こんにちは。

 

世の中が異常だ、世の支配者は極悪だと気付けたのは良いけど、「今後日本や世界はどうなるんだろう」と将来に不安を感じたりはしませんか。漠然とした不安を解消するために、特定の政党や宗教、影響力のある人物、有名人等に信頼を置こうとする人が多く見られます。それで本当に安心なのでしょうか。はっきり申し上げて、聖書を無視して世の真相の追求は不可能と言えます。聖書を読んで理解もしないのに、神の律法、掟、戒めを多くの人間に守らせないように仕向ける悪魔とその意志を実行する支配層による悪を完全に避けるなんて当然無理です。

日本において、一般的な教育を受けてきた人であれば、聖書の存在やイエス・キリストの御名を皆が知ってるでしょう。しかし、「聖書は西洋発祥のもので、日本古来のものではない、日本人には関係ないし興味ない」「聖書は欧米で広く信仰されてるキリスト教という宗教の教典であり、私はキリスト教徒じゃないし聖書を読む必要が無い」「あんな分厚い長い文章を読む気せんわ」といった偏見や思い込みが根強いと感じます。書店や図書館でいつでも聖書を自由に手に取れるのに、関心を持って熱心に読んで学ぼうとさえ思わない所以でしょうね。

 

わしは聖書を読んで学びながらも、「真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)」の管理人ミカエル氏から、世の真相や動向と論理的に上手く絡めた聖書の真髄に関して大いに理解の助けを頂いてきました。創造主なる神の御計画の奥深さや真の希望を知り、世の動向に一喜一憂せず、人生の意味を見出だした経験は忘れられません。世の真相を追求する方々が「聖書なんか必要ない、興味ない」ではなく「自分達にも関係するし、こんなに有益なのか」と認識して聖書を真剣に学びたいと思えるように、自分の経験や学びを活かし、微力ながら後押しさせていただきたいと常々考えております。

今回の記事では、聖書に書かれた古代イスラエルの歴史の中でも特に重要と思われる「出エジプト記」を取り上げています。また、偽りを吹聴する者への注意喚起もしております。

ここで、出エジプト記の内容を簡潔に説明いたします。エジプトでイスラエルの民が負わされた過酷な労働、モーセの生い立ちや召命、エジプトの王ファラオとの交渉と災いのしるし、出エジプト後の荒れ野での古代イスラエルの民の様子、モーセが仲介した神との契約や律法といった内容です。これらを吟味すると、現代を生きる我々にとっても色々な教訓や気付きがあります。

 

 

エジプトでのイスラエルの民と現代日本人の環境は酷似 

古代イスラエルの人々がエジプトを脱出する前、彼らが劣悪な環境に置かれてたのが聖書の記録を読むだけでも容易に想像できます。ヤコブ(イスラエル)一家の七十人がエジプトへ下るまでの経緯は創世記を参照してください。エジプトに下って以後、イスラエルの民はエジプトで猛烈に人口を増やし、勢いを増しました。それを脅威に感じたエジプトの王や民衆が、イスラエルの民に対してれんが作りや農業等の強制労働を課しました(出エジプト記一章九節~十四節参照)。出エジプト記五章では、エジプト王ファラオが、イスラエルの民が主なる神へ犠牲を献げるのを妨げて神を忘れさせるため、れんがを作るための藁を与えず自分たちで集めるように命じました。決められた量はその日のうちに確実に仕上げなければならず、労働はより過酷となり、もたもたしてたら虐待されることも普通にあったのだろうと思います。物語で出てくる奴隷の重労働を想像すると分かりやすいでしょうか。彼らは重労働によって精神的苦痛を負い、霊的に脆い状態で、モーセが語る主なる神の託宣にも聞く耳を持ちませんでした(出エジプト記六章九節)。

この様相は現代の日本人にも他人事ではありません。これまで何度か紹介してきたように、日本こそが真正イスラエルなのは揺るぎない事実ですこちら(Bitchute)を視聴すれば、理解力のある人なら納得できる)。現代の日本人は低賃金で奴隷のごとく働かされ、更には政治家や官僚、彼らを操る欧米の支配層や富豪に搾取されてるのが実態です。世界の主要国では賃金が年々上がっていく一方、日本は三十年前と比較して下がっています。しかしながら、納税の負担はどんどん増加してます。「日本人の問題点 二 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)」と「日本人の問題点 五 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)」から、税金が本来の在り方で全く運用されてないこと、日本の政府が国民の血税を無駄遣いしまくってること、欧米の支配層の傀儡として売国や違憲行為ばかりやってるくせに他国と比べて不自然な程に国会議員の歳費が高いこと、消費税や固定資産税や相続税といった憲法二十九条違反の税が多すぎること、政府だけでなく企業も遵法精神が無く従業員を搾取してること、…と言葉にならんくらいの惨状がはっきり理解できました。何より、国民自身がこれら悪行を助長してることもです。政府の悪行には気付きながら、国民側にも大いに非があると認めて改善する人が少なすぎるのも大問題。そんな仕組みや構造上では、日本国民が懸命に働いても日本の国益が奪われてしまいます。エジプトでのイスラエルの民も、幾ら懸命に働こうとも自分らにとって益になるわけではなかったと考えられます。当時の彼らはエジプト人の王の命令の下で働き、報酬こそあれど収益はエジプトのものになってたのでしょう。イスラエルの民がエジプトに寄留する者であった(出エジプト記二十二章二十節参照)からではありますが。特に明治維新以降、日本人は自国に居ながら英米に間接植民地にされて莫大な富を奪われており、エジプトでのイスラエルの民より不幸と言わざるを得ません…。何より、エジプトの奴隷となっていたイスラエルの民みたいに、現代でも多くの人がこの世での生活に煩い、きつい仕事をし、快楽や娯楽に夢中になり、霊的に脆く、聖書福音にも関心を示さないのだと考えます

また、先程書いた「エジプト王ファラオが、イスラエルの民が主なる神へ犠牲を献げるのを妨げる」というのが現代の日本の状況にも重ねられると思います。会社員であればほとんどの場合、神の律法に反する英米由来の洋装(背広または「オフィスカジュアル」と呼ばれるもの)や制服の着用を強制させられ、民数記の規定通りの房を付けた和服を着ながらの勤務は厳しいでしょう。安息日遵守も理解されず、律法通りの日没までの日払いを実施する所はほぼありません。それに、長時間労働だと福音伝道や聖書の学びの時間も十分に取れない危険性が大きいです。いつの時代も、不信仰者や異教徒(「キリスト教徒」を騙るパウロ教徒を含む)が律法違反の事柄を実質的に強要し、神の律法を守って従順である者の邪魔をするものなんだなと感じました。西洋かぶれした多くの日本国民も、古代イスラエル由来の伝統的な文化や慣習を捨て去り、聖書やキリストから人々を一層引き離す役割を無意識に担ってるのです。悪魔と支配層の思う壺。

 

 

悪魔崇拝者に牛耳られた世俗社会に打ち勝ち、「罪の奴隷」から解放されよう 

出エジプトの状況と現在の日本を重ねられるのと考えた理由についてもう一つあります。エジプト王は主なる神の律法違反である魔術師を当てにしました(創世記四十一章、出エジプト記七章~八章参照)。魔術や呪術の類は悪魔や悪霊の力によるもので、現代の悪魔崇拝者や偽預言者等は悪魔に魂を売って魔術を利用してます。例えば、マタイによる福音書二十四章二十四節、黙示録十八章二十三節や二十一章八節を参照すれば、大きな奇跡やしるしの類への警告や魔術に関わる者の運命が分かるはずです。また、エジプト神話に太陽神ラーやホルスがあるように、古代エジプトでは太陽神崇拝が行われてました。「太陽神」の起源は神に反逆してバベルの塔の建設を目指したニムロドであり、世界各地に太陽神の名を変えて広まりました。創世記の十章~十一章に反逆者ニムロドの名やバベルの塔に関する記録があります。それで、同じく太陽神崇拝を継承した古代ローマ由来のカトリックやイエズス会は、反キリストの太陽神崇拝カルト宗教です。カトリックのローマ教皇やイエズス会が悪の根源であり(悪魔の最大の代理人)、日本も太陽神崇拝者どもに牛耳られてます。次に挙げた例が証拠と言えます。明治初期に太陰太陽暦(聖書どおりの本来の暦はこれ)から悪魔の暦である太陽暦にすり替えられたこと、イエズス会の意向で移民政策やこおろぎ食等の推進、日の丸国旗や旭日旗、菊(実際は太陽)の御紋、天照大神(=太陽神)、他。

【参照元 聖書暦と太陽暦:太陽暦は悪魔崇拝の暦であり詐欺制度、こおろぎ食を推進する河野太郎氏:律法の食物規定について、国旗や菊の紋章:日本は多民族国家、日本人の一部は古代イスラエル人(いずれもアメブロ「真の聖書福音と預言」から)】

 

エジプトを脱出する前、古代イスラエルの民がエジプトの異教文化の影響をもろに受けてたかどうかはっきりとは分からないものの、当時の彼らの環境は過酷で、少なくとも主なる神への礼拝を妨げられてたのは確かです。そして、現代の日本も太陽神崇拝者(悪魔崇拝者)の支配下に置かれ、搾取されまくり、聖書の神の律法に違反して「罪の奴隷」(ヨハネによる福音書八章三十四節参照)のままで居るよう仕向けられてます。

そんな「エジプト」の考察について、次の引用の文章も参考になりました。

神の律法、掟、戒めを破って罪を犯し続けるにわかクリスチャンは、不信仰の者、異教徒と同じく罪の奴隷であり、エジプトに繋がれたままであり、未だにエジプトを出ることができていないのです。エジプトに罪の奴隷としてサタンの支配下にあることに気付かず、もう自分たちは救われたとか、律法から解放されて自由だとか訳の分からない戯言を言っています。彼らにとっては、エジプトで奴隷暮らしをすることが居心地が良いのでしょう。このように、人は属している所に居たがるのです。彼らは彼ら自身が罪を犯し続ける罪の奴隷で、悪魔に属する者だということに気付けない哀れな者たちです。

引用元:プロテスタントの致命的な間違い | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

このように、「エジプト」に留まることを悪魔が支配する世俗社会にて罪(神の律法に違反すること)の奴隷のままで居続けることに置き換えられるのは納得です。モーセを通して神によってエジプト脱出に成功したイスラエルの人々は、エジプトの奴隷から解放してもらった恩よりもエジプトでの満足な食事を思い起こす有様でした。現代の多数派も神の律法を苦痛だと看做し、世俗の楽しみの方が良いと思ってるに違いありません。出エジプト後の道のりが安らかではなかったように、今を生きる人間だって主イエス・キリストを信じて罪の奴隷から解放されても、決してこの世で楽になるわけじゃないです。自分自身に染みついてる悪い性質に打ち勝つのは容易ではなく、最期まで自我に打ち勝たねばなりません。わしも自分の余計な自我や問題点に対する認識の甘い部分があったと反省し、改善に努めております。それに、聖書に対する理解を持つ人はごくわずかで、周囲の人との不和だってあります。今後は主イエスによる終末預言や黙示録の預言にあるように一層世相が悪化し、キリスト者の苦難も増大する流れは不可避です。それでも、信仰故の苦難や戦いに関して、聖書の至る所に励ましの御言葉があります。信仰の兄弟からの励ましや学びを頂きながら聖書を学んで、世の悪への抵抗や真の希望を教えていただいたのは、何にも代えられない喜びだと思っています。たとえ、今後どんなにつらいことがあろうとも、本物の信仰と行いと忍耐があれば絶望せず、つまらない思い煩いもせず、真っ直ぐにキリスト道を歩めるのでしょう。

 

以上から、出エジプトの出来事は単なる歴史的な記録ではないし、現代生きる我々日本人にとって大いに関係すると言えます。出エジプトに倣って、反聖書的な世俗社会の慣習や価値観等から脱却し、聖書を理解し実践すべきだという結論に至りました。

 

 

神は全ての人間をお忘れにならない 

 

出エジプト記二章にから分かるように、イスラエルの民が苦しみ嘆くのを神はお聞きになって、父祖アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされました。それだけでなく、聖書全体を参照して、エジプト脱出後も、モーセの死後に士師やイスラエルおよびユダヤの王が統治してた時も、主イエス・キリストが受肉された一世紀当時も、そして現代でも、イスラエルの民を神がお忘れになることはありません。古代イスラエルの民が度重なる律法違反や反逆を重ねたにも拘らずです(ただし、義を徹底する神によって、不義や不法故の相応の報いはなされた)。「神はあんたを見てて、見捨てはらへん | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)」には、記事の表題のとおり神はいつも人間をお忘れにならないことが分かる聖書の御言葉が幾つか解説されています。神は人間各自の善行も悪行も深層心理も全てご存知だと弁えて生きるべきだと分かるでしょう。聖書を自ら通読する前にこの記事を読んだ時、本当に人間は神に見られてるんだなと衝撃的で、記事内に書かれてる「あんたが早く罪から足を洗い、悔い改めるのを待っておられます。」「信仰が無いあんたのことも神は見てはります。神は人間を愛してはります。あんたに悪を行って滅びて欲しないんです。」が特に印象的でした。また、記事の中で触れられているマタイによる福音書二十章二十六節〜二十八節に関連して、主イエス・キリストがどうして神でありながら人間と同じ性質を取って人間の模範となられ、罪が無い(ヨハネの手紙一 三章五節参照)にも拘らず十字架の贖いを成し遂げられたのか知るきっかけとなったと思います。世の自称聖職者よりも遥かに詳しく主イエスによる十字架の御業の意義を解説した「主イエスの受肉 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)」のお陰もあって、人間の主なる神の多大なる忍耐強さと憐れみ深さを認識できました(聖書での直接的言及は、ペトロの手紙二 三章九節ほか参照)。意固地になって他者を赦さず、善行するにも見返りを求める下心があり、ことわざで「金の切れ目が縁の切れ目」、聖書では「貧しい者はその仲間たちにも嫌悪されるが、金持ちを好む者は多い。(箴言十四章二十節 拙訳)」と言われるように利己的で薄っぺらい関係を築く、そんな慈愛の欠片も無い人が多いです。皆さんも今までの経験を振り返ったり世間を見渡したりして思いませんか。対照的に、神(主イエス・キリスト)による本物の慈愛は計り知れません。内面に本物の良心が存在するならば、人間の創作宗教には無い「慈愛」の教えを理解し、心より神を求めて聖書を学び、キリストを模範として生活せずには居られないようになるはずです。幾ら憐れみ深い神とて、前回記事でお伝えしたとおり、「神様は人間を無条件に温かく見守り、加護してくれる」といった人間の勝手な見方は間違いです。また、キリスト教徒(クリスチャン)を自称するパウロ狂信者は神の愛の部分ばかり都合よく見て義の部分は無視する愚行をしています。いずれの誤りにも惑わされないでください。

 

 

虚偽の吹聴に対する注意喚起 

 

ところで、出エジプトおよび神とイスラエルの民の契約に関して有り得ない虚偽を唱える投稿を見つけました。聖書の内容を未だ知らない人が躓かないためにも、ここで注意喚起をいたします。

 

画像引用元:https://twitter.com/stn24073650/status/1689615134220750848?s=20

 

明確な誤りを具体的に見ていきましょう。この人はいきなり「ユダヤ人の定義」を書いてますが、間違ってます。「ユダヤ人」が何たるかを全く分かってません。「現イスラエル国家は聖書のイスラエルではない | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)」を読めば、その詳しい理由が理解できると思います。ユダヤ人とはイスラエルの十二部族のうちユダ族の子孫を指します。まして、現在の偽イスラエルの国民でも、改宗ユダヤ教徒でもありません。モーセが生きてた頃に「ユダヤ人」という概念はありませんでした。神の御名は「ヤハウェ」ではないし(ヘブライ語表記「יְהֹוָה」の正確な発音は不明)、モーセを仲介者として神との契約を結んだイスラエルの民を正当な根拠も無く莫迦と罵り、「彼らが人類を滅ぼそうとしてる」という大嘘を誇らしげに吹聴してます。人類を憎み、人類を永遠の滅び(地獄行き)の道連れにしようとしてるのは、被造物の分を弁えず高慢になって神に反逆して堕天使となった悪魔の方です。そして、その悪魔の意志を代理で行ってるのが、黙示録等で「獣」と示されたローマ教皇をはじめ、イエズス会、偽ユダヤ人財閥、秘密結社、大企業、世界的機関、各国政府および官僚、報道機関、富豪や芸能人といった悪魔崇拝者です。これらを盲信して悪魔崇拝者が作り上げた慣習や価値観や秩序に従う大衆も同類。ローマ・カトリックの創始者となった偽使徒パウロはベニヤミン族出身のユダヤ人ですが、彼は使徒の要件に全然合致しない偽使徒、かつ神の律法を捨てて西洋(特にローマ帝国)に取入った反キリストです(詳細と確固たる証拠はこちら パウロは偽使徒 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)(ブログ記事)「パウロは偽使徒」の動画 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)(記事および動画))。紀元前のイスラエル人やユダヤ人のうち神の律法に忠実だった人たちは、その律法にある掟どおり異教の悪魔崇拝を忌避していたし、十二使徒や一世紀当時のユダヤ人キリスト者たちも悪魔崇拝とは全くの無縁でした。聖書は支配層が計画書なんかではなく、むしろ現世限定の支配権を持つ悪魔と悪魔崇拝者が作り出した世に倣わず、悪に抵抗し、闇とは無縁の神への服従が教えられてます。安倍晋三氏や岸田文雄氏らが売国および違憲・違法行為を繰り返すのは、彼らが聖書を信じてるからではなく、真正イスラエルである日本を潰したい欧米の悪魔崇拝者の意向に従ってるが故。当たり前ですが、聖書に戦争や人殺しを肯定する記述(古代イスラエルの民が周辺の異邦人と戦ったのだけ例外)も、圧迫や搾取を肯定する記述も無く、肯定どころかそれらは聖書で明確に禁じられてます(出エジプト記二十章十三節、二十二章二十一節、ヤコブの手紙五章四節ほか参照)。他の投稿でもっと詳しい発言があったとしても、この論理破綻具合からして嘘に嘘を重ねてるだけに違いありません。

このように、「Mr.x~666天魔」(@stn24073650)と名乗る者の言うことは明らかに論外で、この人もこの人を信用する者らも皆、悪霊に酷く惑わされて末期的になってるとしか思えません。聖書や神(主イエス・キリスト)に対する中傷は根も葉もない狂った中傷ばかりです。本人らに自覚は無いのでしょうけど、世の中がおかしいとは気づいたけど聖書の内容を知らん人が聖書を嫌悪するのを狙った、悪魔と悪霊による工作なんでしょうね。

 

 

神がモーセを通してイスラエルの民と契約を結んだ理由 

 

ただ、どうして神はエジプト人や他民族と明確な区別をしてイスラエル人をお選びになり、彼らとの契約を結んだんだろうと疑問に思うかもしれません。その疑問を解消するため、以下の引用をご覧ください。

偶像崇拝や悪魔崇拝等をする罪深い異邦人と区別するため、神の目に適う人間になって欲しいからや。そして、モーセの律法はイスラエル人と共に暮らす異邦人にも適用されることが明記されてることから(レビ記十六章二十九節、十七章十二節〜十三節、十五節、十八章二十六節、二十章二節、二十四章二十二節、民数記十五章十五節〜十六節、三十節)、神に認められて救われるには民族や人種等を問わず、皆が神の掟を守ることが必要というのは太古からずっと変わらず、主イエスによって新しい契約に更新されても、エレミヤ書三十一章にもあるとおり、新しい契約を結ぶと、その人の心に律法が記される故に律法を守る筈である。心に律法を記された人が律法を無視して違犯する筈がないからや。

引用元:日本人の問題点 一 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

決してイスラエルの民が異邦人より正しいわけではありませんでした。その証拠に、イスラエルの民が正しいのではなく、周辺の異邦人が神への反逆をやめない報いとしてイスラエルの民を使って異邦人を追い出すこと(申命記九章四節参照)が書かれ、聖書全体から分かるようにイスラエルの民はとても「頑な」でした(申命記九章六節ほか参照)。それにも拘らず、主なる神がイスラエルの民を他民族と区別して彼らと契約を結んだのは、次の背景によります。創世記にあるとおり、神はアブラハムをお導きになり、アブラハムは主を真心から信じて服従した結果祝福され、アブラハムだけでなくその子孫とも契約を結び、主なる神が彼と彼の子孫の神となることを約束なさいました。アブラハムの子イサク、イサクの子ヤコブも同様に神に選ばれて祝福され、神は彼らの神にもなられました。イスラエルの民のエジプトでの奴隷生活と、エジプト脱出および異邦人の土地がイスラエルの民に与えられることを示す予告は、既に父祖アブラハムの時になされており(創世記十五章十三節~二十一節参照)、神はその予告どおりに実行しました。神は人間のようにコロコロ気を変えず、御自身が予め告げられたことを必ず果たすのが分かる部分の一つだと思います。

そして、契約を結んだイスラエルの民が神を畏れて従うことで、彼らを見た異邦人にも良い影響を及ぼすのです。申命記二十八章の前半の内容は、神に従い神の律法、掟、戒めを尽く守り続ける人々にもたらされる神の祝福です。モーセが契約を仲介した当時は、敵への勝利、他国に勝る勢力の拡大、豊作といったものでした。申命記二十八章十節にあるように、全民族が神に祝福を受けたイスラエルの民を見て、「アブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)の神こそ万物の唯一の創造主なる神であり、その秩序こそ人間にとって最も必要かつ真の幸いだ」と悟らせる機会となるのでしょう。申命記二十八章の後半には、反対に神との契約を破って神に反逆を重ねるなら、呪いとして激しい災いの報いが下される内容があります。災いを見聞きした他民族への見せしめともなります。各預言書にある、懲りずに神に反逆した古代イスラエル人や異邦人らへの預言や警告で、「我こそが主であることを知るようになる」と言われてるとおりに。そして、新しい契約下で対象がもはや民族や人種無関係になった時代を生きる我々にも、神の秩序の意義や真の意味での善悪の基準が何かをより明確に理解できるようになってると思います。

また、誤解してはならんこととして、上記引用元にあるように神に認められて救われる条件は全民族共通です。主イエス・キリストによる新しい契約後は尚のこと。数千年も前の内容なんて、時代に合わないのではないかというのは人間の勝手な思い込みに過ぎません。日本国憲法で国民主権となってるのに政治家を「お上」と思い違いし、コロナ偽騒動でも大衆はありもしない恐怖に踊らされて戦時中と同じ愚行を繰り返したし(コロナは嘘だと正しい認識を持ってマスクを着けずワクチンも接種しない人を、あたかも「非国民だー」と言うかのように異常者扱い)、支配層による群集心理や分断工作(昔から使われてる手法)に引っかかって悪い歴史を繰り返してるのだから尚更、時代に合わんだとか言い訳にもなりません。いつの時代も多数派が聖書を無視して悪魔崇拝者側に与するせいで、惨劇が繰り返されてしまいます。

 

 

聖書の記述からの気付きは沢山あり、列挙したら切りがありません。ここからは、出エジプト記のうち、わしが特に印象に残った箇所についての気付きや感想を書いていきます。

 

ヘブライ人の助産師(出エジプト記一章)

エジプト王はイスラエルの民の増加に危機感を抱き、ヘブライ人(ノアの子セムの子孫エベルを祖とした子孫のアブラハム、イサク、ヤコブとその子孫イスラエル人の総称)の助産婦にヘブライ人の赤ちゃんが男の子なら殺すよう命じました。詳しい様子は記録されてないものの、王の命令に逆らえば助産婦たちに命の危険さえあっただろうと容易に想像できます。しかしながら、彼女らは世俗の権威なんか物ともせず、恐怖心や自己保身に打ち勝ち、神への畏れによって同胞のためになる判断と行動をしました。一世紀当時ペトロをはじめとした十二使徒が「人間に従うより神に従う」旨を明言した(使徒言行録五章二十九節参照)ように、特に神の律法を守るか世の権力者の命令に従うかの選択を迫られた時に、断固として権力者に従わず神に従う必要があります。この助産婦たちの姿勢は必要だと学びました。

 

人間にはそれぞれ役割分担がある(出エジプト記四章)

人間が神のために働くにあたって人それぞれ与えられた役割や分があると、福音書の「タラントンのたとえ」(マタイによる福音書二十五章十四節~三十節)から分かりますが、改めて出エジプト記の四章を読んだ時にも同じように感じました。モーセは自身が弁の立たない者でイスラエルの民を導くのは不相応である旨を神に言いました。そこで、神はモーセの兄弟アロンを代わりに喋る役割となさいました。

わしも、自分は本当にキリスト者としての働きに向いてるのか、正直言って疑問に思ったことは何度もあります。元から性格が特別良いわけではなく、優れた洞察力や思慮深さ、頭の回転の速さ、豊富な経験、豊かな創造性を持ち合わせてるわけではありません。ですが、自分の能力が全く大したことなくても、既に有益な情報発信や伝道をしてる内容を周知する役割は不可能ではないと気付かせていただいた経験があります。このことを思い出し、自己研鑽に努めつつ自らの役割や分を忘れないようにしようと思い、改めて励みとなりました。

 

エジプトへの災いは教訓(出エジプト記七章~十一章)

モーセとアロンを通して神がエジプト王ファラオに警告して発生させた災いも他人事ではありません。聖書の文章だけを見ても、エジプトにもたらされた災いの規模は相当のものだったと思われ、それだけ神に反逆する人間は罪深くその報いも大きいのだと考えられます。当時エジプトに下された災いのうち、少なくとも疫病を意味する原語や雹を意味する原語が聖書の他の部分にも使われてます。「疫病」を意味する「דֶּבֶר」は申命記二十八章に書かれた神の呪い、エレミヤ書といった預言書でも使われてます。ヘブライ語が原語ではないですが、福音書の主イエスによる終末の預言でも言及されてます(マタイによる福音書二十四章八節では、意図的に「伝染病」を意味する語が欠落している)。「雹」を意味する「בָּרָד」は、イザヤ書といった預言書にもあります。黙示録でも「雹」を意味するギリシア語の単語が使われており、悪が増大し世の終わりが近づく現代において他人事ではないのでしょう。

主なる神がエジプトに大きな災いを下した理由も、聖書に言及があります。創造主なる神の御力を示して御名を全地に告げるため(出エジプト記九章十六節参照)、ジプト人に行ったしるしをイスラエルの民が語り伝えて神が主であることを知らせるため(出エジプト記十章二節参照)です。神の御力に敵うものは何もありません。この世全体が悪魔に支配され、ほとんどの人間が不信仰や異教徒であり、聖書預言には甚だ大きい災いの予告があります。怖がって神を無理に信じるのは不適切ですが、頑なに悔い改めず神に立ち返らないなら報いも多大なるものとなるでしょう。

 

人間は目に見えるものにばかり囚われ、いとも簡単に堕落してしまう(出エジプト記三十二章)

モーセがシナイ山から中々降りてこないのを感じた民が我慢できず、アロンに「エジプトから導いた神々」を造るように言ってアロンは同意しました。そして、造った若い雄牛の鋳造を勝手に神に見立てて偶像崇拝の罪を犯し、好き勝手飲み食いして戯れたりと、主なる神との契約を結びながら早くも堕落しました。出エジプト記三十二章二十五節にて「勝手なふるまい」と新共同訳で曖昧に訳されてる部分は、原語「פָּרַע」には晒す、裸になるといった意味があって彼らは淫行に耽ったと思われます。目に見える「神々」の偶像を造って自分らを安心させようというのも、人間が目に見えるものにばかり囚われる証拠なのでしょう。神に従順なモーセの願いもあり、神はイスラエルの民をすぐに全員滅ぼすまではなさいませんでしたが、本来は即座に滅ぼされてもおかしくない程の重大な悪行だ理解して教訓とすべきです。

わしは初めの頃、「早っ、もう罪を犯してたなんて…」と他人事に思ってました。しかし、人間の生まれながらの罪への弱さが自分にも大いにあると知り、信仰の兄弟方から戒めを頂きつつ自分自身の問題点と真剣に向き合うようになって、彼らの過ちは全く他人事ではないと気付けました。

 

 

終わりに 

 

聖書を理解してこそ得られる気付きは沢山あり、誰にとっても聖書は無関係でも他人事ではないと少しでも認知してもらえれば幸いです。聖書を読んで損失は無いけど、読まない場合の損失は計り知れません。

政治家の懲りない搾取や税金の無駄遣い、海外への大金ばら撒き、近年の世界的なコロナ詐欺、TPPやRCEPをはじめとした売国条約の締結、移民政策推進、個人番号券のごり押しや監視カメラ設置、日本国憲法二十一条に反するインターネットやSNSの検閲が行われ、支配層はその目的の為に一切妥協しません。新世界秩序(NWO)構築も時間の問題です。自由に学べる残された時間は本当に少ないです。人間の内面の成長も時間を要します。聖書に依拠して生きるなら、支配層以上に妥協無く神への服従を実践しましょう。