ここはいいところ

ここはいいところ

「ここはいいところ」の「ここ」は私が行った場所であり、人生の一場面でもあります。
人生という旅のなかで、自分がよかったと思ったところやことを記録し、人に伝わればいいなと思います。
1か月に2~3回は新しいブログを書きたいと思います。

 前々回投稿した吉見百穴の入口には、百穴のある小山の反対側の小山に松山城址があるという案内板がありました。百穴の受付の方に、松山城址に行くと何があるか聞くと、ここに何があったという看板があるということで、迷いましたが、今回は行きませんでした。

 その山の端にある岩殿観音です。

 2箇所お参りすると四国八十八箇所を廻ったことになるようです。

 岩殿観音から吉見百穴とその駐車場を見ています。 

 吉見百穴と同じ字にあるそば屋「八丁」です。十割そばです。11時開店とともに入ろうと思っていましたが、車のナビゲーターへの住所の入力を千番間違って迷子になり、11時20分に着きました。

 先客は二人でした。店内にはジャズが流れていました。

 「十割そばとそばがき」を注文しましたが、はじめに出されたのがこれです。これは何ですかと聞くと、「サービスのそばあげです」と言われました。カリカリではなく、モチモチで不思議な食感です。塩が利いていてビールが飲みたくなります。

 数分経ってそばとそばがきが来ました。おいしそうなそばだと、はじめはつゆにつけずに食べますが、とてもおいしかったです。そばがきはねっとりとしてざらざら感は全く、硬さもちょうどよいものでした。 

 食べ終わって出されたそば湯をたっぷり入れて飲んでいると、出されたのがこれです。厨房に「あづき」と言っていたもののようです。何か聞くと、そばの寒天に氷と小豆をかけているのだと言います。とてもおいしいです。

 1100円でしたが、1500円から2000円してもおかしくはないでしょう。サービスで2品付くなどとはどこにも書かないで(壁にもメニューにも)、出して驚かせるとは(そんなつもりもないのでしょう)、なんと奥ゆかしいというか、謙虚というか……。もっと宣伝すればいいのにとは思いましたが、予約の電話も入っていましたので、このペースを崩したくないのでしょう。

 感動ものでした。また来たいです。

 2024年5月に印刷物等に掲載された私の俳句の一部です。

 

■『NHK俳句』6月号 (NHK出版 2024年5月20日)

 堀田季何選 佳作

   すぐ消える無数の言葉しゃぼん玉

 

■『麦』2024年6月号(麦の会 2024年6月1日発行)

「地熱集」対馬康子会長選(6句まで出し5句まで選)

   細胞に宿る狂気や春の雨   ……*1

   半熟の夜が明ければ浅い春

   春めくや人類きょうも二本足

   図書館にカオスのめまい春の宵

   病む臓器押し合うごとく春・地球

「踏生集」(同人の自薦欄5句)

   「夢か現か」

   幾たりの夢を渡れる春の蝶

   夢満ちた浅き夢みし目借時

   われという夢のさなかで惑う春

   我置いて此岸ずれゆく花の雲

   花の雲此岸ずれゆく彼岸へと

踏生脚光……4月号より(中村せつ) ……*2

   湯豆腐に青菜と徳利自足せり

句会報 麦の会4月例会 会長選

   どこにもないここという場所鳥雲に

 

■『現代俳句』5月号(現代俳句協会 2024年5月1日発行)

「現代俳句の風」(1年に自薦の4句掲載)

   言語野の彼岸から来る春の蝶

 

ブログ「大井恒行の日日彼是・続」5月15日

 浜町句会第1回 =現代俳句協会の金曜教室(講師:大井恒行先生)が終了して、講師の多い先生と受講生有志で年4回程度、句会を行うことになりました。

   合歓の花余白に憩う哀れかな

 

*1 対馬会長の「地熱深耕」で句評をいただきました。ありがとうございます。

*2 中村せつ様、ありがとうございます。

 

 4月30日、山梨県丹波山村で車を停めて一之瀬川へ下りて行きました。

 この橋を渡ろうと思いましたが、怖くてできませんでした。

 私の車です。ナンバーは「え?はいく?」です。

 4年前のこの車に関する記事です。

ナンバーは 819(ハイク=俳句) | ここはいいところ (ameblo.jp)

 

 埼玉県比企郡吉見町にある吉見百穴に行きました。駐車場から歩いて行くと、山にいくつもの穴が開いているのが見えます。

 古墳時代後期の横穴墓とされ、戦前に地下軍需工場建設の際に十数基が破壊されたものもあるものの、219基が残っています。 穴の間を登っていきます。

 入れる穴もあります。かつては住居ではないかとかコロボックルではないかという説もあったようですが、これより大きいものもありそうではあるものの、狭くて暮らせません。わざわざ登る手間があることも、人目につきやすいことも、住居とはとても考えられません。 

 登って下を見ます。スマートフォンのアプリケーションでは標高約40mです。

 展望台からの眺望です。

 富士山も浅間山も見えませんでしたが、両神山は見えました。

 古墳時代にこのあたりに住んでいたら、このかたい山の穴掘りをさせられるところでした。

 穴たちの地下には戦前、軍需工場を作ったそうです。

 ヒカリゴケです。

 正岡子規の句碑もありました。

 4月に西伊豆の松崎町へ行きました。鏝絵で有名な長八美術館にセット料金で入館料を購入しましたが、セットのもう一方の国指定重要文化財の岩科美術館へ行きました。長八美術館については書きました。

松崎町②伊豆の長八美術館 | ここはいいところ (ameblo.jp)

 松崎町振興公社のホームページには「なまこ壁を生かした社寺風建築様式とバルコニーなど洋風を取り入れた伊豆地区最古の小学校です。明治12年4月に着工、翌明治13年9月に完成した洋風デザインが印象的な建物で、長野県松本市の国宝・旧開智学校(明治9年)などに次ぐ古い学校として知られています。」と書かれています。平成4年に改修工事が行われているそうです。

 ホームページによると「正面玄関に掲げられた「岩科学校」の扁額は、時の太政大臣・三条実美の書。その上にある龍の彫り物は、入江長八が棟梁の「のみ」を借りて彫ったと伝えられております」だそうです。

 近づくと、玄関の横は古い日本建築のようです。

 それにしてもよくぞ松崎町の中心地から数キロ離れた田舎に作られたものです。そのころ養蚕と林業で村は豊かで、教育熱が高かったようです。蚕の展示もありました。

 校長先生です。

 授業風景です。

 開始の合図は太鼓の場合と鐘(太鼓の下)と使い分けられていたのでしょうか。

 教科書の展示は充実しています。

 松本の開智学校と姉妹校だそうです。ブログに書きました。

 長野県松本で半日 | ここはいいところ (ameblo.jp)

 民俗資料の展示です。

 入口近くの古い民家ではカフェを営業していました。

 4月29日、山梨県笛吹市で1泊するのに、自宅の横浜から遠回りして、奥多摩湖から小菅村、丹波山村を通って行きました。

 奥多摩湖、小河内ダムです。

 奥多摩水と緑のふれあい館です。ダムについての青少年向けの科学館的な展示があります。

 1階には奥多摩地方の民俗学的な展示もあります。こんな奥まで縄文人がいたとは驚きでした。

 ふれあい館のまわりにはダムで沈んだ地域にあったものか、地蔵や石碑などがありました。

 俳句の会で、ある人から小菅村は一棟貸しが何軒かあるなど観光がすごいと聞いたので、回り道になりますが、行ってみました。奥多摩湖を過ぎても道路が立派なので驚いていましたが、道の駅に来ると、忽然と近代的な施設があり、車もたくさん駐車していて驚きました。「道の駅こすげ」です。レストランはおしゃれで、ピザがウリのようです。

 向かい側にある「多摩源流温泉小菅の湯」です。

 ここのレストランでざるそばを食べました。おいしいです。そして、食べ終わりかけていたとき、壁のメニューの表示に気がつきました。

 思わず注文しました。しかし、イタドリ以外はどれが何だかわかりませんでした(イタドリは赤くて酸っぱい)。お店の人に聞きたくても、できたものをカウンターに出すとすぐに調理場に下がるので聞くことができません。からいのが「ねぎボウズ」かなと思いながら、確認できなかったのはほんとうに残念でした。機械で食券を買うと自動で調理場に伝わり、カウンターで何番と呼ばれ、合理的ですが、ふれあいができないのは淋しいです。

 なお、小菅村があちこちで「源流の村」を売り出しているのにひっかかっていました。多摩川の源流は笠取山の山麓で、それが一之瀬川、次に丹波川になり多摩川になると認識していました。しかし、多摩川の支流の源流ではあるのでしょう。天ぷらがおいしかったのでよしとします。

 帰ってから調べると、小菅の湯の横の方にあった小さい建物が、一棟貸しのひとつ「タイニーハウス」のようでした。面白い発想ですが、道の駅、小菅の湯の両方のレストランとも18時閉店なので、調理するか買ってくると考えると面倒くさく思います。

 道の駅で農産物のコーナーにあった5種類の苔のセットを買いました。かつては自分で作っていましたが、猛暑にさらされる机付近に置いてだめにしてしまいました。

 小菅村から丹波山村へは細い道を覚悟しましたが、十分広く、安全に「道の駅たばやま」に到着しました。道の駅は小菅に比べると貧弱ですが、燻製にしたたまごを買いました。

 数日前のNHKラジオで丹波山村は山村留学が盛んだと聞いたので、その関係で宿泊や飲食の場所を期待して車でうろうろしました。この風景、宿場の雰囲気が残っています。喫茶店はあるようでしたし、いつか歩いてみたいものだと思いました。 

 丹波山村の中心地よりかなり西へ行き、笠取山からの一之瀬川も過ぎたあたり、たぶん柳沢川と名付けられているあたりで車を止め、川岸へ降りてみました。

 笛吹市からの帰りは道志村を通りました。「道の駅どうし」です。雨が強いというのに、オートバイも自転車もたくさん頑張っていました。