~幕末のはじまり~
寺田屋の話をする前にどうしても語らなくてはならないのは幕末当時の日本の政治の仕組みです。
そこで伏見の話の後は彦根の話になると言うご縁もあることですんでもう少し追加のお話を。
なんと言っても来年は
明治維新150周年
ですんで(笑)
幕末当時、日本は天皇を頂点とした政治体制でした。
その天皇陛下から任命され、実質的に国の運営を任されたのが幕府でありその長が徳川家となります。
頂点に天皇や貴族からなる朝廷(ちょうてい)
そこから任命され政治の運営を担当する将軍と武士からなる幕府
立場的に幕府は重要な決定などは朝廷、そして天皇陛下にお伺いを立てて許可を得たのちに決定していました。
しかしながら江戸時代、この幕府からのお伺いが朝廷から却下されることはまずありませんでした。
つまり、幕府の決定がほぼそのまま日本の政治方針として採用されていたのです。
ところが黒船来航で日本はてんやわんや、前代未聞の大騒ぎとなります。
それは太平の世に慣れていた日本には天地がひっくり返るような出来事でした。
そんな混乱した日本の状態の舵取りを任せられたのが彦根藩主
井伊直弼(いい なおすけ)公
でした。
この方の名前は日本史の授業などでも聞いたことがあると思います。
どちらかと言えば悪名、と言いますかあまり良いイメージではなく現代に伝わっているかと思います。
しかしながら、しっかりと背景を踏まえて考えればこの方の採った政策が必ずしも間違いだったとは言えないのです。
その説明は次回しっかりするとして幕末の嵐が吹き荒れるまでの政治上の流れをざっくり紹介します。
まずは黒船来航します
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日本に対して外国が開国を要求
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幕府で協議、外国人を打ち払えと言う世論に反して幕府は開国を決定する
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朝廷は許可してない!と反発。朝廷の許可もなく開国を決定したことに対する幕府への批判が高まる。
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幕府の批判などをする一部の過激な思想を持つ人間への弾圧を強行する(安政の大獄)
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桜田門を出たところで刺客により井伊直弼公が暗殺される(桜田門外の変)
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幕府を政治の運営から退かせ朝廷を頂きに戻し外国を打ち払おうと言う動きが活発になる(攘夷運動)
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日本全土に幕末の嵐が吹き荒れる時代へ突入する
このような道をたどり幕末はさらに多くの血が流れる時代へ突入する。
上記の赤字部分が井伊直弼公が関わり、後世までその名を残す結果となる出来事です。
それを踏まえて次回は井伊直弼公についてのお話です(^-^)