練習
「練習」というお話です。
----------↓
「つまるところ、成功の秘訣は重労働である」
こんな言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、
これは間違っています。
成功の秘訣は「練習」することです。
仕事ではありません。
ましてや、重労働なんかではありません。
そもそも、「仕事」とは不快な言葉です。
頭の中にある辞書から削除したって
良いくらいの言葉です。
「ハニー、
僕にはやらなきゃいけない仕事があるんだ」
そんなセリフ、僕の奥さんは喜んでくれません。
あなたの奥さんだってそうでしょう。
誰も、
あなたが過酷に働かなければならない話なんて
聞きたいとは思っていません。
「仕事が悪いものだから?」
いえいえ、そうではありません。
仕事、
それ自体は素晴らしく称賛すべきものです。
そうではなくて、
「仕事」という言葉が不快だからです。
そこで、「練習」という言葉に
置き換えてみてはいかがでしょうか?
不快な「仕事」とは違い、
「練習」は素晴らしく喜びに満ちた言葉です。
たとえ、練習が全身汗だくになるほどに
辛くて激しいものでも
「仕事」と比べたら、「練習」はずっと高潔です。
練習とは、私達が大好きなことを
うまくなりたいと思ってするものです。
私達が好んで練習をするのは、
大好きなことが上達すれば、
平穏と喜びを感じるからです。
だから、仕事ではなく練習として、
今やっている事を取り組みましょう。
日頃から、
「仕事をしなきゃ」とか「きつい仕事だ」と
口にしてはいませんか?
そういった言葉を使うのをやめて、
代わりに「練習」と言いましょう。
皆さん、
1,000回練習すれば、波に乗ることができます。
1万回練習すれば、蚊が腕に寄ってくるように、
成功を引き寄せることができます。
そして、10万回練習すれば、
初めての練習も10万回目の練習も、
何ら変わりのない、
崇高な練習であることを悟るのです。
最後に、「練習」に関する名言をご紹介します。
「練習を嫌な仕事だと思ってやっている人がいるが、
練習とは、この世で一番楽しいレクリエーションとして
取り組むべきものである」
――ベーブ・ディドリクソン=ザハリアス(1924-1956)
オリンピック金メダリスト
アメリカ人の女性スポーツ選手
立ち上がれ!
マット・フューリー
----------↑
そうですね。イチローは練習を怠りませんね。
プロは練習を怠らないんです。
私たちも何らかの形で社会に貢献して、その報酬を受け取っている「プロ」だと考えれば、「練習」を怠ってはいけないと思います。
その「練習」がこの世で一番楽しいレクリエーションなんだと思える域まで、考え方を切り替えてみましょう!
----------↓
「つまるところ、成功の秘訣は重労働である」
こんな言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、
これは間違っています。
成功の秘訣は「練習」することです。
仕事ではありません。
ましてや、重労働なんかではありません。
そもそも、「仕事」とは不快な言葉です。
頭の中にある辞書から削除したって
良いくらいの言葉です。
「ハニー、
僕にはやらなきゃいけない仕事があるんだ」
そんなセリフ、僕の奥さんは喜んでくれません。
あなたの奥さんだってそうでしょう。
誰も、
あなたが過酷に働かなければならない話なんて
聞きたいとは思っていません。
「仕事が悪いものだから?」
いえいえ、そうではありません。
仕事、
それ自体は素晴らしく称賛すべきものです。
そうではなくて、
「仕事」という言葉が不快だからです。
そこで、「練習」という言葉に
置き換えてみてはいかがでしょうか?
不快な「仕事」とは違い、
「練習」は素晴らしく喜びに満ちた言葉です。
たとえ、練習が全身汗だくになるほどに
辛くて激しいものでも
「仕事」と比べたら、「練習」はずっと高潔です。
練習とは、私達が大好きなことを
うまくなりたいと思ってするものです。
私達が好んで練習をするのは、
大好きなことが上達すれば、
平穏と喜びを感じるからです。
だから、仕事ではなく練習として、
今やっている事を取り組みましょう。
日頃から、
「仕事をしなきゃ」とか「きつい仕事だ」と
口にしてはいませんか?
そういった言葉を使うのをやめて、
代わりに「練習」と言いましょう。
皆さん、
1,000回練習すれば、波に乗ることができます。
1万回練習すれば、蚊が腕に寄ってくるように、
成功を引き寄せることができます。
そして、10万回練習すれば、
初めての練習も10万回目の練習も、
何ら変わりのない、
崇高な練習であることを悟るのです。
最後に、「練習」に関する名言をご紹介します。
「練習を嫌な仕事だと思ってやっている人がいるが、
練習とは、この世で一番楽しいレクリエーションとして
取り組むべきものである」
――ベーブ・ディドリクソン=ザハリアス(1924-1956)
オリンピック金メダリスト
アメリカ人の女性スポーツ選手
立ち上がれ!
マット・フューリー
----------↑
そうですね。イチローは練習を怠りませんね。
プロは練習を怠らないんです。
私たちも何らかの形で社会に貢献して、その報酬を受け取っている「プロ」だと考えれば、「練習」を怠ってはいけないと思います。
その「練習」がこの世で一番楽しいレクリエーションなんだと思える域まで、考え方を切り替えてみましょう!
躾ける
「躾ける」というお話です。
----------↓
伊與田覺氏の心に響く言葉より…
習慣というものは、何遍も、何遍も、鳥が羽ばたきを稽古するように重ねて行って、それが無意識に行なわれるようになったときに、「習慣化された」というのです。
この習慣のことを、日本では「躾(しつけ)」と呼びました。
この字は「漢字」ではありません。
「身」と「美」という二つの漢字を日本で合わせてつくった「国字」です。
習慣化することを日本では「躾ける」と言います。
裁縫(さいほう)のときに、折り曲げた布がもとに戻らないように仮縫いしておく糸を「しつけ糸」と呼びますが、それと同じでもとに返らないようにする…これが躾けです。
要するに「躾」とは、押しつけ、強制です。
現代のように、押しつけは子供の人権を無視することだとして、ほったらかしにしておくと、躾(習慣化)はできません。
かつて日本を訪れた西洋人は「日本人は、決して裕福な生活をしているわけではないが、礼儀作法が非常に立派な国である」と口を揃えて褒めました。
日本の戦後教育は「強制は、子供の人権を無視するものだ」として、先生方が、一歩も二歩も下がってしまいました。
皆さんはご存知でしょうか?
戦後の一時期、小学校では体操の時間に号令がかけられない時代があったのです。
「前へ進め」といったら命令になる。
「右向け、右」といったら強制だとされたのです。
「躾」には、やはり苦痛を伴います。
人間は日常的に苦よりも楽を選びますから、なかなか自律的に行なうことは難しい。
途中で挫折することが極めて多いのです。
そこで、外から教えてやることが大切になってきます。
つまり強制です。
その強制が一番効くのが素直な心を持った子供時代です。
成長し素直さがなくなってきたら強制などできません。
良い習慣というものは子供時代に強制しなければなかなか身につかないのです。
人間学には「小学」「大学」「中学」の三学があります。
その中でも、「小学」は、この良い習慣というものを非常に大切にしています。
「小学」の冒頭にはこの書を編んだ朱子が、本書の主旨を次のように記し、掃除・挨拶・作法の重要性を説いています。
すなわち、人を教えるのに、洒掃(さいそう・清掃)、応対、進退の大事なところ、そして親を愛し、目上の者を敬い、師を尊び、友に親しむ、そういう道を教えることが、自分の身を修め、家を斉え、国を治め、天下を平らかにするもととなる、と。
『いかにして人物となるか』致知出版
----------↑
この文章では、「強制」という言葉を使っていますが、私は、「洗脳」という言葉に置き換えることができると思っています。
躾とは、ある行動を習慣化するために、「洗脳」することだと思います。
「洗脳」という言葉に悪いイメージを持つ人が多いようですが、それは、まさに、マスメディアが「洗脳」してしまったからでしょう。
「洗脳」とは、「ある考え方」に自分自身を染めることです。この「ある考え方」が正しいものであれば、それに染まりたい「洗脳されたい」と考えるのは自然なことです。
「躾ける」には、何度も何度も、繰り返して、若いころに「洗脳する」のが、効果的です。
放任主義では、決して「躾ける」ことは、できないでしょう!
昔は、同居している祖父母が、この役を担ってくれていたと思います。
ちなみに、私の場合も、幼少のころ、同居していた祖母が私を「洗脳」してくれました。
感謝です。
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伊與田覺氏の心に響く言葉より…
習慣というものは、何遍も、何遍も、鳥が羽ばたきを稽古するように重ねて行って、それが無意識に行なわれるようになったときに、「習慣化された」というのです。
この習慣のことを、日本では「躾(しつけ)」と呼びました。
この字は「漢字」ではありません。
「身」と「美」という二つの漢字を日本で合わせてつくった「国字」です。
習慣化することを日本では「躾ける」と言います。
裁縫(さいほう)のときに、折り曲げた布がもとに戻らないように仮縫いしておく糸を「しつけ糸」と呼びますが、それと同じでもとに返らないようにする…これが躾けです。
要するに「躾」とは、押しつけ、強制です。
現代のように、押しつけは子供の人権を無視することだとして、ほったらかしにしておくと、躾(習慣化)はできません。
かつて日本を訪れた西洋人は「日本人は、決して裕福な生活をしているわけではないが、礼儀作法が非常に立派な国である」と口を揃えて褒めました。
日本の戦後教育は「強制は、子供の人権を無視するものだ」として、先生方が、一歩も二歩も下がってしまいました。
皆さんはご存知でしょうか?
戦後の一時期、小学校では体操の時間に号令がかけられない時代があったのです。
「前へ進め」といったら命令になる。
「右向け、右」といったら強制だとされたのです。
「躾」には、やはり苦痛を伴います。
人間は日常的に苦よりも楽を選びますから、なかなか自律的に行なうことは難しい。
途中で挫折することが極めて多いのです。
そこで、外から教えてやることが大切になってきます。
つまり強制です。
その強制が一番効くのが素直な心を持った子供時代です。
成長し素直さがなくなってきたら強制などできません。
良い習慣というものは子供時代に強制しなければなかなか身につかないのです。
人間学には「小学」「大学」「中学」の三学があります。
その中でも、「小学」は、この良い習慣というものを非常に大切にしています。
「小学」の冒頭にはこの書を編んだ朱子が、本書の主旨を次のように記し、掃除・挨拶・作法の重要性を説いています。
すなわち、人を教えるのに、洒掃(さいそう・清掃)、応対、進退の大事なところ、そして親を愛し、目上の者を敬い、師を尊び、友に親しむ、そういう道を教えることが、自分の身を修め、家を斉え、国を治め、天下を平らかにするもととなる、と。
『いかにして人物となるか』致知出版
----------↑
この文章では、「強制」という言葉を使っていますが、私は、「洗脳」という言葉に置き換えることができると思っています。
躾とは、ある行動を習慣化するために、「洗脳」することだと思います。
「洗脳」という言葉に悪いイメージを持つ人が多いようですが、それは、まさに、マスメディアが「洗脳」してしまったからでしょう。
「洗脳」とは、「ある考え方」に自分自身を染めることです。この「ある考え方」が正しいものであれば、それに染まりたい「洗脳されたい」と考えるのは自然なことです。
「躾ける」には、何度も何度も、繰り返して、若いころに「洗脳する」のが、効果的です。
放任主義では、決して「躾ける」ことは、できないでしょう!
昔は、同居している祖父母が、この役を担ってくれていたと思います。
ちなみに、私の場合も、幼少のころ、同居していた祖母が私を「洗脳」してくれました。
感謝です。
運に勢いをつける
「運に勢いをつける」というお話です。
----------↓
斎藤一人さんの心に響く言葉より…
だれにも運があります。
人間だれでも平等に今日から明日へと運ばれているのですから、「運がない」というのは違います。
運ばれているということ自体、運があるんですから。
ただ、運に勢いをつけることができるかできないかだけ。
「運がない」と嘆くまえに、人の倍ぐらいは働いてごらん。
今、やっている勉強でも仕事でも、これまでよりスピードをアップしてみるの。
時間短縮を心がけてみる。
難しいことを考えないで、自分がすぐできることから始めてみればいいんです。
『斎藤一人 あなたが変わる315(最幸)の言葉』KKロングセラーズ
----------↑
「運」に「勢い」をつければ、「運勢」ですね。
運に勢いをつけて、よい運勢を引き寄せたいものです。
----------↓
斎藤一人さんの心に響く言葉より…
だれにも運があります。
人間だれでも平等に今日から明日へと運ばれているのですから、「運がない」というのは違います。
運ばれているということ自体、運があるんですから。
ただ、運に勢いをつけることができるかできないかだけ。
「運がない」と嘆くまえに、人の倍ぐらいは働いてごらん。
今、やっている勉強でも仕事でも、これまでよりスピードをアップしてみるの。
時間短縮を心がけてみる。
難しいことを考えないで、自分がすぐできることから始めてみればいいんです。
『斎藤一人 あなたが変わる315(最幸)の言葉』KKロングセラーズ
----------↑
「運」に「勢い」をつければ、「運勢」ですね。
運に勢いをつけて、よい運勢を引き寄せたいものです。
教える
「教える」というお話です。
----------↓
あなたは年上の方に教えることを難しいと思ったことはありませんか?
実は、年下の人に教えるときも同じ原則なのですが、
人に教えるということで分りやすい例え話があります。
それは「スズメの学校」の先生ではなく「メダカの学校」の先生になることです。
この意味が分かりますか?
答えを見る前に、自ら考えてみてください。
スズメの学校の先生は、ムチをふりふりチーパッパ。ですね。
これが一方的に教える方法です。
多くの方が「人を教えること」は、この方法だと思っています。
それに比べて、メダカの学校は川の中。だあれが生徒か先生か。
みんなでお遊戯しているよ。
つまり「人に教えるということ」とは、
先生づらすることではないということなのです。
先生づらするのではなく、メダカの学校のように一緒に泳ぐ、
共に考えるというスタンスが「人に教えるということ」なのです。
あなたと相手が、協力して問題を解決していこうという態度が重要です。
これは年下の人を教えるときでも同じ原則です。
まず、相手に敬意を払うのです。
相手がそれを感じない限り、心を開いてくれることはありません。
「パラシュートとかけて、人の心と解く」その心は?
分かる方いますか?
そうですね。
「開かないと使えない!」ですね。
相手の素晴らしいところに意識を向け、その人の可能性を引き出そう!
今までの経験に結びつける形で、新しい知識をマスターしてもうおう!
という気持ちで、初めて「人に教えること」ができるのです。
もし相手が自信がない人だとしても、まず敬意を払うのです。
相手は新しいことに取り組もう、マスターしていこうと思う
そのチャレンジ精神に敬意を払うのです。
その上で、上から目線ではなく、パートナーとして同じ目線で教えるのです。
田渕 裕哉
----------↑
心を開いてくれる、信頼を寄せてくれる、そういう関係になっていないと、相手には伝わらない、ということですね。
> それは「スズメの学校」の先生ではなく「メダカの学校」の先生になることです。
これは、わかりやすい、すばらしい例え話ですね。
とても参考になります。
ありがとうございます。感謝です。
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あなたは年上の方に教えることを難しいと思ったことはありませんか?
実は、年下の人に教えるときも同じ原則なのですが、
人に教えるということで分りやすい例え話があります。
それは「スズメの学校」の先生ではなく「メダカの学校」の先生になることです。
この意味が分かりますか?
答えを見る前に、自ら考えてみてください。
スズメの学校の先生は、ムチをふりふりチーパッパ。ですね。
これが一方的に教える方法です。
多くの方が「人を教えること」は、この方法だと思っています。
それに比べて、メダカの学校は川の中。だあれが生徒か先生か。
みんなでお遊戯しているよ。
つまり「人に教えるということ」とは、
先生づらすることではないということなのです。
先生づらするのではなく、メダカの学校のように一緒に泳ぐ、
共に考えるというスタンスが「人に教えるということ」なのです。
あなたと相手が、協力して問題を解決していこうという態度が重要です。
これは年下の人を教えるときでも同じ原則です。
まず、相手に敬意を払うのです。
相手がそれを感じない限り、心を開いてくれることはありません。
「パラシュートとかけて、人の心と解く」その心は?
分かる方いますか?
そうですね。
「開かないと使えない!」ですね。
相手の素晴らしいところに意識を向け、その人の可能性を引き出そう!
今までの経験に結びつける形で、新しい知識をマスターしてもうおう!
という気持ちで、初めて「人に教えること」ができるのです。
もし相手が自信がない人だとしても、まず敬意を払うのです。
相手は新しいことに取り組もう、マスターしていこうと思う
そのチャレンジ精神に敬意を払うのです。
その上で、上から目線ではなく、パートナーとして同じ目線で教えるのです。
田渕 裕哉
----------↑
心を開いてくれる、信頼を寄せてくれる、そういう関係になっていないと、相手には伝わらない、ということですね。
> それは「スズメの学校」の先生ではなく「メダカの学校」の先生になることです。
これは、わかりやすい、すばらしい例え話ですね。
とても参考になります。
ありがとうございます。感謝です。
心を晴らす方法
「心を晴らす方法」というお話です。
----------↓
全ての回答は自分の中にある。そのくらい私達の中は、素晴らしい叡智に満ちている。私達の本体は光である。そのことを信じて欲しい。自分が光であることを確信できれば、人生は必ず好転する。
回答は自分で見つけ出すことだ。しかし、これがなかなか難しい。
その理由は、目も耳も外に向かっているからだ。だから、外から来るいろんな刺激によって影響され翻弄され、内なる声がかき消される。
私達は、ややもすると外にばかり答えを求めたがる。その結果、迷いの人生を歩んでしまうことになる。まして現代は情報の洪水である。ネット上では、まさに玉石混交の世界である。ものすごく価値のある情報もあるが、トイレの落書きとも思えるような情報も山のようにある。
ネットサーフィンで次々情報を検索しているとあっと言う間に、時間が過ぎてしまう。しかも毎日やっていると中毒のようになってしまう。そして最後は迷路にはまってしまい何が何だかわからなくなる。テレビをつければ、これでもか、これでもかとこれまた情報の嵐だ。
情報社会だからこそ、時間を止めて自分を見つめる時間が大切だ。
自分との対話が重要である。
学校教育では、自分を見つける訓練は一切しない。次々知識を入れる訓練は山のようにする。その結果、ずっと勉強して知識を増やさなければ取り残されると言うような脅迫観念を持ってしまう。それも無理はない。
しかしもう心配する必要はない。あなた自身の中にあなたの人生行路を照らし続けてくれる光があることに信頼を寄せることだ。
今からは、知っていることではなく、感じることを大切にしよう。
自分の内なる声に聞くとは、自分の氣分を大切にし、感じる力を研ぎ澄ますこと、つまり感性を磨くことである。
人生は取捨選択の連続である。その時に、自分の内なる声をよく聞いて自分の本当の気持ちを大切にし、自分で判断し決めることだ。あなたが何かを判断しようとする時、何となく違和感を持っているならそれは本当のあなたの声に従っていないことだ。
参考にしてはいいが、誰かの意見によって自分の人生を決めてはならない。
判断を他人に委ねると、うまく行かない時に必ず他人のせいにする。
他人のせいにしている限りは、心が晴れない。心が晴れないと、叡智が働かない。
人間は不思議な動物である。心が晴れていると内から叡智が湧き出てくる。
見山敏
----------↑
7つの習慣の「主体性を発揮する」と「心が晴れる」ということですね。
自分の能力を信じて、内なる隠れた叡智を発見しちゃいましょう!
----------↓
全ての回答は自分の中にある。そのくらい私達の中は、素晴らしい叡智に満ちている。私達の本体は光である。そのことを信じて欲しい。自分が光であることを確信できれば、人生は必ず好転する。
回答は自分で見つけ出すことだ。しかし、これがなかなか難しい。
その理由は、目も耳も外に向かっているからだ。だから、外から来るいろんな刺激によって影響され翻弄され、内なる声がかき消される。
私達は、ややもすると外にばかり答えを求めたがる。その結果、迷いの人生を歩んでしまうことになる。まして現代は情報の洪水である。ネット上では、まさに玉石混交の世界である。ものすごく価値のある情報もあるが、トイレの落書きとも思えるような情報も山のようにある。
ネットサーフィンで次々情報を検索しているとあっと言う間に、時間が過ぎてしまう。しかも毎日やっていると中毒のようになってしまう。そして最後は迷路にはまってしまい何が何だかわからなくなる。テレビをつければ、これでもか、これでもかとこれまた情報の嵐だ。
情報社会だからこそ、時間を止めて自分を見つめる時間が大切だ。
自分との対話が重要である。
学校教育では、自分を見つける訓練は一切しない。次々知識を入れる訓練は山のようにする。その結果、ずっと勉強して知識を増やさなければ取り残されると言うような脅迫観念を持ってしまう。それも無理はない。
しかしもう心配する必要はない。あなた自身の中にあなたの人生行路を照らし続けてくれる光があることに信頼を寄せることだ。
今からは、知っていることではなく、感じることを大切にしよう。
自分の内なる声に聞くとは、自分の氣分を大切にし、感じる力を研ぎ澄ますこと、つまり感性を磨くことである。
人生は取捨選択の連続である。その時に、自分の内なる声をよく聞いて自分の本当の気持ちを大切にし、自分で判断し決めることだ。あなたが何かを判断しようとする時、何となく違和感を持っているならそれは本当のあなたの声に従っていないことだ。
参考にしてはいいが、誰かの意見によって自分の人生を決めてはならない。
判断を他人に委ねると、うまく行かない時に必ず他人のせいにする。
他人のせいにしている限りは、心が晴れない。心が晴れないと、叡智が働かない。
人間は不思議な動物である。心が晴れていると内から叡智が湧き出てくる。
見山敏
----------↑
7つの習慣の「主体性を発揮する」と「心が晴れる」ということですね。
自分の能力を信じて、内なる隠れた叡智を発見しちゃいましょう!