誰しも人は完全であるとか、真白な紙のようだと思うことはない。ただ、何事も勉強が肝心とだけ申しておこう。
一つや二つの染みで、くよくよする必要はない。
人間の心には愛がある。
この見えない力は、一切の染みを消す力である。
誰しも人は完全であるとか、真白な紙のようだと思うことはない。ただ、何事も勉強が肝心とだけ申しておこう。
一つや二つの染みで、くよくよする必要はない。
人間の心には愛がある。
この見えない力は、一切の染みを消す力である。
霊性進化の究極の目的は個人の鍛錬にある、その鍛錬によって神の愛を放つ一個の強力な中心となること、ここにある。
したがって、霊性進化の徒は自己を振りかざす華やかさを求めない、ひたすら自己を通じて、愛の息が外へいのちとなり
でていく、これだけである。
長南年恵(おさなみとしえ)は1863年に山形県鶴岡市に生まれた。
長南家は南総里見八犬伝の里見家に仕えた一族で、先祖は菅原道真と伝えられている。
物理化現象、何もないところから金属や液体などが現れる現象を起こした。
特に何もない空中から水を引き寄せ、その霊水であらゆる病を治した霊水治療がよく知られている。
人の心を惑わすということで、鶴岡署に収監されたが、何も食べず通常通り過ごした。
大阪でも逮捕された、心霊裁判では密栓した瓶に霊水を出し、無罪になる。
その霊水は裁判官が喜んで持ち帰ったと言われている。
津田江山(つだこうざん)は明治35年生まれ、大阪出身の物理霊媒師。
浅野和三郎が設立した心霊科学協会(現 財団法人日本心霊科学協会)の交霊実験会において、津田の霊能力がチェックされた。
実験会では、用意された人形やメガホンが空中を飛び、またテーブルに戻っていったという。
空中に手が現れたこともあった。
実験会では徳川夢声も立ち会い、エッセイに書かれたこともある。
本吉嶺山(もとよし りょうざん)は明治15年千葉県生まれ。
幼少時から霊感が強かったが、ごく一般の人間として人生を歩んでいた。
大正2年に峯姫という江戸時代の女性霊に憑依され、それ以降霊的力を得たとされる。
自動書記や透視で漁場を教えることもあった。浅野和三郎の著作の中で、本吉の霊能力の本源は背後の支配霊と述べている。天空という名の支配霊。
物理現象として、物品引き寄せ、縄抜け、襦袢抜けなど成功している。
亀井三郎は日本最高の物理霊媒とされるが、正体はほとんど不明である。
心霊研究家の浅野和三郎の家を訪れた昭和四年に27歳と自称しており明治33年生まれということになる。
昭和四年、大阪毎日新聞社講堂にて、亀井は立会人の手により椅子にきつく縛り付けられ、テーブルには懐中電灯、ハーモニカ、鈴、セルロイド人形などが置かれる。
その後、音が鳴り、ものは移動する事になるが、
亀井三郎は縛られたまま。
多くの物理霊媒師は静寂を好むが、彼の場合は拍手などを歓迎していた。
藤田西湖(ふじたせいこ)は特番、徳川、幕府に仕えた隠密を先祖に持つ甲賀忍術術14世として明治32年東京に生まれている。
祖父に忍術の技を教え込まれ、山伏について山中で寝起きを共にする事もあった。
父親が警察官で、少年千里眼として捜査協力し全国に知られていて、
身元不明女性の職業、犯人の居場所なども透視。
新聞記者を辞めたのち、政府の特命スパイとして大陸に渡る。
戦時中は陸軍、海軍で武術も教えていた。
植芝盛平(うえしば もりへい)は和歌山県田辺市、明治16年生まれ。
栄光に包まれた人生を送り、田辺市の扇ヶ浜公園には彼の銅像がある。
開拓事業で北海道白滝に入植中、父親危篤の知らせを受け、帰郷の途中、出口王仁三郎に会いたいと思う。
人間と霊界の実相を聞き、思い詰め、大元教の本拠地綾部に一家で移り込み、次第に霊能の世界に感応していく。
出口らと内外蒙古独立軍として大陸に渡った際に一斉攻撃を受けたが、植芝の目と心は飛んでくる銃弾の一つ一つを取られることができ、全員が生還できた。
昭和44年、86歳で生涯を閉じる。