『幻肢‐工藤俊雄句集‐』(現代俳句協会 2026)は遊牧俳句会の工藤俊雄氏(1931年青森県出身)の句集です。奥付は『遺句集 幻肢』になっていますが、遺句集のつもりの出版だそうです。
句集を開く前に、そのタイトルに驚きます。幻の肢、それは第3,第4の「肢」か、欠損した「肢」かといえば、普通は後者でしょう。ただごとではありません。
冒頭の句。
出生時の夕焼見えて老いにけり
遊牧俳句会の編集長川森基次氏による序文では「老いは単なる減衰ではない。生の相が別の相へ移ってゆく、その不気味さと可笑しみがここにある」と書かれています。所載の句に「草いきれ老いて何かの亜種となる」がありますが、老人は老人としての生の位相があり、そこから出生時の夕焼は見えたのでしょう。ほとんどの句は想像、幻想、想定、あるいは心象の写生の句です。
川森氏の序文にはいくつかの句の紹介と鑑賞があります。氏はnoteも書かれています。武良竜彦氏のnoteにも多くの句が鑑賞されています。大井恒行氏、栗林浩氏のブログでも紹介されています。そこで、私は感動あるいは共感した句をテーマに分けて紹介したいと思います(ダブっている場合もあります)。
<郷里>
北の海宿痾の如く夕焼ける
地吹雪や過ぎゆくものを翻訳す
くにを出で国に戻りし青田波
かまきりの亡骸津軽方言集
走るなり走るほかなし冬怒涛
蝦夷に関連した句
アテルイの砦花舞ひ玄武岩
火取虫蛾夷えみしを吊りし綱飾る
太宰治に関連した句
桜桃忌すべて亜流と血書あり
ルピナスは太宰の知見宙そらへ虚へ
太宰一命三島皇国桜桃忌
<金子兜太及び俳句関連>
いつの間に平座に兜太居て涼し
「兜太往還」極印とする年の空
寒月の秩父山脈遺構なり
完市忌アンモナイトの朱一条
合歓の花路通と少し徘徊す
桃青の軸見て韮の花を見て
蟷螂を奈落に放りしは蕪村
<虫>
工藤俳句には虫が重要な役割を果たしています。川森氏の序文には「一方でこの句集には、極小のものがふいに底知れぬ深淵へつながる瞬間が幾度も現れる」と書かれています。
火取虫蝦夷を吊りし綱飾る
年よりが毛虫一匹ずつ殺す
胡麻ほどの虫突如飛ぶ底知れず
紅い紙魚死後の余生を食いちらす
夕かなかな巨きな影が下りてくる
回想のあらゆる空に赤とんぼ
かまきりの亡骸津軽方言集
初蝶は神の至福の原寸だ
万のみみずからまりあひて祈るべし
蟬しぐれこの世のほかにこの世無し
かまきり君は歴史の中の何だろう
「昭和百年」蜘蛛がもっとも美しく
<この世と生と死>
「私雨」命を見しと思いけり
朧かなわが曼陀羅にカテーテル
動悸する霧の奥へと徘徊す
永遠の異質空間亀が鳴く
秋夕焼聖書ひとつを骸とす
楪や誰も知らない年が来る
合掌の裸形つぎつぎ水没す
心肺灼かる叫喚二十一世紀
日没の光彩あの世夕焼けて
永遠の異質空間亀が鳴く
緋衣おちて全裸の佛体あらはるる
修二会の炎奔りて化現せり
新緑が網膜にある死者あらふ
<自分あるいは老い>
晩年の無月の日付変更線
命終のいろはにほへといぬふぐり
紅い紙魚死後の余生を食いちらす
さることに生涯夜の海泳ぐ
天涯はとても静かで咳をする
むらさきの朧や生きてさえいれば
草いきれ老いて何かの亜種となる
天涯はとても静かで咳をする
むらさきの朧や生きてさえいれば
蟬しぐれこの世のほかにこの世無し
無化ならむ生きて一畳昼寝覚
吾が姿なりを直じかには見れず冬銀河
新緑が網膜にある死者あらふ
わが室むろにこの世ならざる雛吊るす
人間やめてこの世の筍掘つてゐる
半生を縛つてどんどの火の中へ
載せたい句が落ちていないか見直すとどんどん句が増えていきます。そのため、見出しごとの順番が不正確になってきたかもしれません。見出しの分け方も違うものにしたほうがいいかためらいますが、えいやっと載せることにします。






















