(40)

この無防備状態の被災者が,略奪や暴行を受ける危険がある,というのは俗説で,実際にはむしろ近隣からの愛他的な救援活動が,このような人びとに向けられる。

 

(46)

災害時には,それまであたりまえであった規範が背後にしりぞき,自然発生的に芽生えてくる非常時的規範と呼ばれる新しい社会的なルールがとってかわるのである。災害直後に人びとは,非常時規範に従うことで困難な事態を切り抜けようとする。私たちは,ここに人間の知恵の巧みさを見ることができる。

 

この新しいルールの特徴は,個人の勝手な自由を抑えて平等化をはかる,ということである。災害を経験した人びとの間に,束の間ではあるが,運命共同体の意識が湧き上がってくる。…

 

この非常時規範のもとでは,災害の被害を受けることの少なかったものが,大きな被害を受けたものを助け,強壮なものが弱者に庇護の手を差しのべる愛他行動が誘起されるのである。
 

(176) 

援助行動というのは,…,他者に必要な財物を与えたり,労働を提供したり,技術や知識を教えたり,精神的な支援をするといった行為の全体を意味している。…提供する側の意図はともかくとして,他者にとって助けとなる行為を,一応は,援助行為と考える。

 

(177)

この援助行動の全体のなかで,特別な性格を帯びているのが愛他行動である。

 

もちろん愛他行動は,他者を援助する行動である。ただ特殊なのは,自己の利益をはかるためではなく,ただひたすら他者の利益のために援助するのが愛他行動である。

 

ごく一般的に言えば,報酬を求めずに他者を利する行為,つまり,愛他行動とは善意にもとづく無私の援助行動のことなのである。

 

(188)

(阪神大震災のボランティア)大多数のボランティア参加者は,これまでボランティア活動をしたことがない人びとであったため,何をしたらよいか,泊まる場所はどこかなど,多少の混乱もあったし,ボランティア志願者と市役所や区役所,社会福祉協議会などとの行き違いや,ボランティアどうしのトラブルもあった。(189)

 

(189)

(一昔前の)災害の現場でのボランティア行動は,ほとんどが炊出しなどの,ごく限られた直接的なボランティア活動であった。…そのほかのものとしては,各地から寄せられた衣類や義捐金などの提供が中心だった。(190)

 

(190)

そして被災者への具体的で,実質的な支援は,都道府県や市町村などの地方行政に,すべてゆだねられていたのである。

 

(192)

災害により住民が避難する事態になると,地方自治体への負担は,たえられる限度を超えて大きなものとなっていた。特に個々の自治体職員の上に重くのしかかる責任と仕事量は,過重を通りこして,行政の麻痺を起こすまでになっていたのである。避難施設の確保からその維持,避難者への給食,衛生状態の保持から健康チェックまでを,市町村が主体となり,都道府県や国がバックアップするかたちで実施してきた。(193)

トルコ航空のチケットをとった…ニコニコ

 

現地のホテルも予約した…ニコニコ

#一番行きたい施設へは徒歩圏内のホテル

 

前泊のホテルも押さえた…ニコニコ

#車を預かってくれるらしいので,助かる

 

モスクを見学に行くときには,

髪の毛を隠すためにヒジャヴを被らなければならない猫しっぽ猫からだ猫あたま

 

わざわざ買うのもなぁ・・・

 

代替として思いついたのは大判の風呂敷ビックリマーク

髪の毛を隠すための帽子があるらしいので

これらでなんとかできるかもしれない

 

向うの人達は,待針みたいなピンで留めるらしい

怖くないのかな?

 

私は怖いので,安全ピンのようなピンを使うつもり

 

楽しみだけど不安 汗うさぎ

一,共同体的秩序と部落会・町内会
(285)
隣組常会にかんする指導が積極的におこなわれるようになるのは,国民精神総動員運動をまってからであり,隣保組織が直接ファシズム体制の末端組織として制度化の道をすすんでいくのもこのときからである。

(285)
いかに部落会・町内会が,いわゆる下からの「合意」の基盤として利用され,そこに体制のもとめるモラルの注入が,擬似自発性的なかたちをとってなされていたかがわかるだろう。

(285)
そしてそれが,地域名望家層を頂点とするヒエラルヒー的構成をもって権力と住民とのあいだに媒体として介在し,地域権力構造の基盤としての位置をしめるとき,体制の基底はみごとに確保されることになる。

(286)
すでに日露戦争をはじめ非常時における住民組織として徐々に形成されはじめ,また衛生組合などから転化し,その実体を確立しつつあった町内会は,地域統合の母体として注目されはじめていた。

(287)
都市における地域住民統合の末端組織としての町内会の整備にさいしては,地方自治体を介した強硬的な行政指導がつよくもとめられ,伝統的な隣保共助原理の強調・確認による組織化よりも,行政上の要請を表面をうちだすことによって住民をとり込んでいったと考えられる面が多い。(288)

(288)
こうしてまがりなりにも全国的な規模で部落会・町内会の原型といわるべきものを,各自治体の下に形成しえたとき,それはファシズム体制の基底の編成として意味をもつことになるのである。


国民精神総動員運動の一環として一応の整備をみた部落会・町内会は,そうした準備段階をへてはじめて具体化されえたものであり,


その点,一九四〇年(昭和一五年)九月一一日付の内務大臣訓令をもって発表された「部落会町内会等整備要領」は,その最後のツメをしめすものであったということができる。

(289)
では一九四〇年の内務大臣訓令をもって整備される部落会・町内会は,いったいどのようなかたちで組織化されていくのだろうか。


これを国民精神総動員運動の過程からみていくことにしよう。


二,国民精神総動員運動と町内会の整備
(289)
一九三七年(昭和一二年)八月,閣議決定にもとづく「国民精神総動員運動実施要綱」にはじまるこの運動が,同年七月七日の日中戦争勃発後,戦時体制整備の一環としていわば上からの権力的国民統合を,下からの擬似自発的な運動というかたちで粉飾し,「銃後」における国民精神作興を目的としたものであったことはよくしられている。

(289)
この国民精神総動員運動は,きわめて官僚的色彩をつよくもつものであり,その主張するところも観念的・無内容な「つねにむなしく叫ばれる」といった性格のものでしかなかった。(290)

(290)
そして初期に企図されていたような国民の再組織化が,おもうようにおこなわれえなかったことは。はじめにあげた運動開始後二年をへた一九三九年六月の文部次官の地方長官宛通牒からも十分にうかがうことができる。

(290)
しかしそうした不徹底さ,無内容さにもかかわらず,この精神総動員運動が,ファシズム体制のもとでの国民統合の方式として,国民再組織を企図していたかぎり,まったく観念的な運動に終始したというわけではない。


すくなくとも部落会・町内会の再編成による戦時体制の整備という点からみるとき,その成果は予期されたほどのものではなかったにせよ,この運動は決定的な役割をはたしてきたといわなければならない。

(290)
たしかに一九三九年(昭和一四年)二月,その強化方策がうちだされた後,この国民精神総動員運動は,貯蓄奨励・廃物献納・買溜防止といったものに重点がおかれ,他方,精神運動としては「皇道主義」を謳歌し,「銃後奉公」を強調するといったものにおわっている。

 

しかしこのように一方で総動員運動が実質的な側面として,国民の実生活における経済協力と統制を強化していくにつれ,注目しなければならないことは,そこで行政との関係がいっそう密接となったことであり,その間,国民末端組織が,地方自治体単位で強行的におしすすめられていったことであろう。

(290)
その実践網の末端組織としての部落会・町内会の整備がおしすすめられることになる。(291)

(291)
ではこの間,部落会・町内会の整備は,どのような具体的な経緯をたどったのだろうか。大都市を例にみていくことにしよう。

(294) 
これにたいし神戸市,横浜市のばあいは,いずれも明治期より「衛生組合」の設置をみており,これが町内会の設立と密接な関係をもつという背景をもっている。


これは両市がいずれも港湾都市として防疫のための地域組織をもとめられていたからだと考えられるが,横浜市のばあいを例にとると,一九二七年以降,町内会未組織の町では衛生組合が行政事務補助の仕事を代行し,新市部内の町内会未組織町では,「横浜市町総代規程」による町総代をおいてこれにかえている。


しかし町内会整備が,国民精神総動員運動下の一九三八年(昭和一三年)になって一斉におこなわれている点では,他の大都市とかわりはない。


神戸市における同年三月の「隣保組織要綱」の制定は,これにあたる。

(294)
こうしてみてくると一九三八年は,いわば大都市自治体によって,町内会の整備が促進された地固めという点で重要な意味をもつといえるが,この時期の町内会整備はつぎのような性格を持つ。


そのひとつは,いずれもそれが地方自治体の指導のもとにおこなわれ,強行的な官治的統合というかたちをとらず,そこに地域住民の擬似自発性の喚起による住民組織化という側面がうちだされていることであり,


第二は,そのかぎり,主眼はあくまでも町内会の「整備」にあり,その性格づけと運営にある程度の余地が残されていたということである。

(295)
強調されているのは自治への協力と旧来の慣行の遵守にあり,上からの統合という側面はまったく覆いかくされている。

(295)
しかし町内会整備の経緯をふりかえるとき,中央からの強権的な国民統合に先だち,まず地方自治体のレベルでこうした再組織の方策がとられたというのは,都市部での住民統合がいかに困難の現実にあったかをしめすと同時に,こうしたいわば微温的な方策をへなければ実現しえないことをしめしていたということができよう。

(296)
したがって困難を予想された大都市においても,ひとたびその整備が順調に進展すると,一転してその方針は強権的なものとなってあらわれることになる。


翌一九三九年(昭和一四年)九月一日発,内務省地方局長より地方長官宛のつぎの「市町村ニ於ケル部落会又ハ町内会等実践網ノ整備ニ関スル件」は,これを端的にあらわしたもkのとみることができる。

これにいたって国民統合の方式として町内会・部落会の再編成がどのような意味をもつかは,きわめて明確となる。


そして翌一九四〇年九月一一日,内務大臣訓令をもって「部落会町内会」の整備は完成段階にはいるが,そこではもはや旧慣的相扶連帯の醇風の確認も称揚もなく,ただ国民統合のための「地域統制単位」としての部落会・町内会だけが姿をあらわすことになる。
 

(74)

「統治するのは誰か」と「どれほど良く統治するか」が政治学にとって最も基本的な二つの問題である。前者は,「誰が,何を,何時,いかにして得るか」という分配と再分配にかかわる問題を提起する。分配と再分配をめぐる論争は,この数十年間,政治学の最前線に位置してきた。

 

これとは対照的なのが,制度パフォーマンスに関する厳密な評価作業である。かつては「良き統治」が政治学の最重要テーマだったのに,ほとんど取り組まれてこなかった実状である。パフォーマンスと実効性を問う作業には必ず規範的な判断が伴う。それゆえ,この四〇年ほどこの問題に積極的に取り組んだ政治学者は皆無に近かったのだ。

 

制度の成功・失敗の要因を調べる第一段階として,イタリアの二〇州の政府を多様な角度から評価することが求められる。

 

だが,ではそうした学問的作業はどのように始めればよいのだろう。

 

制度の成功を,厳密,公平,かつ説得的に評価しうる基準とはいったい何であるべきか。

 

(75)

ここで評価を加えたい制度は代議政である。

 

(99)

どのような要因が,成功した北部と不成功に終わった南部を分けているのか。また,北部でも南部でも,同じ地帯に属する州の間で政府の出来・不出来が出てくるのはなぜなのか。

 

(105)

市民共同体における市民性(シチズンシップ)には,全構成員に対する平等な権利と義務が必然的に伴う。

 

このような共同体は,権(106)威と従属という垂直的関係ではなく,互酬性と協力という水平的関係でお互いに結び付いている。市民は,平等な人間としてふれ合うのであって,庇護者(パトロン)と顧客,あるいは統治者と請願者としてではない。

 

(158)

私的隷属の封建的絆は北では弱まり,南では逆に強まった。

 

北イタリアでは人々は市民であったが,南部では臣民にすぎなかった。

 

(253) *訳者あとがき

本書の直接の目的は,一九七〇年に実現したイタリアの地方制度改革が,各地域の州政府の「制度パフォーマンス」にいかなる影響を与えたのか,より一般的には民主主義がうまく機能する条件が,何かを見極めるところにある。

 

測定の結果,「制度パフォーマンス」には南北で大きな格差が認められた。

 

同じ公式的構造を持つ州に大きな違いをもたらしたものは何なのか。

 

制度イノベーションは民主主義にいかなる影響を及ぼすのか。

(9)

イタリアにおける州政府の設立という新たな実験は,制度発展の動態と生態の比較研究にとっておあつらえの素材となった。

 

政府パフォーマンスを研究する者も,新たに始動した公式上同一のこれら諸組織・機構がたどった道筋を,その環境をなす多様な社会的・文化的・政治的背景のなかで検証することになる。

 

新たな組織は,セヴェソとピェートラペルトーザの土が違うように,違った土壌にあっても同じように現実には成長していくのであろうか。

 

もしそうでないとするならば,植物の成長との違いはいかなる要因によって説明できようか。

 

(10)

イタリアにおける州の実験に関するわれわれの研究は,これら二つのテーマに実証的な証拠を提供することをもくろんでいる。

 

制度を独立変数として扱うことで,制度の変更が政治アクターのアイデンティティ,権力,戦略にどのように影響を及ぼしたかを実証的に検証したい。そうした作業の後に,今度は制度を従属変数として扱い,歴史が制度パフォーマンスをいかに条件づけているかを明らかにしたい。

 

(11)

制度は,目的達成のための工夫ではあるが,単に合意達成の工夫にはとどまらない。

 

(12)

制度パフォーマンスの動態の理解は,比較社会科学にとって長年の関心事であった。

 

(13)

われわれの研究は,制度デザインに関するこの種の諸問題には間接的にのみ触れる。事実,われわれの研究にあっては,制度デザインは一定に保たれた。というのも,同一の組織構造を持つ州政府が,全州に同時に導入されたからである。

 

(14)

制度デザインが,パフォーマンスに及ぼす効果はじかに明らかにはできない。そこで,我々の研究は,制度の変化が生み出す諸結果を検討する。

 

(16)

ある制度は,いかに動いているのか―さらには,制度が異なれば,その働きにいかなる違いが生じるのか―を理解するために,われわれは種々の分析技法を効果的に使う必要がある。

 

(17)

われわれの探求の論理は,一五あるいは二〇の州を多次元的に同時に比較することを要請する。

 

(20)

制度パフォーマンスと市民生活―本研究では「市民共同体」という語を使う―の関連を検討する。…

制度パフォーマンスと市民共同体との強い関係は,市民性の程度が州によってなぜ異なるのかを問うことに必然的(21)に結び付く。この問いに答えを出すことが,第五章の主題である。

 

(21)

最後に第六章では,市民的な積極参加の規範をネットワークが,実効的かつ応答的な政府に対してこれほどまでに強い影響を与える理由と,市民的伝統の長期の安定性の原因を解明する。集合行為の論理と「社会資本」という概念はわれわれのアプローチを理論的に独自のものとする。

 

(16) 

四 三新法時代

所謂三新法とは郡区町村編制法,府縣会規則,地方税規則の三を言ひ,これが略ゝ今日の地方自治制度の基礎となったものであり,地方自治制度文化の第一歩を印するものである。何れも明治十一年七月公布せられたが,後明治十三年四月に至り区町村会法の公布せらるゝに及び,更に一段と組織が整備せらるゝことゝなった。…

 

(59ー78)

六 現行制度の樹立

(甲)府県

(乙)郡

(丙)市町村

 

 

(23)

三,都市の行政機構

第三に都市の行政機構に付いてお話を致したいと思ひます。これは大体に於て御承知の通り日本の市制は人口の小さい三,四萬の小都市も人口五百萬の東京市も同じ劃一的の市制といふ(24)もので規律せられて居るのであります。

 

市制そのものは町村制と似たり寄ったりでありまして,唯違ひますのは市参事会といふ特殊の機関がありますだけで,そのことに付てはあとに申上げたいと思ひます。

 

市町村では理事機関に相対するものに議事機関といふものがあって,理事機関は議事機関から選任せられて居る。公選せられることになって居る,国の法制の定むる所に依って理事機関と議事機関とは各々権限の分界が定められて居る。それは国家の強い監督権を以て監督をせられて居る,斯ういふ風になって居るのでありますが,これは大体に於きましてヨーロッパ大陸の市制,自治制に準拠して居るといふことが言へるのであります。…

(4)

都市とは何ぞ…先づ一般の学者が認め居りますのは,都市とは人口多く,その密度高き非農業地域であるのであります。即ち一,人口の多きこと,二,其の密度の高き事,三,非農業地域たることで,この非農業地であるといふ意味から致しまして,少くとも都市は生活の根本の食糧は農村に供給せられるものであります。農村なくして都市は立って行けない。だから農村は食糧に於ては生産的である都市は食糧に於ては消費的であります。使ふ一方であります。さふいふ工合に非農業といふこ(5)とが一つの状態であります。農村は自然を相手にする農業をやるのでありますから,従て土地の廣きを要します。故に農村は面積に於ては廣い。併しながら人口の密度は少い。都市は非農業地域でありますから土地面積は廣きを要せないのでありますが人口の密度は高いのであります。農村は自然を相手として生活して居りますが都市は寧ろ人為を以て自然を征服し人を相手として生活して居るので,凡てが人為的で,たとひ少しなりとも人工の加はらないものは,都市には殆どないと言ってもよい位である。自然のやうである家の庭でありましても,人工を加へて造った庭である。子供の持って遊ぶ一本の棒切れと雖も自然のまゝのものでなく,人工を加へたものである。都市は総て人工を加へられたものに依って生活して居りますが,農村は自然を相手とし自然のまゝを使用して居ることが多いのであります。…

 

(1)

はしがき

我国体と地方自治と題して意見を申述べたいと思ひます。

地方自治と国体観念を注入することは最も急務であって,国体を離れて地方自治は存在しないのであります。然るに一時我国では,自治団体であるとか,帝国議会とか云ふものは別に独立超越せる国家の機関であるかの如き誤解が一部の間にないでもなかったのである。此の点は特に今日の如き国体明徴の声の盛の時に於ては徹底的に明にして置くの必要があります。是が茲に私が特に我国体と地方自治と題した所以であります。

 

一,自治体の沿革

(2)

全体我国は外国と違ひまして,元来西洋で言ふやうな自治制のやうなものは無いのであります。忠孝の国でありますから,自治などゝ云ふことは伝統的に無いのである。固より五人組制度と云ふやうなものはあったけれども,是なども西洋で言ふやうな自治とは大変趣を異にして,大体が縦の関係になるのであります。西洋の自治と云ふものは其根本が横の関係に在る。故に個人とか自由とか云ふ関係になるのであります。…

(3)

自治制はあったにしても,昔は封建時代であったから,地方制度其ものが非常に中央集権制度的で縦の関係が基礎となって居る。そこで欧羅巴のやうな横の関係の自治制度ではないのである。而して日本に欧羅巴的の自治制度の生れたのは明治二十一年である。…

(7)

而して山縣内務卿は明治二十一年に市町村制を発布すべく尽力されたが,之も畢竟萬機公論に決すと云ふ意味合から出たものと解釈しなければならない。それにも拘らず先刻来申すやうに,自治制でも帝国議会でも,我国の昔乍らの沿革を忘れて徒らに過れる横のみに偏し欧米式に解釈するものだから

百弊交々至り,殊に疑獄などが盛に自治団体にも起こったりした事は返すがえす遺憾千萬の至りである。…

(10)

財団法人中央教化団体連合会は市町村教化網の完成を会是として居るのである。そこで昭和十年の六月大阪で第十二回目の全国大会を行って非常に盛会を極めたのでありますが,相変らず国民精神作興の問題にも触れたのでありますが,此れ迄度々問題となって居るのは,先づ第一に市町村を良くしなければ到底我国が良くな(11)る筈はない。市町村を良くするには市町村長や市町村会議員だけに任せて置いてはいけない。先づ以て市町村民が各自しっかりしなければならぬ。而して市町村民がしっかりするには市町村に各種の教化団体の連合を鞏固にして,互に種々の申合せをなし之を実行すべく町会教化の網を張らねばならぬといふのである。即ち市町村教化網と言ふのであります。畢竟各団体が結合して,或は国体観念の明徴をやったり,或は選挙を粛正したり,或は時間の励行をなしたりする等,組合の組成分子が皆しっかりして各教化団体に之が実行力を促してこそ,始めて市町村も立派になるのである。所が其の市町村と云ふものは大きいものであるから,さうするには昔の五人組のやうに,小部落の者が例へば二十戸,三十戸毎に毎月会合して互いに其の郷土の実情に適合せる事柄を善処せねばならぬ。而して此の会合を称して部落常会と言ふのであります。されば段々家庭にも接近して,自然に家庭の改善も出来得るのである。兎角或時代には市町村と云ふものは,時々模範市町村の譽もあったが,それは其の熱心な市町村長が去ると影が薄くなりもう模範でなくなる事も少なくない。それではいけない,矢張り永遠に市町村民の個々各々が皆同じ気持ちになって,一つ自力更生をして自己の市町村を良くするやうにしなければな(12)らぬ。されば市町村教化網を布くことは,自治体の改善上時節柄最も急務と云はねばなりませぬ。図らずも自治の沿革の話が脱線しましたが,現時さう云ふやうな方針で中央教化団体連合会は自治の革新を期せんと志し,熱心に努力しつゝある所以を申上げた次第であります。

(12)

明治四十三年―

大正十五年―

(15)

満州事変一たび起り,五・一五事件が発生し,今や正に日本精神を再検討しかゝって居ると云ふことは諸君も御承知の通りである。斯う云ふ時に当って現時の弊害を全く除去し,自治体に対する日本精神の再検討をすると云ふことは今日程急務なるものはない。而して之を実行するには,先づ以てどう云ふ所に弊害があるかと云ふ事を知らなければならぬ。願わくは諸君に於(16)かれては其の土地の事情に即し大いに此の点を検討され,如何にして其の弊害を除去したら宜いかと云ふことに注意して貰ひたいものであります。餘に慾張ってもいかぬが一つづゝ片をつける様に致したいものであります。これを御縁故にして,諸君は将来中央教化団体連合会の講習会や,全国教化事業者の大会にも出席されて,大に健全なる輿論を喚起し之が実行に猛進されんことを希望して置く次第であります。

 

(18)

二,自治体の本質

(21)

…欧米の権利思想と,我国の忠孝と云ふ道徳精神とは両立しない点がある。何となれば忠孝と云ふ道徳の上では何等自己的と云ふやうな意思はないからであります。即ち忠孝と云へる道徳精神の方面には,個人としての権利を主張するやうなことは無い(22)筈であります。結局忠孝や道徳と云ふ様な方面には,一切自分の利益とか個人主義とか云ふものを棄つべきものであります。さうでなければ忠孝は出来やう筈はないのであります。さう云ふやうに考へて見ると,権利と云ふものは或は民法中にもあり,或は自治体にも與へられて居る,又憲法第二章にも臣民の権利と云ふことがある時,無論立憲国としては権利と云ふものはあるには相違ないがどの権利でも天皇陛下が国法を御定めになった結果に依りて初めて生じたものであって,苟も天皇より下賜された所の権利であると云ふことを忘れてはならぬ。さうでないと間違った独立した西洋式の権利と誤解されることとなるのである。…

 

今や全国人口の約半数に達せんとする都市民の教化は,それが他の半数以上を占むる農村に影響することに於て一段の重要性を加へ,其の振否は直に国運の消長に影響し来る。しかも都市の形態,頗る複雑にして其の教化施設亦多様なるを要し,其の指導の方途に於て多大の困難を感ぜざるを得ず,我が中央教化団体連合会茲に見るあり,〓きに都市教化の大綱を協議し,更に各方面指導の大衆を煩はして講習会を開催して,各種問題の提起と其の対策とに就て多くの示唆を受くることを得,斯道進展の上に一道の光明を得たる感じ,これを少数講習生にのみ止むるに忍びず,今其の速記を刊行して廣く同感の士に頒ち都市教化の好資料たらしめんとす