新型コロナウイルス。
重大な局面ということで、外出禁止要請など大変なことになってきてますね。
普段の生活では、正直あまり意識していませんが、ニュースを見ていると、
これは気をつけないと…と思ってしまいます。
都内では花見も禁止?
密閉、密集、密接をしないことが今できる対策。
もはや、引きこもり天国ですね。
せっかく桜の満開が近づいてきているのに…。
私の住んでいる地域では、そこまでの要請は出ていませんが、花見しながらお散歩ぐらいなら大丈夫なのかな?
なんと言っても私自身、家の中でじっとしていることが苦手。
休日何もせずに家でじっとしていると、疲れてしまうんですよね。
少しでも、外に出て何かしている方がストレス解消になるんです。
別に何か特別なことがしたいわけではありません。
ドライブしたり、散歩したり…。
普段職場での密閉空間にいるからなのでしょうか?
ここまでの報道を見ていると、ちょっとだけ不安にもなりますね。
しかし、これだけ、新型コロナウイルス感染症予防対策が国をあげて打ち出されてきている中で、逆行するように学校再開に向けての動きが出てくることが気になっています。
文部科学省のHPに公表されているようですが…。
・休み時間は教室の2方向の窓を開けて換気
・ドアノブや手すりの消毒は1日1回以上
・入学式などは参加人数を制限して短時間で実施
・マスク入手が困難であるから、家庭科でマスク作り
・音楽に歌唱指導や家庭科の調理実習、接触する運動は年間計画を見直して、後回しに
・遠足のバスは座席を離す
などなど
何をそんなに焦って、再開するんでしょうね。
だって、命の危険があるわけでしょう?命より学力低下しないことが大切なのでしょうか?
そもそも学校でしか学べないという発想が古い!
こういう機会だからこそ、学校では学べないことを学ぶ時なのでは?
学校の先生が評価できない学びは、必要とされる学びではないということなのですかね?
必要なことは、学校に子供達を集めて危険にさらすことではなくて、
子供たちに、目標を持たせること。
ゲームや動画を見るだけではいけないことは、素人に私でもわかります。
こんな時だからこそ、保護者が子供たちと関わる時間を増やして、一緒に教科書を読んで考えたり、教科書のない子供達の気づきから探求する学びをやってみたり…。
学びは学校だけでなく、やろうと思えば、いつでも、どこでもできることを実感させる。人と同じように進まなくても、自分のペースで学習することが本来の姿であること。
興味や関心があるのなら、その学年の学習内容ではなくても、どんどん進んだっていいこと。
実は学校という存在が、子供たちの自由な発想に制限をかけて、個性の伸長を阻害している可能性があること。
そこに気づかないと…。
時間割通りに学習できない子はダメな子ではないんですよね。
みんなが一緒に国語の勉強や算数の勉強をすることは、指導者側の指導を楽にするために導入されている昔ながらの方法であって、子どもたちのためではないんです。
子どもたちのためだというのであるのなら、その子の興味や関心を元に学びたいことを学んでいくことが自然ではありませんか?
日本はどこか教科書、教科主義。
そもそも教科なんて学校独自の勝手な分類でしょ?教科の評価に右往左往しているから、学校が始まらないと学力が…っていう話になる。
子どもたち一人一人がその子らしく、多様な方法で学びを続けていける環境。
数学や理科は、テストがあるから、学校でやらなければならないから勉強するのではなくて、その学習の必要性に子供達自身が気づき、今まで気づいていなかった新しい発見を積み重ねて、感動体験をすることにこそ、意味があるはず…。
その延長線上に、知識の定着を測るテストがあるだけのはず。
いつから、テストのために子どもたちは勉強するようになったんでしょう。誰がそういう風に育ててしまったんでしょう。
本来の感動体験である学びへの変換が今必要なのではないかと思いますが…。