躾ける | 健康幸せ活き活き習慣

躾ける

「躾ける」というお話です。

----------↓
伊與田覺氏の心に響く言葉より…

習慣というものは、何遍も、何遍も、鳥が羽ばたきを稽古するように重ねて行って、それが無意識に行なわれるようになったときに、「習慣化された」というのです。

この習慣のことを、日本では「躾(しつけ)」と呼びました。

この字は「漢字」ではありません。

「身」と「美」という二つの漢字を日本で合わせてつくった「国字」です。

習慣化することを日本では「躾ける」と言います。

裁縫(さいほう)のときに、折り曲げた布がもとに戻らないように仮縫いしておく糸を「しつけ糸」と呼びますが、それと同じでもとに返らないようにする…これが躾けです。

要するに「躾」とは、押しつけ、強制です。

現代のように、押しつけは子供の人権を無視することだとして、ほったらかしにしておくと、躾(習慣化)はできません。

かつて日本を訪れた西洋人は「日本人は、決して裕福な生活をしているわけではないが、礼儀作法が非常に立派な国である」と口を揃えて褒めました。

日本の戦後教育は「強制は、子供の人権を無視するものだ」として、先生方が、一歩も二歩も下がってしまいました。

皆さんはご存知でしょうか?

戦後の一時期、小学校では体操の時間に号令がかけられない時代があったのです。

「前へ進め」といったら命令になる。

「右向け、右」といったら強制だとされたのです。

「躾」には、やはり苦痛を伴います。

人間は日常的に苦よりも楽を選びますから、なかなか自律的に行なうことは難しい。

途中で挫折することが極めて多いのです。

そこで、外から教えてやることが大切になってきます。

つまり強制です。

その強制が一番効くのが素直な心を持った子供時代です。

成長し素直さがなくなってきたら強制などできません。

良い習慣というものは子供時代に強制しなければなかなか身につかないのです。

人間学には「小学」「大学」「中学」の三学があります。

その中でも、「小学」は、この良い習慣というものを非常に大切にしています。

「小学」の冒頭にはこの書を編んだ朱子が、本書の主旨を次のように記し、掃除・挨拶・作法の重要性を説いています。

すなわち、人を教えるのに、洒掃(さいそう・清掃)、応対、進退の大事なところ、そして親を愛し、目上の者を敬い、師を尊び、友に親しむ、そういう道を教えることが、自分の身を修め、家を斉え、国を治め、天下を平らかにするもととなる、と。

『いかにして人物となるか』致知出版
----------↑

この文章では、「強制」という言葉を使っていますが、私は、「洗脳」という言葉に置き換えることができると思っています。

躾とは、ある行動を習慣化するために、「洗脳」することだと思います。

「洗脳」という言葉に悪いイメージを持つ人が多いようですが、それは、まさに、マスメディアが「洗脳」してしまったからでしょう。

「洗脳」とは、「ある考え方」に自分自身を染めることです。この「ある考え方」が正しいものであれば、それに染まりたい「洗脳されたい」と考えるのは自然なことです。

「躾ける」には、何度も何度も、繰り返して、若いころに「洗脳する」のが、効果的です。

放任主義では、決して「躾ける」ことは、できないでしょう!

昔は、同居している祖父母が、この役を担ってくれていたと思います。

ちなみに、私の場合も、幼少のころ、同居していた祖母が私を「洗脳」してくれました。

感謝です。