今回、3つの雑誌で、嬉しい句評をいただきました。そのまま掲載させていただきます。
また、残念ながら、短歌の掲載はありませんでした。ブログ「私の俳句・短歌」の1月、2月、3月で報告できたのはいわゆるビギナーズラックだったのかもしれません。
■『NHK俳句』2026年6月号 (NHK出版 2026年5月20日)
テレビのNHK俳句の特選になって4月3日の放送に出たもので、ブログの「私の俳句・短歌:’26.4月」に紹介しました。それが雑誌『NHK俳句』の6月号に掲載されました。
選者堀田季何 兼題「鳥の巣猫の恋」
鳥の巣やゴドーがやってくる予感
句評(堀田季何):ベケットの戯曲でゴドーは、最後まで現れません。来ないはずのゴドーが来そうな予感は、宙づりのまま終わります。鳥の巣は外敵がやって来る場所でもあり、その緊張感がゴドーの不穏さと重なって奇妙な厚みを与えています。
■『麦』2026年6月号
(麦の会 2026年6月1日発行…5月下旬発行)
「地熱集」対馬康子会長選(6句まで出し5句まで選)
フクシマの逢魔が腹に朧月
神もまた輪廻をするや蟇穴を出る
春の夜に足を濡らして地霊来る
旅人の遺伝子疼く木の芽時
季節のないビュッフェの街にユニコーン
「踏生集」(同人の自薦欄5句)
「ここもこの世か」
冥土への土産がなくて寒椿
藤枝の語る世界や春来る ……1
解脱する田螺の語る世界観 ……1
土の中そこもこの世か蟇に聞く
春昼や土竜も顔を洗いけり
「踏生秀句20句選(4月号より)小田笑選
冬の夜鬼をやめたい鬼である (小田様、深謝です)
「地熱深耕」(地熱集の句の句評) 対馬康子会長
フクシマの逢魔が原に朧月
句評:「フクシマ」という固有名は、十五年という時間を経てもなお、あの大震災の記憶を静かに抱え、現代の記憶と現実の重みをそのまま背負っている。一方の「逢魔が原」は、昼と夜の境に異界が現れるとされる古い観念の場所。その二つが重ねられることで、現実の土地がどこか現世と異界のはざまのように感じられてくる。名指しされた土地は単なる地理ではなく、時間の断層や人の記憶が沈殿した場へと変わる。そこにかかる朧月は、輪郭を曖昧にしながらすべてを包み込み、過去と現在、見えるものと見えないものを静かに接続している。
■『楽園』第5巻第3号
(楽園俳句会2025年9月9日…実際は2026年5月15日)
「個個集」堀田季何主宰選(6句まで出し5句まで選)
夏の朝言葉が肺を濡らしけり
超人がまだ来ぬ島の熱波かな
夕焼の狂気背にして冷やし酒
「わたし」とは枝に揺らめく蛇の皮
「球体集」堀田季何主宰選 お題「ジャーナリズム」しばり
佳作 新聞のコスパタイパや蝸牛
「果実快食」(個個集の句の句評) 堀田季何主宰
超人がまだ来ぬ島の熱波かな
句評:熱波という自然条件の過酷さと「まだ来ぬ」という時間遅延が結びつく。ニーチェ的超人やベケット的待機を想起させつつ、その到来を信仰せず諦念している作中主体が描かれる。
註1 「藤枝」は藤枝静男。小説『田紳有楽』を下敷きにしています。古びた感じになるように池に沈められた陶器たちが、喋ったり、金魚と恋に落ちたり、出歩いたりします。最後は陶器たちが宴会をして滅茶苦茶な世界観を披露します。この池の中の陶器から田んぼの田螺へ連想が飛びました。
写真は一昨年4月末、山梨のスーパー銭湯へ行ったときに立ち寄った立ち寄った小河内ダムです。昭和32年11月竣工ということで、来年古稀になります。博物館があり、ダム湖に沈んだものの展示やそこに生きた人たち、そこにあった文化の紹介をしています。仕事をされている方から、「あのあたりに熊が出たんだ」という話を聞きました。



























