「教化都市の魁/神戸市湊区の実情を探る」『教化運動』1938(昭和13)年4月11日(第196号,5ページ)
神戸市湊区と云へば,都市教化の先進地として,近時各方面注視の的となり,その百%に整備せられたる細胞組織と,これが運営による全区和楽の現実とは遠近各都市に異常の衝撃を與へつゝあったが,今やその響きは益々拡大せられ,近く大神戸全区に渡って教化網が布かれやうとしてゐる,而も独り神戸市のみではなく,これに倣って兵庫県下の各都市も一斉に起ち上る態勢をを整へてゐるのだ。
かくて湊区が全国都市に直接間接に与へた示唆,少なくとも他に魁けたかゝる施設が,時代の要求を充すに足る一あって二なき最善の方途を示す活模範としての役割を演じつゝある矢先,大大阪市でも亦大東京市でも,今懸命の努力を町会の整備に注ぎつゝある。独り町会の整備では満足せず,東京市ではやがて整頓せらるるであらう町会の下に,末梢細胞としての隣り組が町々の隅々までも布かれやうとしてゐる。近世数十年,時代は進んで絢爛の都市文化を生んだ,だがその文化は都市民から郷土を奪ひ,隣人親睦の情誼を失はしめた。
即ち今都市文化への警鐘はたゞ「隣りと親しめ」と云ふことなのである,而してそれは数十年数百年の昔,我々の祖先が等しく歩んで来た美はしい道であったのだ,教化方策の復古へ!それが又最も新しい方策として今の世に重要せらるゝ。湊区を先達とする多くの大都市の進路も亦窮極する所これ以外にはないのだ。昨今国民精神総動員が実践の伴はない空疎な宣伝に終り勝ちだと非難する前に,お互に向ふ三軒両隣との関係を更めて見直す必要があらう。今更めて湊区の状況を一瞥して見やう。
一,日本精神を区政に顕現するを以て信條とす
「神戸市の湊区はよくやってゐるさうだ,誰もが最も苦悩とする都市教化の困難性を克服して明朗区政建設の一途に邁進してゐるさうだ」近頃かうした話を随所に聞くが,その湊区だとて初めから平和郷でもなく,況やうまく行ってゐると云ふ今日だとて区民悉くが決して神仏の化身とは云はれない一萬一千に余る多くの世帯が,何れも皆日々歓喜〓舞して,町の隅々に至るまで此の世の楽土を実現してゐると考へるならば,さう云ふ空想に近い考えを持つ方が無理と云ふよりも無茶だと批評せねばならぬ。たゞしかし多くの都市に比較して,未だ誰もが開かない新分野を拓いて居り,先進の名に恥じないだけの美はしい業績をあげて特異の彩を放ってゐるのだ。
現区長の道添哲夫氏が神戸市社会教区主事と云ふ多年の栄職からこの区の行政の枢軸を掌るべく命ぜられたのは三年前であるが,この頃までの既往十数年,区内の有力者の間にも,各種団体の間にも絶えざる相克摩擦が繰返され,ために区政の円滑を欠き心ある人々をして顰蹙せしめつゝあったと云ふ。故に人呼んで難区と称するこの区に長たることを命ぜられた道添氏に対し側近知友は勧むるに,これを受諾せざるの賢明なるを以てしたのであったが,道添氏の信念は夙に一実不動のものが培はれてゐた。「自治行政の根本は教化にあり,教化は我が国是,この国是たる教化を以て,区民の和を図ることに成功すれば凡ては解決する区政刷新の実は明確なる指標を中心としての『和』の達成によって立ち所に〓るであらう」即ちこの信條に燃ゆる新区長は,難区に選ばれたことを却て無上の幸とさへ感じたのであった。
かくて道添新区長は就任の直後区内の町会長を始め区内の有力諸氏を招き,順々として,その胸奥より燃え出づる烈々の赤心を傾けて,一区一家への道を説き,『和』の完成のために暫らく自分の為す所に一任せられたいと提議したのであったが,誰一人異議を述べる者もなく,挙げて新区長に一任することになしたのであった。
二,活動母体としての教化協同会と全区民の指標「湊区是」
「一区一家」の完成へ!それは区民の相互教化練達による全的協同体の結ばれることである。それには先づ以て対立抗争の禍因を取除く方法が必要だ。昭和十一年三月春季こうれい祭の当日,区内の諸団体凡ての機関の幹部及び有志者,篤志者を網羅して湊区教化協同会が結成せられ,区長自ら会長として区政刷新の参謀本部たらしめたのは実にその必要からであった。爾来この団体の〓〓営々としてうまざる働きは,日を遂うて次第に区民に明朗の清気を流入し,幹部の融合協同を促進して,心から区長の方針を援くることゝとなり,目指す「和」への力強き歩みを続けたのであった。而してその和の前には高く掲げられた全国民の指標があった事は既に述ぶる通りである。湊区是五ケ條こそ即ちそれに外ならない。
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湊区是
一,日夕皇室をヲ敬ヒ神仏ヲ礼拝シ報恩崇祖ノ美風ヲ顕揚スベシ
一,互ニ其ノ長所ヲ発揚シ共存共栄ノ精神ヲ貫徹スベシ
一,各々階級会派ヲ超越シ協同社会ノ実現ヲ期スベシ
一,大和民族ノ大精神ヲ発揮シ区即家庭ノ実ヲ挙グルベシ
一,情ヲ経トシ文化ヲ緯トシ理想郷土ノ建設ニ邁進スベシ
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三,整然たる一貫の細胞組織/古来の美風を再現する隣保班
区是とこれを区民日常生活の実践に移さしむるため機関たる教化協同会の活躍は確かに幹部の協同と区民の理解を高めたが,一萬一千の世帯,その最後の一戸に至るまで教化の温い手を延すには,網が餘に大きすぎる。その昔我々の祖先は五戸,十戸の世帯を一団とする組を作って禍福,利害,休戚を分ち合ひ,義務と責任を共同の名に於て換つた。宛然一家の如き隣保協同の美風は,その精神に於て今日の市制の学ぶ所であり乍ら顧みられざること既に久しく,百害百弊はその忘失に起因してゐることを看取した区長は,現下の実情に即応した方法によって,往昔のこの伍什人組織の美点を移し植ゆるとに懸命の労力を捧げたのである。五戸乃至七戸の世帯を一団とする隣保班の組織はかゝる観点によって進められ,既に客夏七月事変勃発の前後に於て略完了を告げてゐた。一萬一千七十の世帯が五戸,七戸相集まって二千有余の隣保班となり,五班,七班相集まって二百五十余の組を結成し,更に五組乃至七組相寄って三十五の部に集約せられ,遂に九つの町内に統べらるゝ組織,まことに整然たる一貫の組織である(別表参照)この隣保を解説して次の様に曰ふ。
四,眼前に展開する区政刷新の事実と高調する区民の理解
昨夏大体の設備を終ったこの組織は,今次事変を契機としてその強化に一段の拍車を加へ前記の数字を以て,真に全区のうち一戸をも余さざる迄に完備したのであったが,たゞ組織あって施設なきは世の通弊とする所,この区の組織には,必ず一集団に
世話係をおき,各組織〓を通じて,月例常会を開催するを必行事項としてゐる常会の名称は別表示す通りであるが,常会の連続はやがて,熱心なる世話係を生み,世話係の活動は住民の理解と自覚を深めて,日に月に全区教化の実を示すに至ってゐる。しかも尚未だ之を理解せざるものあらば,区長自ら挺身し訪れて烈々の言を以て導くのであった。かくて隣保班の徹底は銃後各般の方面に対して異常の好結果を〓らしてゐることは云ふまでもない。具体的に挙げ得らるゝ事項にして,聞くもの何人も〓〓を禁じ得ざる刷新の業績,わけても事変下銃後の諸問題に関連する諸施設の中にも他の以て範とすべき美事も四,五にして止まらないが,紙面の都合上遺憾ながら後日に之れを割愛するであらう。
世に批評は多し,或は人各々見る所を,異にするあり,湊区に対しても亦何らかの異論があるかは知らぬ。しかし,如上の現実に対して,我々は絶護の言葉を呈するに吝であってはならないと思ふ。都市教化の先覚として,汎く世に紹介するのは実にこの為である。
若し夫れ,自治制発布五十年を迎へて,各市競ってその全面的行政刷新の実を挙げむとするならば組織の整備と相俟って,燃ゆるが如き信念を以て臨む首脳者と,これと協力する幹部一致の歩〓がなければならぬ。
我々は湊区の業績に示唆する無言の教訓の中に,他の何事にもまさる尊きものをその一点にも見出すことが出来る。(四.八)