓を受け、世界大戦を予期。


三島由紀夫にも影響を与えたとされる。


昭和27年にこの世を去る。


高島嘉右衛門(たかしまかえもん)


1832年天保3年、江戸の生まれ。


占い「高島暦」は彼が易経を元にした占い術。


明治の大実業家。

日本で初めてのガス会社を起こした。


44歳で事業から手を引き、隠居して易の研究に半生を捧げ、

「神意を通ずるの辞書なかるべからず易経すなわち是なり」

と言う。

彼にとって易は、神との通路、神の意思を知る辞書であった。



伊藤博文が満州に出向く前に、

満州行きを諦めて欲しいと頼むが、聞き入れずに、

伊藤博文は満州での暗殺に遭う。