大きな宣伝はしていませんが、

ミディアムシップの依頼を頂きます。


依頼者のお気持ちが辛すぎて、

感情的になりそうになることもありますが、


気を引き締めて、


天国の方へと集中します。


その方は、

依頼者さんに寄り添い、

愛をたくさん伝えてきます。


私に会う前に天国の方に伝えた言葉を、

返事として私に伝えてこられました。


私としては天国の方の言葉を伝えたに過ぎませんが、

依頼者さんが

「それは、ここに来る前に私が天国のあの人にかけた言葉です」

と教えて下さいました。


肉体は見えないものになっていますが、


貴方を大切に思う存在は確かにいつもいます。





ゆっくり休める日がないまま、月末になってしまいました。


最近はデモンストレーションの練習をオンラインでやりました。


練習は本当に楽しい。


ミディアムシップが楽しいからより当たり前かな。


デモは霊界だけでなく、オーディエンスがいるから成り立つ。

だから、

たった一つや二つ、ほんの少しのエビデンスが違うからと、

受け入れないのは、

実は霊界に失礼だとよく思う。


随分前に、

イギリスのミディアムのデモを見に行った時、

一つのミディアムシップで該当者がない時があり、

時間をおいて1人の方がひょっとしたら自分の知り合いかも…??と手を挙げていた。


そして、

そのデモの帰り道、

一緒に帰っていた知人が

「あのデモ、私の知り合いだった」

と、

その時になって、

謎のしたり顔でカミングアウト。


ミディアムシップを学んでいるのに、

どうしてそんなことできたのか?


今でも忘れられない驚き🫢



その方は、いつも「私の霊能力はすごい」アピールをしていたけど、

ちょっとズレてるなぁと私は思っていた。


そうこうしているうち、「スピリチュアリズム は時代遅れだ」などと言って、

その方は学びを辞めてしまった。


おそらく、どこかで、

エビデンスの必要ないチャネリングか何かで、

その人間関係の内で私はすごいアピールを今も続けているように思う。





物体のすべて物体は全て幽体を持っている。

霊にとり、その目に映るすべてのものには明るさと透明感とがある。 

皆さんの霊友達の家は、皆さんの家に重なっていると言えるほど身近に存在している。

そこに空間と言うものは存在しない。

霊のすべての境域はお互いに滲透し合っているのである。

これはすべて波長の問題である。

あなたの目に幽界が見えるか霊界が見えるか。

それはあなたの発動する波長の能力いかんによる。

あなたは死ななければ内的世界に入っていけないと言う事は無い。


もし霊が皆さんの家屋入ったとすれば、現実の壁や家具は目に入らない。

その幽体ないし、エーテル体が見えるだけである。

それは霊は第3次元で生きていないからである。

霊にとって物質は存在していないのと同じこと。

存在しているのは、霊的物質のみ。

霊の目に見えるのはそれである。

これは風景の場合も同じ、霊に意識されるのは、風景の幽体の部分である。


人は地上生活中に、人格の力と魂の偉大さをよく開発しておかなければ、天界に入ってからも、その視力と環境の点で、限界が出てくるのものである。


地上では、成功は知的な知識いかんにかかっている。

しかしながら、他界での成功は、生命的経験や魂の知識の深さ、又高い波長にどれだけ感応できるか、これいかんにかかっている。

これらのことは、その霊が器の大きさを増すこと、及び霊の謙虚さ、これによって達成される。


何人かの人が田園を歩いているとしよう。

彼らの目にはほとんど何も映らない。

彼らの心が周囲に何の反応も示さないので、自然の美しさに気づかないのである。

他の人が同じ道を歩くしよう。

彼は石垣や野のさまや、小鳥の姿に、光と影の作る綾にことごとに心を踊らせる。

彼は肉眼でものを見ているだけではない。、

霊眼によってもものを見ているのである。


心の中に目を移してみよう。

目を閉じ、内に思いを向けてみよう。

やがて内界に真実なものの姿が映ってこよう。

意識の世界と申すか、そのような世界に気づき、思いの向け方によって、それが変化していくことに気づくであろう。

美しい思いを抱けば、内に光る光は輝きを増す。

醜悪な思いを持てば、内の世界はくすんでしまう。

そのように霊の世界とは、自分の魂の反映、そのようなものなのである。


たわごと、不調和、粗野で荒々しい世界を通り抜けて、上へ上へ霊界へと、もっと調和と優しさの世界へと思いを向けなされ。

そこに調和の境がある。

その世界は、雰囲気そのものが音楽、住人の着衣も美しい調和とメロディーで振動している。

少しでもその辺がわかっていただけるかな?


その聖音に同調できれば力が湧いてこよう。

これは肉体への贈り物にとどまらず、また魂の糧。


その音は地上で聞くより鮮明に正確に響き、その音を耳にすれば、人は力が湧いてくる。

そこにあるのは調和、純潔。そして愛である。