「美しい顔、知ってます?」
‘自分探しの放浪者’的な知人から
携帯にこんな一行メールが届いた。
質問の意図がわからなかった。
「イオナ。わたしは美しい」のことか
「ええ、今、鏡の中にいるわ」と
返してもよかったのだが(寒いけど)、
無難に「芸能人で?」と尋ねてみた。
すると、
「新人賞をとった小説です。いま、問題になってますね。。。」
と返事がきた。問題とやらの具体的な内容は何もない。
こちらはガラケーである。
なのでLINEのような短文やりとりをすると
時間がいくらあっても足りなくなるし、
受信ボックスがすぐいっぱいになる。
だから、あえて返信せず、ネットで「美しい顔」を検索した。
ヤフーニュースの記事はすぐ見つかった。
東日本大震災を題材にして
講談社主催の群像新人文学賞をとった作者の小説が、
参考にした文献を明示してなかったとかなんとか。
抗議したのは
震災まもなく現地に入って取材したノンフィクションライター。
抗議された講談社側は、
「うっかりミスだったから、件の小説を単行本化するときには
参考・引用した文献をちゃんと巻末に載せるから許してね」と
言ったとか言わないとか。
これだけなら
「ふぅん、小説にも参考文献載せなきゃいけないんだ」で済んだ。
が、他の検索結果を覗いてみると、事はそう単純じゃなかった。
ルポだけでなく、
実際に肉親や友達、家をなくした子どもたちが
震災後につづった追悼の文集の中の、
心情や記憶までコピーのようにその小説には記されていたようだ。
これがもし、先方に了解を得ての小説描き下ろしだったなら
抗議されることはなかっただろう。
被災地に行ったことがない作者が、
どうして遺体収容所の光景や
砂浜で遺体を探す人々の姿や所作まで
現地にいたように書けたのか、
作者についた編集者が知らないはずはない。
しかし、作者も、作者についた編集者も、道義を無視した。
ぜんぶ自分たちの手柄に集約させようとした。
ひめゆりの塔だって太平洋戦争の学徒出陣・特攻隊だって
阪神大震災だって猟奇殺人事件だって
取材しなくても小説にして発表してる人いるじゃない、
ネタ本そのままの人もいるじゃない、
みんなやってきたことだから、と(たぶんw)。
良く言えば
井伏鱒二式小説作法の平成版。
『金持ち父さん 貧乏父さん』の精神を
小説で体現した版 。
この作者は、
やったもん勝ちのグローバル現代日本において、
「素材」を「活用」してビジネスチャンスに結びつけた、
若き美人ベンチャー小説家として賞賛されるはずだ。
「うまいことやったな」と。
「誰もが躊躇してできなかったことを大胆にやり遂げた」と。
小説や脚本を書く側にとって、
ノンフィクションやルポ、研究ものは
二次創作のための資料・土台である。
それを叩き台、踏み台として使うことにためらいが生じるのは、
ルポライターや研究者が使った労力や時間、工夫に
敬意を払うからで、
敬意を払うからこそ参考文献の明示ということが行われる。
また、事件事故の被害者や被害者家族の手記などは、
その事件事故が悲惨であればあるほど、
「それを使って二次創作」しようとする自分を
みじめで後ろめたい存在にする(私の主観かもしれないが)。
それを払しょくするために「相手の許可取付け」が行われる。
『美しい顔』では、それが一切無かった。
作者が男か美人でない女(+40over)だったら、
あるいは、
主人公が17歳の女子高生でなく
おっさんやおばさんだったら、
この小説が原本をリライトやアレンジしただけのものとバレたあと、講談社は今のようには作者を守らないだろう、
という書き込みも見た。
まぁそうだろう。
人間社会は属性で人を「区別()」する社会だ。
「そうして人間は人間社会を守り、発展させてきた」と、
大抵の人は、耳にタコができるほど聞かされ、
胃液が這い上がってくるほど体験してきたのではないか。
商売的には、大手であればあるほど
属性とマーケティングは一体のものだ。
それに、
ちょっと補正すれば「目力のある美人」に見えるアラサーまでの独身女性は、社会的地位の高い壮年以上の男性にきわめてウケがいい(一般論です)。
美人でなくても、「カワイイ声」と「メルヘン少女」な服装で、
手作りケーキを差し入れつつ理系でもある「ギャップアピール」をすれば、地位と権力ある男の内で欲情と保護本能の嵐が発動してミラクルが起きることを、
わたしたちはほんの数年前に目撃したばかりだ。
今回の『美しい顔』作者のギャップアピールは、
「繊細な心を持ちながら、鋭敏な感受性で震災の過酷な状況情景と当事者の心情を描き切った」こと。
ケッ、節穴め。
なんてことは思っちゃいけない。
なぜなら、それも
「美しい日本」をめざす土壌から生まれたことだから。
講談社は、小説『美しい顔』を剽窃や盗用とする見方から、
小説と作者および作者についた編集者を徹底的に守る構えだ。
法律で明文化されていない道義や倫理は「無くていいもの」。
「世の中ってそういうもんよ」とうそぶく老若男女が支配して、
きっと日本はますます美しくなるのだろう。