明治11年、紀州長島町生まれ。


本名は熊蔵。

13歳の時、突如現れた老僧に導かれ、那智山で修行を始める。

山を降りたのは17歳、仏教を学ぶが、気合術で騒がれるたび、警察に700回以上呼び出される。


彼はこの気合い術を「人身自由術」と名づける。


特に抜歯術は見事であった。


患者から大金をせしめることはなく、有罪にはならなかった。


昭和18年、死去。