我が家の長女。

中学受験を経て、当時四谷大塚偏差値57の

中高一貫校に入学しました。

 

四谷大塚の合不合判定テストでは、

55程度だった長女ですから、

 

過去問対策が効いて、実力よりやや上の

学校から合格をいただけたと言う結果でした。

 

本人は65オーバーの学校を第一志望と

していましたので、第二志望校への入学、

と言う形になりましたが、

 

親から見たら、実力相応以上の学校から

合格をいただけて嬉しい限りでした。

 

 

 

 

 

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国公立大学の後期日程で、無事に合格をいただけた長女。

 

長女の高校は数年前までは、難関国公立大学への

進学が上昇傾向で中学受験でも

人気が高まっていました。

 

長女が入学したころはちょうど、中学入試での

偏差値がピークだった頃でした…。

 

その後、徐々に国公立大学への進学率が下がっていき、

それに伴い中学受験時の入り口偏差値も下降傾向に絶望

(今はびっくりするくらい偏差値が下がってるわ…)

 

そして、長女はサンデーショックの年に

受験をした学年でした。

長女の学校では、サンデーショックの年に

入学した学年は、おしなべて成績がよくない真顔

というジンクスがあるのだと、

入学後に知りましたアセアセ

 

実際、先生たちも手を焼いてしまうくらい

やんちゃで元気な生徒が集まっていたようです笑い泣き

 

長女の卒業時の担任の先生は、高1から長女たちの

学年で担任を持っていましたが、

高3進学前に別の学年に変えてほしいと

校長に懇願したらしいですガーン 

 

が、校長から、

「あなた以外に、あの子たちの担任を

できるのはいませんよ」と突っぱねられ、

 

泣く泣く高3でも担任になったのだということを

先生ご本人が卒業前に暴露されたと、

長女が話していましたチーン

 

(実際、修学旅行でも騒動があったりと、

とにかく先生は生活面・学業面共に

手を焼いていらしたみたいです)

 

 

 

 

 

 

そしてそんな学年の理系クラスの中でも、

ほぼビリに近い成績をとっていた長女。

 

先日、書類を整理する際に長女の成績表が

出てきたので、改めてみてみましたが、

ま~~~ひどい!!!

 

本当に、ギリギリレベルで卒業した感じの長女ですタラー

 

そんな長女が、まさかのダークホースで

国公立大学に合格したのです。

 

学校に電話で合格の連絡を入れたら、

担任の先生もまずびっくり、

そののち喜んでいた、

と長女から聞きました笑

 

 

ちなみに、合格をいただいた国公立大学に

入学金かれこれを納めた数日後、

我が家には立て続けに電話が鳴りました…。

 

補欠合格だった私立大学からの、

繰り上げの連絡の電話ですえーん

それも、2つの大学からです!

 

私立大学の第2志望だった東京農業大学からも

繰り上げの連絡が来ました。

あと数日早ければ、東京農業大学に入学を

決めていたかもしれません。

ちょっとタイミングが遅かったです泣

 

 

高3秋頃に学校に提出した進路希望リストの

最後の欄には専門学校も記入していた長女。

 

どこの大学からも合格をいただけなければ、

専門学校に進学しよう、と話していました。

 

ところが、終わってみれば

明治大学と国公立大学前期の大学以外からは

すべて合格がもらえたという、

予想以上の結果でした拍手

 

 

長女曰く、M学苑(塾)に通ったおかげだよ!!!と。

 

中高一貫の進学校に入学し、卒業したのに、

大学受験の出来がまあまあ良かったのは、

M学苑のおかげって…。

 

私立の中高一貫校に6年間通った恩恵は

あったのか???と、甚だ疑問ですチーン

 

ただ一つ言えることは、高い志を持つ

クラスメイトや友達が周りにたくさんいたことで、

受験を乗りこえられたのだと思います。

 

(幸いなことに長女の友達は優秀な子ばかりでした。

大半が医学部に進学したそうです。

そんな優秀な子たちが、なぜ長女のような

ポンコツと仲良くしていたのか本当に疑問ですタラー

 

そして、中学受験時の長女の持ち偏差値は約55程度。

6年後、合格をいただいた大学の偏差値は55~50程度。

 

残念ながら後伸びすることはできなかったけれど、

これが長女の実力だったのだろうと思いますウインク

 

 

おわり