フライドチキンと海のおと。 -59ページ目

冷たく暗いトンネルの先には

「トンネルってよ、いやあな時みたいだなァ。一人っきりで寒くてよ……。
 でもな、いつかは抜けるんだぜ」
              /『うしおととら』より 法力僧・蒼月紫暮のセリフ



よく、

「プラス思考になんなきゃだめだよ」

と言う人がいる。

いやいや。
誰だってなりたいんだって。
でもそれができないからしんどいんだって。

僕はレッキとしたマイナス思考人間なのでハッキリ言えるが、
マイナス思考の人間に「プラス思考になれ」というのは、
海で溺れている人間に

「苦しかったらエラで呼吸すりゃいいじゃん」

というようなもんだ。
できりゃやってるって。


とはいえ現代社会に生きていると、
とかくプラス思考を求められる。
「笑っていないと、いいことは起こらない」とか。
これがしんどい。
辛いから笑えないのだ。


「いつでも笑っている人間」と「辛い時こそ笑える人間」というのは違う。
根本的に人間の種類が違う。
僕は決して前者ではない。
かといって後者にもなりきれていない。
でも僕は後者でありたい、と思う。
辛い時に笑う努力をしなければ、いくらでも「辛さの淵」に落ち込んでゆく。
一旦落ちてしまうと這い上がるのはとても難しい。
そしてそこには死の影さえちらついている。
そうなったらいいことなど何もない。


確かに辛い時の笑いなんて、
ただ唇をゆがめただけのつくり笑顔なのかもしれない。
でもとりあえずはそれでいい。
唇をゆがめて笑顔を作り、


「ま、しゃーないかぁ」


とため息をつけばいい。
そしてそのあと、僕はこのセリフを思い出す。


「トンネルってよ、いやあな時みたいだなァ。一人っきりで寒くてよ……。
 でもな、いつかは抜けるんだぜ」


そのトンネルの性質は、人によってもタイミングによっても異なる。
長さも。深さも。暗さも。冷たさも。寂しさも。


ただ、変わらないことがひとつある。


それはトンネルなのだ。
いつかは抜けるのだ。


どんなにいやな時も、いつかは終わる。
そのトンネルは必ず明るい未来へとつながる。そう信じたい。
そう信じるところから、プラス思考ははじまる気がする。


プラス思考になるのではない。
プラス思考になるためのほんの小さなきっかけとなる、
引き金のような考え方なのだと思う。


えらそうなことを言うつもりは毛頭ない。
僕自身、自分を信じることも愛することもなかなかできない。
だからこそ、こういう「壁を突き破る言葉」にすがっているのだ。

「壁を突き破る言葉」はいつも強く厳しく、あたたかい。

そのぬくもりと輝きに、

僕は光を慕う蛾のように引き寄せられてしまうのだ。

キジムナー その3

「この世の人間があまり深入りしてはいかんことよ」


おじいは幾分重い口調で話しはじめた。


「あれは今日みたいな、暑い日だったさ」


おじいはその時三十半ば、ちょうど僕くらいの年齢だった。
海に放ってあった網に大きな手ごたえがあり、
サバニ(漁船)に引っ張り上げた。
色々な魚が百匹ほどかかっていた。


すぐにおじいは異変に気づいた。


魚がみんな死んでいるのである。


死んだ魚の姿を見て、ぎょっとなった。


すべての魚に目がなかったのだ。
両目とも、明らかにほじくり出されたような痕があった。


ふと海面を見ると、舟から2メートルほどの距離に、
20センチくらいある茶色い藻の塊が浮いていた。
その藻の隙間から白目のほとんどない二つの目がおじいを見ていた。


「やー、キジムナーかぁ!」


叫ぶなり、サバニのオールで藻の中心辺りをぶっ叩いた。
粘土の塊を叩くような、いやな重さの手ごたえがあったという。
藻はゆっくりと海中に沈んだ。
なおもおじいは藻が沈んだ辺りを見ていると、


「いてえ」


と、反対側から声がした。
振り向くと、藻の塊はさっきの五倍ほど、
1メートルくらいの大きさになっていた。
よく見ると、それは藻ではなく髪の毛だった。


「このつぎは死なす」


丸い大きな目を怒りに赤く染め、それは言った。
おじいが恐怖で動けずにいると、とぷん、と音をさせ、それは沈んで消えた。
それから一ヶ月間ほど、おじいの網には魚がまったくかからなかったらしい。


「あれは妖精や精霊やいう可愛げなもんじゃないんど。もっとまがまがしい、恐ろしい何かさ」


僕は泡盛のソーダ割りが入ったグラスをぎゅっと握り締めたまま、
話に聞き入っていた。


「この世の人間があまり深入りせんことよ」


おじいはさっきと同じ科白をもう一度言った。

キジムナー その2

おばあの話はこうだ。



彼女が十歳くらいの頃、海岸でヤドカリを採って遊んでいた。
すると砂浜の向こうから、真っ黒に日焼けした少年が歩いてくる。
あばらが浮いて見えるほど、少年はがりがりに痩せていた。

燃えるような真っ赤な髪をしていた。


ぼうっと少年を見ていると、目の錯覚か、
少年は陽炎のように消えたり現れたりした。
気づくと、1メートルくらい近くまで来ていた。
少年は、腰にアダンの葉でできた腰ミノのようなものを着けていた。

「誰?」

少女だったおばあが訊ねると、

「あげる」

と言って、少年はにっこりと笑い、
手にしていた白い貝殻でできたネックレスをくれた。

「ありがとう」

おばあがお礼を言いながら顔を上げると、少年の姿はなかった。
周りは砂浜だ。
一瞬で隠れる場所なんてどこにもない。



「名乗らなかったけどねぇ、あれが多分キジムナーさぁ」

おばあは言った。

「そのキジムナーはねえ、ガジュマルの枝にも、よぅくぶら下がって遊んでたよ。
 わんと目ぇ合うと、にっこり笑ってさ。あかんべえ、って」
「恐ろしい感じではなかったんですか?」
「じぇんじぇんよ。友達だったさぁ。ほぅれこんな顔して」

おばあは両手の人差し指で頬の端を引っ張ってぎょろっと目を剥き笑ってみせた。

「キジムナーや、死んだ子供の霊とか、ガジュマルの精とか、ニライカナイの使いともいうねぇ」


おばあは泡盛のロックをすすりながら言った。
<つづく>

キジムナー その1

僕は沖縄が大好きだ。


できれば永住したい、なんて思っているのだが、
現実的にそれがなかなか厳しいので毎年沖縄旅行に行く……のも厳しいので、
沖縄料理が食べられる居酒屋さんに行く。ちえっ。


ひいきにしているお店は「うりずなー」という名前で、
空手何段という鋼鉄のような身体をしたおじいと、
コロコロ太ったかわいいおばあがやっている。

沖縄出身のこの二人の話がおもしろいので、
常連客は多い。
僕もその一人で、最近ではキジムナーの話を聞いた。


キジムナーとは、沖縄の民話などに古くから伝わる妖怪だ。
沖縄では非常にメジャーな存在で、
観光客向けの土産屋ではTシャツのイラストや、
菓子のパッケージや携帯ストラップのマスコットなど、
あらゆる土産物にその姿を見つけることができる。
土地の伝承によって容姿や行動に微妙な差はあるが、符合点も多い。
五歳から十歳くらいの少年の姿。裸。赤い髪。赤黒い肌。ぎょろりとした大きな目。
子供好きでいたずら好き。ガジュマルの木にぶら下がって遊ぶ。
ガジュマルの木の根元にうずくまり、砂遊びをする。
ガジュマルの木の根元に砂で小さな階段を作ると、
翌朝には足跡が残っていることがある。
基本的に害はないが、
馬鹿にしたりからかったり罰当たりなことをすると恐ろしい報復をされる。
妖精と妖怪。精霊と魔物。実体と霊体。崇拝と畏怖。その中間の存在。
しっかり調べたわけではないので無責任なことは言えないが、
そういった存在らしい。


このおばあとおじいは、
沖縄のまったく違う土地で生まれ育った。
しかし二人ともキジムナーと会っている、らしい。
その話が興味深い。

どこが興味深いか。
二人の話から受けるキジムナーの印象が、
大きく乖離しているのだ。


おばあの話からはあたたかさを、
おじいの話からは恐怖を感じた。

明日のブログで、二人の話を紹介しますね。
<つづく>

不便で悲しい「狼男」のホンネ暴露本

『人狼の独白-Monologue of werewolf-』
/ピーター・A・ダウニー著



僕の住む遠雷町にはなぜか古本屋が多い。
家の周り、徒歩五分圏内で五店舗もある。
そのなかでも僕は「照屋古書店」をひいきにしている。
ひいきの理由は、僕の幼馴染が経営しているというのがひとつ。
そしてなにより、置いてある本のラインナップが面白い。
タイトルだけでぐっと惹きつけられるものが多いのだ。
一般の書店では見たこともないような古書ばかりなので、
若干値段は張るのだが我慢できずに買ってしまう。
そして部屋が本でどんどん埋まってゆく。自分でも困っている。
とはいえ本を読むのはやめられない。
一生かかって読める本の量なんてたかが知れているだろうが、
それでも本を読むのはやめられないのだ。



そんなわけで、
『人狼の独白-Monologue of werewolf-』
という本を買った。


ルポライターでもある著者のダウニーという男が、
なんと本物の狼男にコンタクトを取ったのである。
どうやって見つけたのかもわからないし、
もちろんその狼男が本物なのかなんてわからない。
しかし騙されていることを理解しつつ、
あまりに面白くてむさぼるように読んだ。



まずはAという狼男にダウニー氏が取材をするのだが、
その内容が面白い。


「月夜になると人が襲いたくなる」

みたいな話が出てくるのかと思ったらさにあらず。


「狼の時は四足なので、翌日手のひらを見ると古釘が刺さっており、
 あぶなく破傷風になるところだった」

とか、


「朝起きるとベッドがノミの死骸だらけになっていて困る」

とか、


「自分より大きい本物の狼と縄張り争いをして半殺しにされた」

とか、


「とにかく自分が獣臭くてメシがノドをとおらない」

とか、


「いかんせん抜け毛が多い」

とか、つまりコメントがやたらどんくさく、
生活臭がぷんぷんするのだ。
ロマンなんてひとかけらもない。
ひたすらにホンネを暴露しているのだ。
狼男というのがいかに面倒で不便であるか、というホンネを。


Aの場合は先天的な狼男だという話だが(先祖から狼男の血を脈々と受け継いでいるらしい)、
噛まれて唾液からウイルスが伝染し、
狼男になってしまった、というのが次のQという男。
断っておくが、著者のダウニー氏はあくまで真面目にこの本に取り組んでいる。
本文中でもしきりにノンフィクションであることを強調している。
このQの話もとことん哀れで間抜けである。
中でもおかしかったのが、


「銀の弾丸じゃなくても痛いことは痛い」


というものだ。

退治されたくないので、やっぱり狼男にはなりたくない。