フライドチキンと海のおと。 -61ページ目

しずちゃんのパパに学ぶ

「のび太くんを選んだきみの判断は正しかったと思うよ。
 あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。
 それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね」
                     /ドラえもん『のび太の結婚前夜』より




大事なことって、実はたくさんある。


たとえば、自分のしている仕事に惚れ込むこと。
明日に希望を抱きながら生きること。
人にも自分にも厳しくあること。
愛する人を護ること。
愛する人の笑顔を絶やさないように努力すること。
「いかに多くの人間を騙し、自分の利益を増やすか」
なんてことが、
人によってだけれど一番大事なことになる場合もあるだろう。


大事なこととは、施行する人間によって自在に形をかえる。
つまり大事なこととは、
そのまま人間のアイデンティティーにつながるのかもしれない。


僕が「人間として大事なこと」として大好きなのは、
上記している「しずちゃんのパパ」のセリフだ。

人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる心。
しなやかで強い心だ。
こんな心さえ持っていれば、
あとがどんなスットコドッコイでデタラメな人間でもいい、と僕は思う。
しかしそれはシンプルでいて、おそらくはとても難しい。
もちろん僕は、まだまだできていない。


「バカ正直」という言葉が好きだ。
バカ正直な人間は、
心の真ん中にけっして折れない芯を一本すえている。
そしてバカ正直な人間は、心にあるその芯の存在に気づいていない。


正直者がバカを見る? 見ればいいじゃないか。
小さな悦びのために嘘を積み上げてその上で胡坐をかき、
そこから見下ろす景色は、
はたして正直者が見る「バカ」より美しいのだろうか。

「うまく社会と迎合する」とは、
楽な道だけを選んで歩くことでは決してないのだ。

もしも僕がサイボーグになったら

僕は肩がこる体質だ。


一日パソコンと向かいっきりで仕事をしていると、
夕方頃には目の疲れから頭が痛み、首が痛み、
それにともなって肩ががちがちにこってくる。
首から背中にかけて、
鉛の棒でもつっこまれたように重く固まるのだ。
こうなると仕事への集中力も潮がひくように低下し、
ひどい時には気分が悪くなる。

ときおりオフィスを抜け出してエレベーターホールなどに行き、
腕をぶんぶん振り回したり首をぶんぶん振り回したり、
たまに腕立て伏せなどもしてみるが効果がない。
ガンとして首と肩の血流は滞ったままである。

そうなるともうしょうがないのであきらめる。
極力パソコンを見ないデスクワークに切り替える。
とはいえ、現代人の仕事というのはどうにもパソコンと切り離せないようで、
いつの間にやらマウスをかちかちいわせている。
そしてマウスを持った右肩がサンドバッグみたいに固くなる。
困ったもんだ。


こんな時、いつも思う。
自分がサイボーグなら、肩の筋肉をぱかっと外し、
42度くらいのちょっと熱いお湯につけっぱなしにしておけるのに、と。
もちろん首の筋肉もだ。
目覚まし時計の単三電池みたいにレールからぽこっと外し、
お湯の中でぐにゃぐにゃに揉みほぐす。
そうしてふにゃんふにゃんになった筋肉をお湯からすくい出し、
ぱちりと定位置にはめ込むのだ。
もちろん肩こりなんてアンドロメダの彼方にぶっ飛んでいるのだ。
想像しただけで、なんだか気持ち良いなあ。


耳かきをする時も思う。
頭から耳腔をすこんとひっこぬき、
スタンドの灯りの下で心ゆくまで耳垢をほじくる。

おお。やってみたい。

この場合、痛覚神経はケーブルみたいにつながっていたほうが良い。
こういう客観的な手段で耳かきを施行した場合、
痛みがないと無遠慮にがしがしやってしまいそうだからだ。


ああ、サイボーグ。
なってみたい。



でもたぶん、サイボーグになったら肩なんてこらない。

真夜中の回送電車

夜中の十二時過ぎ、

真っ暗な回送電車が人をぎっしり乗せて走っているのを見たことがある。

スベリ芸

【スベリ芸】


こんな言葉を作ってしまうから、
これを芸などと呼ぶから、
くだらない芸人の居場所ができてしまう。


確かに、その芸人に対し何を望むのかは視聴者が決めることだ。
「くだらない芸だからこそ、見ていて癒される」
というファンも中にはいるかもしれない。

しかし、
「だったら芸人はくだらなくてもいい」
という判断は絶対に違う。
そういう判断を、間違っても芸人側がすべきではない。
「オレ、くだらなさを求められてるから面白いこと考えなくてもいいや」
という判断をした時点で、その芸人は終わりだと思う。


もし仮に芸人がくだらなさを求められているとしたら、
その芸人は
「何もしなくてもいい」
のではなく、知恵を絞って一生懸命、
「くだらなさ」
を演出しなければならないのだ。
考えなければならないのだ。
楽なもんじゃない。
でもそれが芸人として「舞台で戦う」ということなのだと思う。
手抜きの笑いは惰性的にしばらくは続くかもしれないが、
びっくりするほど急に飽きられる。

とかく視聴者は「次の笑い」に貪欲なのだ。
もちろん僕も含めて。

ずぶぬれのおじさん その2

声をかけるべきかどうか迷った。
ほんの2、3メートルくらいまで近づいた時、
それまで真正面を見据えていたおじさんは急に僕のほうにくるっと顔を向けた。


「にいちゃん」

唐突に声をかけてきた。
表情とは裏腹に、快活な声だった。


「……はい」
「迷ったんか?」
「……はあ。あの、すいません国道へは」
「この先の道はな」


僕の言葉を無視して、おじさんは自分が歩いてきた方を指差した。

「行かんほうがええ。危険や」


おじさんのTシャツには、ところどころ白い染みがあった。

「……危険……ですか?」
「危険や。にいちゃんみたいのには、特にな」


おじさんのTシャツからは、ぽたり、ぽたりと雫が落ち、
アスファルトを濡らしていた。


血だった。


えんじ色のTシャツに白い染みがあるのではなく、
白いTシャツの全体が血に染まっていたのだ。
ジーンズも血でじゅくじゅくに濡れており、
やはり血の雫をサンダルに落としていた。

おじさんが歩いてきた道には、等間隔で血の足跡がついていた。
僕が何も言えずに固まっていると、


「そっちには行かんほうがええ」


と言って、また右足を引きずりながらびちゃ、びちゃ、と歩きはじめた。
Tシャツとジーンズからは血の雫を落とし続けていた。
曲がり角を左に折れ、おじさんの姿は見えなくなった。
『そっちは行かんほうがええ』
と言われたからといって、おじさんの後ろをついて行く気にもなれない。
僕は血の足跡を踏まないように、おじさんが来た道を進むことにした。

なんてことはなかった。
すぐに車の往来の激しい国道に出た。排気ガスの匂いが、なんだか懐かしく思えた。
僕の住むマンションからは、目と鼻の距離だった。
その日の夜に激しい雨が降ったせいか、

翌日に現地を訪れたら血の足跡はきれいさっぱり消えていた。


わけがわからなかった。
あのおじさん、一体何だったのだろう?